ペトラ村から徒歩二時間余り。
荷馬車に乗れば一時間と少し。
そして、空を飛べば更に半分。
「うわぁ! 凄い、ほんとに飛んでます!」
背中にしがみついたクレナイが興奮の声を上げる。
僕達は今、木製の魔法の杖にまたがって、マクリア地方の空を飛んでいた。
ただし空と言っても、高度はせいぜい十数メートル。
王都によくある三階建ての集合住宅と同じ高さの低空飛行だ。
「初めて空を飛んだときって、大抵は怖がるものなんだけどなぁ」
「そうなんですか? こんなに気持ちいいのに!」
本当、色んな意味で僕より魔導師に向いていそうな子だ。
僕なんか、初めての飛行訓練のことは思い出したくないくらいなのに。
「コハク様が王都からいらっしゃったときも、魔法でビューンって飛んできたんですか?」
「さすがにそこまで長くは飛べないな。魔力的にも体力的にもね。風魔法で船を走らせる方がずっと楽だよ」
「馬に乗るより馬車に乗る方が楽、みたいな感じですね。分かります分かります」
納得しているところ申し訳ないんだけど、僕は馬に乗れないからイマイチ共感できない喩えだった。
「その気になれば、雲より高く飛べたりするんでしょうか」
「鍛錬次第だね。できた人は何人かいるみたいだよ。会ったことはないけど。そんなことより、本当に良かったのか?」
「……? 何のことです?」
「魔石探しについて来たりして。亜人に魔獣に、色々と危険なんだろ?」
「平気ですよ。村の皆に恩返しする良い機会です」
「恩返し?」
今度は僕の方がオウム返しに聞き返す番だった。
「実は私、まだずっと子供だった頃に、森で拾われたんです。それなのに皆、本当の家族みたいに育ててくれて。だから恩返しです。コハク様が魔導器をどんどん作ってくれたら、その分だけ皆の生活も楽になりますから!」
自分の出生について語るクレナイの声には、辛い過去を口にしたときのような物悲しさは全く感じられない。
底抜けに明るくて、底抜けに前向きだ。
きっとクレナイにとって、ペトラ村の住人に拾われた過去は、悲話ではなく素晴らしい出来事として記憶されているんだろう。
だからこその恩返し。多少の危険は物ともしないくらいのモチベーション。
「そっか……君は立派だね。僕なんか、自分が楽になることしか考えてないのに。こうやって動いてる動機も、魔導器を広めれば仕事が減るかもって魂胆だよ。身につまされるなぁ」
「そんなことありませんよ! 皆が幸せになるんだから、凄く立派なことだと思います! 先生も『きっかけより何をするかが大切だ』って言ってました! あっ、先生っていうのは、村に通いで来てくれた教師の人です」
「良いこと言う先生だな……っと、あれが要塞か。思ったより大きいな……」
クレナイとそんな会話を交わしているうちに、目的地のすぐ手前までたどり着いていた。
まさに要塞と呼ぶに相応しい無骨な城だ。
居住性は二の次三の次。防衛力を第一に考えた軍事施設。
サブノック要塞というネーミングからも自身の程が伺える。
神話において、人類に魔法をもたらしたとされる『最初の魔法使い』――サブナックはその直弟子の一人で、土や金属を操る魔法を得意とし、瞬く間に城塞や大量の武器を生み出したと伝えられている。
その名前を与えるくらいに本気で作り上げた要塞というわけだ。
辺境の地にこんな代物があるなんて、王都の一般市民は想像もしていないだろう。
「さすがに無許可で飛び越すのはマズいよな。ひとまず降りようか」
飛行魔法の出力を少しずつ落とし、要塞の正門前にふんわりと着地する。
それから間を置かず、正門を警備していた兵士の一人が慌てて駆け寄ってきた。
「待て! 何者だ! ……って、なんだ、ペトラ村のクレナイじゃないか」
「久しぶり! 元気してる?」
「まぁな。んで、そっちの人は? ていうかお前、一体どこから出てきたんだ。いきなり湧いてきたかと思ってびっくりしたぞ」
「ふっふっふ、聞いて驚け! こちらの方は、王都から来た魔導師様なのです!」
「な……! 魔導師様だって!? ちょっと待ってろ、司令官に報告を……ああいや、外では待ってなくていい! 要塞の中に入って、そこでお待ちいただけ!」
慌てて走り去っていく見張りの兵士。
さすがは地元民。僕が口を挟むまでもなく話が纏まってしまった。
とりあえず、肌寒い屋外で待っている理由もないので、お言葉に甘えて要塞の中にお邪魔する。
その途端、大勢の兵士が一気に集まってきた。
「魔導師様が来たって本当か!?」
「俺、ペトラの出身ッス! お袋からの手紙で色々聞いてます!」
「ペトラ村だけズルいじゃないですか! うちの村にも来てください!」
「誰でも魔法が使えるって噂、嘘じゃないですよね!」
四方八方から興奮の言葉を投げかけられ、思わず気圧されてしまう。
人の噂が広まるのは早いものだ。
僕がこの地方に来て数日しか経っていないのに、もうこんな遠くまで噂が届いている。
評価されるのは、もちろん嬉しい。
だけどこんな大勢に囲まれていたら、身動きもろくにできそうにない。
そんな状況を変えたのは、抑えのきいた重々しい男の声だった。
「お前達、何をしている。早く持ち場に戻れ」
「司令官! す、すみません! 今すぐ!」
蜘蛛の子を散らすように走り去る兵士達。
声の主は、厳格な威容を湛えた白髪交じりの騎士だ。
司令官ということは、この人物が要塞のトップなのだろうか。
「魔導師コハク・リンクス殿だな。ようこそ、我がサブノック要塞に。私は要塞司令官のリョウブ・レオンだ」
「ど、どうも。マクリア地方の担当魔導師として……」
「把握している。アルゴス山脈に立ち入りたいとのことだったな」
「はい。魔石が採取できるか、確かめたいと思いまして。ええと、通行許可は……」
サブノック要塞司令官リョウブ・レオン。
堅物という概念が服を着ているような雰囲気だ。
こういう人物を相手にするときは、できるだけ事務的な態度で接するに限る。
魔法省のお偉方もそうだったけれど、下手にフレンドリーな素振りを見せたら逆効果になりかねない。
威厳を大事にする人というのは、往々にしてそういうものだ。
「通行すること自体は問題ない。魔石鉱脈の有無についても、それらしいものを目撃したという報告がある。だが推奨はできんな」
「えっ? どうしてですか?」
そう訪ねたのは、僕ではなく隣にいたクレナイだ。
「アルゴス山脈とその周辺の大森林は、文字通り魔獣と亜人の巣窟だ。しかも、魔石鉱脈が発見された場所はコボルトの巣穴。安易に送り出せるわけがあるまい」
コボルト。
最初に亜人がいると聞いたときに、どうせゴブリンはいるんだろうと予想していたが、まさかコボルトときたか。
「あの、コハク様? コボルトってゴブリンとは違うんですか? ゴブリンならたまに森の外でも見かけますけど」
「うーん、同じとも言えるし、違うとも言えるかな。元々は、どちらも小鬼タイプの亜人全般を指す言葉で、地方によって呼び方が違うだけだったんだ」
クレナイの小声の質問に、ヒソヒソと囁き声で返答する。
「だけど、ここ百年くらいで亜人の研究と分類が進んできてね。学術的な呼び名としては、ゴブリンとコボルトがそれぞれ違う亜人を指すようになったんだ。ゴブリンは一般的にイメージされる小鬼タイプで、コボルトは……いや、直接見るのが一番分かりやすいか」
コボルトは能力も外見も特徴的な亜人種だ。
一度でも見れば、普通のゴブリンと見間違えることはないだろう。
「レオン司令。途中の森は飛行魔法で飛び越えられますし、コボルト程度なら問題ない程度の魔法戦闘術は修めています。通行許可をいただけますか」
「……責任は取りきれんぞ」
「構いません。魔石の確保が第一です」
「そうか……ならば護衛を一人連れて行け。それが通行許可を出す条件だ。聞こえたな、ホタル」
司令官の言葉と同時に、物陰から一人の平服姿の騎士が現れる。
女騎士だ。女性と呼ぶには若すぎる。美少女と言ってもいいかもしれない。
生真面目さが滲み出た顔立ちで、何となく司令官と似た雰囲気を纏っている。
短い黒髪を綺麗に整えたその少女騎士は、鋭い眼差しでこちらを一瞥してから、レオン司令に向かって口を開いた。
「お呼びですか、父上」
その一言が聞こえた瞬間、クレナイが心底驚いた様子で司令官の方に振り返る。
どう見ても顔に『こんな強面に美少女の娘!?』と書いてある反応だ。
いくら何でも露骨過ぎるぞ。気持ちは分かるけど。
荷馬車に乗れば一時間と少し。
そして、空を飛べば更に半分。
「うわぁ! 凄い、ほんとに飛んでます!」
背中にしがみついたクレナイが興奮の声を上げる。
僕達は今、木製の魔法の杖にまたがって、マクリア地方の空を飛んでいた。
ただし空と言っても、高度はせいぜい十数メートル。
王都によくある三階建ての集合住宅と同じ高さの低空飛行だ。
「初めて空を飛んだときって、大抵は怖がるものなんだけどなぁ」
「そうなんですか? こんなに気持ちいいのに!」
本当、色んな意味で僕より魔導師に向いていそうな子だ。
僕なんか、初めての飛行訓練のことは思い出したくないくらいなのに。
「コハク様が王都からいらっしゃったときも、魔法でビューンって飛んできたんですか?」
「さすがにそこまで長くは飛べないな。魔力的にも体力的にもね。風魔法で船を走らせる方がずっと楽だよ」
「馬に乗るより馬車に乗る方が楽、みたいな感じですね。分かります分かります」
納得しているところ申し訳ないんだけど、僕は馬に乗れないからイマイチ共感できない喩えだった。
「その気になれば、雲より高く飛べたりするんでしょうか」
「鍛錬次第だね。できた人は何人かいるみたいだよ。会ったことはないけど。そんなことより、本当に良かったのか?」
「……? 何のことです?」
「魔石探しについて来たりして。亜人に魔獣に、色々と危険なんだろ?」
「平気ですよ。村の皆に恩返しする良い機会です」
「恩返し?」
今度は僕の方がオウム返しに聞き返す番だった。
「実は私、まだずっと子供だった頃に、森で拾われたんです。それなのに皆、本当の家族みたいに育ててくれて。だから恩返しです。コハク様が魔導器をどんどん作ってくれたら、その分だけ皆の生活も楽になりますから!」
自分の出生について語るクレナイの声には、辛い過去を口にしたときのような物悲しさは全く感じられない。
底抜けに明るくて、底抜けに前向きだ。
きっとクレナイにとって、ペトラ村の住人に拾われた過去は、悲話ではなく素晴らしい出来事として記憶されているんだろう。
だからこその恩返し。多少の危険は物ともしないくらいのモチベーション。
「そっか……君は立派だね。僕なんか、自分が楽になることしか考えてないのに。こうやって動いてる動機も、魔導器を広めれば仕事が減るかもって魂胆だよ。身につまされるなぁ」
「そんなことありませんよ! 皆が幸せになるんだから、凄く立派なことだと思います! 先生も『きっかけより何をするかが大切だ』って言ってました! あっ、先生っていうのは、村に通いで来てくれた教師の人です」
「良いこと言う先生だな……っと、あれが要塞か。思ったより大きいな……」
クレナイとそんな会話を交わしているうちに、目的地のすぐ手前までたどり着いていた。
まさに要塞と呼ぶに相応しい無骨な城だ。
居住性は二の次三の次。防衛力を第一に考えた軍事施設。
サブノック要塞というネーミングからも自身の程が伺える。
神話において、人類に魔法をもたらしたとされる『最初の魔法使い』――サブナックはその直弟子の一人で、土や金属を操る魔法を得意とし、瞬く間に城塞や大量の武器を生み出したと伝えられている。
その名前を与えるくらいに本気で作り上げた要塞というわけだ。
辺境の地にこんな代物があるなんて、王都の一般市民は想像もしていないだろう。
「さすがに無許可で飛び越すのはマズいよな。ひとまず降りようか」
飛行魔法の出力を少しずつ落とし、要塞の正門前にふんわりと着地する。
それから間を置かず、正門を警備していた兵士の一人が慌てて駆け寄ってきた。
「待て! 何者だ! ……って、なんだ、ペトラ村のクレナイじゃないか」
「久しぶり! 元気してる?」
「まぁな。んで、そっちの人は? ていうかお前、一体どこから出てきたんだ。いきなり湧いてきたかと思ってびっくりしたぞ」
「ふっふっふ、聞いて驚け! こちらの方は、王都から来た魔導師様なのです!」
「な……! 魔導師様だって!? ちょっと待ってろ、司令官に報告を……ああいや、外では待ってなくていい! 要塞の中に入って、そこでお待ちいただけ!」
慌てて走り去っていく見張りの兵士。
さすがは地元民。僕が口を挟むまでもなく話が纏まってしまった。
とりあえず、肌寒い屋外で待っている理由もないので、お言葉に甘えて要塞の中にお邪魔する。
その途端、大勢の兵士が一気に集まってきた。
「魔導師様が来たって本当か!?」
「俺、ペトラの出身ッス! お袋からの手紙で色々聞いてます!」
「ペトラ村だけズルいじゃないですか! うちの村にも来てください!」
「誰でも魔法が使えるって噂、嘘じゃないですよね!」
四方八方から興奮の言葉を投げかけられ、思わず気圧されてしまう。
人の噂が広まるのは早いものだ。
僕がこの地方に来て数日しか経っていないのに、もうこんな遠くまで噂が届いている。
評価されるのは、もちろん嬉しい。
だけどこんな大勢に囲まれていたら、身動きもろくにできそうにない。
そんな状況を変えたのは、抑えのきいた重々しい男の声だった。
「お前達、何をしている。早く持ち場に戻れ」
「司令官! す、すみません! 今すぐ!」
蜘蛛の子を散らすように走り去る兵士達。
声の主は、厳格な威容を湛えた白髪交じりの騎士だ。
司令官ということは、この人物が要塞のトップなのだろうか。
「魔導師コハク・リンクス殿だな。ようこそ、我がサブノック要塞に。私は要塞司令官のリョウブ・レオンだ」
「ど、どうも。マクリア地方の担当魔導師として……」
「把握している。アルゴス山脈に立ち入りたいとのことだったな」
「はい。魔石が採取できるか、確かめたいと思いまして。ええと、通行許可は……」
サブノック要塞司令官リョウブ・レオン。
堅物という概念が服を着ているような雰囲気だ。
こういう人物を相手にするときは、できるだけ事務的な態度で接するに限る。
魔法省のお偉方もそうだったけれど、下手にフレンドリーな素振りを見せたら逆効果になりかねない。
威厳を大事にする人というのは、往々にしてそういうものだ。
「通行すること自体は問題ない。魔石鉱脈の有無についても、それらしいものを目撃したという報告がある。だが推奨はできんな」
「えっ? どうしてですか?」
そう訪ねたのは、僕ではなく隣にいたクレナイだ。
「アルゴス山脈とその周辺の大森林は、文字通り魔獣と亜人の巣窟だ。しかも、魔石鉱脈が発見された場所はコボルトの巣穴。安易に送り出せるわけがあるまい」
コボルト。
最初に亜人がいると聞いたときに、どうせゴブリンはいるんだろうと予想していたが、まさかコボルトときたか。
「あの、コハク様? コボルトってゴブリンとは違うんですか? ゴブリンならたまに森の外でも見かけますけど」
「うーん、同じとも言えるし、違うとも言えるかな。元々は、どちらも小鬼タイプの亜人全般を指す言葉で、地方によって呼び方が違うだけだったんだ」
クレナイの小声の質問に、ヒソヒソと囁き声で返答する。
「だけど、ここ百年くらいで亜人の研究と分類が進んできてね。学術的な呼び名としては、ゴブリンとコボルトがそれぞれ違う亜人を指すようになったんだ。ゴブリンは一般的にイメージされる小鬼タイプで、コボルトは……いや、直接見るのが一番分かりやすいか」
コボルトは能力も外見も特徴的な亜人種だ。
一度でも見れば、普通のゴブリンと見間違えることはないだろう。
「レオン司令。途中の森は飛行魔法で飛び越えられますし、コボルト程度なら問題ない程度の魔法戦闘術は修めています。通行許可をいただけますか」
「……責任は取りきれんぞ」
「構いません。魔石の確保が第一です」
「そうか……ならば護衛を一人連れて行け。それが通行許可を出す条件だ。聞こえたな、ホタル」
司令官の言葉と同時に、物陰から一人の平服姿の騎士が現れる。
女騎士だ。女性と呼ぶには若すぎる。美少女と言ってもいいかもしれない。
生真面目さが滲み出た顔立ちで、何となく司令官と似た雰囲気を纏っている。
短い黒髪を綺麗に整えたその少女騎士は、鋭い眼差しでこちらを一瞥してから、レオン司令に向かって口を開いた。
「お呼びですか、父上」
その一言が聞こえた瞬間、クレナイが心底驚いた様子で司令官の方に振り返る。
どう見ても顔に『こんな強面に美少女の娘!?』と書いてある反応だ。
いくら何でも露骨過ぎるぞ。気持ちは分かるけど。