査察当日。僕はサブノック要塞を離れ、アルゴス山脈のコボルトの洞窟に足を運んでいた。
もっと正確に言えば、コボルトのガル族が管理する魔石鉱山だ。
今回の査察、魔法省の本音は『魔導器の研究を妨害できる口実探し』なのだろうけど、表向きにはコボルトとの魔石取引の査察が目的となっている。
だから当然の結果として、この鉱山も査察官の訪問先に含まれているのだ。
この日、僕がわざわざ鉱山までやってきたのは、査察の受け入れに向けた諸々の準備を済ませるためである。
「いよいよですね、コハク様!」
手伝いに気てくれたクレナイが、気合いを込めてぐっと拳を握る。
「軍事省のお役人さんを良い感じに誤魔化しちゃえば、当分は安心して魔導器の研究ができるんですよね! 頑張らないと!」
「人聞きが悪いなぁ」
その隣で、コボルトのガルヴァイスもやる気満々に飛び跳ねている。
「オレタチもガンバります! マカせてください! ゴマカしましょう!」
「真似しない真似しない。ちゃんと納得してもらうだけだからね? この鉱山はどこに出しても恥ずかしくないってことをさ」
小柄なトカゲ人間といった外見のガルヴァイスは、最初に出会ったときの裸同然の格好ではなく、人間の鉱夫が着るような厚手の服に身を包んでいた。
服を着ているのはガルヴァイスだけではない。
魔石鉱山で働く全てのコボルトが、人間的な服や装備を身につけていた。
警備担当は兵士のように。採掘担当は鉱夫のように。
爬虫類型の有鱗人であるコボルトは、外皮が頑丈な鱗に覆われているので、人間のように服で体を保護する必要性は低い。
寒さに弱いとはされるけれど、この地域に根付いた亜人なので、よほどの厳冬でもなければ裸でも問題ないはずだ。
そんなガル族が、あえて鎧以外の衣服を身につける理由――それは人間に味方するという意思の表れ、そして他の部族のコボルトと区別をつけやすくするためである。
人間はコボルトの顔をほとんど見分けられない。
裸のままだと、百眼同盟に味方する別部族のコボルトと間違えられてしまうかもしれないので、手軽な目印として服を着ているというわけだ。
ただし服が煩わしいと感じるコボルトは少なくないらしく、採掘担当の半分くらいはズボンだけを履いた上半身裸で作業をしているのだが。
「コハクサマのイうとおりです! ドウメイにシハイされてたときとクラべたら、ホントウにユメみたいですよ!」
ガル族の魔石鉱山には、試作品の魔導器が幾つも投入されている。
坑道を照らす魔力照明はもちろん、魔石を運ぶトロッコやエレベーターも魔導式だ。
一般的な鉱山でも、溢れた地下水を排出するための機械が使われているが、この鉱山ではそういった機械も魔導式で高効率。
さすがに水属性魔法の専門家には及ばないものの、水車や人力だけで作業をするのとは比べ物にならない。
まぁこの辺はあくまで、大昔から歯車仕掛けで作られていた装置の動力源を、魔導器に置き換えただけのもの。
短期間での開発成功も原型あってこそ。
いつかは完全なゼロから――魔法の模倣でも既存の機械の改良でもない、全くの新技術を作り上げてみたいものだけど、果たして三流魔導師の僕にどこまでやれるものか。
「王国の敵はあくまで百眼同盟。そしてガル族は同盟と敵対関係にある。この辺りをきちんと伝えてやれば、この取引が利敵行為じゃないと分かってもらえるはずだ。軍事省の役人は魔法には詳しくないはずだから、魔導器については深く追求されないだろうし……」
そのとき、ルリが顔色を変えて坑道に駆け込んできた。
「やられました! まずいことになりましたわ!」
「うわっ! ど、どうしたんだ!?」
ルリは久々の長期休暇も、魔法省の査察官としての仕事もとっくに終わり、王都に帰ってもいいはずなのだが、何故かマクリアに残って僕達の手伝いをしてくれていた。
本人曰く、仲良くなったユキカのためだとのことだが……今はそんなことを思い返している場合じゃなさそうだ。
このルリの慌てよう、明らかに想定外の自体が起きている。
「軍事省の査察官が変更されていました! ファーサ査察官ではなく、あのメギ・グラフカが来ています!」
「何だって!? くそっ! 僕達を油断させてから、ギリギリで本命を送り込む作戦だったってことか……!」
「今はホタル卿が時間を稼いでいるそうですが……」
焦る僕とルリの横で、クレナイが訝しげに首を傾げる。
「担当者が変わっちゃうと、何か問題でもあるんですか?」
「大有りだよ! メギ・グラフカは魔導師の資格を持つ近衛兵! 魔法と軍事の両方に精通した専門家だ! そんな奴が魔法省の味方に付いたんだとしたら、いくらでも妨害の口実を仕立て上げられる……!」
「ええっ!? 大問題じゃないですか!」
魔法省、更に言えばトベラ大臣の目的は、目障りな魔導器の研究をやめさせること。
そのためには、上級貴族であるマクリア伯の方針に介入できるだけの、それらしい説得力のある口実が必要になってくる。
査察に来るのがごく普通の軍事省の役人なら、そんな口実を与えずにやり過ごせたはずだった。
しかし、メギ・グラフカが相手となると話は別だ。
魔法と軍事、双方のエキスパートに本気を出されたら、こちらの僅かな隙を見つけて口実を引っ張り出されてしまうだろう。
「ど、どうしましょう!」
「ここで待っていても、一方的にやられるだけだ。クレナイ、ガルヴァイス。すぐに車を出してくれ。僕達も要塞に戻るぞ」
「はいっ!」
「リョウカイです!」
何ができるのかは分からない。
だけど、何もしないわけにはいかない。
とにかく要塞に戻ろう。具体的な対策はそれからだ。
「わたくしも同行いたします。貴方だけでは手に余るでしょう」
「助かるよ。こっちからお願いしたかったくらいだ」
上級魔導師のルリの助けがあれば、メギ・グラフカとも渡り合えるかもしれない。
僕は吐き気がしそうなくらいの焦りを抱えながら、鉱山の外の自動車に向かって走り出した。
運転席にはクレナイ、その隣にはガルヴァイス。
屋根のない馬車を改造した自動車で、二人掛けの後部座席に僕とルリが飛び乗ったのと同時に、クレナイが魔導エンジンを始動させる。
「飛ばしますよ! しっかり掴まっててください!」
宣言通りの全速力で自動車が走り出す。
森林を大雑把に切り開いただけの路面は酷く不安定で、無数の起伏が絶え間ない揺れを引き起こす。
下手に喋ろうとしたら舌を噛んでしまいそうだ。
今この道を走っているのは、僕達を乗せた四人乗りの自動車だけ。
他に車の姿はない。
輸送部隊の運行スケジュールともタイミングが重なっていないので、移動中に余計な横槍が――百眼同盟の妨害が加えられる可能性は低いはずだ。
そう踏んで強硬に打って出たのだが――ああ、くそっ!
「クレナイ! 上だ!」
頭上に落ちる人型の影。
道路を囲む鬱蒼とした木々の梢から、高速で疾走する自動車を目掛けて、一体の獣人が飛びかかってきたのだ。
なんという跳躍。なんという度胸。なんという直感。
タイミングが一瞬でも外れたら車に轢かれかねない強襲を、その獣人は寸分違わず成功させたのである。
「このっ……!」
クレナイが急ハンドルを切って、頭上からの攻撃を回避する。
しかし急激な方向転換の代償は重く、俺達を乗せた自動車は大きくバランスを崩し、起伏に乗り上げて横転してしまった。
「風の盾よ!」
ルリの魔法が俺達四人を無傷で守り抜く。
車は完全にひっくり返った状態で止まってしまい、すぐには逃げ出せそうになかったが、それもルリの魔法が解決してくれた。
「戻れ!」
完全にひっくり返った自動車が、ゆっくりと再反転していって、下敷きになりかけていた僕達四人を解放する。
だが、全ての元凶は今もそこにいた。
大柄な獣人。狼にも似た犬頭。燃えるように赤い毛皮。獣貌の戦士。
後頭部は鬣様の赤い獣毛に覆われ、ただでさえ規格外の体格を更に大きく見せている。
手にした武器は大剣に似ているが、その刃は金属ではない。
素材は骨、いや、牙か。
巨大生物の遺骸の一部を刀剣状に加工したものだと、この距離からでも見て取れる。
「あわわわわ……」
ガルヴァイスがうずくまって小刻みに震えている。
「メガス・キーオンだ……ヤツらのカシラがコロしにキた……メガス・キーオンのトウリョウが……イリオスが……!」
もっと正確に言えば、コボルトのガル族が管理する魔石鉱山だ。
今回の査察、魔法省の本音は『魔導器の研究を妨害できる口実探し』なのだろうけど、表向きにはコボルトとの魔石取引の査察が目的となっている。
だから当然の結果として、この鉱山も査察官の訪問先に含まれているのだ。
この日、僕がわざわざ鉱山までやってきたのは、査察の受け入れに向けた諸々の準備を済ませるためである。
「いよいよですね、コハク様!」
手伝いに気てくれたクレナイが、気合いを込めてぐっと拳を握る。
「軍事省のお役人さんを良い感じに誤魔化しちゃえば、当分は安心して魔導器の研究ができるんですよね! 頑張らないと!」
「人聞きが悪いなぁ」
その隣で、コボルトのガルヴァイスもやる気満々に飛び跳ねている。
「オレタチもガンバります! マカせてください! ゴマカしましょう!」
「真似しない真似しない。ちゃんと納得してもらうだけだからね? この鉱山はどこに出しても恥ずかしくないってことをさ」
小柄なトカゲ人間といった外見のガルヴァイスは、最初に出会ったときの裸同然の格好ではなく、人間の鉱夫が着るような厚手の服に身を包んでいた。
服を着ているのはガルヴァイスだけではない。
魔石鉱山で働く全てのコボルトが、人間的な服や装備を身につけていた。
警備担当は兵士のように。採掘担当は鉱夫のように。
爬虫類型の有鱗人であるコボルトは、外皮が頑丈な鱗に覆われているので、人間のように服で体を保護する必要性は低い。
寒さに弱いとはされるけれど、この地域に根付いた亜人なので、よほどの厳冬でもなければ裸でも問題ないはずだ。
そんなガル族が、あえて鎧以外の衣服を身につける理由――それは人間に味方するという意思の表れ、そして他の部族のコボルトと区別をつけやすくするためである。
人間はコボルトの顔をほとんど見分けられない。
裸のままだと、百眼同盟に味方する別部族のコボルトと間違えられてしまうかもしれないので、手軽な目印として服を着ているというわけだ。
ただし服が煩わしいと感じるコボルトは少なくないらしく、採掘担当の半分くらいはズボンだけを履いた上半身裸で作業をしているのだが。
「コハクサマのイうとおりです! ドウメイにシハイされてたときとクラべたら、ホントウにユメみたいですよ!」
ガル族の魔石鉱山には、試作品の魔導器が幾つも投入されている。
坑道を照らす魔力照明はもちろん、魔石を運ぶトロッコやエレベーターも魔導式だ。
一般的な鉱山でも、溢れた地下水を排出するための機械が使われているが、この鉱山ではそういった機械も魔導式で高効率。
さすがに水属性魔法の専門家には及ばないものの、水車や人力だけで作業をするのとは比べ物にならない。
まぁこの辺はあくまで、大昔から歯車仕掛けで作られていた装置の動力源を、魔導器に置き換えただけのもの。
短期間での開発成功も原型あってこそ。
いつかは完全なゼロから――魔法の模倣でも既存の機械の改良でもない、全くの新技術を作り上げてみたいものだけど、果たして三流魔導師の僕にどこまでやれるものか。
「王国の敵はあくまで百眼同盟。そしてガル族は同盟と敵対関係にある。この辺りをきちんと伝えてやれば、この取引が利敵行為じゃないと分かってもらえるはずだ。軍事省の役人は魔法には詳しくないはずだから、魔導器については深く追求されないだろうし……」
そのとき、ルリが顔色を変えて坑道に駆け込んできた。
「やられました! まずいことになりましたわ!」
「うわっ! ど、どうしたんだ!?」
ルリは久々の長期休暇も、魔法省の査察官としての仕事もとっくに終わり、王都に帰ってもいいはずなのだが、何故かマクリアに残って僕達の手伝いをしてくれていた。
本人曰く、仲良くなったユキカのためだとのことだが……今はそんなことを思い返している場合じゃなさそうだ。
このルリの慌てよう、明らかに想定外の自体が起きている。
「軍事省の査察官が変更されていました! ファーサ査察官ではなく、あのメギ・グラフカが来ています!」
「何だって!? くそっ! 僕達を油断させてから、ギリギリで本命を送り込む作戦だったってことか……!」
「今はホタル卿が時間を稼いでいるそうですが……」
焦る僕とルリの横で、クレナイが訝しげに首を傾げる。
「担当者が変わっちゃうと、何か問題でもあるんですか?」
「大有りだよ! メギ・グラフカは魔導師の資格を持つ近衛兵! 魔法と軍事の両方に精通した専門家だ! そんな奴が魔法省の味方に付いたんだとしたら、いくらでも妨害の口実を仕立て上げられる……!」
「ええっ!? 大問題じゃないですか!」
魔法省、更に言えばトベラ大臣の目的は、目障りな魔導器の研究をやめさせること。
そのためには、上級貴族であるマクリア伯の方針に介入できるだけの、それらしい説得力のある口実が必要になってくる。
査察に来るのがごく普通の軍事省の役人なら、そんな口実を与えずにやり過ごせたはずだった。
しかし、メギ・グラフカが相手となると話は別だ。
魔法と軍事、双方のエキスパートに本気を出されたら、こちらの僅かな隙を見つけて口実を引っ張り出されてしまうだろう。
「ど、どうしましょう!」
「ここで待っていても、一方的にやられるだけだ。クレナイ、ガルヴァイス。すぐに車を出してくれ。僕達も要塞に戻るぞ」
「はいっ!」
「リョウカイです!」
何ができるのかは分からない。
だけど、何もしないわけにはいかない。
とにかく要塞に戻ろう。具体的な対策はそれからだ。
「わたくしも同行いたします。貴方だけでは手に余るでしょう」
「助かるよ。こっちからお願いしたかったくらいだ」
上級魔導師のルリの助けがあれば、メギ・グラフカとも渡り合えるかもしれない。
僕は吐き気がしそうなくらいの焦りを抱えながら、鉱山の外の自動車に向かって走り出した。
運転席にはクレナイ、その隣にはガルヴァイス。
屋根のない馬車を改造した自動車で、二人掛けの後部座席に僕とルリが飛び乗ったのと同時に、クレナイが魔導エンジンを始動させる。
「飛ばしますよ! しっかり掴まっててください!」
宣言通りの全速力で自動車が走り出す。
森林を大雑把に切り開いただけの路面は酷く不安定で、無数の起伏が絶え間ない揺れを引き起こす。
下手に喋ろうとしたら舌を噛んでしまいそうだ。
今この道を走っているのは、僕達を乗せた四人乗りの自動車だけ。
他に車の姿はない。
輸送部隊の運行スケジュールともタイミングが重なっていないので、移動中に余計な横槍が――百眼同盟の妨害が加えられる可能性は低いはずだ。
そう踏んで強硬に打って出たのだが――ああ、くそっ!
「クレナイ! 上だ!」
頭上に落ちる人型の影。
道路を囲む鬱蒼とした木々の梢から、高速で疾走する自動車を目掛けて、一体の獣人が飛びかかってきたのだ。
なんという跳躍。なんという度胸。なんという直感。
タイミングが一瞬でも外れたら車に轢かれかねない強襲を、その獣人は寸分違わず成功させたのである。
「このっ……!」
クレナイが急ハンドルを切って、頭上からの攻撃を回避する。
しかし急激な方向転換の代償は重く、俺達を乗せた自動車は大きくバランスを崩し、起伏に乗り上げて横転してしまった。
「風の盾よ!」
ルリの魔法が俺達四人を無傷で守り抜く。
車は完全にひっくり返った状態で止まってしまい、すぐには逃げ出せそうになかったが、それもルリの魔法が解決してくれた。
「戻れ!」
完全にひっくり返った自動車が、ゆっくりと再反転していって、下敷きになりかけていた僕達四人を解放する。
だが、全ての元凶は今もそこにいた。
大柄な獣人。狼にも似た犬頭。燃えるように赤い毛皮。獣貌の戦士。
後頭部は鬣様の赤い獣毛に覆われ、ただでさえ規格外の体格を更に大きく見せている。
手にした武器は大剣に似ているが、その刃は金属ではない。
素材は骨、いや、牙か。
巨大生物の遺骸の一部を刀剣状に加工したものだと、この距離からでも見て取れる。
「あわわわわ……」
ガルヴァイスがうずくまって小刻みに震えている。
「メガス・キーオンだ……ヤツらのカシラがコロしにキた……メガス・キーオンのトウリョウが……イリオスが……!」