翌日。僕はレオン司令から要請された通りに、サブナック要塞を訪れた。
しかし少々早く着きすぎてしまったらしく、レオン司令はまだ要塞に戻ってきていないとのこと。
そこで、ホタルに勧められて兵士用の食堂で昼食を取ることになった。
「あまり美味ではありませんが、空腹を満たせるだけの量はあると思います」
ホタルはそう言って謙遜しているが、御馳走してもらえるだけでありがたいというものだ。
メニューは定番の固いパンと、魚肉を入れた不透明なとろみのあるスープ。
量の嵩増しのためか、大粒の豆が多めに入れられていて、汁物よりも煮物に近い印象を受ける。
「北部のヒオニ湖で捕れた魚です。ただ……あまり新鮮ではありませんね」
「塩漬け、かな」
口に運ぶ前に、スプーンで魚肉をほぐしてみる。
新鮮な魚を煮込んだという感じはしない。
長期保存のため、しっかりと塩漬けにされているようだ。
「ヒオニ湖は人間の領域である平地と、魔獣の領域である森林の境界にまたがって広がっています。そのせいで、水棲の魔獣が沿岸の村の近くに現れて、しばらく漁ができなくなることがあるんです」
「だから塩漬けにして長持ちさせている、と」
「はい。ただ、塩もあまりたくさんは使えませんから、不漁が長引いくと痛み始めてしまって……いえ、これは大丈夫です、多分」
ホタルは聞かれてもいないことに言い訳をしつつ、魚肉のひとかけらをスプーンですくって口に入れた。
そして、何とも言えない微妙な表情を浮かべる。
「ギリギリだった?」
「……ギリギリでした」
僕もスープを一口食べてみる。
うん……食べられるかどうかで言えばギリギリセーフ……捨てるかどうか迷う一歩手前の塩漬けを、大急ぎでスープに仕立て上げたといった味わいだ。
最前線の要塞ですらこの有り様なのだから、小さな集落の食糧事情が劣悪なのも当然としか言いようがない。
この辺りの問題も、魔導器で何とかできないものだろうか。
後でアイディアを練ってみるとしよう。
◇ ◇ ◇
食事を終えて、ホタルに案内された先は会議室。
普段から作戦会議に使われていそうな、本格的な作りの一室だった。
そこで僕を待っていたのは、峻険な面持ちのレオン司令。
司令の雰囲気を見る限り、一刻を争う緊急事態というわけではないらしかったが、気楽に聞いていられる用件でもなさそうだ。
「よく来てくれた。まずは我々が置かれている状況から説明させてもらおう」
この率直すぎる話題の切り出し方。
まさしくホタルの父親だと納得させられる。
「現在、我々はアルゴス山脈のコボルト……その一部族であるガル族との交易品の輸送任務に従事している。大森林を横断して武器と防具を運び、対価として魔石を持ち帰るという単純なものだが……少々厄介な問題が発生した」
「問題ですか?」
「そうだ。端的に言えば『百眼同盟』の妨害工作だ」
「百眼同盟……?」
聞き慣れない単語に思わず首を傾げる。
何のことだと尋ね返すより先に、ホタルがすかさず補足説明を入れてくれた。
「私達と敵対している亜人の総称です。より正確には、亜人達自身による自称ですね。アルゴス山脈に棲息する百以上の亜人の部族のうち、人類側と敵対する者達が結成した同盟……そう認識していただければ問題ありません。つまりは我々の敵です」
頭にアイオニア王国の地図を思い浮かべる。
アイオニア王国はほぼ内陸国だ。
南西の方がちょっとだけ海に面しているので、厳密には内陸国の定義を満たしていないのだが、今はそんな細かい話はどうでもいい。
東と南は人間が支配する文明国と隣接し、北はいわゆる蛮族の国と面している。
そして、このマクリア地方伯領がある西部地方は、人間が暮らしている領域の西の果て。
サブノック要塞よりも西には広大な森林地帯が広がり、それを東西に貫くようにアルゴス山脈がそびえ立ち、数え切れないくらいの亜人や魔獣の住処となっている。
アルゴス山脈に棲息する亜人は人間に敵対的で、このサブノック要塞はそれらに対抗するために築かれた――これが僕の知りうる範囲の情報だ。
「なるほど……『人里の近くに棲んでるゴブリンが人間を襲う』みたいな、よくある亜人被害の延長線上かと思ってたけど、まさか同盟ときたか。想像以上に組織的な攻撃だったんだね」
「だからこそ、ここまで大規模な要塞が必要になったわけです。ちなみについ最近までは、アルゴス山脈の亜人の全てが百眼同盟の一員だと考えられていました。それが間違っていたと知ることができたのも、ガル族と接触で得られた成果の一つです」
亜人は大陸中に分布しているが、アルゴス山脈は特にその密度が高い。
他の地域では見られないような社会が発達していても、別におかしくはないだろう。
「それで、レオン司令。亜人勢力の妨害ということは、輸送部隊が攻撃を受けたということでしょうか」
「うむ。ただし今のところ、大きな人的被害は出ていない。奴らは物資を積載した馬車や荷車だけに狙いを定め、一撃離脱の奇襲を仕掛けてきている。兵士を殺すよりも、物資を破壊する方が最優先……明らかに統率された攻撃だ」
輸送ルートは大森林の横断コース。
当然ながら周囲は見通しの効かない森林で、しかも亜人の方には土地勘がある。
ただでさえ、いつどこから襲撃があるのか分からない上に、いきなり襲いかかってきては物資を攻撃して逃げていく。
なんて厄介この上ないやり口だろう。想像するだけで頭が痛くなってくる。
「……魔導器の開発を要請したいとのことでしたが、もしかして亜人を撃退する武器の開発を……?」
「いや、武器ではない。奴らはこちらが反撃を試みるよりも速く離脱することを徹底している。どんな武器があったとしても、使う前に逃げられたのでは意味がない」
「道理ですね。それでは、何を開発すれば?」
「新たな輸送手段を。可能な限りの速度を実現し、可能な限り移動時間を短縮できるものが必要だ」
意外な要請だ……と思ったのは最初だけ。冷静に考えれば妥当な要求事項だ。
輸送部隊の移動時間が短くなれば、必然的に敵が襲撃を仕掛けるチャンスも少なくなる。
仮に襲撃されたとしても、速度に物を言わせて逃げ切ることだって可能だろう。
「なるほど、要望は分かりました。問題はどうやって実現するかですが」
「以前、空を飛ぶ魔導器は作れないと仰っていましたね。それは今でも……」
「変わってないね。色々と試行錯誤はしてるんだけど、まだ取っ掛かりも掴めてないんだ」
前にもホタルに言った通り、空を飛ぶ魔導器は作りたくても作れない代物である。
実現できれば最高の輸送手段になるが、今から完成を目指すのはいくらなんでも無謀というものだ。
「近くに川があれば船で運べるんだけどなぁ。いっそ整地の魔道具で運河でも切り開くか……いや、いくらなんでも時間もコストも掛かりすぎるし、どう考えても全力で妨害してくるに決まってる……やっぱり輸送部隊の移動速度そのものを高めるしか……」
記憶の中から魔導器のアイディアを引っ張り出し、検討しては投げ捨てる。
それを十回ほど繰り返したところで、一つの妙案が頭に浮かんだ。
ああ、これならきっと上手くいく。
もっと大胆に言い切ってしまえば――こいつはとっくの昔に成功した、いわば保証書付きのやり方なのだ。
「レオン司令。輸送ルートは『馬車が通れる程度』には整備されているんですよね」
「必要最低限の整地は済ませてある。街道とは比べ物にならん程度だがな」
「充分です。馬車が走れるなら問題ありません」
森をかき分け、道なき道を進む必要があるのなら、さすがにお手上げだったかもしれない。
だが、道があるなら話は別だ。
それならいくらでもやりようがある。
「まずは機械に詳しい職人を手配してください。最低でも、水車小屋の歯車仕掛けを作れるくらいの技量が望ましいですね」
「承った。何をするつもりなのかは知らんが、その顔を見る限り、よほど自信があるようだな」
「任せてください。若気の至りにも使いようがあったみたいです」
しかし少々早く着きすぎてしまったらしく、レオン司令はまだ要塞に戻ってきていないとのこと。
そこで、ホタルに勧められて兵士用の食堂で昼食を取ることになった。
「あまり美味ではありませんが、空腹を満たせるだけの量はあると思います」
ホタルはそう言って謙遜しているが、御馳走してもらえるだけでありがたいというものだ。
メニューは定番の固いパンと、魚肉を入れた不透明なとろみのあるスープ。
量の嵩増しのためか、大粒の豆が多めに入れられていて、汁物よりも煮物に近い印象を受ける。
「北部のヒオニ湖で捕れた魚です。ただ……あまり新鮮ではありませんね」
「塩漬け、かな」
口に運ぶ前に、スプーンで魚肉をほぐしてみる。
新鮮な魚を煮込んだという感じはしない。
長期保存のため、しっかりと塩漬けにされているようだ。
「ヒオニ湖は人間の領域である平地と、魔獣の領域である森林の境界にまたがって広がっています。そのせいで、水棲の魔獣が沿岸の村の近くに現れて、しばらく漁ができなくなることがあるんです」
「だから塩漬けにして長持ちさせている、と」
「はい。ただ、塩もあまりたくさんは使えませんから、不漁が長引いくと痛み始めてしまって……いえ、これは大丈夫です、多分」
ホタルは聞かれてもいないことに言い訳をしつつ、魚肉のひとかけらをスプーンですくって口に入れた。
そして、何とも言えない微妙な表情を浮かべる。
「ギリギリだった?」
「……ギリギリでした」
僕もスープを一口食べてみる。
うん……食べられるかどうかで言えばギリギリセーフ……捨てるかどうか迷う一歩手前の塩漬けを、大急ぎでスープに仕立て上げたといった味わいだ。
最前線の要塞ですらこの有り様なのだから、小さな集落の食糧事情が劣悪なのも当然としか言いようがない。
この辺りの問題も、魔導器で何とかできないものだろうか。
後でアイディアを練ってみるとしよう。
◇ ◇ ◇
食事を終えて、ホタルに案内された先は会議室。
普段から作戦会議に使われていそうな、本格的な作りの一室だった。
そこで僕を待っていたのは、峻険な面持ちのレオン司令。
司令の雰囲気を見る限り、一刻を争う緊急事態というわけではないらしかったが、気楽に聞いていられる用件でもなさそうだ。
「よく来てくれた。まずは我々が置かれている状況から説明させてもらおう」
この率直すぎる話題の切り出し方。
まさしくホタルの父親だと納得させられる。
「現在、我々はアルゴス山脈のコボルト……その一部族であるガル族との交易品の輸送任務に従事している。大森林を横断して武器と防具を運び、対価として魔石を持ち帰るという単純なものだが……少々厄介な問題が発生した」
「問題ですか?」
「そうだ。端的に言えば『百眼同盟』の妨害工作だ」
「百眼同盟……?」
聞き慣れない単語に思わず首を傾げる。
何のことだと尋ね返すより先に、ホタルがすかさず補足説明を入れてくれた。
「私達と敵対している亜人の総称です。より正確には、亜人達自身による自称ですね。アルゴス山脈に棲息する百以上の亜人の部族のうち、人類側と敵対する者達が結成した同盟……そう認識していただければ問題ありません。つまりは我々の敵です」
頭にアイオニア王国の地図を思い浮かべる。
アイオニア王国はほぼ内陸国だ。
南西の方がちょっとだけ海に面しているので、厳密には内陸国の定義を満たしていないのだが、今はそんな細かい話はどうでもいい。
東と南は人間が支配する文明国と隣接し、北はいわゆる蛮族の国と面している。
そして、このマクリア地方伯領がある西部地方は、人間が暮らしている領域の西の果て。
サブノック要塞よりも西には広大な森林地帯が広がり、それを東西に貫くようにアルゴス山脈がそびえ立ち、数え切れないくらいの亜人や魔獣の住処となっている。
アルゴス山脈に棲息する亜人は人間に敵対的で、このサブノック要塞はそれらに対抗するために築かれた――これが僕の知りうる範囲の情報だ。
「なるほど……『人里の近くに棲んでるゴブリンが人間を襲う』みたいな、よくある亜人被害の延長線上かと思ってたけど、まさか同盟ときたか。想像以上に組織的な攻撃だったんだね」
「だからこそ、ここまで大規模な要塞が必要になったわけです。ちなみについ最近までは、アルゴス山脈の亜人の全てが百眼同盟の一員だと考えられていました。それが間違っていたと知ることができたのも、ガル族と接触で得られた成果の一つです」
亜人は大陸中に分布しているが、アルゴス山脈は特にその密度が高い。
他の地域では見られないような社会が発達していても、別におかしくはないだろう。
「それで、レオン司令。亜人勢力の妨害ということは、輸送部隊が攻撃を受けたということでしょうか」
「うむ。ただし今のところ、大きな人的被害は出ていない。奴らは物資を積載した馬車や荷車だけに狙いを定め、一撃離脱の奇襲を仕掛けてきている。兵士を殺すよりも、物資を破壊する方が最優先……明らかに統率された攻撃だ」
輸送ルートは大森林の横断コース。
当然ながら周囲は見通しの効かない森林で、しかも亜人の方には土地勘がある。
ただでさえ、いつどこから襲撃があるのか分からない上に、いきなり襲いかかってきては物資を攻撃して逃げていく。
なんて厄介この上ないやり口だろう。想像するだけで頭が痛くなってくる。
「……魔導器の開発を要請したいとのことでしたが、もしかして亜人を撃退する武器の開発を……?」
「いや、武器ではない。奴らはこちらが反撃を試みるよりも速く離脱することを徹底している。どんな武器があったとしても、使う前に逃げられたのでは意味がない」
「道理ですね。それでは、何を開発すれば?」
「新たな輸送手段を。可能な限りの速度を実現し、可能な限り移動時間を短縮できるものが必要だ」
意外な要請だ……と思ったのは最初だけ。冷静に考えれば妥当な要求事項だ。
輸送部隊の移動時間が短くなれば、必然的に敵が襲撃を仕掛けるチャンスも少なくなる。
仮に襲撃されたとしても、速度に物を言わせて逃げ切ることだって可能だろう。
「なるほど、要望は分かりました。問題はどうやって実現するかですが」
「以前、空を飛ぶ魔導器は作れないと仰っていましたね。それは今でも……」
「変わってないね。色々と試行錯誤はしてるんだけど、まだ取っ掛かりも掴めてないんだ」
前にもホタルに言った通り、空を飛ぶ魔導器は作りたくても作れない代物である。
実現できれば最高の輸送手段になるが、今から完成を目指すのはいくらなんでも無謀というものだ。
「近くに川があれば船で運べるんだけどなぁ。いっそ整地の魔道具で運河でも切り開くか……いや、いくらなんでも時間もコストも掛かりすぎるし、どう考えても全力で妨害してくるに決まってる……やっぱり輸送部隊の移動速度そのものを高めるしか……」
記憶の中から魔導器のアイディアを引っ張り出し、検討しては投げ捨てる。
それを十回ほど繰り返したところで、一つの妙案が頭に浮かんだ。
ああ、これならきっと上手くいく。
もっと大胆に言い切ってしまえば――こいつはとっくの昔に成功した、いわば保証書付きのやり方なのだ。
「レオン司令。輸送ルートは『馬車が通れる程度』には整備されているんですよね」
「必要最低限の整地は済ませてある。街道とは比べ物にならん程度だがな」
「充分です。馬車が走れるなら問題ありません」
森をかき分け、道なき道を進む必要があるのなら、さすがにお手上げだったかもしれない。
だが、道があるなら話は別だ。
それならいくらでもやりようがある。
「まずは機械に詳しい職人を手配してください。最低でも、水車小屋の歯車仕掛けを作れるくらいの技量が望ましいですね」
「承った。何をするつもりなのかは知らんが、その顔を見る限り、よほど自信があるようだな」
「任せてください。若気の至りにも使いようがあったみたいです」