その後、僕はマクリア伯ことユキカ・アラヴァストスのリクエストに従って、魔導器の研究と開発に専念することにした。

 研究開発といっても、そんなに大袈裟な話じゃない。

 魔法の発動補助に使われる素材を加工して細かい部品を作り、それを組み合わせて試行錯誤を繰り返し、魔導器を作り上げる。

 これまでに魔導器の試作品を作ってきた過程と全く同じだ。

 違う点があるとすれば、環境だけ。

 王都にいた頃は、人目を忍んでこっそり作業をしていた。
 素材を手に入れるだけでも一苦労だし、試作品のテストも大っぴらにやることができない有り様だった。

 そして何とか試作品を仕上げて、論文にして有用性を示せば理解を得られると考えていたら、お偉方の怒りを買って左遷されてしまった……のだが、それも過去の話。

 今はもう、僕の研究はマクリア伯のお墨付きだ。
 マクリア地方伯領の内側にいる限り、素材の調達も試作品のテストも大手を振ってすることができる。

 もし魔法省のお偉方に魔導師認定を剥奪されたとしても、きっとマクリア伯は民間の魔法使いとして僕を雇い直してくれるだろう。

 快適だ。信じられないくらいに過ごしやすい。

 こんなにモチベーションが湧いてきたのは、一体いつ以来だろうか。

 僕は領都に用意された工房に腰を据え、自由気ままに研究できることの楽しさに酔い痴れて、昼も夜もなく魔導器の開発に没頭し続けた。

 そして半月後の今日、最初の大きな成果物のテストにこぎつけたのだった――

「コハク様! 完成おめでとうございます!」

 領都リーリオンの一等地に作られた急拵えの試験場に、よく見知った二人の少女、クレナイとコハクが連れ立って訪ねてきた。

「本日はお招きいただき感謝します。コハク殿直々にお招きいただけるとは」
「私達が一番乗りで本当に良かったんですか? 喜んで参加しちゃいますけど」
「気にしなくていいよ。何せ、領主様直々の推薦だからね。魔石の確保に貢献した方々が最初に楽しむべきです、だってさ」

 さっそく二人を試験場の中に招き入れる。

 便宜的に試験場と呼んでいるけれど、実際はいわゆる『公衆浴場』そのものである。

 リーリオンにあった数件の公衆浴場のうち、たまたま一軒が休業状態になっていたので、その建物を借り上げて魔導器式のボイラーを組み込んでみた。

 薪ではなく魔力を燃料とする公衆浴場。
 以前クレナイに話した今後の展望、そのうちの一つが実現できたというわけだ。

 たった半月でこんな設備を作ったのか? ……と、色んな人に驚かれたが、むしろ僕としては「半月も掛かってしまった」というのが、正直な感想だった。

 まず、建物は既存の浴場をそのまま流用しているから、わざわざ新しく建てる必要はない。これだけで大きな時間短縮だ。

 次に魔導式ボイラーだが、こちらも基礎理論は王都にいた頃にほとんど完成させていた。

 ただし、当時は大規模な装置を作れなかったので、実際に試作できたのはやかん(ケトル)サイズが精一杯。

 風呂に使おうという発想はまだなく、飲み物を用意するのが楽になるという程度の代物だった。

 半月も掛かってしまった理由はただ一つ。
 そいつの大型化に手間取った。これだけだった。

「建物は昔のままだから、ちょっと古いかもね。その辺りは気にせずに、お湯の具合の感想だけもらえるかな」
「了解です! ほら、行こ! ホタル!」
「ま、待て、引っ張るな!」

 ホタルは困ったように笑いながら、ご機嫌なクレナイに引っ張られていった。

 おや? と思わず小首を傾げる。

 この二人、前からこんなに仲が良かっただろうか。

 確かに『本音を打ち明けろ』とアドバイスはしたけれど、その直後は以前とあまり変化がなかったと記憶している。

 だとすると、僕が魔導ボイラーの調整に集中していたここ数日間で、一気に関係が改善したということか。

 クレナイもホタルも、僕とべったり行動を共にしているわけじゃないんだから、知らないところで親交を深めていたって当然だろう。

 まぁ何にせよ、打ち解けることができたなら何よりだ。

 獣人という出自のせいで、敵に寝返るのではと疑われることに神経質だったクレナイ。

 本心からクレナイと親しくなりたいと思っていたが、率直すぎる言い方で誤解を招いてしまったホタル。

 お互いの本音を聞きさえすれば、きっと誤解も消えてなくなるだろうと思っていたが、どうやら僕が思っていた以上に効果的だったらしい。

 そういえば、ホタルが僕を呼ぶときの言い方が、いつの間にか魔導師殿からコハク殿に変わっている。

 相談に乗ったことで親近感を抱いてもらえたのか、それとも単にルリが来たから『魔導師殿』だとややこしくなってしまうからか。

 もし前者だったら嬉しいけど、実際には後者なんだろう、多分。

「さて、と。仕事の続きといきますか」

 二人の関係改善を喜ぶのはひとまず切り上げて、魔導ボイラーの実運転試験のモニタリングに取り掛かる。

 ボイラー本体は浴場の下、地下階に設置してあるのだが、温度や圧力などの測定は地上からでもできるように作ってあった。

 浴場から見て、ちょうど壁を挟んだ外側。
 公衆浴場の外壁に張り付くようにして、地下から伸びた数本のパイプが露出している。

 それに取り付けられたメーター類を確認すれば、ボイラーがちゃんと動いているかどうか判断できるというわけだ。

 ちなみに、このメーターは僕の発明ではない。
 旧来の燃料式ボイラーにも使われている既存技術で、仕組みも魔力や魔法とは関係ない単純な原理である。

 もちろんメーターを魔導器で作ることだって普通にできた。

 けれど魔導式ボイラーに限らず、魔導器を実用化し普及させるためには、僕以外の人達にも使えるようにすることが必要不可欠。
 整備も可能な限り自力でやれた方がいい。

 そう考えると、魔導器の使い勝手を従来の道具に近付けるのは、普及にあたって大きな強みになるはずだ。

「うん、各数値どれも正常っと」

 手元のチェックシートに測定データを記入していく。

 その間にも、浴場からはクレナイとホタルの声が漏れ聞こえてきた。

「ホタルって意外と凄い体してるよね」
「こ、こら! 触るんじゃない!」
「服着てたら痩せてるっぽく見えるのに……こういうのも着痩せっていうのかな」
「クレナイこそ、私からすれば羨ましい体型をしてるじゃないか。例えばこことか」
「ひゃっ! くすぐったいってば!」

 何やら意味深なやり取り。バシャバシャと水の跳ねる音。

 ……うん、気にしないことにしよう。

 もしも僕が十代半ばの子供なら、今の言葉だけですっかり冷静さを失って、必死に耳を傾けていたかもしれない。

 だけど、そういう年頃は何年も前に通り過ぎた。

 こんなことで心を乱すのは、いくらなんでも年甲斐がないというもの――

「でもホントに凄いって。ホタルの筋肉!」

 ――筋肉!?

「さすがは現役騎士。引き締まった体してるよねぇ。ムキムキってわけじゃないけど、毎日鍛えてますって感じ」
「私としては、お前みたいにしなやかな体に憧れるな。獣人だからか? 無駄のない細身でありながら、柔軟で力強い。生まれ持った素質だけでこれとは恐れ入る」
「農作業の手伝いとかはしてるよ? 昔っから体力には自信あり!」
「だろうな。特にこの辺りの肉付き、武器を振って鍛えたものじゃないぞ」

 ちょっと待て。一体何の話をしているんだ。

 思わず作業の手を止めて、声が漏れてくる場所――外壁のやや高い場所に設けられた採光窓を見上げてしまう。

 こんなシチュエーションで筋肉の品評を始めるなんて、誰が予想できるというのか。

 困惑に言葉を失っていると、不意に敷地の外から聞き覚えのない声が投げかけられた。

「コハク・リンクス殿。少々お時間をいただいても?」

 声の主は若い兵士だった。

 服装からして領都リーリオンの防衛兵ではなく、サブノック要塞の兵士のようだ。

「レオン司令からの伝言です。折り入ってお願いしたいことがあるので、明日にでも要塞に出向いてはいただけないでしょうか」
「お願いしたいこと?」
「はい。詳細は聞き及んでおりませんが、リンクス殿に開発していただきたい魔導器があるとのことです」