「コハク、貴様! 今度という今度は許さんぞ! この論文は何のつもりだ!」

 魔法省の一室に老人の怒号が響き渡る。

「末席とはいえ、偉大なるアイオニア王国の魔導師ともあろう者が! よりにもよってこんな妄言を!」

 怒っているのは魔法省大臣、トベラ特級魔導師。

 怒られているのは、もちろん僕だ。

 自他共に認める三流魔導師の立場で、王国の魔導師の中でもトップクラスの人物に呼び出されたうえ、情け容赦ない叱責を受けている――こう説明すれば、僕が置かれている状況の酷さが伝わるだろうか。

「な……何のつもりだと言われましても……二年に一度の論文提出は魔導師の義務でしょう」
「内容が問題だと言っているのだ! 『誰にでも使える魔法』の基礎理論だと!? 貴様、魔法を何だと思っている!」

 弁明も虚しく、トベラ大臣の説教がどんどん激しさを増していく。

 声の圧力があまりに強すぎて、今にも吹き飛ばされてしまいそうな気分だ。

「我々のように選ばれた者だけが持つ力、それが魔法だ! 生まれ持った才能と弛まぬ鍛錬があってこそ、魔法を身に付けることができる!」
「で、ですが、正直なところ、魔法の助けを求める人の数に対して、魔導師の数が少なすぎます。魔導師を増やすか、簡単な魔法を誰にでも使えるようにすれば……!」
「くどい! 貴様の主張は魔導師全てへの侮辱に等しいと知れ!」

 トベラ大臣はデスクに置かれていた論文をグシャグシャにしてつかみ上げた。

 そして、僕に見せつけるように破り捨てる。

 取り付く島もないとは、まさにこのことだ。

 交渉の余地も説明の機会も一切なし。ただ全否定するためだけの呼び出しだった。

「……コハク・リンクス下級魔導師。今回の処分として、貴様に転属を命じる」

 大臣は深々と溜息を吐き、デスクの椅子に体重を預けた。

 大声で怒鳴り散らして多少はすっきりしたのか、それとも叫び過ぎて疲労困憊になったのか。

 どちらにせよ、これ以上は相手をする気がないということだろう。

「転属先はマクリア地方。王都から遠く離れた辺境の地で、ゆっくり頭を冷やすがいい」
「王都からは追放……ということですか」
「辺境で十分に反省し、考えを改めたなら、王都に呼び戻してやらんでもない。貴様が言った通り、魔導師は常に人手が不足しているからな」

 何が人手不足だ。内心で呆れ返る。
 希少価値を出したいからって、毎年の採用を絞りまくっているくせに。

◇ ◇ ◇

 肩を落として大臣室を後にした僕を、独特の口調をした同僚の魔導師が呼び止める。

「あら! いつもに増して酷い顔ですわね! 相当手酷く絞られてしまったのかしら?」
「……なんだ、ルリか」

 ルリ・ディアマンディ。僕の同期にあたる魔導師だ。

 見た目も喋り方も、これでもかってくらいに典型的(テンプレート)なお嬢様。

 魔法の名家と言われる貴族ディアマンディ家の令嬢として、幼い頃から魔法の訓練を受けてきたとのことで、同期の中でも一番早く上級魔導師に昇格した出世頭だ。

 年齢は、僕と同じ二十代前半だということは知っている。
 具体的な数字は聞いた覚えがない。

「あの論文、本当に提出なさいましたのね。上層部を怒らせるだけだと申し上げたではありませんか。特権を守ることばかり考えている方々なのですから」
「まさかここまで酷いとは思わなかったんだよ。満足できる試作品も作れたし、机上の空論じゃないと示せたら、理解を得られるかと思ったんだけど」
「読みが甘かったですわね。これだから、未だに下級魔導師止まりなのではないですか?」

 余計なお世話だ。
 魔導師を五年もやっているくせに、中級にすら昇格できていないことの情けなさは、自分が一番良く分かっている。

「それで、処分の内容はどのような? 厳重注意止まりではないでしょう?」
「地方に転属。しばらく頭を冷やせってさ」
「あら。意外と温情のある措置ですわね」
「そうかなぁ」
「免職されてもおかしくないと思っていましたわ。魔導師たるもの、地方派遣は当然の職務ですし、良い機会だと思うべきでしょうね」

 このアイオニア王国では、魔法省に務める魔法使いのことを魔導師と呼ぶ。

 魔導師は安定した報酬を受け取れる代わりに、様々な公務を請け負う義務がある。

 要は半分役人の魔法使いだ。

「ところで、派遣先はどちらになるんですの?」
「マクリア地方」
「……はい?」

 ルリが青色の目を見開いて硬直する。

「な……なんですって!? マクリアなんて、辺境にも程がありますわ! 人間世界の果て、この世の最末端も同然です!」
「それはさすがに言い過ぎじゃない?」
「言い過ぎではありません! 亜人種の生息域とも隣接する、辺境の中の辺境! そんな場所に転属だなんて、島流しも同然ですわ! いくらなんでも酷すぎます!」

 他人事のはずなのに、ルリはパニック寸前なくらいに慌てていた。

 昔からルリはこういう奴だ。
 名家の令嬢らしい上から目線で見下してきたかと思うと、たまに妙な気遣いを見せるときがある。

 そのうえ、同僚からは対等の態度で接してもらいたい、なんて言い出す変わり者。

 たまに言動が鼻につくことはあるけれど、総合的には悪い奴じゃない――ルリに対する同期の評価は、だいたいこんなところだろう。

「仕方がありませんわね。もしも貴方が、どうしてもと望むのでしたら、わたくしが父上に掛け合って差し上げます。父上の口添えがあれば、処分を軽くすることなど簡単に……」
「ありがとう。でも必要ないよ。転属は受け入れるつもりだからさ」
「え……ええっ!?」

 ルリは信じられないものを見るような目で僕を見た。

「明らかにこれは左遷ですわ! 追放と変わりませんのに! どうしてそんな!」
「良い機会だからね。前々からそうじゃないかと思っていたけど、魔法省のお偉方とは馬が合わないみたいだ」

 廊下の壁にもたれかかって、窓の外の風景に視線を向ける。

 王都はこのアイオニア王国でも最大規模の都市で、その発展ぶりは文字通り世界有数だ。

 けれど、王国のあらゆる場所がこれくらい発展しているのかというと、全くそんなことはない。

 僕の故郷の村と比べれば、王都の裏路地すら大都会に思えてしまうくらいだ。

「どうせ出世なんか望めないんだし、このまま王都にいても息苦しいだけだろ? だから心機一転、環境を変えて第二の人生でも送ってみようかなって、そう思ったわけ。おえらいさんの目が届かないところで、のんびりとね」
「それはそう、かも、しれませんが……」
「心配しなくても大丈夫だって。これでも田舎生まれの田舎育ちだからね。辺境暮らしにもすぐ慣れるさ」

 大臣にこっぴどく罵倒されたせいだろうか。
 王都での生活や、魔法省での仕事に対する未練はすっかり薄れていた。

 僕は自分でも不思議なくらいに前向きな気持ちで、まだ見ぬ辺境の地での生活に思いを馳せるのだった。