「私、頑張ってるんです」

そう声を大にして言えたらいいのに。
でも誰にも裏の努力は伝わらないから。
見えていることがすべてだから。
相手にとっての当たり前として消化されてしまう。
でも確かにもがき苦しんだ事実は残っていて、それをなかったことになんてできない。

今から8年前、小学6年生の時。
父が家から居なくなった。
「ごめんな」と一言残して。
その言葉が今も残り続けている。
それからも変わらず父との交流は続いていたが、家族の形が壊れた理由が分からなかった。
全員一緒に入れたらいいのに。その想いだけはどんどん大きくなって、一緒にいない父のことも少し嫌いになった。

僕には妹がいた。
父が家を出たのは妹が小学校1年生の時。
僕は比較的いい生活をさせて貰えていて、欲しいもの・行きたい場所・食べたいものは基本的に全部させて貰えていた。
それは全て自営業で懸命に働く父のおかげだった。

高校1年生、コロナ禍の中、父の会社でアルバイトを経験した。
社長である父親が朝から夜遅くまで誰よりも一番働く。
常にその時間というわけではないが、過去には日を(また)ぐこともあった。
僕は少しでも力になりたいと率先して同じ時間働いた。
その大変さを身に染みて理解しているが、父は15年以上続けている。
尊敬以外の何物でもなかった。

僕はその父の背中を誰よりも近くで見ることが出来ていた。

ただ当時の僕はそんな細かい認識はなかったが、漠然と
妹はこれから父親という存在を感じずに生きるかもしれない。という気持ちになった。
それだけは何としても避けなければならないと思った。

そこから僕の父親代わりが始まった。

妹はあまり自分から話をするタイプではなかった。
話しかけなければ一人で黙々と本を読んだり、ゲームをしたりする。
だからこそ僕は積極的にコミュニケーションをとるようにした。
妹の笑顔のきっかけを作りたいと思った。

僕は幼いころは毎週のお出かけを経験して、家族のコミュニケーションの楽しさを無意識に感じていた。
でも学生の僕の財力では、どこにも連れて行ってあげることはできない。
だからこそ身近にできるコミュニケーションを選んだ。

話しかけて、話しかけて、ひたすら話しかけた。
きつくても、そんな気分じゃなくても、どんな状況でも話しかけ続けた。
勉強やファッション、漫画やアニメの話などいろんなこと。

僕は何もできなくて、失敗の多い人生を送っている。
だからこその経験も沢山話すことにしていた。
妹が同じ経験をしないように。

勉強は妹の同意のもと、1年先の内容を教えるようにしていた。
そのおかげで中学入学後は1年間学年1位をキープし続けていた。

僕と妹は優秀さが違う。
僕は不器用に時間をかけて物事を行い、前々からの入念な準備で何事もないかのように見せるタイプ。
でも妹はもちろん準備はするけど、過去の蓄積された経験を元に効率よく物事をこなすタイプ。

失敗をたくさん経験している僕は、妹との対話で父親代わりを演じた。

僕は父が家を出てすぐと、高校2年生・3年生の時の3回不登校を経験している。

中学1年生になってすぐ、お腹が痛いと言って学校を休んだ。
でも本当は痛くない。当時からしてみればなんとなく全てが嫌になったのだと思う。
慣れない父の不在の生活。当たり前の崩壊。
その衝動を訴えたかったのかもしれない。
1日休むつもりが、2日に。
2日休むつもりが、3日に。
その結果、1カ月休んだ。

当時は僕の気持ちが何なのか分からなかったし、母も、父も、周りも全てが憎かった。
その期間は色んな病院を転々としたし、保健室登校も経験した。
たまに教室に入ると、まだ知り合ったばかりで好奇な視線を向けるクラスメイトが怖かった。

でも結果的に1カ月で復活することが出来た。
理由はとある漫画と小説との出会いだった。
「この音とまれ!」
「夜が明けたら、いちばんに君に会いにいく」
この漫画と小説が僕のどうしようもない気持ちを救ってくれた。

そこからの中学時代は自分の想いを胸にしまったまま、父親代わりを続けた。
妹に背中を見せたいと願って。

それが出来たのは漫画と小説の支えがあったから。
まだ心が自立できていなかった時期から考えると、本当に心の支えになっていた。
とりわけ小説なら学校にも持ち込めたので、ますます小説の世界が好きになっていった。


今から3年前、高校2年生の時。
2週間ほど不登校になった。
理由は壊れた家族関係について。
小学6年生の頃から、変わらず平行線のままだった。
事態は一切動かなかった。
それでも僕は当然成長し続けた。

父親代わり、という自意識のおかげで同学年の人たちよりは精神の自立が早かったようにも思える。
部長・キャプテン・団長なども経験した。
その成長過程で、家族の全方面へ気を遣う役回りも僕が請け負うことになった。
詳しい詳細は知らなかったけど、それでも僕しかできない役割だったから。
毎日いっぱいいっぱいだったし、結果的に一切変わろうとしない現状に心が壊された。

ご飯を食べなくてもお腹が空かなくて、3日間何も食べなかった。でも生きるために気持ちばかりのご飯を食べた。
泣こうにも涙は出なくて、心のモヤモヤだけが増え続けた。
太陽が眩しくて、光の一切ないところに籠城した。
面白いと思える感覚が完全になくなって、今まで面白いと思えていた動画や本に面白いと思えなくなった。
寝ているか起きているか分からない状態がずっと続いた。
頻繁に過呼吸になった。
嬉しい、悲しい、つらい、楽しい、苦しい。すべてが消えた。

それでも立ち直る選択だけは捨てられなかった。
それは父の背中を見ていたから。
普段から感じていたなんとなくの尊敬が、アルバイトを通じて明確な尊敬に代わり、
この人に顔向けできない生き方はしたくないという気持ちを作った。

既に不登校を経験している時点で、妹の父親代わりも父に顔向けできないようにという想いも破綻しているかもしれない。
それでも、どんなに惨めでも、最後の取り返しのつかなくなるラインは絶対に死守した。

だから、対話を重ねた。
自分を守るために子供の権利を最大限使って、対話の機会を作った。

さまざまな話し合いを重ね、結果2週間で不登校を終わらせることが出来た。

しばらくは無くなった色んな感情が戻らなかったし、昔と性格も変わって消極的になったけど、それでもまた一歩を踏み出すことが出来た。

この出来事は僕に、いい点と悪い点を刻んだ。

良い点は、死にたいと思わなくなったこと。
自分史上最高の絶望を経験して、そこから立ち直ったおかげで、死ななければ割と何とかなると思えるようになった。
それはきっとその期間中に生きている感覚を失えたおかげだと思う。

悪い点は、2年後に発覚することになる鬱になったこと。
家族にバレないために大学進学後に精神科を受診したが、鬱と診断された。
明確にここが原因か問われると怪しいが、明らかにこの出来事がきっかけだった。
これの厄介なところは、頑張りたい気持ちとは裏腹に何もできなくなるところだ。
数日無駄にしてしまうことはあるし、元気でいられないこともあるけど、それでも自分なりの「懸命」で生きている。


高校3年生の頃、5月。
1年前に動き始めた家族の形は、結果的に動くというセリフだけ残して一切形にならなかった。
また受験もあったので、平日は授業外6時間・土日祝15時間勉強をキープしていた。
妹の父親代わりも変わらず続けた。
多少お金にも融通が利くようになったので、妹のやりたいことをなるべく出来るように心掛けた。
妹が父と話す機会が少ないせいで多少の気まずさを覚えているため、その橋渡しも行った。
でもその日常を続けるには1日が24時間では足りなかったし、心の容量も足りなかった。

結果的に、また心が壊れた。
今度は明確な崩壊を感じた。
授業を聞いていたとき、何もないのに涙が出てきた。
人知れず過呼吸になり、吐き気が止まらなかった。
クラスメイトにバレないように隠すけど止まらない。

もうだめだと思った。
心が壊れて、身体まで壊れるともう戻れない。
そう思って受験とかその他も色んな問題があったけど、おばあちゃんの家に避難することにした。

おばあちゃんの家では心を休めるのに全力を尽くした。
デジタルデトックスをした。
料理をした。
読書をした。17日間で51冊も小説を読んだ。
散歩をした。
海でぼーっとした。
おばあちゃんは何も言わずに僕を家においてくれた。

結果的に心の修復には1カ月を要した。
でもそのおかげで、残りの受験期間はその前以上のポテンシャルで過ごすことが出来た。

また3度目の不登校をきっかけに、家族関係について詳細を一切知らなかったが、とうとう父から僕のみ直接話を聞くことが出来た。

言わなかった理由は、話の内容が重過ぎて僕や妹の負担にならないようにしたかったから。
事の顛末(てんまつ)を聞いて、僕は父への感謝が溢れた。
文字通り、僕と妹は父から守られていた。
何も言わずに一人で自分の子供を守り続けているその行動を、心の底から尊敬した。

母からは結果的に何も聞かなかった。
一方の話だけで決めつけることはしたくないと考えていたが、何も言われなかったので父の話を信頼した。

結果的に、僕の大学進学前に家族の決着はついた。
6年以上を要したこの出来事は、僕に多くの影響を与えた。

総じて僕はたくさん立ち止まったし、失敗を繰り返した。
以前は普通だった笑顔も減ったし、性格も消極的になった。
当たり前と思っていた家族(もの)も、早々に壊れた。
当たり前はないことを知った。
誰のことも信用しなくなったし、人を好きと思える感情が欠落した。
妹の父親代わりも、どこまでその役割が果たせているのかも分からない。

それでも。
何度でも立ち直った。
どんなに無様で惨めでも、周りになんと思われても強引に立ち直った。
そうしなければならなかったし、そうありたいと思ったから。


僕は自分の尺度で、多くの挫折と絶望と失敗を経験した。
こんな想いを抱く人は今後現れないで欲しい。そう思う。
でも恐らくそれは不可能に近い。
個人個人の尺度で、その人には耐えがたい絶望を経験するかもしれない。
立ち直れない瞬間を迎えるかもしれない。

だから僕は自分が救われた本という力で、誰かを救いたい。
絶望から立ち上がれない君に、「一人じゃない」と伝えられる言葉を紡ぎたい。
死にたい誰かに死ななくていい理由を届けたい。
全員には響かなくても、誰か一人でいいから響かせられる、そんな想いを伝えたい。



この経験を、絶望を、挫折を、失敗を、すべての想いを人に話すことはない。
でも声を大にして言いたい。

「私、頑張ってるんです」