「清水アイカです。よろしくお願いします」
 顔を上げたアイカは、猫のような切れ長の目を細めて小さく笑った。

 昔の映画で女優のアップショットを写す時、光や焦点を工夫して、画面を幻想的な雰囲気にする技術があるが、アイカにはそれが標準装備されているようだった。

 要するに、僕にはアイカがハリウッドスターのような別世界の住人のように感じられたのだ。

 思えばあれが僕の初恋だったのだろう。
 その瞬間、タカブーから聞いた妖精のことなど頭から抜け落ちてしまっていた。

 アイカは春を待たずにすぐにまた転校してしまうので、卒業アルバムに載る事はなかったが、一枚だけ少女時代の彼女が写っている写真がある。

 それは、アイカが転校する前の日にクラスのみんなでお別れ会を開いた時に撮影された集合写真で、背景の黒板には、別れを惜しむ言葉、応援、感謝……様々なメッセージが所狭しと書かれている。

 主役のアイカは中央に座って、頬の横で控えめにピースサインを出していた。
 不思議なことに、写真越しには初対面の時のように独特なオーラを感じる事はできない。
 折り紙で作られた花束を持って微笑む姿は、どこにでもいる普通の女の子のように見える。

 一方で、僕はこの写真には写っていない。腹痛だったか頭痛だったかは忘れてしまったが、お別れ会の日、僕は仮病を使って学校を休んだのだ。

 その理由は、あの頃の僕の妙な癖にある。
 
 日常会話の中で「証拠」や「密室」という言葉を頻繁に使ってしまうほどに、僕はミステリー小説が好きだった。
 しかし、当時の僕は探偵に一切の魅力を感じなかった。どちらかと言うと、不可思議な謎の方が好きだったのだ。
 
 本好きの人が聞けば、勿体ない読み方だと怒られてしまうかもしれないが、物語が解決編に入る前に本を閉じてしまうことも、一度や二度ではなかった。

 つまり僕は、少し恥ずかしい言い回しになるが、アイカを魅力的な謎のままにしたかったのだ。
 
 読書をするたびに、僕はそのことを思い出し、現在の自分に思いを巡らせる。
 僕はいつから本を最後まで読むようになったのだろう……と。