何日か経つと、わたしのソロのことはもうみんな受け入れてはいたが、冷たい視線は変わることはなかった。
 わたしは練習中、トイレに行くフリをして教室を出た。
 1人になる度に感じる解放感。
 でもどこか寂しかった。
 「楽空!」
 「美凪......」
 唯一声を掛けてくれるのはいつも美凪だった。
 「大丈夫?またなんかされた?」
 「ううん、ちょっと1人になりたくて......」
 「そっか、ごめんねわたし何にもできなくて......ソロっていうのがこんなにも大ごとな感じになるなんて......」
 美凪は眉をひそめて心配そうにわたしを見ていた。
 「仕方ないよ、先生が決めたんだもん。......わたしも先輩に譲るべきだったよね」
 「そんなことないよ!先生が認めてくれたんだから!その曲の披露が終わればみんな元に戻るよきっと」
 「そうだよね、ありがとうね美凪」
 「うん」
 わたしは美凪の方を振り返らずに階段を登った。
 思わず涙が込み上げてくる。
 あれ、わたしこんなに弱かったっけ......。
 今はもう誰と話しても、何を見ても辛いだけだった。
 わたしの世界に群青色がどんどん広がっていった。
 もう音楽が嫌いになりそう。吹くのも怖い。
 誰か助けて......。
 ある教室を通るとツンとした匂いが鼻についた。
 この匂い......。
 教室を見ると誰もいなかった。どっかに行ったのだろう。
 そこには1枚の絵があった。
 からだが勝手にその絵の方へと引きずり込まれる。
 「綺麗......」
 その瞬間、涙が溢れた。
 絵には、わたしの世界と同じような群青色。他にもたくさんの青色。黄色味がかったどこか暖かさを感じる白色。
 「クジラ......」
 そこには空と海。そして海から飛び出すクジラの姿が描かれていた。
 この青い絵でこんなにも胸を打つ絵を描けるなんて......。
 一頭のクジラからは、どこか寂しさが残りつつも、力強く泳いでいるであろう水しぶきも繊細に描かれてた。
 この絵が、わたしの群青の世界でたったひとつの光のように思えた。
 「誰が描いたんだろう......」
 わたしは涙を拭って、その絵の周りに置いてある荷物を見た。
 「ないなー......あ」
 机の上にスケッチブックが置いてあった。そこには筆記体で何か書かれてあった。上の方を見ると大きくローマ字が書かれてあった。
 「ERITO SHIRAKAWA......。しらかわえりと......」
 サインの練習をしていたのか。
 まだ不恰好なサインだった。しかし何回も何回も練習をしている。
 どんな人なんだろう......。
 ......あ、そろそろ戻らないと怪しまれる。
 わたしは急いで階段を降りた。
 なんだろう......。さっきよりも心が明るくなった。
 あの絵はわたしに一筋の光をくれた。
 また見たいな。


 それからわたしは、時々練習を抜け出してはあの日見た絵を探した。
 今日も群青色だらけの絵だ。
 不思議と、何度見ても心に響いてくる。世界を照らしてくれている。そう感じた。
 でも、いつもタイミングが悪いのか『しらかわえりと』には会えなかった。
 でもわたしはこの絵に出会えたことで、再びわたしの世界が少しずつ色づいていった。
 「失礼します!」
 今では自信を持って言うことができるし、曲の練習も自分が練習したい部分を吹いている。
 それを見てからは先輩たちも、もう何も言わなくなっていた。
 努力することは、わたしにとって成長に繋がること。わたしは自分の音をもっと他の人に聞いてほしい、届けたい。
 あるイベントで披露したソロはミスなく、多くの人から拍手をもらえた。
 わたしの音が誰かの心に届いていると感じた。

 あの群青色の絵がわたしの世界を色づけてくれていた。
 わたしに勇気と希望を与えてくれた。
 わたしを救ってくれた。