『11月1日』
 ついに最終日。
 俺はこの日を待ち侘びていた。
 もう午後だというのにソワソワが止まらない。
 ギャラリーの中を無駄に歩き回る。
 彼女は今日来てくれるだろうか。来てほしい。
 彼女に想いを伝えたい。
 そんなことを考えながら自分の絵を遠くから見る。
 「綺麗ねえ」
 「ここの色がいいねえ」
 小声ではありながら、来てくれたお客さんが絵を見て呟いてくれる。それが本当に嬉しい。
 「このピアノの音楽も絵と合ってて素敵よね」
 「確かにそうねえ」
 中にはギャラリーに流れているBGMにも耳を傾けてくれる人もいる。
 自然と顔が綻んだ。
 「絵橙〜」
 小さな声でありながら聞き覚えのある声がした。
 「楓!」
 そう言った途端、楓は強引にも肩に腕を回してそのまま外へと出た。
 「来てくれてありがとうな!」
 「当然だろ!親友が個展を開いてんだぜ!俺の友達にも宣伝しちゃったよ!たぶん今日以外の日に来てたと思うよ」
 「ありがとう!」
 たまに連絡は取り合うが、こうやって会うのは久しぶりだったから嬉しかった。
 「にしても、本当にいい絵だったよ!色も絵橙らしくて、それに花の絵がよかったよなー」
 楓はニヤニヤした顔を見せつけながらそう言った。こういう所は昔と変わっていない。
 「ありがとうな、結構自分でもこの個展に向けて色の勉強して頑張ったんだ。楓に褒めてもらえて嬉しいよ」
 「うんうん、俺は将来先生という立場だから褒めるところは素直に褒めるっていうのが仕事の一つだからな!あ、俺この後授業あるんだわ!じゃあ行くわ!また感想送るよ!絵橙頑張れよ!」
 「うん!楓もな!」
 楓は颯爽と走っていった。
 今日は平日だというのに、しかも忙しい時間を削ってまで来てくれた。本当に俺の親友はいいやつだ。
 楓は美術の先生を目指して日々勉強している。きっと素敵な生徒思いの先生になれると信じている。

 「14:52」
 もうそろそろか。
 今日、最終日は15:00にはギャラリーを閉めることになっている。特別にそうしてもらうように頼んだ。
 彼女はきっとあの時間に来てくれるから。
 「ありがとうございました!」
 最後のお客さんを見送った。
 たくさんの人が絵を見に来てくれた。
 見に来てくれる人がいるってこんなに嬉しいことなんだと改めて実感する。

 時間まで俺はギャラリーの中をゆっくりと歩いた。
 彼女との思い出が蘇る。そんな作品にした。
 「白川さん、BGMどうしますか?」
 「あ、そのまま流しててください!」
 「了解です」
 ギャラリーのスタッフが丁寧に確認をしてくれた。
 そう。このBGMも大切な作品の1つだ。
 音楽を聞き、絵を見渡す。
 俺にはここに飾られている色すべてが確実に分かるわけではない。まだ手探りのような感覚でもある。けれど、見に来てくれる人がちゃんとこの絵の中の色として反映し、見てくれていた。
 こんな俺でも、誰かの心にその時にしか見られない色を色づけた。『自分の色』が『誰かの色』になった。色は人それぞれだから、誰が何色であってもいい。
 そう彼女が思わせてくれた。
 そのとき、
 「絵橙......?」
 懐かしい優しい声がした。
 後ろを振り向くと楽空がいた。
 茶色がかった髪を下ろし、あの頃とは変わらぬ笑顔があった。
 「楽空、来てくれてありがとう!時間ピッタリだね」
 『11月1日15:30』
 あの日と一緒の時間。
 「うん!約束したからね!わあー......すごいね絵橙、本当に個展を開くなんて......!夢叶えたんだね」
 彼女はギャラリーの中を見渡しながら言った。
 「うん、約束したからね」
 俺がそう言うと俺の方を振り返って微笑んだ。
 「早速見て行ってもいいかな?」
 「もちろん」
 彼女は入り口付近の絵から順番ずつ見て行った。
 彼女は俺の絵をキラキラした目でゆっくりと見ていた。そう、まるで宝石を見るかのように...。
 そしてギャラリーの中央に大きく展示された絵を見た。
 「これって......」
 彼女は何かを思い出すように絵を見つめていた。
 「これって夏の演奏会の日に海岸沿いで話した時だよね......?なんでこれを......?」
 俺がどの絵よりも大きく描いた作品。
 タイトル『照り映える姿』
 あの日、両脇にハナマスの花が咲き乱れている道を彼女が通った時にその姿を後ろからスマホで撮った。
 「あの時にハナマスの花が咲いている道を楽空が通った時、その風景が美しかったから撮っていたんだ。ハナマスの花言葉って知ってる?『美しく悲しい』これは1日で花が散ってしまうからなんだって。あとタイトルにあるように『照り映える姿』そして『あなたの魅力にひかれている』」
 「え......」
 彼女と一瞬目が合ったが恥ずかしくなり、自分の絵に視線を移した。
 ゆっくりと息を吐いた。
 今日こそは言うんだ。この想いを。
 群青の世界を色づけた君へ。
 「あの日の放課後。楽空と初めて話した日から今日までずっと楽空の音に惹かれていた。柔らかな笑顔にも。だからこれからも隣で俺の絵に音をつけてほしい。俺の世界を照らしていてほしい。好きだよ......ううん、愛してる」
 彼女の目からは涙が溢れていた。
 俺もつられて涙が出そうになるが、懸命に堪えた。
 今はぼやけた世界ではなく、クリアな明るい世界で彼女を見ていたかった。
 彼女は涙を指先で拭いながら言った。
 「このBGM......とっておいてくれたんだね。わたし今、これまでで1番幸せだよ。わたしもずっとこれからも絵橙の隣で絵橙の絵を見て音楽をつくりたい。それがわたしの新しい夢......。わたしも好きだよ絵橙」
 彼女は俺に抱きついた。俺も彼女を包み込む。
 太陽が降り注いでいるかのように暖かかった。
 彼女との忘れられない日々が蘇ってくる。
 初めて出会った春。
 縮まる距離。
 濁り合った思い。
 君のピアノの音。
 君のクラリネットの音。
 花火の音と光。
 自分で色づけた絵。
 絵を君に届けたあの日。
 このすべてが君とのかけがえのない思い出となった。絵になった。
 彼女の笑顔を隣でずっと見ていたい。
 色づけていたい。


 その後は手を繋いで音楽とともに絵を見た。
 「全部の絵に絵橙のサインが書いてある!上手くなったんだね!初めて見た時よりもずっと上手!」
 俺は首を傾げた。
 「そんな俺のサイン見たことないよね?初めてちゃんと練習したのってたしか、高校2年生だったはず......」
 「ちょっとだけチラッと見たことがあってさ!あ、あの絵!」
 チラッと見たっていつだろう?
 そんな疑問を浮かべている暇もないまま、彼女は俺の手を引いて絵を見る。
 彼女の目には俺の絵だけが映っている。
 そんな彼女を見て、俺はずっと探していたあのことについて聞いた。
 「そういえば楽空はさ、何色が好きなの?あの頃ずっと話していたのに何色が好きか分からなくて......だから今日、好きな色、俺の絵の中にあるかなと思ってたくさんの色を使った作品を展示したんだけど......」
 彼女は手を離し、目の前にある絵の方を向いた。
 「わたしの好きな色はねー......」
 この答えをやっと聞ける。生唾を飲んだ。
 「全部!絵橙が色づけた色、絵橙の絵の中で生きている色が好きだよ!」
 この笑顔......。
 お花のような柔らかな笑顔。
 この笑顔をこれからも見ていたい。
 「全部って!!......ありがとう!!」
 彼女の突拍子のない答えに、自然と笑いが込み上げてくる。
 1番好きな空は1つに決められるのに、1番好きな色は全部。彼女らしい。
 「絵橙!これからは、2人で一緒に新しい色と音を作っていこう!約束」
 「うん、約束」
 彼女の笑顔が鏡のように、気づかぬうちに俺を笑顔にさせる。
 この小指は約束の指。小さいけど、離れがたかった。
 俺は、すべての色をもっと自分の絵に色づけられるように。すべての色を好きになれるように。
 自分は何色が好きなのかを彼女と一緒に探していきたいと思った。

 君は覚えているのかな。
 高校3年生の春。
 君と初めて話したあの日。
 俺は教室に入ろうとしたが、君に気づいて足を止めた。
 俺の絵を見て口ずさみ、クラリネットで吹いていたあの音。
 俺はその時から君の音が好きだった。
 君のまっすぐな瞳、凛とした姿に惚れていた。
 群青の世界から見た君は、一筋の光のように美しかった。
 輝いていた。
 君に自分のことを話したいと初めて思ったんだ。
 彼女の奏でる音が『絵橙と楽空』を繋いでくれた。
 絵と音楽が2人の心を紡いでくれた。
 きっかけをくれた。
 それから君と出会って、君が群青の世界を優しく色づけていった。
 たくさんの感情を知った。
 たくさんの色を知った。
 君のお花のような柔らかな笑顔に出会えた。

 これからも描いていく。
 自分にしか色づけられない色で。
 彼女の音とともに。
 重なり合う色と音を誰かに届けられるように。
 2人の色と音は消えない限りこれからもずっと続いていく。

 ーこれからも絵を1番に君に届けたい。
 群青の世界を色づけた君へ。