11月1日の放課後。
 俺は美術室からあの絵を持って、急いで第二音楽室へと向かった。
 俺の胸は、いつになく高まっていた。
 第二音楽室の入り口に着き、スマホで時間を確認すると「15:30」
 ピッタリだった。

 ドアを開けると、
 「白川くん!時間ピッタリだね!」
 ピアノの椅子に彼女は座っていた。
 「間に合ってよかった、絵を美術室に取りに行ってたもんで」
 「まあ全然焦らなくても大丈夫だけどね!」
 彼女は笑ってそう言ってくれた。
 俺は彼女のいるピアノの方へと向かった。
 鞄を置き、絵を両手で抱えた。
 ......なんか緊張してきたな。
 俺は大きく深呼吸をした。
 「白川くん、その絵見せてもらってもいいかな?」
 「うん、もちろん」
 俺はゆっくりと絵の方を彼女に向けた。
 彼女は一言も話さずに俺の絵を見ていた。
 音楽室に沈黙が流れる。
 「......どうかな?」俺は恐る恐る聞いた。
 すると彼女は俺顔を見た。
 目線が合う。彼女の瞳が潤い、キラキラと波打っていた。
 「白川くん、わたし今この絵に圧倒されちゃったよ!あの日の夕焼けの空だよ!クラデーションになってて白い雲が際立ってて.......本当に凄い。白川くんのこの絵は絶対に誰かの心に響くし、幸せな気持ちになると思うの!......わたしは今この絵を見て幸せだから」
 彼女は涙を堪えて優しく笑った。
 俺の絵を見て、こんなにも笑顔になってる。
 俺も嬉しかった。幸せだった。
 自分の色を色づけていいんだと思える瞬間だった。
 この絵は彼女に渡したい、持っていてもらいたい。そう思った。それに今日は......。
 「夜瀬さん!この絵、もしよかったらもらってくれないかな?」
 彼女は驚いたような顔をして首を横に振った。
 「これは白川くんの大切な作品なんだから、自分で持っていた方がいいよ!」
 「夜瀬さんにもらって欲しいんだ。夜瀬さん、今日11月1日誕生日でしょ?俺からのささやかなプレゼント。受け取ってください」
 俺はこんなにも積極的だっただろうか。いや、彼女だからかもしれない。彼女が俺を変えてくれた。
 彼女は絵を手に取って、
 「誕生日......知ってたんだ!ありがとう!一生大切にするからね!!...この絵を見たらなんでも頑張れそうな気がする!本当にありがとう!あ、ちゃんとサインもある!!」
 彼女はサインを手でなぞり、宝石を見るかのように俺の絵を見ていた。
 誰かに絵を見てもらうってこんなにも嬉しいことなのだと初めて気がついた。
 「じゃあ次はわたしが白川くんにプレゼントをする番だね!」
 「俺は別に誕生日じゃないけど...」
 「いいからいいから!」
 彼女はそう言ってピアノの椅子を調整していた。
 「今からのピアノは、白川くんと見た花火と夕焼けの空、そして白川くんのこの絵から浮かんだ音を演奏しようと思うの。ちょっと長くなっちゃうかな...?」
 「全然いいよ、夜瀬さんの音好きだから」
 「え......」
 「あ、ごめん!あ...あのずっと聞いてられるくらい素敵な音ってこと!」
 「あ、うん!あ...ありがとう」
 無意識に言ってしまった。
 絶対に今、顔が赤くほてっているだろう...。
 俺の心臓はいつになく動いている気がした。
 「......あ!ちょっと待って!」俺は唐突に考えが浮かんだ。
 「どうしたの白川くん?」
 俺は鞄からスマホを出した。
 「夜瀬さんの演奏録音してもいいかな?まだいつか先のことかもしれないけど、自分の絵をもし展示した時には、その会場のBGMに夜瀬さんの音楽を流したいって思ったんだ。......叶うか分からないけど、この音楽を残しといてもいいかな?」
 俺は、いつか自分の絵と夜瀬さんの音楽で、絵を見ながら音楽を聞いて、人の心の中に何かが響く時間をつくりたいと思った。
 こんな思いつきの夢を彼女はどう思うだろう。
 「いいねそれ!素敵!今のわたしじゃまだ力不足かもしれないけど、その時にしか表せない音楽を残しておくのも悪くないね!」
 彼女は自分の指先を見て微笑んだ。
 彼女といるとなんでもできそうな気がした。
 一緒になにかをしたいって思えた。
 「ありがとう夜瀬さん」
 俺はなぜか息が詰まりそうなくらい幸せだった。
 「あ、あとさ花火の動画、送ってくれないかな?俺も見たいなーなんて思って......」
 「分かった、送っとくね!」
 「ありがとう」
 「じゃあ改めて......弾いてもいいかな?」
 「うん、お願いします」
 彼女が指をピアノにのせたと同時に、俺はスタートのボタンを押した。

 花火〈シラシドレミファソラーラレシシラソファ〉
 花火の音楽は、打ち上がっている音とともにかすかに見える白い光を繊細に再現していた。光の花が開く瞬間、そして色が夜空に飛び散り舞う瞬間。その情景が豊かに表現されていた。

 夕焼けの空〈ドファラーラシソファーファミファラドファー〉
 赤、橙、黄、薄いピンク、薄い紫。小さい頃のかすかな記憶とともにこの色が頭の中に自然と浮かび上がってくる。彼女には色がこんなに綺麗な音として見えていたのだと感じた。

 心地の良いピアノの音が教室いっぱいに広がっていく。
 絵と音色ー。
 見えるものと見えないものー。
 重なることのない2つだが、その重なりは人それぞれの心の中で見えていると思う。

 そして最後。彼女は空の色がだんだんと暗くなっていく風景を音の高さで表現していた。夕焼けの空の中に紛れてくる群青色。それも今では美しいと感じる。
 そして彼女の表現力に見惚れる。
 彼女の表現力は、たくさんの興味やそれに対する自分の思いだったり......それが交わって自分を表現する力へと変わっていると思った。

 〈ファー〉〈ファー〉
 彼女の音楽は高いファと低いファの芯のあるオクターブの音で終わった。
 俺は録音を止め、彼女に拍手を送った。
 「白川くんありがとう!」
 彼女は何色と表せないほどの煌びやかな笑顔を浮かべた。
 彼女の奏でる音楽が俺をまたも色づける。
 「この日、11月1日は俺の中で忘れられない日になったよ。いつかまた会う時は、この日を『約束の日』に夜瀬さんに俺の絵を届けるよ、きっと必ず」
 彼女の瞳から美しい涙がこぼれた。
 涙を流しているのに嬉しそうな希望に溢れた笑顔をこぼす。
 「白川くんの絵待ってるね『約束の日』に。わたしも、もっと音楽について学んでいつかまた白川くんにわたしの作った音楽を伝えたい、きっと必ず」
 俺たちは見つめ合って思わず笑った。
 彼女の笑顔が自然と伝染する。
 こんなに心から笑ったことはあっただろうか。
 「ねえ白川くん。わたしたちさ、名前で呼び合わない?もうこんなにも仲良くなったんだし!あ、わたしの下の名前知ってる?」
 彼女は揶揄い(からかい)ながらそう聞いた。
 初めて彼女と話した時は苗字さえもいうことができなかった。でも今は違う。俺は自信を持って答えることができる。
 「楽しい空で楽空だよね、さすがにもう知ってるよ!......じゃあ、楽空って呼んでもいいかな?」
 俺は少し照れつつもそう聞いた。
 彼女は目を丸くしながらも顔を綻ばせていた。
 「いいよ、絵橙」
 耳がくすぐったくなった。
 彼女が自分の名前を呼ぶと、特別な感じがした。
 「絵橙!」彼女が俺の真っ正面に来た。
 「お互い自分の夢を叶えられるように頑張ろうね!......はい!」
 彼女は右手を出し、小指を俺に向けた。
 「うん」
 俺もそれに答えるように、彼女の指に右手の小指を交差させた。

 小指はどの指よりも小さいのに1番離れない気がするのはなぜだろう。
 夕日に照らされた教室でゆびきりをした。
 2人の影が壁に映る。
 こんなにも近い距離にいるのだと実感した。
 彼女と目を合わせると、彼女の顔が一瞬だけ桜色に見えた。
 お花のような柔らかな笑顔。
 この笑顔を忘れたくない。


 今日という11月1日は『約束の日』となった。
 この日を絶対に忘れない。
 色と音をきっと届けるからー。
 君の好きな色を探しながらー。