俺たちは海岸の方へと向かい、階段を降りて砂浜に腰を下ろした。
「波の音聞くと涼しげな感じがするよね」
「うん、そうだね」
涼しげな感じがするとともに、心地の良い音だった。
「あ、これ!すぐ着くから大丈夫かなって思ってたんけどちょっと溶けちゃったね、ごめん」
「いいよ全然!持っててくれてありがとうね!」
かき氷を渡すとき、彼女の指が一瞬だけ重なった。その一瞬が、解けていた緊張を一気に高まらせる。
しかし彼女は受け取った瞬間「わーちょっと溶けてるけどレインボーだ!」と言って口に運んでいた。
俺の無駄な緊張はどうやら彼女には届いていないようだ。
「あ、ねえねえ!前にさ、わたしになんで空が好きなのって聞いてくれたこと覚えてる?」
あの「秘密!」って言ってたことか。
「覚えてるよ。でも夜瀬さん秘密って言ってて教えてくれなかったじゃん!」
「ごめんごめん!今はさ、白川くんとこうやって2人で出かけるようになって、仲良くなったからその答えを教えようと思って!」
「え......」
思わず声を出してしまった。
彼女は俺と仲が良いと思ってくれていた。それがなんだか嬉しかった。
「まず、わたしのお父さんとお母さん海外にいるんだ。だからわたしはおばあちゃんの家で今は暮らしてる。それでね、お父さんは大学で空について研究してる!ついでにお母さんは音楽界では有名な指揮者なの、すごいよね」
「え!すごいね夜瀬さんの両親!びっくりだよ!」
初めて聞く話だった。
彼女の両親は、彼女の好きなものを半分に割ったようだった。
「子どもの頃からお父さんと一緒に空を毎日見てたの。その時のお父さんが、目をキラキラさせながら空について一生懸命語るの。それでね、わたしが中学生になると自然と今日の空についてお父さんに話すようになったもんで、あーわたしって空好きなんだって気づいたの。だから空についてはお父さんから色々教えてもらったんだ!」
彼女は夜空を見ながら空が好きな理由、いや空が好きになった理由を話した。
そうだったのか。
周りからの「興味」が、自分からの「好き」へと変わったんだ。
しかし俺は、周りからの興味以前に何もかもが周りと違う。絵を描くのは好きだが、偽りの色で描いている。
きっと、何かを本当に好きになるってことは俺にはないことなのかもしれない。
「あともう1つ。夕焼けの空が1番好きって言ったの覚えてる?」
「うん、そういえば言ってたね」
彼女は確かに夕焼けの空が1番好きだと言っていた。彼女と教室で出会ったあの日、彼女が外を指差して一緒に夕焼けの空を見たから覚えていた。
「お母さんはよく夕焼けの空を見ながら指揮の練習をしていたの。そこにわたしとお父さんが来て今日の夕焼けの話をしたりして!あと、わたしも夕焼けの色を見て音を口ずさむとお母さんがそれに合わせて指揮をしてくれたの。なんかその家族でいる時間が好きだったんだよね。だから夕焼けの空が好きなのかも」
「素敵な理由だね。教えてくれてありがとう」
「ううん、こちらこそ聞いてくれてありがとう!あとね、色から音が浮かぶようになったのもお父さんとお母さんの影響なのかも。家で空をよく見てるとお母さんの音楽が聞こえたりして、そこから自分でも音が浮かぶようになったの。自分でピアノ弾いたり、吹奏楽部に入ってからはクラリネットで吹いたりしてね。でも、音感がある人ならみんな浮かんでくるかもだよね、わたし限らず!」
「そんなことないよ!自分にしかない才能を持っている夜瀬さんは本当にすごいよ」
「フフッ、ありがとう!」
顔を見合わせたその瞬間ヒューっと音がした。
音がした海の方に顔を向けると、その真っ黒な夜空に光の花が咲いていた。
花火だ。
「綺麗」
彼女は静かに呟いた。
隣で彼女は、花火に見惚れ、夢中になっていた。
そんな花火の光に照らされた彼女の瞳が白い光でいっぱいになっていた。彼女の横顔がより美しく見えた。
胸が高鳴った。
そして俺も夜空を彩る花火を見た。
連続して打ち上がる花火の音は、俺の鼓動をより速くしていた。
次の瞬間、大きな音とともに白い大きな1つの花火が夜空一面に咲いた。その迫力に、周囲の人の歓声も上がっていた。
「最後大きい綺麗な白い花火だったね、すごく綺麗だった」
「うん......そうだね」
彼女は今は何も彩られていない夜空を見て言った。
「あ、動画撮ろうかな!」
そう言って彼女はバックからスマホを取り出して夜空へと向けた。
辺りが静まり返っている時、俺は彼女に尋ねた。
「夜瀬さんってさ、この花火を見て音って思いつくの?」
彼女の色から音が浮かんでくる才能についてもう少し詳しく聞いてみたかった。
「うん!しっかりピアノの音でイメージがいっぱいになってるよ!動画見てピアノで弾いちゃおうかな」
「今度また聞かせてよ、前みたいに」
「本当に?!白川くんみたいなわたしの音を聞いてくれる人がいて嬉しいなー」
彼女は顔を綻ばせながら言った。
俺も嬉しいと思うと同時に、正直ちょっとだけ羨ましく思ってしまった。
苦しくなった。
彼女は空や音楽について楽しそうに話している。
群青だらけの俺の世界から見ると、彼女は眩しかった。その眩しさからは何色とは分からない。
俺は一瞬だけ自分の見える世界について彼女に話したいと思ってしまった。
しかし、なんだかこの暗い夜空が俺の世界をさらに濃く塗り替えているような気がしてしまっているようで、勇気が出なかった。
「あ!きた!!」
彼女は急いでスマホを構えると、画面越しに花火を見ていた。
彼女の顔が、花火が咲き誇るかのように笑った。
俺はこの花火を録画しても見返すことはないだろうと思った。
フィナーレを飾る花火。
無数の花火が夜空一面を彩った。
『白』『黄』『青』『緑』
俺にはこの色しかはっきりと分からなかったが、みんなには赤やピンク、オレンジなどもっと鮮やかな色が映っていただろう。
「すっごく綺麗だったね!」
「うん、そうだね!最後の方とかすごかったね」
「うん!今日は誘ってくれてありがとう!来てよかったなー」
「ううん、俺の方こそ来てくれてありがとう」
彼女の明るい表情と声を聞いていたが、他のことを考えてしまった。
俺はちゃんと笑顔で話しているだろうか。
彼女の笑顔を見て言うべきか迷った。
彼女なら俺を理解し、受け入れてくれるだろうか。
しかし、俺の中である風景が遮った。
『夕焼けの空』
彼女が1番好きな空。
彼女に伝えるなら夕焼けの空がいい。
俺には夕焼けの空は全く違う空だが、そんな違う空を彼女はどう思うか。
群青の世界で描く俺の絵を彼女は今まで通り見てくれるだろうか。
そして赤色や橙色を使った絵を描いてもいいだろうか。
その絵に彼女は音を重ねてくれるだろうか。
多くの不安を閉じ込めて、彼女に聞いた。
「夜瀬さん。夏休みが明けた9月にさ、また一緒に海に行って夕焼けの空を見ない?あの......ごめんねこんなこと聞いて......」
「もちろん!!見に行こう!9月の夕焼けは特別だからね」
「ありがとう」
彼女は食い気味にそう言ってくれた。
そして彼女は夕焼けを想像しているのか、夜空を見つめていた。
俺の心の中は、決心した思いと不安な思いでいっぱいだった。
帰り道。
俺たちは宿題や部活のこと。進路や授業の話をしながら帰った。
まだ彼女に伝えていないはずなのに、話がギリギリ入ってくるかこないかの境で俺は話を聞いていた。
彼女が俺の群青色の絵を見て褒めてくれる。
彼女が俺の群青色の絵に音を重ねてくれる。
こんなことをしてくれるのは世界でたったひとりだけ。
そう思うと、彼女のことがとても愛おしく感じた。
彼女の屈託のない笑顔が自然と浮かんできた。
群青の世界でたったひとつの光のように。