6月の講評会が終わり、7月が始まって1週間が経った。
本格的な暑さが始まってきた。
今日は月曜日。
夜瀬さんと話す日かもしれない、まあ夜瀬さんの気分次第だけど......。
しかし今日は6時間目まであったのだ。
帰りの会が終わり、いつものように楓は颯爽と走って帰っていった。
夜瀬さんが俺のところに嬉しそうな顔をしながら小走りで来た。
「今日はさ、学校じゃなくて海で話そう!」
「え?」
なんか特別な理由があるのかな......?
どうして海になんか......?
そう聞こうと思ったが、夜瀬さんは鞄を肩にかけ、行く準備万端な様子で俺を見ていた。
「いいよ、行こうか!」
鞄を持ちながらそう言った。いや、そう言うしかなかった。
学校を出て海までの道。日差しが暑く感じる。
こんなゆっくり夜瀬さんと話すの久しぶりだなー、ってえ?!
俺はよくよく考えた。
2人っきりで海に行くなんて、付き合ってもないのになんか付き合ってるみたいで緊張する......。
チラッと隣を歩く彼女を見る。
日差しが彼女を照らし、彼女の白い肌がより白く見えた。
すると彼女は俺の方を見た。
目が合う。
彼女の笑顔に思わずドキっとしてしまう。
「ねえ白川くん!連絡先交換しよう!またピアノとかも聞いてもらいたいし!それに......色々不便だし!」
「え、連絡先?」
「うん!」
ん?え?連絡......先......って言ったか?
俺は焦った。
高校に入って、男子となら連絡先を交換したことがある。しかし女子はなかったから戸惑った。
でも以前よりも距離は縮まって親しくなった。
友達なら連絡先を交換するのは当たり前だよな......?
それに俺も、もっと夜瀬さんのつくる音楽を聞きたい、夜瀬さんについてもっと知りたい、そう思った。
「うん、いいよ」
「やった!」
〈♪ピロン〉(交換した音)
「ありがとう!白川くんと同じクラスになって、こんな風に仲良くなれて本当によかったなー。これからもよろしくね!」
彼女は俺の前に立って片手を出し、握手を求めた。
「こちらこそ、改めてよろしく」
俺は彼女の手を握った。彼女の細い指に触れた。
あっ......!
俺は始業式の朝、彼女が俺の手を引いて走ったことを思い出した。
ますます俺の心臓は高鳴る。
彼女を見ると、そのお花のような柔らかな笑顔が綺麗で、俺には眩しく思えた。
20分ほどで海岸沿いに着き、少し歩いた。
そして、海と空が見渡せる砂浜へと続く広い階段に俺たちは腰かけた。
「ねえ見て、白川くん!この夕焼けの空!この時間帯が1番綺麗に見えるんだよね!この夕焼けを白川くんと一緒に見たくて今日海に誘ったんだ。最近は日が長いから今日6時間目まであってちょうどいい時間じゃんって思ったの!」
俺も彼女に続いて空を見上げた。
なぜか切なくなった。
同じ時間に、同じところにいるはずなのに、同じ感情ではない。
同じってなんだ?
そんなことを考えながら横から見える彼女の瞳を見ると、かすかな黄色と灰色と白色が見えた。
そんな彼女を見て、俺は初めて「誰かと空と海の色や、今の感情を共有してみたい」と思った。
俺の見える世界はみんなとは違うこと。
この空に準えた夕焼けの空を青ではない色を使って描いてみたい。
こんな俺を受け止めてくれる人はいるのだろうか。
そんな叶うはずのない思いを隠して、
「そうなんだ!今見れてよかった、今日ここに来れてよかった!」
彼女にこの思いを溢さぬよう、目を合わさずにそう言った。
すると、彼女が何かを思い出したかのようにゆっくりと俺の方に顔を向けた。
「ねえ、この空を見て思い出したんだけど......あのー、ずっと気になっていたんだけどさ、白川くんの油絵具のセットの中って、赤とか橙とかの明るい色入ってなかったよね?なんで?絵を描くっていってもたくさんの色使うよね?ねえどうして?」
俺は彼女の方を向かなかった。いや、向けなかったんだ。
どうしよう......なんて答えたらいいんだ。
『使いたいけど怖い』
『でも、本当はたくさんの色を使ってこの空を描いてみたい』
『でも、俺の見える世界はみんなとは違う。だって俺は......』
そんなことは到底言えるわけがない。
「ねえなんで?教えてよ!なんか特別な理由があるんでしょ?」
彼女は不思議そうにぐいぐい聞いてきた。
なんでこんなに興味津々で聞いてくるんだ。
そんなの聞いてどうするんだ。
前にも言ったじゃないか。
青い空が1番好きだって。
青色は心を落ち着かせるって。
もう......嫌だ......何にも聞かないでくれよ。
俺は群青色の世界でしか描いちゃいけないんだよ。
俺は思わず、
「そんなこと夜瀬さんに関係ないじゃん。自分が使いたい色を使って何が悪いの?」
「......ごめん、知りたくなっちゃって......でもさ!こんな風な赤とオレンジを使った夕焼けの空も、白川くんに描いてほしいなって思ったの!青色ばっかじゃもったいないよ!」
彼女の言った言葉が、俺の頭の中を巡った。
そんな簡単に描けるもんじゃないから。
青色ばっか......ってなに?
使いたいけど怖いんだよ!
描きたいけど怖いんだよ!
この思いが一生誰にも分かってもらえないんだろうな。
彼女のたくさんのことに目を輝かせているのを見て、少し妬ましく思ってしまった。俺は我慢していることがあるのに......いいなって......。
俺の心はどんどん締めつけられていった。
俺はそんな彼女の言葉を、どんな言葉も見えなくなってしまいそうな群青色でかき消した。
「俺の気持ちなんかちっとも分からないのになんでそんなこと聞くの?......夜瀬さんはさ、空に海にクラリネットにピアノ。好きなものがたくさんあっていいよね。夜瀬さん努力しなくてもなんでもできそうだもんね。部活とかもさ、3年生2人で自由な感じだからどうせちょっとサボって絵を見に来たりして。吹奏楽部ってどうせ楽譜見てそれ通りに座って吹いているだけでしょ......」
吐き捨てるようにそんな言葉を言った後、彼女を見ていなくとも自分がどれだけ酷いことを言っていたことに気がついた。
嘘だ......そんなことは思っていない。
ごめん......違うんだ。
そう思った時にはもう遅かった。
彼女の方に顔を向けた。
向けた瞬間、彼女と目が合った。
「そうだよね......。ごめんね。わたし余計なこと言っちゃったよね。絵なんて何にも分からない人に言われたくなかったよね......本当ごめんなさい......」
彼女は無理に口角を上げてそう言った。
彼女の目には溢れ出しそうな涙が溜まっていた。
その涙には俺と、灰色と茶色く濁った空がかすかに反射していた。
「......ごめん、わたし帰るね」
涙が溢れそうな瞬間、彼女はそう言って走って行ってしまった。
彼女からお花のような柔らかな笑顔を奪ってしまった。
彼女の顔から急に色が消えたような感じがした。
ごめん楓。
俺には話す人が増えるということは、傷つける人が増える、ということだったのかもしれない。
俺は前を向いた。
思わず、目の前に広がる空と海に飲み込まれそうになった。
俺は、今までにないくらいの重い足取りで家へと帰った。
今日は家がとてつもなく遠く感じた。