私は反射的に振り向いてしまう。すると、鋭利な切っ先が喉元ぎりぎりのところで動きを止めた。その先端からは、冷気が伝わってきた。
 ──氷の剣だ。私はごくりと息を呑むと、体を硬直させる。

「な……んで……?」

 理解が追いつかず、私は呆然としながらそう呟いた。

(なんで、オリバーがこんなことを……)

 動揺している私をよそに、彼は静かに口を開いた。

「ある方の命令です。……私だって、本当はこんなことしたくないんですよ」

「……! それなら、どうしてその人の言いなりになっているの……?」

 混乱しつつも、何とか会話を試みる。
 すると、オリバーは少し悲しそうな笑みを浮かべて答えた。

「理由は聞かないでください。私の要求はただひとつ。役目を終えたコーデリア様に自害をして頂くことです。もし、その要求が受け入れられないのであれば──力ずくであなたを殺すしかありません」

「……!」

 その言葉に衝撃を受けた私は、押し黙った。

(そんな……)

 オリバーの冷たい視線と突きつけられた剣先を見て、心臓が早鐘を打つのを感じた。
 彼は本気だ。本気で私を殺そうとしている。その事実を目の前にして、恐怖と悲しみが入り交じった感情で胸の中が一杯になった。

「コーデリア様!」

 そんな私を見て、エマが前に進み出た。そして、オリバーに向かって怒声をぶつける。

「オリバー! あなた、一体何を考えているの!? コーデリア様を殺すだなんて……正気とは思えないわ!」

「エマ、君は黙っていてくれ」

 オリバーはそう言って、エマを牽制する。

「……っ!」

 その鋭い眼光に気圧されたのか、エマはそれ以上何も言えずに黙り込んでしまった。

「コーデリア様、早く決断してください。お願いします」

 オリバーはそう言って私に視線を戻す。光を失ったその瞳からは、何の感情も読み取れなかった。

「──させるか!」

 不意にそんな声が響いたかと思えば、ジェイドが炎の玉を放ってオリバーを攻撃する。彼は瞬時に反応し、氷の盾を出現させるとそれを防いだ。

「コーデリアに自害しろ? それができなければ、殺すだと? ……ふざけたことを言うな!」

 ジェイドは激昂しながらそう叫ぶと、オリバーに鋭い視線を向ける。
 だが、ジェイドの言葉を受けてもなお、オリバーの表情に変化はなかった。ただ静かに彼を見据えているだけだ。

(どうしよう……)

 私はこの状況に混乱していた。まさか、こんなことになるなんて思いもしなかったからだ。
 そうやって、しばらく対峙した状態で睨み合っていると──やがて、オリバーは観念するかのように静かに目を閉じた。

「……やっぱり、できない。あなたを殺すことなんて、できるはずがない」

 オリバーは、震える声でそう言った。
 そして、力なく膝から崩れ落ちる。その表情には深い落胆の色が見て取れた。
 どうしたらいいかわからず、困惑していると、突然背後から怒声が聞こえてきた。

「──どうして、その女を殺さないのよ!!」

 驚いて振り返れば、そこには見覚えのある少女が立っていた。
 ──ビクトリアだ。自身の片割れであり、同時に憎むべき存在。彼女は、怒りの形相でこちらを睨みつけていた。

「ビクトリア……? どうして、ここに……?」

 私は動揺しつつも、何とか言葉を絞り出すようにして尋ねた。
 しかし、ビクトリアは質問には答えず、視線をオリバーの方に向ける。

「はぁ……本当に役立たずね。任務に失敗したってことは……どうなるか、分かっているんでしょうね?」

 ビクトリアは呆れたようにそう言うと、オリバーを睨みつける。すると、彼は懇願するように声を上げた。

「お願いします! どうか、それだけは……!」

 悲痛に満ちた表情を浮かべるオリバーを見て、ビクトリアは嘲笑する。

「どうしましょう? だって、できないんでしょう? それなら、()()に犠牲になってもらうしかないわよね?」

 ビクトリアは楽しそうに笑うと、エマの方を見た。
 その表情には、狂気が浮かんでいる。

(彼女って……もしかして、エマのことなの?)

 詳しい事情はわからないが……ビクトリアの話しぶりから察するに、恐らくオリバーはエマを人質に取られて脅されているのだろう。
 そして、彼女を助ける条件として私の命を奪うように命令された。
 とはいえ、異界の門を閉じる前に死なれてしまっては困る。
 だから、きっと「コーデリアが役目を終えたタイミングで殺せ」と指示を受けたのだ。
 ──そう考えると、辻褄が合う。

「オリバー……一体、どういうことなの? 詳しく話して」

 エマは困惑した様子でそう尋ねる。そんな彼女に向かって、オリバーは悲痛な面持ちで口を開いた。

「……君には、ある呪いがかけられているんだ」

 オリバーはそう切り出すと、ラザフォード家がユリアンによって断罪された日のことについて語り始めた。
 あの日、ビクトリアを含むラザフォード家の面々は全てを失った。財産も、名誉も、地位も、何もかもだ。
 一家全員が失意のどん底に叩き落とされた。その中でも、ビクトリアの失意は特に深いものだった。
 ラザフォード家の長女として生まれ、何不自由なく暮らしてきた彼女にとっては、まさにこの世の地獄だったのだろう。

 そして──自暴自棄になったビクトリアは、私への復讐を企てた。
 そのためには、比較的私に近い存在で、尚且つ使い勝手の良い駒が必要だったのだ。
 そこで、オリバーに目をつけたビクトリアは秘密裏に彼と接触を図ったのである。
 当然、オリバーは最初は断ったそうだ。……しかし、最終的にはエマを人質に取られたことで協力せざるを得ない状況に追い込まれたのだという。

 エマがかけられた呪いというのは、言わば時限爆弾のようなものだった。
 ビクトリアの手によって呪いをかけられたエマは、その期限を過ぎると死に至ってしまう。
 私とエマの命を天秤にかけ、オリバーは苦渋の決断をしたのだという。
 オリバーにとって、エマはかけがえのない幼馴染だ。彼は、普段はあまり感情を表に出さないタイプではあるけれど、エマへの思いがどれほどのものなのかは計り知れない。

 しかし、いざ私を殺そうとした時に、オリバーは躊躇ってしまった。
 その様子をこっそりと後をつけて見張っていたビクトリアは、とうとう痺れを切らして私たちの前に現れた──というのが事の顛末だったようだ。

「ふん……もういいわ、オリバー。あなたみたいな腰抜けには頼らないから。……こうなったら、自分でやるわ」

 ビクトリアはそう吐き捨てるように言うと、私に鋭い視線を投げかける。
 よく見てみれば、彼女の目は血のように真っ赤だった。まるで獲物を狙う獣のようにぎらつき、瞳孔が大きく開いている。

「あの目の色は……」

「──恐らく、さっきのヒュームがビクトリアに取り憑いたんだろう。彼女の中にある強い憎悪や復讐心に、ヒュームが同調してしまったんだ」

 隣にいるジェイドが、険しい表情で呟いた。

「取り憑いた……?」

 驚いて聞き返すと、ジェイドは静かに頷く。

「ああ、そうだ。ヒュームは、稀に人の精神に干渉して取り憑くこともあるらしい。フランツが気をつけろと教えてくれたんだ」

「そんな……」

 私は愕然としながら呟く。

「ラザフォード家が代々契約してきた『異界の悪魔』というのは、きっとヒュームのことなんだろう。……そんな厄介な相手がビクトリアに取り憑いているとなると、一筋縄ではいかないだろうな」

 ジェイドの言葉に、私は思わず息を呑んだ。

「お喋りはその辺にしておきなさい。そろそろ、始めるわよ」

 ビクトリアはそう言って不敵に笑うと、こちらに向かって歩いてくる。
 そして、彼女は手のひらに黒い炎を生み出すと、それをこちらに向けて放ってきた。
 私は慌てて立ち上がると、冷気の嵐を発生させ相殺を試みる。すると、彼女は舌打ちをして氷の剣を生成し、物凄い速さで斬りかかってきた。

「なっ……!」

 予想外の速さに、反応が遅れそうになる。咄嗟に魔法障壁を展開することで斬撃を防ごうとするものの、力負けして弾き飛ばされた。

(くっ……!)

 地面に倒れる直前に何とか受け身を取った私は、再びこちらに向かって走り寄ってきた彼女に対応しようとする。けれど、そんな私の前にジェイドが立ち塞がり、彼女に向かって魔法を放った。
 直後、炎の竜巻が発生する。その竜巻がビクトリアに直撃した瞬間、彼女の体は高く巻き上げられた。
 しかし──突然彼女の頭上に黒い雲が立ち込めたかと思えば、それが雷雨となって降り注いだ。
 ビクトリアの体を巻き上げていた炎の竜巻は、激しい雨によって一瞬のうちにかき消されてしまう。そして、彼女の体は地面に打ち付けられた。

「……っ! 消されたか!」

 ジェイドは苦々しい様子でそう呟く。
 ビクトリアは所々に火傷を負っているものの、平然とした顔でむくりと起き上がる。
 恐らく、咄嗟に魔法で全身を防御して熱から体を守ったのだろう。

「……あなた、邪魔なんだけど」

 そう言って、ビクトリアはジェイドに向かって黒い炎の玉を放つ。

「っ……!?」

 突然のことだったせいか、ジェイドは回避しようとするも間に合わず、防御の姿勢を取った。
 炎の玉はジェイドに直撃し、勢いよく弾き飛ばされた。彼はそのまま地面に倒れ込む。

「ジェイド様!」

 駆け寄ろうとした瞬間、ビクトリアが放った黒い炎の玉がそれを阻むように私の足をかすめる。

「コーデリア……お前だけは絶対に許さないわ。私の人生をめちゃくちゃにした罪、その身で償いなさい!」

 恍惚の笑みを浮かべるビクトリアの手には、既に氷の剣が握られている。
 彼女は狂気に満ちた瞳でこちらを見据えると、恐ろしい速さで攻撃を仕掛けてきた。