「殿下。もしかしたら、その犬は現在ウルス家で保護している犬かもしれません」

「え……?」

 目を瞬かせるユリアンに、ジェイドは経緯を説明する。
 その犬がレオンであるという確証はないが、可能性は高いだろう。

「そうか……そんなことが……。つまり、エリオットはビクトリアを嫌うあまり彼女の元から逃げ出し、今は公爵邸で保護されていると──そういうことだな?」

 ジェイドも、流石にユリアンの婚約者であるビクトリアのことを悪く言うのは気が引けたようだ。
 でも、経緯を説明する上でそれは致し方なかった。
 必然的に、私が長年家族から虐げられていた事実も説明せざるを得なかったわけだが……ユリアンは、それに関しても疑うことなく信じてくれた。

「はい。私たちはずっと彼のことをレオンと呼んでいました。こちらから彼の本名を聞いていれば、もっと早く殿下の弟君であることに気づけたかもしれませんね。……申し訳有りません」

 そう言って、ジェイドは頭を下げた。

「いや、君は悪くないよ。どうか、頭を上げてくれ。それよりも──」

 そこまで言って、ユリアンは言葉を詰まらせた。

「ビクトリアの本性を見抜けず、あろうことか彼女を婚約者として選んでしまった僕のほうが余程愚かだ。そっちのほうが大問題だよ」

「いえ、そんなことはありません。私自身、殿下はとても素晴らしい方だと思っています。日頃から、国民のためを思って行動してくださっていることも知っています。ビクトリア嬢は、そんな殿下の優しさに付け込んだのですよ」

 ジェイドがそう言うと、ユリアンは首を横に振った。

「いや、僕のせいだ。僕がもっとしっかりしていれば、こんなことにはならなかったはずだ。……この落とし前は、必ずつけさせてもらうよ」

 ユリアンはそう言うと、私とジェイドの顔を交互に見た。
 その瞳からは、強い意志が感じられる。

「とにかく、今は城門前にいる犬を確認しに行くのが先決だ」

「私もお供します」

 ジェイドが名乗りを上げると、ユリアンは頷いた。

「ああ、頼むよ。コーデリアも来てくれるかい?」

「はい、勿論です」

 私は力強く頷いた。そして、私たちは執務室を出て急いで城門前へと向かう。

「殿下! どうしてここに……?」

 兵士は、突然やって来た私たちを見て驚いていた。

「ああ、実は犬が迷い込んだと聞いてね。ちょっと様子を見に来たんだ」

 ユリアンはそう言って微笑むと、兵士たちに尋ねる。

「それで? その犬というのはどこに?」

「あちらです」

 兵士が指差した方向を見れば、格子の向こう側で一匹の犬が門番たちに向かって何かを訴えるように吠えていた。

(やっぱり、レオンだわ……!)

 そう思いつつも、私はノートと自分が発明したペンを手に持ちながら城門の方へと駆け寄る。

「レオン! どうして、あなたがここにいるの!?」

 そう叫べば、レオンが私のほうを見て嬉しそうに「ワン!」と吠えた。

『あっ! コーデリアだ!』

 何とも無邪気な返答に、私は思わず脱力した。

「コーデリア、もしかしてその犬が……?」

 ユリアンがそう尋ねてきたので、私は頷いた。

「はい、レオンです。ビクトリアの元から逃げ出してきて以来、ウルス家で匿っていました」

「……! ということは……」

 ユリアンはそう言いながら、レオンのほうを見やる。
 彼と目が合った途端、レオンは「ワンワン!」と尻尾を振りながら嬉しそうに吠えた。

『兄様!』

 慌ててノートを見れば、ペンはそう書き綴っていた。
 それを見るなり、ユリアンは目を見開く。そして、門番たちに指示を出した。

「門を開けてくれ。……どうやら、その犬は僕の弟──エリオットらしい」

「えっ!? ……承知致しました!」

 門番たちは驚きながらも、門を開けた。

『兄様! 会いたかった!』

 城門が開いたのを確認するなり、レオンはユリアンの胸に飛び込んだ。

「ほ、本当にエリオットなのか……?」

『そうだよ! 兄様!』

「エリオット……!」

 ユリアンは、感極まった様子でレオンを抱きしめた。

「良かった……もう二度と会えないかと思っていたよ」

『ごめんなさい……本当は、もっと早く城に帰りたかったんだ。でも、こんな姿だからなかなか帰れなくて……』

「ああ、分かってる。詳しいことは後でゆっくり聞くから、とりあえず中に入ろうか」

 ユリアンがそう言ったので、私たちは一先ず城内へと戻ることにした。
 レオンにどうやってここまで来たのかと尋ねれば、「たまたま王都行きの荷馬車を見かけて、荷物に紛れ込んだんだ」と経緯を説明し始めた。

「どうして、そんなことをしたの?」

『コーデリアが心配だったからだよ。また、ビクトリアに危害を加えられるんじゃないかって思ったから……』

 だから、レオンは一大決心をして王都に駆けつけたのだという。
 自分の正体がエリオットだと分かれば、ユリアンに私を守ってもらえる──そう考えたそうだ。
 執務室に戻るなり、ユリアンはレオンに尋ねる。

「とにかく、ジェイドとコーデリアの説明のお陰で大体の経緯は把握できたけれど……なぜ、商家の夫婦の元でご厄介になっていたんだい?」

 確かに、それに関しては私も知らない。
 一体、どうしてレオンは平民の夫婦の元で暮らしていたのだろう? それも、王都から離れた場所で。
 考えれば考えるほど不可解だった。

『それは……』

 レオンはそう言うと、これまで自分の身に起きたことを語り始めた。
 なんでも、その日レオンはお忍びで城下町に遊びに来ていたそうだ。
 彼ぐらいの歳だと、遊びたい盛りだろうし王城での暮らしは退屈だったのだろう。
 そんな時、運悪く誘拐犯の一味に遭遇してしまった。
 その一味は、貴族の子供を攫っては身代金を要求している悪質な連中だったらしい。

 レオンはその一味に捕まったものの、隙を見て逃げ出すことに成功した。
 とはいえ、そこは見知らぬ土地。自力で王都に帰ることもできず途方に暮れていたところ、商家の夫婦に拾われたとのことだった。
 つまり、レオンは二度も悪い大人たちに捕まって食い物にされてしまったのだ。
 犬の姿に変わってしまったとはいえ、こうして今も命があるのは不幸中の幸いだろう。

「なるほど……誘拐された先がウルス領だったのか」

 ジェイドがそう言うと、レオンは深く頷く。

『うん』

「そこまでは分かったが……なぜ、何年もその夫婦の元で暮らしていたんだ? 夫婦に事情を話せば、すぐに城に戻れたかもしれないのに」

 ジェイドの疑問に、レオンは目を伏せる。

『おじさんとおばさんは昔、子供を亡くしているんだ。そのせいか、僕を実の息子のように大切にしてくれて……』

「とてもじゃないけれど、『実は、自分はレヴァイン王国の第二王子なんです』なんて言い出せなかった──というわけか」

 口籠ってしまったレオンの言葉を補足するように、ジェイドが続ける。

『……うん、ごめんなさい』

「責めてるわけじゃないよ。エリオットは優しいからこそ、なかなか正体を明かせずにいたんだ。胸を張っていい」

 ユリアンはそう言って、レオンの頭を撫でた。

「それで……結局、なぜエリオットがこのような姿になったのかは分からずじまいなのかい?」

 ユリアンは私たちのほうに向き直ると、そう尋ねてきた。

「ええ、詳しいことは不明です。何しろ、エリオット様ご自身が全く心当たりがないと仰っていますから」

 ジェイドはそう答えると、首を横に振った。

『あ、でも……そういえば』

 不意に、レオンが何かを思い出したかのように語り始める。

『具合が悪くなる直前に変な魔物を見たんだ』

「変な魔物?」

『うん。その日は、おじさんの手伝いでメルカ鉱山の近くまで行ったんだけど……一人でいる時に、真っ黒な体を持つ変わった魔物と遭遇してしまったんだ。慌てて逃げたから、何とか襲われなかったけど』

「もしかして、その魔物って……」

 そこまで言うと、私はジェイドの方をちらりと見た。