「君の名前は、コーデリアだったな?」

 そう問いかけられ、私はハッと我に返る。

「は、はい!」

「俺のことは、ジェイドと呼んでくれて構わないよ」

「え……? よ、よろしいのですか?」

「勿論。というか、夫婦になるのだから名前で呼び合うのは当然だろう?」

 まさか、名前で呼んでもいいと言われるなんて思いもしなかったから面食らってしまう。
 とはいえ、流石に呼び捨てにはできない。

「そ、それでは……ジェイド様とお呼びしますね」

 すると、なぜかジェイドは少し不服そうな顔をした。

「ん……? まあ、今はそれでいいだろう」

 その言葉に違和感を覚えて、私は首を傾げた。
 それにしても、噂とは真逆の人物だ。今のところ、常識人にしか見えない。

「それじゃあ、早速だが話を始めよう」

 そう言うと、彼は真剣な表情を浮かべた。私は気持ちを引き締める。
 すると、ジェイドは話を切り出した。

「まずは、なぜ俺がこのような姿になったのかについて説明しておこうと思う」

 そう言って、ジェイドは静かに語り始めた。
 一体、彼はどんな事情があって、こんな姿になったのだろう。
 私だって忌み子と揶揄される容姿を持っているため他人のことは言えないが、それでも彼がどうしてこうなったのか非常に気になった。

「俺がこのような姿になってしまった原因は──恐らく、瘴気のせいだ」

「え……? 瘴気、ですか……?」

 聞き慣れない言葉に、私は思わず困惑する。
 ジェイドは苦虫を噛み潰したような顔を浮かべると、忌々しそうに呟いた。

「やはり、知らなかったか。ならば、そこから説明する必要があるな」

「申し訳ございません……」

 ジェイドの態度を見る限り、かなり重大な問題らしいことが伺える。
 私が謝罪を口にすると、彼は首を横に振った。

「いや、謝らなくていい。知らなくて当然だ」

 それから、彼は詳しい経緯を説明してくれた。

「ウルス領は鉱山をいくつか所有しているんだが、この辺り一帯は特に良質な鉱石が多く採れることで知られているんだ」

「あ、そのことなら存じております」

 私が住んでいた地域でも様々な装飾品として加工されているくらいだし、とても有名なことだ。

「しかし、数年前から採掘量が目に見えて減ってしまってな。というのも、鉱山内に魔物が棲み着くようになったことが原因なんだ。しかも、その魔物たちは見たこともないような強力な個体ばかりで……」

「そうだったんですね……」

「そこで俺は、魔物が棲み着くようになった理由を突き止めるために調査隊を派遣したんだ。ところが……」

 そこまで口にしたところで、彼の瞳が大きく揺れ動く。どうやら、何かあったようだ。

「──戻ってきた隊員は、僅か数人だけだった」

「えっ……」

 衝撃的な事実に、私は絶句してしまう。

「それから、数週間後のことだった。今度は、領民たちが次々と体調不良を訴え始めたんだ」

「領民たちが……?」

「ああ。最初は咳や発熱といった風邪のような症状だけだったが、徐々に悪化していき──最終的には、獣の姿へと変わり果ててしまったんだ」

 生還した隊員曰く、鉱山内では大量の瘴気が発生しているらしい。
 その瘴気の発生源を突き止めようと鉱山の奥に進んだところ、運悪く魔物に襲われてしまったそうだ。

「そんな……」

 あまりにも非現実的な出来事の連続に、私の頭は混乱していた。

「その後、領内の至るところで同じような現象が起き始めてな。今では、すっかり手遅れの状態になっている。前述の通り、鉱山内で発生している瘴気が街にまで流れ込んできたことが原因ではないかと言われているが……」

 ジェイドは拳を強く握りしめながら話を続ける。

「つまり、領内で奇病が流行っているということでしょうか……?」

 恐る恐る尋ねると、彼はこくりと頷いた。

「ああ、その通りだ。この奇病は、『獣化の病』と呼ばれている」

「なるほど……。ジェイド様も、その病に罹ってしまったのですね」

 私がそう言うと、彼は「ああ、そうだ」と頷く。
 聞けば、ジェイドがその奇病に罹ったのは二年ほど前なのだという。

「あの時は、まさか自分がこんな姿になるとは思わなかったな」

 彼は自嘲気味に笑うと、ぽつりと呟いた。私はかける言葉もなく黙り込んでしまう。
 ふと、ジェイドがこちらに視線を向けたのが分かった。
 一体何を言われるのだろうと身構えていると、質問を投げかけられた。

「コーデリア。俺のことは怖くないか?」

「え……?」

「いや、その……元々は人間だったとはいえ、今はこんな姿だからな。やはり、怖いのではないかと心配になったんだ」

 私は思わず目を丸くしてしまった。

(いや、全然怖くないし、寧ろ可愛いです……!)

 そう……今すぐ抱きついて、もふもふしたい衝動に駆られるほどに。
 しかし、流石に馬鹿正直に答えるわけにはいかないのでぐっと堪えた。

「いえ、そんなことありませんよ」

「ほ、本当か? 無理をしなくてもいいんだぞ」

「本心ですよ!」

 私は、きっぱりと言い切る。すると、ジェイドはほっとしたような表情を浮かべた。

「そ、そうか……それを聞いて安心した」

「ふふ、良かったです」

 ジェイドが目を細めて笑ったのを見て、私は緊張の糸が解けていくのを感じた。
 けれど、同時に頭にある疑問がよぎった。領内で奇病が流行っているということは、私もその病に罹る可能性があるのだろうか。
 そう考えていると、ジェイドがその疑問を払拭するように語り始めた。

「ああ、それから……まず安心してほしいんだが、君がこの奇病に罹る可能性は低い」

「え……? どうしてですか?」

「最近になって色々わかってきたんだが、どうやら他の地域から移住してきた人間はこの奇病に罹り難いらしいんだ」

「そうなんですか……?」

「ああ。というのも、この地域は他の地域よりも空気中のマナの濃度が高くてな」

「マナ……ですか?」

 魔力に恵まれず、学院でも魔法について学んで来なかった私は思わず首を傾げる。

「簡単に言えば、魔法を使うために必要なエネルギーのようなものだ。この地域で生まれた人間は、そのマナを体内に多量に取り込みながら育ってきたんだよ。そのことが、瘴気に当てられる原因になっているんじゃないかと言われているんだ。一般的に、マナが少ない地域で生活していた者のほうが病気に対する抵抗力が高いという研究結果もあるしな」

「なるほど……」

 確かに、言われてみれば納得できる部分もあった。
 この辺りは、ウルス領の中でも特に自然豊かな場所だ。だから、空気中に漂うマナの量も他と比べて多いに違いない。

「つまり、私は外部から入ってきた人間だからその奇病に対する抵抗力があるということですよね?」

 私が確認すると、ジェイドは頷いた。

「そういうことだ。それに、感染する病気ではないから獣化した者との接触も問題ない」

「わかりました。あの……その病気の治療法は見つかっていないんですか?」

「……残念だが、今のところ見つかっていない」

 ジェイドは、苦々しい面持ちを浮かべる。

「領内の現状はこんなところだ。さて、もう一つの話だが……」

 そこまで言いかけたところで、ジェイドは急に黙ってしまった。一体どうしたのだろうか。
 不思議に思って顔を見つめていると、彼はどこか迷う素振りを見せながら口を開いた。