ビクトリアとイザベルは、ある有名な獣医師がいる動物診療所に行くためにウルス領を訪れていた。
というのも、ビクトリアの愛犬であるレオンが病気になってしまったからだ。
「ちょっと、イザベル! 本当にこの道で合ってるの!?」
「え、ええ……恐らく、合っているとは思うのですが……」
「恐らくって……まさか、道に迷ったなんて言わないわよね!?」
ビクトリアは怒号を上げると、イザベルに詰め寄った。
すると、イザベルは「ま、まだ迷ったと決まったわけではないので……」と、しどろもどろになりながら答える。
その様子に、ビクトリアは苛立ちを募らせていった。
「全く……よりによって、あの愚図の嫁ぎ先の領地で迷子になるなんて……」
ビクトリアの言う「愚図」とは、勿論コーデリアのことである。
(それにしても、未だに信じられないわ。まさか、ユリアン様があいつを褒め称えるなんて……)
先日の出来事を思い出し、ビクトリアは歯噛みする。
コーデリアは、家族だけでなく他の貴族たちからも評判が悪く疎まれている存在である。そんな彼女を、まさか自分の婚約者であるユリアンが褒めるとは思わなかったのだ。
そればかりか、「色々と悪い噂が立っているようだが、何かの間違いではないのか? あのような画期的な発明をする才女を、なぜ父上は今まで放っておいたんだろう?」などと言い出す始末だ。
ユリアンの考えが理解できないビクトリアは、苛立ちを募らせるばかりだった。
(魔導具を発明したらしいけれど……そんなの、偶然に決まっているわ)
そう心の中で呟きつつ、ビクトリアは拳を握りしめる。
「お、落ち着いてください! きっと、もう少しで到着するはずです!」
「はぁ……もう、いいわ。地図を貸しなさい」
コーデリアも役立たずだったが、この使用人──イザベルも筋金入りの役立たずだ。
そう思いつつ、ビクトリアはひょいっとイザベルの手から地図を奪い取った。
「ビクトリア様!?」
「全く……地図すら読めないなんて、本当に使えないわね」
そうぼやきながら、ビクトリアは地図と睨めっこをする。
けれど、ビクトリアは今まで一人で街を探索した経験など一度もなかった。だから、地図の見方はおろか、現在地すら理解できていなかったのだ。
そんな自分を嘲笑うかのような太陽に、ビクトリアは苛立ちを感じていた。
(日差しも強いし、嫌になるわ。ああ、もうっ! どうして、こんなことになっているのよ!)
道に迷ったせいで、ビクトリアはすっかり頭に血が上っていた。
ふと、リードに繋がれているレオンのほうに視線を移してみる。何とか歩けてはいるものの、やはりその足取りは覚束ない様子だった。
(レオン……大丈夫かしら……)
ビクトリアは思わず泣きそうになってしまうが、必死に涙を堪えた。
怪我なら魔法で治せるが、やはり病気となると獣医に診せるしかないのだ。
「大丈夫よ、レオン。もう少しの辛抱だから」
そう言いながら、ビクトリアはレオンの頭をそっと撫でた。
「あの、ビクトリア様。ご無理なさらないほうが……」
「うるさいわね! 一体、誰のせいでこんなことになってると思ってるのよ!」
イザベルの心配をよそに、ビクトリアは声を荒らげる。
「も、申し訳ございません!」
イザベルは申し訳なさそうに頭を下げた。
(そういえば、コーデリアは地図を読むのが得意だったわね……)
今思えば、コーデリアは外出する際、従者を連れて行ったことがなかった。
それもそのはず。使用人は皆、忌み子と呼ばれ疎まれている彼女の付き添いをするのを嫌がったからだ。
そのため、コーデリアはどこへ行くにも一人で行動していたのである。
(ふん……まあ、日頃から従者を連れて歩いていなかったんだから、地図が読めるようになるのも当然よね)
自分が地図を読むのが苦手なのは、それほど大切に育てられたからである。断じて、コーデリアより能力が劣っているからではない。
ビクトリアは自身に言い聞かせるようにそう結論付けると、再び地図に視線を戻そうとする。
その瞬間、ふと少し離れたところに人だかりができていることに気づく。
「ん……? 何かしら?」
よく見てみれば、そこには出店があった。その店先で人が列をなしていたのだ。
どうやら、魔導具を売っている店のようだ。
(魔導具屋……? 別に、珍しくもなんともないけれど、どうしてあんなに並んでいるのかしら……?)
不思議に思ったビクトリアは、その店に近づいてみることにした。
「ちょっと、あの店を見てくるわ。レオンのことは頼んだわよ」
そう言って、ビクトリアはリードをイザベルに持たせると、一目散に駆け出したのだった。
背伸びをしつつ、その店を眺めていると──そこには、見覚えのある少女の姿があった。
(コーデリア……!?)
遠目ではっきりとは見えないものの、自分の妹に似ている。
どうやら、彼女は何かの商品を勧めているらしく、熱心に何か説明しているようだ。
そして、そんな彼女の周りには人だかりができており、皆がコーデリアに注目しているのである。
ビクトリアは、思わず目を疑った。あの能なしの出来損ないが、どうしてあんな風にちやほやされているのだろうか?
(どういうことなの……? どうして、こんなところにあの愚図が……)
「ビクトリア様! 一体どこへ行かれるんですか!?」
後方からイザベルの呼ぶ声が聞こえるが、ビクトリアはそれどころではなかった。
そのまま人混みをかき分け、その中心に入り込む。どうやら、コーデリアは客と商談を行っているようだ。
「さすが、領主様が選んだお方だわ。まさか、あんな凄い魔導具を作り出してしまうなんて」
「本当よね。それに、あんなに可愛らしい容姿をしていらっしゃるのに博識で、そのうえ謙虚な性格なんて最高じゃない」
「お似合いの二人よね。領主様も、本来の姿は類い稀な美丈夫だものね」
「実はね……私、ついこの間、お二人が一緒に歩いているのを目撃しちゃったの。その時、公爵様は人間の姿に戻っていたのだけれど──」
(は……?)
近くにいる女性二人がそんな会話をしていたため、ビクトリアは思わず耳を疑った。
(う、嘘よ……だって、コーデリアが嫁いだのは獣の姿に変わり果てた醜男のはずでしょ……? 人の姿に戻っていたって……一体どういうことなのよ?)
ああでもないこうでもないと混乱していると、不意に背後から肩を叩かれた。
「ビクトリア様! 大変です!」
「何よ! うるさいわね! 今、考え事をしている最中だから邪魔をしないで頂戴!」
苛立ちが募っていたせいか、ビクトリアはつい声を荒らげてしまった。
「も、申し訳ございません! しかし、その……レオンが……」
「何? レオンがどうしたって言うのよ?」
そう返すと、イザベルは言いづらそうにしながらも、こう告げてくる。
「──レオンがいなくなってしまったんです」
「は……?」
ビクトリアは一瞬、イザベルが何を言っているのか理解できなかった。
「な、なんで……? どうしてそんなことになるのよ? 私、確かにあなたにリードを持たせたわよね? まさか、目を離している間に逃げたっていうの?」
「い、いえ……その……」
イザベルは口籠っている。その様子に苛立ちを覚えたビクトリアは、思わず語気を強めた。
「はっきり言いなさい! 一体、何があったって言うのよ!?」
すると、イザベルは意を決したように話を切り出した。
「……リードが千切れてしまったんです。慌てて制止したのですが、レオンはそのまま私を振り切って走り去ってしまって……」
「は、はぁ……!?」
ビクトリアは、思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。
「リードが千切れたって……何よ、それ?」
まるで意味が分からない。ビクトリアは、思わず頭を抱えてしまう。
「正直、私も何が起こったのか分かりませんでした……」
「そんな……嘘でしょ……」
ビクトリアは、呆然と立ち尽くすしかなかった。
まさか、レオンが自分の元から逃げ出すなんて夢にも思わなかったからだ。
というのも、ビクトリアの愛犬であるレオンが病気になってしまったからだ。
「ちょっと、イザベル! 本当にこの道で合ってるの!?」
「え、ええ……恐らく、合っているとは思うのですが……」
「恐らくって……まさか、道に迷ったなんて言わないわよね!?」
ビクトリアは怒号を上げると、イザベルに詰め寄った。
すると、イザベルは「ま、まだ迷ったと決まったわけではないので……」と、しどろもどろになりながら答える。
その様子に、ビクトリアは苛立ちを募らせていった。
「全く……よりによって、あの愚図の嫁ぎ先の領地で迷子になるなんて……」
ビクトリアの言う「愚図」とは、勿論コーデリアのことである。
(それにしても、未だに信じられないわ。まさか、ユリアン様があいつを褒め称えるなんて……)
先日の出来事を思い出し、ビクトリアは歯噛みする。
コーデリアは、家族だけでなく他の貴族たちからも評判が悪く疎まれている存在である。そんな彼女を、まさか自分の婚約者であるユリアンが褒めるとは思わなかったのだ。
そればかりか、「色々と悪い噂が立っているようだが、何かの間違いではないのか? あのような画期的な発明をする才女を、なぜ父上は今まで放っておいたんだろう?」などと言い出す始末だ。
ユリアンの考えが理解できないビクトリアは、苛立ちを募らせるばかりだった。
(魔導具を発明したらしいけれど……そんなの、偶然に決まっているわ)
そう心の中で呟きつつ、ビクトリアは拳を握りしめる。
「お、落ち着いてください! きっと、もう少しで到着するはずです!」
「はぁ……もう、いいわ。地図を貸しなさい」
コーデリアも役立たずだったが、この使用人──イザベルも筋金入りの役立たずだ。
そう思いつつ、ビクトリアはひょいっとイザベルの手から地図を奪い取った。
「ビクトリア様!?」
「全く……地図すら読めないなんて、本当に使えないわね」
そうぼやきながら、ビクトリアは地図と睨めっこをする。
けれど、ビクトリアは今まで一人で街を探索した経験など一度もなかった。だから、地図の見方はおろか、現在地すら理解できていなかったのだ。
そんな自分を嘲笑うかのような太陽に、ビクトリアは苛立ちを感じていた。
(日差しも強いし、嫌になるわ。ああ、もうっ! どうして、こんなことになっているのよ!)
道に迷ったせいで、ビクトリアはすっかり頭に血が上っていた。
ふと、リードに繋がれているレオンのほうに視線を移してみる。何とか歩けてはいるものの、やはりその足取りは覚束ない様子だった。
(レオン……大丈夫かしら……)
ビクトリアは思わず泣きそうになってしまうが、必死に涙を堪えた。
怪我なら魔法で治せるが、やはり病気となると獣医に診せるしかないのだ。
「大丈夫よ、レオン。もう少しの辛抱だから」
そう言いながら、ビクトリアはレオンの頭をそっと撫でた。
「あの、ビクトリア様。ご無理なさらないほうが……」
「うるさいわね! 一体、誰のせいでこんなことになってると思ってるのよ!」
イザベルの心配をよそに、ビクトリアは声を荒らげる。
「も、申し訳ございません!」
イザベルは申し訳なさそうに頭を下げた。
(そういえば、コーデリアは地図を読むのが得意だったわね……)
今思えば、コーデリアは外出する際、従者を連れて行ったことがなかった。
それもそのはず。使用人は皆、忌み子と呼ばれ疎まれている彼女の付き添いをするのを嫌がったからだ。
そのため、コーデリアはどこへ行くにも一人で行動していたのである。
(ふん……まあ、日頃から従者を連れて歩いていなかったんだから、地図が読めるようになるのも当然よね)
自分が地図を読むのが苦手なのは、それほど大切に育てられたからである。断じて、コーデリアより能力が劣っているからではない。
ビクトリアは自身に言い聞かせるようにそう結論付けると、再び地図に視線を戻そうとする。
その瞬間、ふと少し離れたところに人だかりができていることに気づく。
「ん……? 何かしら?」
よく見てみれば、そこには出店があった。その店先で人が列をなしていたのだ。
どうやら、魔導具を売っている店のようだ。
(魔導具屋……? 別に、珍しくもなんともないけれど、どうしてあんなに並んでいるのかしら……?)
不思議に思ったビクトリアは、その店に近づいてみることにした。
「ちょっと、あの店を見てくるわ。レオンのことは頼んだわよ」
そう言って、ビクトリアはリードをイザベルに持たせると、一目散に駆け出したのだった。
背伸びをしつつ、その店を眺めていると──そこには、見覚えのある少女の姿があった。
(コーデリア……!?)
遠目ではっきりとは見えないものの、自分の妹に似ている。
どうやら、彼女は何かの商品を勧めているらしく、熱心に何か説明しているようだ。
そして、そんな彼女の周りには人だかりができており、皆がコーデリアに注目しているのである。
ビクトリアは、思わず目を疑った。あの能なしの出来損ないが、どうしてあんな風にちやほやされているのだろうか?
(どういうことなの……? どうして、こんなところにあの愚図が……)
「ビクトリア様! 一体どこへ行かれるんですか!?」
後方からイザベルの呼ぶ声が聞こえるが、ビクトリアはそれどころではなかった。
そのまま人混みをかき分け、その中心に入り込む。どうやら、コーデリアは客と商談を行っているようだ。
「さすが、領主様が選んだお方だわ。まさか、あんな凄い魔導具を作り出してしまうなんて」
「本当よね。それに、あんなに可愛らしい容姿をしていらっしゃるのに博識で、そのうえ謙虚な性格なんて最高じゃない」
「お似合いの二人よね。領主様も、本来の姿は類い稀な美丈夫だものね」
「実はね……私、ついこの間、お二人が一緒に歩いているのを目撃しちゃったの。その時、公爵様は人間の姿に戻っていたのだけれど──」
(は……?)
近くにいる女性二人がそんな会話をしていたため、ビクトリアは思わず耳を疑った。
(う、嘘よ……だって、コーデリアが嫁いだのは獣の姿に変わり果てた醜男のはずでしょ……? 人の姿に戻っていたって……一体どういうことなのよ?)
ああでもないこうでもないと混乱していると、不意に背後から肩を叩かれた。
「ビクトリア様! 大変です!」
「何よ! うるさいわね! 今、考え事をしている最中だから邪魔をしないで頂戴!」
苛立ちが募っていたせいか、ビクトリアはつい声を荒らげてしまった。
「も、申し訳ございません! しかし、その……レオンが……」
「何? レオンがどうしたって言うのよ?」
そう返すと、イザベルは言いづらそうにしながらも、こう告げてくる。
「──レオンがいなくなってしまったんです」
「は……?」
ビクトリアは一瞬、イザベルが何を言っているのか理解できなかった。
「な、なんで……? どうしてそんなことになるのよ? 私、確かにあなたにリードを持たせたわよね? まさか、目を離している間に逃げたっていうの?」
「い、いえ……その……」
イザベルは口籠っている。その様子に苛立ちを覚えたビクトリアは、思わず語気を強めた。
「はっきり言いなさい! 一体、何があったって言うのよ!?」
すると、イザベルは意を決したように話を切り出した。
「……リードが千切れてしまったんです。慌てて制止したのですが、レオンはそのまま私を振り切って走り去ってしまって……」
「は、はぁ……!?」
ビクトリアは、思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。
「リードが千切れたって……何よ、それ?」
まるで意味が分からない。ビクトリアは、思わず頭を抱えてしまう。
「正直、私も何が起こったのか分かりませんでした……」
「そんな……嘘でしょ……」
ビクトリアは、呆然と立ち尽くすしかなかった。
まさか、レオンが自分の元から逃げ出すなんて夢にも思わなかったからだ。