会話を終えると、私たちは再び花火に見入る。
しばらくの間、無言で夜空を見上げながら次の花火が上がるのを待っていると──ふと、隣にいるジェイドの様子がおかしいことに気づいた。
私は慌てて彼のほうに向き直る。
すると、彼は苦しそうに呼吸を荒らげており、胸を押さえていた。
「あの、どうかされましたか……?」
恐る恐る声をかけると、ジェイドはぎこちない笑みを返した。
「ああ、いや……少し、気分が悪くてな」
「だ、大丈夫ですか……? とりあえず、人がいないところまで移動しましょう!」
私はジェイドの手を引くと、人気のない場所まで誘導する。
「本当にすまない……迷惑をかけてしまったな」
「そんなことありません。それより、どこか休める場所を探しますね」
私は辺りを見回すと、近くにベンチがあるのを見つけた。
「あそこで、一度休憩しましょう」
ジェイドを連れて急いでベンチに向かうと、彼を座らせてから自分も隣に腰掛ける。
「どうですか?」
そう尋ねた瞬間、ジェイドの呼吸はますます荒くなった。
「だ、誰か人を呼んできますね……!」
そう言って立ち上がろうとすると、ジェイドは私の腕を掴んだ。
「待ってくれ。誰も呼ばなくていい。大丈夫だから……」
「でも、このままじゃ……!」
人を呼びに行こうとしたその時だった。突然視界がまばゆい光に覆われ、思わず目を瞑った。
しばらくして目を開けると、ベンチに見知らぬ青年が座っていた。
「あれ……? ジェイド様は……?」
きょろきょろ辺りを見渡しつつも戸惑っていると、不意にその青年に名前を呼ばれる。
「コーデリア」
「え……? な、なんで私の名前を知っているんですか?」
「落ち着け、コーディ。俺だ」
そう言われ、まじまじとその人物の顔を見る。
(わぁ……すごい美形……)
風に靡くホワイトブロンドは月明かりを浴びてきらきらと輝き、海のように深く青い瞳は吸い込まれてしまいそうなほど美しい。
すらっとした体型に端正な顔つきは、まるで童話に出てくる王子様のようだ。
つい先ほどまで、ここにはジェイドが座っていた。だが、彼の姿はどこにも見当たらず、代わりにこの青年がベンチに座っていた。
──そうなると、答えは一つしかない。まさかと思い、私は頭に浮かんだ人物の名前を口にする。
「って……まさか、ジェイド様ですか!?」
私が名前を呼ぶと、彼はバツが悪そうにしながらも頷く。
「なっ……ど、どうして人間に戻っているんですか!?」
思わず叫ぶと、ジェイドは事情を説明し始めた。
「驚かせてすまなかった。実は、俺の場合は月に数回──それも、夜間のみ人間に戻るんだよ。獣化の病の症状は、人それぞれでな。こうやって、たまに元の姿に戻れる患者もいるんだ」
「そ、そうだったんですか……」
ジェイドの本来の姿を目にして驚くのと同時に、ふと私はあることに気づく。
それは、思いのほか彼が若いということだ。私は少年の面影を残したようなその相貌をじっと見つめる。
「あの、ところで……ジェイド様っておいくつなんですか?」
「ん? ああ、言ってなかったか? 十九歳だ」
「えぇ!? そんなにお若かったんですか!?」
自分とほとんど変わらない年齢だったことに驚きを隠せず、大きな声を上げてしまう。
すごく落ち着いているから、てっきり三十路過ぎの大人だと思っていたのだが……。
「……? そんなに意外だったか?」
ジェイドは不思議そうに首を傾げる。
「てっきり、もっと年上なのかと思っていました」
「そうか……そんなに老け込んでいるように見られていたのか……」
ジェイドはそう呟くと、残念そうに肩を落とす。
「あ、いえ……決してそういう意味では……! ただ、すごく落ち着いていらっしゃるから!」
傷つけてしまったのかと思い、私は狼狽する。
俯いているジェイドにどうすればいいか分からずあたふたしていると、彼はぷっと吹き出した。
「ふふ、冗談だよ。本気にしたか?」
そう言って、ジェイドは悪戯っぽく笑う。
拍子抜けしつつも、私はほっと胸をなで下ろした。
「その……君の反応が、あまりにも面白くて。つい、からかいたくなってしまったんだ」
「もう! ひどいですよ!」
頬を膨らませると、ジェイドはくつくつと笑いながら謝った。
「すまない。君と話しているとつい楽しくなってしまってな。許してくれないか?」
そう言って微笑む彼に、ドキリとしてしまう。
同時に、自分の中で何かがざわめくのを感じた。
(ジェイド様って、こんな風に笑うんだ。普段は獣化しているから表情が読み取りづらかったけれど……)
今までに感じたことの無い感情の正体が分からずに戸惑っていると、ジェイドは再び口を開いた。
「──実は、段々と元の姿に戻れる頻度が低くなってきているんだ」
「え……?」
「この病気を発症した当初は、夜になれば必ず元の姿に戻っていたんだ。それが徐々に週に数回程度にまで減り、今では月に数度しか元の姿に戻れない。恐らく、このまま病状が悪化していけば──いずれ、俺は完全に獣化してしまうだろう」
ジェイドの表情が曇り、その青い瞳が不安げに揺れる。
「俺は、怖い。自分が自分でなくなってしまうことが。本来の姿を皆に忘れられてしまうことが。だから──」
そこで言葉を切ると、ジェイドは真っ直ぐ私を見据えて言った。
「コーディ。君には、俺の本来の姿を覚えておいてほしいんだ。まだ、辛うじて人間だった頃の俺のことを忘れないでほしいんだ」
彼の真剣な眼差しに射抜かれ、私はごくりと息を呑んだ。
その悲痛な願いに胸を痛めつつ、ようやく絞り出すようにして言葉を紡ぐ。
「……はい、忘れません。今のあなたの姿をしっかり目に焼き付け、心に刻み込んでおくと約束します」
私がそう返すと、ジェイドは安堵したような表情を浮かべた。
「ありがとう……」
ジェイドはそう言って目を細めて笑う。
そんな彼に、私は「でも」と言葉を続けた。
「私が今のあなたの姿を目に焼き付けるのは、将来──お互い年をとった時に、『あの頃は若かったですね』と過去を振り返るためです」
「え……?」
言っていることの意味が分からない、といった様子でジェイドは目を瞬かせる。
「だって、諦めるのはまだ早いじゃないですか。まだ、治らない病気だと決まったわけじゃない。だから、私もあなたの病気を治す方法を探します。それに、もし完全に獣化してしまったとしても──私は、あなたを見捨てたりなんかしない。だって、ジェイド様は私の大切な友人ですから」
私が力強く言い切ると、ジェイドは目を大きく見開く。
それから、少し間をあけてふっと笑みをこぼした。
「君は、不思議な人だな……」
「どういうことですか?」
私が首を傾げると、ジェイドは目を伏せつつも答えた。
「普通は、こんな治る見込みのない奇病に罹ってしまった男のことなんて見捨てるはずだ。まして、相手は好きで結婚したわけでもない男だ。恨んだっておかしくはないはずなのに。……だが、君は違った。それどころか、こうして手を差し伸べてくれるなんて……」
ジェイドは独り言のようにぽつりと呟く。
「本当に……感謝してもしきれないくらいだな」
「そ、そんな……感謝だなんて。寧ろ、感謝しないといけないのは私のほうです」
ジェイドは、私をあの地獄から救い出してくれた。優しく受け入れてくれた。居場所を与えてくれた。
そして──心からの笑顔を取り戻してくれた。私はそんな彼が好きだし、尊敬している。だからこそ、力になりたいと思ったのだ。
そんなことを考えながら、私は微笑んでみせる。すると、彼もまた穏やかな笑みを返してくれた。
まだまだ、彼について知らないことは多いけれど……少しずつ、距離を縮められたらいいと思う。
「そういえば……その服、どうなっているんですか? 元の姿に戻っても、サイズが合っているように見えますけど……」
「ああ、これは特注品でな。魔法が施された特殊な生地で作られているから、かなり伸縮性があるんだ。だから、急に獣化したり元の体に戻ったとしても、サイズがぴったり合うんだよ」
「へぇ……そうだったんですね! 便利ですね!」
花火を背に、私たちは他愛もない会話を弾ませる。そんな風に、月明かりを浴びながら二人きりで過ごす時間はとても心地よくて。
まるで、魔法をかけられているようだった。
しばらくの間、無言で夜空を見上げながら次の花火が上がるのを待っていると──ふと、隣にいるジェイドの様子がおかしいことに気づいた。
私は慌てて彼のほうに向き直る。
すると、彼は苦しそうに呼吸を荒らげており、胸を押さえていた。
「あの、どうかされましたか……?」
恐る恐る声をかけると、ジェイドはぎこちない笑みを返した。
「ああ、いや……少し、気分が悪くてな」
「だ、大丈夫ですか……? とりあえず、人がいないところまで移動しましょう!」
私はジェイドの手を引くと、人気のない場所まで誘導する。
「本当にすまない……迷惑をかけてしまったな」
「そんなことありません。それより、どこか休める場所を探しますね」
私は辺りを見回すと、近くにベンチがあるのを見つけた。
「あそこで、一度休憩しましょう」
ジェイドを連れて急いでベンチに向かうと、彼を座らせてから自分も隣に腰掛ける。
「どうですか?」
そう尋ねた瞬間、ジェイドの呼吸はますます荒くなった。
「だ、誰か人を呼んできますね……!」
そう言って立ち上がろうとすると、ジェイドは私の腕を掴んだ。
「待ってくれ。誰も呼ばなくていい。大丈夫だから……」
「でも、このままじゃ……!」
人を呼びに行こうとしたその時だった。突然視界がまばゆい光に覆われ、思わず目を瞑った。
しばらくして目を開けると、ベンチに見知らぬ青年が座っていた。
「あれ……? ジェイド様は……?」
きょろきょろ辺りを見渡しつつも戸惑っていると、不意にその青年に名前を呼ばれる。
「コーデリア」
「え……? な、なんで私の名前を知っているんですか?」
「落ち着け、コーディ。俺だ」
そう言われ、まじまじとその人物の顔を見る。
(わぁ……すごい美形……)
風に靡くホワイトブロンドは月明かりを浴びてきらきらと輝き、海のように深く青い瞳は吸い込まれてしまいそうなほど美しい。
すらっとした体型に端正な顔つきは、まるで童話に出てくる王子様のようだ。
つい先ほどまで、ここにはジェイドが座っていた。だが、彼の姿はどこにも見当たらず、代わりにこの青年がベンチに座っていた。
──そうなると、答えは一つしかない。まさかと思い、私は頭に浮かんだ人物の名前を口にする。
「って……まさか、ジェイド様ですか!?」
私が名前を呼ぶと、彼はバツが悪そうにしながらも頷く。
「なっ……ど、どうして人間に戻っているんですか!?」
思わず叫ぶと、ジェイドは事情を説明し始めた。
「驚かせてすまなかった。実は、俺の場合は月に数回──それも、夜間のみ人間に戻るんだよ。獣化の病の症状は、人それぞれでな。こうやって、たまに元の姿に戻れる患者もいるんだ」
「そ、そうだったんですか……」
ジェイドの本来の姿を目にして驚くのと同時に、ふと私はあることに気づく。
それは、思いのほか彼が若いということだ。私は少年の面影を残したようなその相貌をじっと見つめる。
「あの、ところで……ジェイド様っておいくつなんですか?」
「ん? ああ、言ってなかったか? 十九歳だ」
「えぇ!? そんなにお若かったんですか!?」
自分とほとんど変わらない年齢だったことに驚きを隠せず、大きな声を上げてしまう。
すごく落ち着いているから、てっきり三十路過ぎの大人だと思っていたのだが……。
「……? そんなに意外だったか?」
ジェイドは不思議そうに首を傾げる。
「てっきり、もっと年上なのかと思っていました」
「そうか……そんなに老け込んでいるように見られていたのか……」
ジェイドはそう呟くと、残念そうに肩を落とす。
「あ、いえ……決してそういう意味では……! ただ、すごく落ち着いていらっしゃるから!」
傷つけてしまったのかと思い、私は狼狽する。
俯いているジェイドにどうすればいいか分からずあたふたしていると、彼はぷっと吹き出した。
「ふふ、冗談だよ。本気にしたか?」
そう言って、ジェイドは悪戯っぽく笑う。
拍子抜けしつつも、私はほっと胸をなで下ろした。
「その……君の反応が、あまりにも面白くて。つい、からかいたくなってしまったんだ」
「もう! ひどいですよ!」
頬を膨らませると、ジェイドはくつくつと笑いながら謝った。
「すまない。君と話しているとつい楽しくなってしまってな。許してくれないか?」
そう言って微笑む彼に、ドキリとしてしまう。
同時に、自分の中で何かがざわめくのを感じた。
(ジェイド様って、こんな風に笑うんだ。普段は獣化しているから表情が読み取りづらかったけれど……)
今までに感じたことの無い感情の正体が分からずに戸惑っていると、ジェイドは再び口を開いた。
「──実は、段々と元の姿に戻れる頻度が低くなってきているんだ」
「え……?」
「この病気を発症した当初は、夜になれば必ず元の姿に戻っていたんだ。それが徐々に週に数回程度にまで減り、今では月に数度しか元の姿に戻れない。恐らく、このまま病状が悪化していけば──いずれ、俺は完全に獣化してしまうだろう」
ジェイドの表情が曇り、その青い瞳が不安げに揺れる。
「俺は、怖い。自分が自分でなくなってしまうことが。本来の姿を皆に忘れられてしまうことが。だから──」
そこで言葉を切ると、ジェイドは真っ直ぐ私を見据えて言った。
「コーディ。君には、俺の本来の姿を覚えておいてほしいんだ。まだ、辛うじて人間だった頃の俺のことを忘れないでほしいんだ」
彼の真剣な眼差しに射抜かれ、私はごくりと息を呑んだ。
その悲痛な願いに胸を痛めつつ、ようやく絞り出すようにして言葉を紡ぐ。
「……はい、忘れません。今のあなたの姿をしっかり目に焼き付け、心に刻み込んでおくと約束します」
私がそう返すと、ジェイドは安堵したような表情を浮かべた。
「ありがとう……」
ジェイドはそう言って目を細めて笑う。
そんな彼に、私は「でも」と言葉を続けた。
「私が今のあなたの姿を目に焼き付けるのは、将来──お互い年をとった時に、『あの頃は若かったですね』と過去を振り返るためです」
「え……?」
言っていることの意味が分からない、といった様子でジェイドは目を瞬かせる。
「だって、諦めるのはまだ早いじゃないですか。まだ、治らない病気だと決まったわけじゃない。だから、私もあなたの病気を治す方法を探します。それに、もし完全に獣化してしまったとしても──私は、あなたを見捨てたりなんかしない。だって、ジェイド様は私の大切な友人ですから」
私が力強く言い切ると、ジェイドは目を大きく見開く。
それから、少し間をあけてふっと笑みをこぼした。
「君は、不思議な人だな……」
「どういうことですか?」
私が首を傾げると、ジェイドは目を伏せつつも答えた。
「普通は、こんな治る見込みのない奇病に罹ってしまった男のことなんて見捨てるはずだ。まして、相手は好きで結婚したわけでもない男だ。恨んだっておかしくはないはずなのに。……だが、君は違った。それどころか、こうして手を差し伸べてくれるなんて……」
ジェイドは独り言のようにぽつりと呟く。
「本当に……感謝してもしきれないくらいだな」
「そ、そんな……感謝だなんて。寧ろ、感謝しないといけないのは私のほうです」
ジェイドは、私をあの地獄から救い出してくれた。優しく受け入れてくれた。居場所を与えてくれた。
そして──心からの笑顔を取り戻してくれた。私はそんな彼が好きだし、尊敬している。だからこそ、力になりたいと思ったのだ。
そんなことを考えながら、私は微笑んでみせる。すると、彼もまた穏やかな笑みを返してくれた。
まだまだ、彼について知らないことは多いけれど……少しずつ、距離を縮められたらいいと思う。
「そういえば……その服、どうなっているんですか? 元の姿に戻っても、サイズが合っているように見えますけど……」
「ああ、これは特注品でな。魔法が施された特殊な生地で作られているから、かなり伸縮性があるんだ。だから、急に獣化したり元の体に戻ったとしても、サイズがぴったり合うんだよ」
「へぇ……そうだったんですね! 便利ですね!」
花火を背に、私たちは他愛もない会話を弾ませる。そんな風に、月明かりを浴びながら二人きりで過ごす時間はとても心地よくて。
まるで、魔法をかけられているようだった。