気づけば、公爵家に嫁いでから一週間が経過していた。
──ここに来てからというもの、私の生活は一変した。
ジェイドもアランもサラも皆、とてもよくしてくれている。けれど、それと同時に申し訳なさで胸がいっぱいだった。
……なぜなら、何もしていないからだ。ここでは、家事は使用人達がやってくれるし、毎日の食事も服も全て最高級なものを用意してもらえる。
実家では、使用人代わりに扱き使われることなんて日常茶飯事だった。
そのせいか、働かないと逆に落ち着かないのだ。
(私が手伝えることと言えば、家事ぐらいしかないと思うのだけれど……)
でも、それを言ったところで手伝わせてくれないだろうということは容易に想像がつく。
「うーん……何か、みんなの役に立てそうなことはないかしら」
私はそう呟くと、窓の外を見やる。
その瞬間、ふと遠くにある鉱山が目に飛び込んでくる。
(そういえば、あの鉱山では魔蛍石が採取できるって言っていたわよね。何とかして、魔蛍石を入手できないかな……)
ジェイドの話によると、現在、魔蛍石はあまり流通していないらしい。
だから、手に入れるのが困難らしいのだ。恐らく、こんな状況下なので他の鉱物よりも採掘の優先順位が低いのだろう。
魔蛍石を使ったランプがあれば、瘴気の影響で照明が消えても困ることはなくなる。
そこで、私はランプを自作して領民たちに配ろうと思い立ったのである。というのも……この一週間、突然照明が消えてしまうことが何度もあったからだ。
それこそ、その頻度は生活に支障をきたしてしまうほどだった。
(何とかして、瘴気の体への影響を緩和することはできないかしら。そうすれば、魔蛍石を採取しに行けるのに……)
私は小さく嘆息する。次の瞬間、ふと頭にある考えがよぎった。
(街に出てみれば、何かいい方法が見つかるかもしれない!)
思い立ったが吉日。私は部屋を飛び出すと、サラを捜して邸内を走り回った。
そして、ようやく彼女を見つけると、思い切って事情を話してみる。
「え? 街に行きたいんですか?」
「はい!」
私の話を聞いて目を丸くしている彼女に、力強く返事をする。
「しかも、行きたい理由が『瘴気の体への悪影響を緩和する方法を探すため』ですか……」
「そうなんですけど……やっぱり、駄目ですか?」
おずおずと尋ねると、サラは大きく首を横に振る。
「ああ、いえ……実はジェイド様からも、少しでいいからコーデリア様を外出させてやってほしいと申し付けられていたんですよ。まあ、邸に籠もりっぱなしなのも良くないですからね。コーデリア様さえよろしければ、私は構いませんよ」
そう言うと、サラはにっこりと微笑んだ。
彼女の笑顔を見て、私は思わず安堵のため息をついた。
だが、外出許可が下りたからといってあまり長居はできない。
いくら獣化する心配がないからといっても、長時間瘴気に当たっていると体調が悪くなることは変わりないからだ。
「ありがとうございます! それじゃあ、行ってきますね!」
そう言って、私はくるりとサラに背中を向けた。
すると、彼女は慌てて私の腕を掴む。
「あっ……お待ちください! まさか、お一人で行かれるつもりだったんですか? 私もお供しますよ?」
「え?」
意外な言葉に、私は思わず目を瞬かせる。
恐らく、サラはこの辺りの出身だろう。だから、いつ獣化してもおかしくないはずだ。
それなのに、わざわざ外出して瘴気に当たっても大丈夫なのだろうか。
「で、でも……大丈夫なんですか? 瘴気に当たると、例の奇病に罹る可能性があるんじゃ……」
戸惑いがちにそう尋ねると、サラは苦笑を浮かべながら答えた。
「確かにそうなのですが……仮にも、私は使用人ですから。邸内の仕事だけやっていればいいというわけではありません。それに──」
そこで言葉を区切ると、サラは私の手を優しく握ってきた。
「私はコーデリア様の侍女ですよ? いつも、あなたをお守りすることを最優先に考えています。お一人でなんて、行かせられません。せっかくのお出かけなのですから、安心して楽しんでいただきたいのです」
サラはそう言って満面の笑みで微笑む。
その言葉に、不覚にも泣きそうになってしまった。
彼女は私のために、危険を顧みずに付いていくと言ってくれた。その気持ちが嬉しくないわけがない。
胸の奥がじんわりと熱くなるのを感じつつ、私は手早く支度を済ませ彼女と共に邸を出たのだった。
***
「あの……サラさん。いくらなんでも、この格好は派手すぎませんか?」
そう言いながら、私は自分の姿を改めて見下ろした。
今私が着ているのは、サラが勧めてくれたフリルたっぷりのワンピースだ。
実家では使用人同然の服を着させられていたため、こういった可愛らしい服はとても新鮮だ。
けれど、普段着慣れていないせいか落ち着かないのもまた事実で……。そっとサラのほうを見ると、彼女はなぜか感極まったように口元を押さえていた。
「ど、どうかしましたか?」
恐る恐る尋ねてみると、サラはふるふると首を横に振る。
「いえ……ただ、あまりにもお似合いだったのでつい……。それにしても……本当に……本っ当に、可愛いですっ!」
興奮気味にそう言うと、サラはぎゅうっと私を抱き締めてきた。
その勢いで、私は後ろに倒れそうになる。だが、すかさず彼女が支えてくれたため尻餅をつくことはなかった。
「も、申し訳ありません……! でも、コーデリア様があまりに可愛らしかったもので、我慢できなくて……」
「あ……いえ、気にしないでください。それより、もう行きましょう?」
気恥ずかしさを誤魔化すためにそう提案すると、サラはすぐに「ええ、そうですね」と了承してくれた。
(私が……可愛い……?)
実家にいた頃は、そんなことは一度たりとも言われたことがなかった。寧ろ、「醜い」と言われ続けてきたのだ。
それが、今では正反対のことを言われている。私は緩みかけた頬を軽く叩いて、しっかりと引き締めた。
しばらく歩いていると、やがて市場が見えてくる。
従来ならば、買い物客達や露店を出している商人達で賑わっているらしいが……瘴気の影響だろうか。ほとんど人の気配はなかった。
閑散とした通りを見て、私は思わず眉根を寄せてしまう。
「やっぱり、人が少ないですね……」
「ええ……でも、仕方がないと思います。外に出れば、否が応でも瘴気に当てられることになりますからね。皆さん、なるべく外出したくないのでしょう」
サラ曰く、領民たちは食料の買い出しや通勤、通学などでやむを得ない場合以外は外出を控えるようにしているらしい。
市場で働いている商人の中には、獣化してしまっている者もちらほら見受けられる。彼らは皆、獣化した姿を隠すためか帽子を深く被っていた。
そんな人々を見ながら歩くうちに、いつの間にか薬屋や雑貨屋などが立ち並んでいるエリアまで来ていた。
やはりそのエリアも人は疎らで、とても寂しい雰囲気が漂っている。そんな中、私たちは商品を見て回った。
ふと、私は橙色の液体が入った小さな小瓶を手に取った。恐らく、香水のように体にふりかけて使うのだろう。
顔を近づけると、柑橘系の香りが漂ってきた。それは、まるで果実水のように爽やかな匂いだった。
(確か、魔物はこういう匂いが苦手なのよね……)
以前、読んだ本に書いてあったのだが、魔物は人間より嗅覚が優れているため人間の食べ物の匂いを嗅ぐと食欲が減退するそうだ。
その中でも柑橘系の香りは最も苦手らしく、その匂いを纏った人間は襲われ難いらしい。
当初、鉱夫たちは皆、このアイテムを使って魔除けをしつつ採掘を行っていたそうだ。
しかし、それも長くは続かなかった。長時間、瘴気に当てられていたせいで体調を崩すどころか、獣化の病に罹ってしまう者が後を絶たなかったからだ。
今、鉱山で採掘を行っているのは外部から出稼ぎにきた者達だけらしい。
しかし、流石に彼らも長時間瘴気に当たっているわけにはいかないので、交代しながら細々と採掘を続けている状態なのだという。
ジェイドは、この状態が長く続けばいずれは閉山せざるを得ないと言っていた。
……そうなる前に、何としても解決策を見つけなければ。
──ここに来てからというもの、私の生活は一変した。
ジェイドもアランもサラも皆、とてもよくしてくれている。けれど、それと同時に申し訳なさで胸がいっぱいだった。
……なぜなら、何もしていないからだ。ここでは、家事は使用人達がやってくれるし、毎日の食事も服も全て最高級なものを用意してもらえる。
実家では、使用人代わりに扱き使われることなんて日常茶飯事だった。
そのせいか、働かないと逆に落ち着かないのだ。
(私が手伝えることと言えば、家事ぐらいしかないと思うのだけれど……)
でも、それを言ったところで手伝わせてくれないだろうということは容易に想像がつく。
「うーん……何か、みんなの役に立てそうなことはないかしら」
私はそう呟くと、窓の外を見やる。
その瞬間、ふと遠くにある鉱山が目に飛び込んでくる。
(そういえば、あの鉱山では魔蛍石が採取できるって言っていたわよね。何とかして、魔蛍石を入手できないかな……)
ジェイドの話によると、現在、魔蛍石はあまり流通していないらしい。
だから、手に入れるのが困難らしいのだ。恐らく、こんな状況下なので他の鉱物よりも採掘の優先順位が低いのだろう。
魔蛍石を使ったランプがあれば、瘴気の影響で照明が消えても困ることはなくなる。
そこで、私はランプを自作して領民たちに配ろうと思い立ったのである。というのも……この一週間、突然照明が消えてしまうことが何度もあったからだ。
それこそ、その頻度は生活に支障をきたしてしまうほどだった。
(何とかして、瘴気の体への影響を緩和することはできないかしら。そうすれば、魔蛍石を採取しに行けるのに……)
私は小さく嘆息する。次の瞬間、ふと頭にある考えがよぎった。
(街に出てみれば、何かいい方法が見つかるかもしれない!)
思い立ったが吉日。私は部屋を飛び出すと、サラを捜して邸内を走り回った。
そして、ようやく彼女を見つけると、思い切って事情を話してみる。
「え? 街に行きたいんですか?」
「はい!」
私の話を聞いて目を丸くしている彼女に、力強く返事をする。
「しかも、行きたい理由が『瘴気の体への悪影響を緩和する方法を探すため』ですか……」
「そうなんですけど……やっぱり、駄目ですか?」
おずおずと尋ねると、サラは大きく首を横に振る。
「ああ、いえ……実はジェイド様からも、少しでいいからコーデリア様を外出させてやってほしいと申し付けられていたんですよ。まあ、邸に籠もりっぱなしなのも良くないですからね。コーデリア様さえよろしければ、私は構いませんよ」
そう言うと、サラはにっこりと微笑んだ。
彼女の笑顔を見て、私は思わず安堵のため息をついた。
だが、外出許可が下りたからといってあまり長居はできない。
いくら獣化する心配がないからといっても、長時間瘴気に当たっていると体調が悪くなることは変わりないからだ。
「ありがとうございます! それじゃあ、行ってきますね!」
そう言って、私はくるりとサラに背中を向けた。
すると、彼女は慌てて私の腕を掴む。
「あっ……お待ちください! まさか、お一人で行かれるつもりだったんですか? 私もお供しますよ?」
「え?」
意外な言葉に、私は思わず目を瞬かせる。
恐らく、サラはこの辺りの出身だろう。だから、いつ獣化してもおかしくないはずだ。
それなのに、わざわざ外出して瘴気に当たっても大丈夫なのだろうか。
「で、でも……大丈夫なんですか? 瘴気に当たると、例の奇病に罹る可能性があるんじゃ……」
戸惑いがちにそう尋ねると、サラは苦笑を浮かべながら答えた。
「確かにそうなのですが……仮にも、私は使用人ですから。邸内の仕事だけやっていればいいというわけではありません。それに──」
そこで言葉を区切ると、サラは私の手を優しく握ってきた。
「私はコーデリア様の侍女ですよ? いつも、あなたをお守りすることを最優先に考えています。お一人でなんて、行かせられません。せっかくのお出かけなのですから、安心して楽しんでいただきたいのです」
サラはそう言って満面の笑みで微笑む。
その言葉に、不覚にも泣きそうになってしまった。
彼女は私のために、危険を顧みずに付いていくと言ってくれた。その気持ちが嬉しくないわけがない。
胸の奥がじんわりと熱くなるのを感じつつ、私は手早く支度を済ませ彼女と共に邸を出たのだった。
***
「あの……サラさん。いくらなんでも、この格好は派手すぎませんか?」
そう言いながら、私は自分の姿を改めて見下ろした。
今私が着ているのは、サラが勧めてくれたフリルたっぷりのワンピースだ。
実家では使用人同然の服を着させられていたため、こういった可愛らしい服はとても新鮮だ。
けれど、普段着慣れていないせいか落ち着かないのもまた事実で……。そっとサラのほうを見ると、彼女はなぜか感極まったように口元を押さえていた。
「ど、どうかしましたか?」
恐る恐る尋ねてみると、サラはふるふると首を横に振る。
「いえ……ただ、あまりにもお似合いだったのでつい……。それにしても……本当に……本っ当に、可愛いですっ!」
興奮気味にそう言うと、サラはぎゅうっと私を抱き締めてきた。
その勢いで、私は後ろに倒れそうになる。だが、すかさず彼女が支えてくれたため尻餅をつくことはなかった。
「も、申し訳ありません……! でも、コーデリア様があまりに可愛らしかったもので、我慢できなくて……」
「あ……いえ、気にしないでください。それより、もう行きましょう?」
気恥ずかしさを誤魔化すためにそう提案すると、サラはすぐに「ええ、そうですね」と了承してくれた。
(私が……可愛い……?)
実家にいた頃は、そんなことは一度たりとも言われたことがなかった。寧ろ、「醜い」と言われ続けてきたのだ。
それが、今では正反対のことを言われている。私は緩みかけた頬を軽く叩いて、しっかりと引き締めた。
しばらく歩いていると、やがて市場が見えてくる。
従来ならば、買い物客達や露店を出している商人達で賑わっているらしいが……瘴気の影響だろうか。ほとんど人の気配はなかった。
閑散とした通りを見て、私は思わず眉根を寄せてしまう。
「やっぱり、人が少ないですね……」
「ええ……でも、仕方がないと思います。外に出れば、否が応でも瘴気に当てられることになりますからね。皆さん、なるべく外出したくないのでしょう」
サラ曰く、領民たちは食料の買い出しや通勤、通学などでやむを得ない場合以外は外出を控えるようにしているらしい。
市場で働いている商人の中には、獣化してしまっている者もちらほら見受けられる。彼らは皆、獣化した姿を隠すためか帽子を深く被っていた。
そんな人々を見ながら歩くうちに、いつの間にか薬屋や雑貨屋などが立ち並んでいるエリアまで来ていた。
やはりそのエリアも人は疎らで、とても寂しい雰囲気が漂っている。そんな中、私たちは商品を見て回った。
ふと、私は橙色の液体が入った小さな小瓶を手に取った。恐らく、香水のように体にふりかけて使うのだろう。
顔を近づけると、柑橘系の香りが漂ってきた。それは、まるで果実水のように爽やかな匂いだった。
(確か、魔物はこういう匂いが苦手なのよね……)
以前、読んだ本に書いてあったのだが、魔物は人間より嗅覚が優れているため人間の食べ物の匂いを嗅ぐと食欲が減退するそうだ。
その中でも柑橘系の香りは最も苦手らしく、その匂いを纏った人間は襲われ難いらしい。
当初、鉱夫たちは皆、このアイテムを使って魔除けをしつつ採掘を行っていたそうだ。
しかし、それも長くは続かなかった。長時間、瘴気に当てられていたせいで体調を崩すどころか、獣化の病に罹ってしまう者が後を絶たなかったからだ。
今、鉱山で採掘を行っているのは外部から出稼ぎにきた者達だけらしい。
しかし、流石に彼らも長時間瘴気に当たっているわけにはいかないので、交代しながら細々と採掘を続けている状態なのだという。
ジェイドは、この状態が長く続けばいずれは閉山せざるを得ないと言っていた。
……そうなる前に、何としても解決策を見つけなければ。