カーテンの隙間から月明かりが差し込む、薄暗い部屋。
 いつ来ても、ここは足を踏み入れただけで威圧感を覚える。できるだけ音を立てないように静かに扉を閉めれば、部屋の奥から「こっちに来なさい」という声が聞こえた。
 私は慌てて声の主のそばに歩み寄ると、執務机の前に立った。

「なぜ、ここに呼び出されたのか──もちろん、理由はわかっているな?」

「お、お父様……どうか、お許しください!」

 涙ながらに訴える私の頬に、お父様の右手が触れた。

「全く……残念だよ、コーデリア。役目さえ果たしてくれれば、お前もこんな目に遭わずに済んだというのに」

 だがしかし、とお父様は言葉を続ける。

「だが……私の娘として生まれたからには、その幸運に感謝するべきだ。こんな風に父親の手で楽に死なせてもらえる()()()などそうはいないのだから」

「お、お願いです……どうか、それだけは……」

 私は声を絞り出すように、必死に懇願する。そして、後ずさった。
 そんな私を追い詰めるように、お父様は剣を振りかぶる。
 次の瞬間――突然、腰まで流れる長い黒髪を手で掴まれたかと思えば、ぱらぱらと自身のものであろう髪の毛が何本か床に落ちた。

(……え?)

 私は呆然と床に落ちた自分の髪の毛を見つめる。
 その光景をどこか他人事のように感じながらも、思考は徐々に状況を理解し始めていた。
 お父様の手を見てみれば、自分のものと思しき髪の毛の束が握られていた。
 そう、私は剣で体を斬りつけられたのではなく、ただ髪を切られただけだったのだ。肩につく程度の長さになったせいか、随分と頭が軽く感じられる。

「たった今、過去のお前は死んだ。一先ず、これで許してやろう。情けをかけてやったことに感謝しなさい。本来ならば、お前のような役立たずには死んでもらわねばならんのだが……そんなお前を欲しがる奇特な人物がいてな」

「ど、どういうことでしょうか……?」

 真意を掴みかねて問いかけると、お父様はふっと笑みを浮かべた。

「喜べ。お前を娶りたいと言ってくださる貴族が現れたぞ。……とはいえ、社交界ではその方に関する悪い噂話が立っているようだがな」

「え……?」

「ああ、そう言えば……あの方は珍しいものが好きだと言っていたな。つまり、お前はあの方に気に入られたということだ。──そう、()()()姿()をしたあの恐ろしい公爵にな」

 ──それは、まるで地獄への招待状のようだった。


 ***


 動揺しながらも、何とか寝室に戻った私は力なくベッドに倒れ込んだ。
 私──コーデリア・ラザフォードは世界的に有名な魔導士を多く輩出している名門伯爵家の次女だ。
 二卵性の双子の姉であるビクトリアは魔力に恵まれているため、幼い頃から将来を有望視されていた。

 ビクトリアは魔法の才能があるだけではなく、美の女神すら嫉妬するほど整った顔立ちをしている。
 透き通るような長い銀髪に、青い瞳。そして、陶器のように滑らかな肌。まるで氷の花のように美しい彼女を前にすれば、誰もが見惚れてしまうだろう。
 対して、私はと言えば──持っている魔力は微々たるもので、容姿も野暮ったい上に黒髪と緑色の目を持っている。
 特に右目は金色がかった緑色なので、さらに珍しい。だから、できる限り他人に見られたくなくて日頃から右目を前髪で隠していた。
 実は、この国では黒髪に緑色の目は凶兆とされており、縁起が悪いとされてきた。
 そのため、私は両親をはじめとする関わる人間全てに『忌み子』と蔑まれ虐げられてきたのだ。

 忌み子である私がこの歳まで邸に置いてもらえたのには、理由がある。
 というのも、ラザフォード家には代々伝わる精霊降臨の儀式──いわゆる降霊術のようなもの──があるのだが、私はその依代になるために生かされてきたのだ。
 どういうわけか、その儀式を行うことでラザフォード家は強大な力を得ているらしく、王家に信頼される存在にまで上り詰めた。
 お父様が言うには、依代となった人間は魔力を消費するため数日間寝込むことになるのだという。つまり、私にうってつけの役目なのだ。

 自分は、精霊を憑依させるための依代として必要とされているだけ。ただ、それだけの存在。
 それを知った時はショックだったけれど、立派に役目を果たせば両親から認めてもらえると思い努力してきた。
 そして、十七歳の誕生日を迎えた一週間前。依代になるために必要な条件を満たした私は、意を決して儀式に挑んだ。
 結果は大失敗。精霊を降ろすどころか、呼び出すことさえできなかった。その結果に激怒したお父様は、私を部屋に閉じ込めた。恐らく、役立たずの娘をどう処分するか考えていたのだろう。
 そして、今日。お父様に呼び出され、いよいよ殺されるかと思いきや──縁談を持ちかけられた。
 きっと、金の亡者であるお父様のことだから、公爵家から贈られる結納金に目が眩んで二つ返事で承諾したのだろう。

(どうして、私なんかに縁談を持ちかけたのかしら……)

 お父様の話しぶりから察するに、私に結婚を申し込んできた相手はジェイド・ウルス。名門公爵家の当主だ。
 優れた魔法の才を持っており、王家から一目置かれているという噂を聞いたことがある。
 そんな彼と私は、今まで一言たりとも会話を交わしたことがない。それなのに、縁談を申し込んでくるとは一体どういうことなのだろうか。

 お父様が言っていた通り、その人は猛獣の姿をしているらしい。そう、文字通りの意味で。
 とはいえ、元々は普通の人間だったそうだ。しかし、ある時を境にどういうわけか獣の姿に変身してしまったのだという。
 誰かから恨みを買っていて呪いをかけられたとか、変なものを食べてそうなっただとか──流言飛語が飛び交っているが、真偽の程は定かではない。
 しかし、その見た目とは裏腹に聡明な人物だという噂も耳にしたことがある。
 そんな彼から求婚されたということは、とても名誉なことに違いない。でも……。

(彼は、本当に私を妻にしたいと思っているの……? 一体、何が目的なんだろう?)

 彼に関する噂の中には、「獣の姿になって以来、狂ってしまった」とか「心まで猛獣になってしまったから、密かに人間を食べている」とかそういった物騒なものまである。
 所詮、荒唐無稽だとは思うが、もしそれが事実なら身の安全の保証はない。
 ぐるぐると考え込んでいるうちに、私はいつの間にか眠りについてしまった。


 ***


 翌朝。
 昨晩の出来事で疲れ切ってしまった私はなかなかベッドから出る気になれず、ぼんやりと窓の外を眺めていた。
 不意に、扉がノックされる。どうぞ、と返事をするとゆっくりと扉が開かれた。

「おはようございます、お嬢様」

 そう言って、気怠げな様子で入ってきたのは私の身の回りの世話を担当している下女──イザベルだった。

「朝食をお持ち致しました。……とりあえず、ここに置いておきますね」

 イザベルは心底面倒くさそうにテーブルの上に食事を並べ始める。
 そう、私は使用人にすら舐められているのだ。昔からこうだから、今はもう大分慣れたが。

「あ、ありがとう……」

 小さく呟くと、彼女は無表情のまま私を一睨みし、部屋から出て行こうと歩き始めた。……が、突然「あっ」という声を上げて立ち止まると、こちらを振り返った。

「そういえば……今朝、小耳に挟んだのですけれど。お嬢様に縁談が来たそうですね。それも、あの猛獣公爵から!」

 ニヤニヤと醜悪な笑みを口元に浮かべながら話す彼女を見て、私は眉をひそめる。
 彼女のこういう態度を見る度に憎悪や嫌悪感を抱くのだが、それを咎める度胸は生憎持ち合わせていない。

「え、えっと……」

「お可哀想なお嬢様。よりによって、あんな男に気に入られるなんて。きっと、骨の髄まで吸い尽くされて死んでしまいますよ。だって、相手は猛獣ですもの! ふふふ……いい気味ですわ。あらやだ、ごめんなさい。私ったら、つい本音が出てしまいましたわ!」

「……」

 私は、流石に耐えかねて抗議しようとする。だが──

「それでは、何かあったらいつでもお呼びくださいませ」

 彼女はそう言い残し、鼻歌を歌いながら足早に部屋から出て行ってしまう。
 残された私は、唇を噛み締めることしかできなかった。



 数時間後。
 気分転換に庭園を散歩していると、不意にワンワンと吠える犬の鳴き声と共に誰かの声が聞こえてきた。

(あの声は……ビクトリア?)

 そう思いながらも、声がするほうへ向かうと──案の定、そこにはビクトリアと彼女の愛犬であるレオンがいた。

「おいで、レオン! こっちよ! って……あら? なんだ、コーデリアじゃない」

 私が顔を見せるなり、彼女はパッと顔を輝かせた。
 だが、すぐに嘲笑うような表情を浮かべる。

「それにしても……相変わらず、みすぼらしい恰好をしているわねぇ」

 その言葉に思わず泣きそうになるが、ぐっと堪えた。ここで泣けば、相手の思う壺だとわかっていたからだ。
 私は、忌み子であるが故に最低限の衣食住を与えられているだけだった。
 だから、彼女が身に纏っているような綺羅びやかなドレスや装飾品などは一切持っていない。
 一応学校には通わせてもらっていたけれど、魔法の才能がないため初等部の頃から平民と同じ普通科の学院に通っていた。
 とはいえ、高等部には進学していない。王立魔法学園に首席で入学したビクトリアとは雲泥の差だから、本当に姉妹なのかと疑われることもしばしばある。

「そう言えば……今日、あなたのところに縁談が来たって聞いたけれど。あなたなんかと結婚したいと思う方がいるなんて驚きだわ。なんでも、獣の姿をした殿方なんですって? 身分は高いみたいだけれど、社交界では随分と評判が悪いらしいじゃない。でも、まあ……疎まれている者同士、お似合いかもしれないわね」

 ビクトリアは楽しげにそう言った。
 恐らく、反応を見て面白がっているだけなのだろう。
 それでも私の心は深く傷つき、みるみると血が流れていくようだった。