遅れてノルラート王国の部隊が、国境の南西に位置するこの砦にやって来た。

 部隊が砦の中に入り、無数の兵士が死体の山になっている光景に声を失う。

 素材の50%以上を水晶が占めるアーガストの機体が佇み、幻想的な光を放っていた。その大きな手には鎧に覆われた少女を摑んでいる。鎧の少女は動かない。

 いったい何があったのか。

 約五百の部隊を率いてここまでやってきた部隊長は、巨人が仲間になって戦ってくれているとしか聞かされていない。
 いったいどんなことなのかと思っていたが、それ以上の情報は伝えられず、実際に目で見て確かめるように言われていた。

 すべて、目の前の巨人が行ったことなのだろうか。

 にわかには信じられないようにも思うが、もしあれが動くのであればあるいは可能であろうとも思う。

 部隊長は警戒しながら、死体の山を乗り越え、巨人に近づいていった。巨人はアーガストという名称だと聞かされている。

「アーガスト!」
 部隊長は叫んだ。

「アーガスト、これはそなたのやったことか?」

 聞こえていないはずはなかった。五百の部下たちもあまりの惨状に声を上げることができない。砦は静まり返っていた。

 ふたたびアーガストに声をかけようとした時、ゆっくりと巨人が体を起こした。巨人の胸元が大きくせり出す。一人の少年が顔を出した。

 確かクメル・ベラウトとかいったはずだ、と事前に聞いていたその名前を部隊長は思い出す。

「クメル・ベラウト殿、巨人から降りてこちらに来られるか?」

 部隊長の張り上げた声に、クメルは軽く頷いて巨人は片膝を付いた。
 開け放たれていた胸元からクメルが地面に降り立った。
 クメルは無言のまま部隊長の前まで歩いてくる。

「そなたがクメル・ベラウトで間違いないのだな?」

 クメルは小さく頷いた。

「しゃべれないのか? 状況を説明してもらうことはできるか?」

 無表情のままクメルは口を開いた。

「しゃべれるよ。たぶんここにいた兵士たちがメタリカルド化されていた。そいつらが襲ってきて、倒したところに今度はガーゴイルの群れに襲われた」

「メタリカルド化?」

 部隊長は眉をひそめた。メタリカルドなどという言葉は初耳だった。それに関する情報は聞かされていない。

「ようするに敵側に体を乗っ取られたということだ。人間でも魔物でも、メタリカルド化されたら相手の意のままに操られる」

 クメルは乱暴に説明した。

「そんなことが、可能なのか?」

 部隊長はとても信じられないといった様子でクメルを見つめる。周りに集まってきた部下たちも二人の会話を、固唾を呑んで聞いていた。

「この世界の技術ではとても考えられないことだが、現実に起こっている」

 部隊長はクメルのどこか思い詰めたような表情が気になったが、さらに質問を重ねる。

「もうひとつ聞きたい。あの巨人が手にしている鎧の女は誰だ?」

 指をさす部隊長に周りの部下たちもいっせいにその方向に目をやった。
 クメルだけが微動だにせず、一言だけを口にした。

「ラズベル――」

 部隊長はその名も聞かされていた。
 クメルという少年とラズベルという少女が巨人を操って部隊を助けてくれると聞かされていたのだ。

 その少女が動かない状態で巨人の手に握られている。

「ラズベル殿は――戦死したのか?」

 部隊長は気遣うように言ったのだが、クメルはそれに答えなかった。

 やがて調査を終えた部隊は王城へと戻っていった。
 クメルはラズベルを操縦席の前席に乗せ、ベルトで固定した。そのままアーガストを一時森の中に隠し、夜になってからノルラート王国の王城の中庭へと運び込んだ。

   ◆ ◆ ◆

 その翌日、クメルは王城に呼び出されていた。
 曇天が空を支配しており、昼間だというのに薄暗かった。
 中庭に置かれたアーガストには巨大な布が被せられている。

 中庭に面したバルコニーにテーブルと二脚の椅子が置かれていた。王女が椅子に座り、その横にクメルが立っていた。メイドが白いカップに紅茶を注いだ。王女はカップを手にする。

「クメルさんも、あの巨人を動かすことができたのですね」

 優雅な手つきでカップを口元に運び、巨大な布の山を目にしながら王女ファルナは言った。
 横に立つクメルはそれに一言も返さなかった。

 ファルナは気にもとめず、上機嫌に声を上げた。

「私でも操縦できるのかしらね。それにしてもラズベルさんが傀儡のお人形さんであったなんて」

 クメルは王女に聞かれるままにラズベルのことを話した。

 それでも王女が理解したのは、ラズベルはクメルの指示に従って動く機械じかけの人形で、動力源を失った彼女がアーガストの中で眠っている、そういう解釈だった。

 ラズベルと王女ファルナは反りが合わない様子だった。気に入らないラズベルが動かなくなったからなのか、王女の機嫌は良い。

 そう考えるとクメルは目の前の美しい女性に対しても、いい気分など沸きようがなかった。

 まだクメルは諦めたわけではない。
 なんとかしてラズベルを再起動させる方法はあるはずだと思っていた。

 それでもAIを搭載しない人間の脳には状況を解決すべきアイデアは思い浮かばない。メタリカルドのAIに頼って生きてきたことを痛感させられる。

 王女はクメルの働きに対し、十分な報酬を用意してくれた。しばらくは働くことなく過ごすことができる額なのだが、クメルはこうして王城に引っ張り出されている。

 クメルのことを気に入っているのか、あるいは自分がアーガストという巨人を発見し、それを動かすことに貢献したと思っているのか。そのどちらかはわからないのだがラズベルというやっかいな少女もいなくなったことで、王女はクメルに対して気兼ねなく話しかけてくる。

 しまいには王女自身をアーガストに乗せろと言い出した。

「操縦席は狭いので、王女様が乗る余地などございません」

 前席には動けなくなったラズベルを乗せている。後席には一人分のスペースしかない。

 きっぱりと断ったクメルであったが、
「あら、あの傀儡を下ろせばいいでしょう。前の椅子が空くではありませんか」
 王女も譲らない。それでもクメルはラズベルを降ろすなんてことは考えられない。

「だめです。ラズベルの重量は相当なもので、簡単に降ろしたり乗せたりはできないのです」

「あら、そんなに重いの?」

「王女様の体重で、五人分はあろうかと思います」

 実際、ラズベルは戦闘形態(モード01-A)の状態で停止してしまったので全身を装甲で覆っている。装甲を生成する際には原子変換が行われるために、その重量も変わる。正確にいうと、今のラズベルの重量は王女の六人分だ。

「じゃあ、後ろの椅子に二人で座ればいいじゃないですか。なんとかなるでしょう」
「なりません」

 王女につれなく対応していたラズベルの気持ちがクメルにも少しわかった気がした。
 一度言い出した王女は何を言ってもこちらの言うことを聞かなかったのだから。

   ◆ ◆ ◆

「狭い、狭いですよ王女様」

 十七歳の柔肌で密着してくるファルナ。
 クメルは動揺を悟られないようにするためか、無意識に早口になる。

 結局二人でアーガストの操縦席に乗る羽目になってしまっていた。
 クメルはアーガストの操縦について説明する。

「それで、アーガストは搭乗者の思考を読み取るのですが、メタリカルドが操縦するか、あるいは人間の場合はあらかじめ登録した者しか操縦が許されません」

「あら、でしたら私も登録していただけません?」

「それは無理です。魔法が適合者にしか使えないように、同じくアーガストも適合者にしか操縦ができません。メタリカルドが前席に座っていっしょに搭乗すれば別ですが」

 気軽に語りかけてくる同年代の生身の少女に、ついクメルの口は緩んでいた。
 それでもその内容は半分嘘だった。

 メタリカルド――もちろん現在前席に動かない状態で座っているラズベルではなく、動ける状態のメタリカルドだが――が前席に座れば、後席の人間は誰であっても動かせる。その場合の主となる操縦者はメタリカルドだ。

 後席の人間だけで操縦する場合はクメルが登録しておけば操縦自体は可能だ。

 それでも脳波を読み取る方式の操縦方法を理解できるのは、クメルのように脳にシリコン素子を内蔵していないと難しい。せいぜい立ち上がらせるのが関の山だろう。

「つまらないですね」

 王女は心底不満そうに言った。

 アーガストには布がかけられているため、操縦席の周囲を取り囲むモニターには白い布だけが映っている。

 今は昼間で人目もあるため、アーガストを立ち上がらせるわけにもいかない。
 狭い操縦席で、ただ王女と密着して座っているだけだ。何もすることはないし、何もできない。

 いったい自分はここで何をしているんだろうと、クメルは思う。

 香水だろうか、密着している王女からは薔薇のような香りも漂ってくる。

 操縦席を見回していた王女もさすがに飽きた様子が見られ、立ち上がろうとした。
 ところがこの場所があまりに狭かったために自分のドレスの裾を踏んでしまい、クメルのほうに倒れ込んできた。

「うわっ」

 思わず叫んでしまったクメルの顔面に王女の顔が迫ってきた。
 頬と頬を密着させた形で接触しただけで、お互いにどこも痛めることはなかったのだが、クメルの上に王女が乗る形になってしまった。

 王女は起き上がれないでもがいている。
 クメルも王女が上に乗っているために起き上がれない。

「は、早く起きなさい」

 王女は言うのだが、下にいるクメルにはどうにもできない。彼女が先に立ち上がってくれない限りクメルは動きようがなかった。

 王女の豊満な胸の膨らみをクメルは自分の胸のあたりに感じる。
 ちらりと前席のラズベルに視線を向けた。

 ラズベルの後頭部が見える。
 ボブカットの白髪がふわりと舞った気がした。

 ラズベルから感じ取れるはずのない殺気をクメルは感じ取った。

 この時だけは、動けないでいるラズベルにほっとしてしまう自分がいた。

 クメルは考える。

 エネルギーが枯渇している限り外部の情報は得られないよな、と。

 しかし、と思い当たった。

 メタリカルドの表面素子には、人間の皮膚が紫外線からビタミンDを生成するように、光を当てることで自動修復する機能が備わっている。わずかながら、エネルギーを生成しているはずだ。

 駆動エネルギーこそ得られないが、思考回路は生きていたりしないだろうか。動けない中で、音を聞き、何かを考えていたりしないだろうか。

 ラズベルが動けるようになったら聞いてみよう、そんなことを考えながら、起き上がれないでいる王女の体を押し返した。

 考え事をしていたからだろうか。クメルは王女のもっとも弾力のある部分を摑んでしまっていた。

 ぐにゃりとした感触がクメルの右のてのひらに伝わってくる。
 王女の顔が引きつった。

 なんだこれ、と思いながらクメルは王女を押し上げて立たせた。立たせながら、手のひらに感じた感触を確かめるように、軽く握った。
 
 柔らかい。

 人間の体にこんな柔らかな部位があっただなんて。
 これまで体感したことのない感触に、手が離れなかった。王女と目が合う。つい、指を動かしてしまう。心地よい弾力が伝わってきた。

 王女は、顔を真っ赤に染めている。
 そのまま彼女は右腕を大きく振りかぶった。

 ぱちん、と小気味いい音が操縦席内に響いた。
 クメルの左頬が張られる。
 左頬は赤く腫れた。

 クメルの視界に映ったのは、顔を真っ赤にして、まるで少女のように恥じらう顔を見せている王女の姿だった。

   ◆ ◆ ◆

 午後には王城内の会議室で魔物討伐に関する会議が開かれた。

 上座には王女が座り、その側近と思われる者たち、そして貴族らしき面々が続く。
 下座側には、魔法を使える者たちを従えている部隊長、そして剣を持って王国を守護する王国騎士団長。

 席の位置からは魔法を使える者より、騎士団のほうが立場が下のようだと判断できた。

 ここには近衛隊長であるガルファの姿はない。ガルファはさらに下の身分であり会議に参加する資格がないそうだ。

 末席にクメルが座った。

 ノルラート王国の国民ではないクメルはここでは平民の扱いであり、本来この会議に出席できるはずもないのだが、王女の特別のはからいで末席に着くことを許された。

 王女にとっては、アーガストの操縦席でのあの出来事はとても許されないこと、というか、顔も見たくない出来事なのかと思いきや、クメルにはぜひ参加してほしいと言ってきたのだ。

 クメルは同年代の女性とは何年も会話をしたことがなかった。
 だから一歳年上のこの女性の思考回路なんてクメルには到底理解できるものなどではなかった。

 王女から五席ほど手前にマズロットの顔があった。市場で出会った小太りの男だ。
 確かマズロット・バロンだとかいったな、とクメルは思い出していた。彼はこちらの顔を覚えているだろうか。

 ラズベルにぶつかったあと、品のない声で序列一位がどうだとか言っていた。ラズベルの記憶領域からはデリートされているかもしれないが、クメルにはその小太りな体型と嫌味な顔がはっきりと脳裏に残っていた。



 会議では魔物の発生場所の報告に始まり、魔物の種類と、それぞれの被害状況、討伐結果が報告された。

 この中にはメタリカルド化した魔物の戦闘力に関する情報はなかった。
 実際にメタリカルド化した魔物を動いている状態で目撃したのはクメルとラズベルだけである。そして死体になった状態を目撃したのが王女とその数名の配下、砦に駆けつけた五百の部隊だけだった。

 メタリカルド化した魔物の脅威を知る人物はここにはクメルしかいないということだ。
 当然のようにクメルは発言を求められた。

「それで、そのメタ――メタリカルド化? とはいったい何なのだね? 本当に我々の脅威となりうるのかね。我々にわかるように説明していただけないだろうか」

 上座に位置していた貴族らしき男の一人がクメルに説明を求めた。
 クメルは仕方なしに立ち上がる。

「はっきりとしたことは私にも分かりかねます。それでも、メタリカルド化された魔物はおそらくは通常の魔物に比べて遥かに脅威となりうる存在です。これは推測でしかありませんが、メタリカルド化により魔物の力が強化され、通常の魔物の三倍から五倍くらいの強さになると考えてください」

 そしてクメルは説明を続ける。メタリカルド化は魔物が対象とされるだけではなく、人間を対象とすることもできる。現に南東の砦では数百人の兵士がメタリカルド化されており、彼らがアーガストに襲い掛かってきたことを話した。

「それで、そのメタリカルド化とやらは、誰がどこでどうやって行っているのかね」

 貴族らしき男が訊ねてくるが、それにはクメルも答えを持ち得なかった。
 クメルが説明できるのはこの世界に来る前にいた世界――メタリカルドとともに戦争を行っていた世界での知識だけだった。

 メタリカルド化を行えるのは、メタリカルドだけである。いわばメタリカルド自身がメタリカルドの製造工場なのだ。戦争をしていた当時の人類側にはあらたなメタリカルドを製造する設備はすべて損傷しており、現存していなかった。

「つまりクメル殿、貴殿によるとこの国の近郊にメタリカルドとやらが潜んでいる可能性があると、そう捉えてよろしいかな」

「私にもそこまでは分かりかねますが……。その可能性は無きにしもあらずでしょうか」

 確かにクメルはそのことも懸念していた。ラズベル以外のメタリカルドが存在する可能性だ。ラズベルというメタリカルド、そして07型であるアーガストが現にこの世界に存在している。

 ならば、他のメタリカルドがいる可能性は当然のようにあった。

「我々は誰もそのメタリカルド化した魔物というものを見ていないのだよ。南東の砦に残された兵士の死体以外はな。確かに肉体の一部が金属に置き換わった奇妙な死体の山だったと報告は受けている。だがその――巨人、アーガストとか言ったか、その巨人が動くということも含め、信じることができないのはそなたも理解できるであろう?」

 発言した男だけでなく、その場にいるほとんどの者が疑惑の目をクメルに向ける。
 クメルとしても疑われたといって何ら問題とすることはなかった。疑いたければ疑わせておけばいいと考えていた。

「そんな奴らが仮に襲ってきたとしても、魔法で駆逐すりゃいいだろう」

 発言したのはマズロットだった。贅肉でぱんぱんに膨らんだ腕を組みながら、ふてぶてしい声を張り上げて話を続ける。

「メタリカルドだかなんだか知らんが、バロン家の私設魔法部隊だけでも大抵の魔物は駆除できる。アーガストとかいう巨人も魔法が使えるわけじゃないんだろ? 結局魔法には勝てんさ」

 その後、会議では魔物の駆除に関して魔法で対応する話が行われた。

 クメルは大人しくそれを聞いているだけであったが、話の内容からこの国の実情が見えてきた。

 王族が抱えている国直轄の魔法部隊は数が少ない。魔法を使える人間はそれぞれの貴族が抱え込んでしまっている。

 最強といえるのがバロン家の抱える魔法部隊のようだった。
 バロン家は魔法学校を創設し、そこから輩出される人間を次々に自家の魔法部隊へと取り込んでいるとのことだ。

 魔法学校は三校あるそうだが、それぞれに貴族の三つの派閥が強い影響力を持っている。

 国が抱える魔法部隊へは、もともと国王直轄で働いていた騎士や近衛の中で魔法を使える素質があるものがそれらの魔法学校へと進み、国の魔法部隊へと戻ってくる。

 それ以外の貴族出身や平民出身の才能ある人物は、それぞれの貴族が抱える魔法部隊へと取り込まれていく。

 魔物の脅威にさらされているこの国において、より強力な魔法部隊を抱えることで貴族の立場が強固なものになっているようだった。

 王家の力が強かろうが弱かろうが、クメルには興味はない。だが、魔法については関心があった。一度、魔法学校というものを目にしてみたいと思った。
 クメルたちの持つ科学技術と魔法と、どれだけの相違があるか。クメルにはそれが気になっていた。



 魔物討伐会議は一時間半に及んだ。
 各々が立ち上がり、会議室をあとにする。

 マズロットがクメルに近づいてきた。
「あの生意気な女は今日はいないんだな」

 彼は覚えていた。クメルは「ああ」とだけ答えた。

「巨人だかなんだか知らないが、魔法部隊の前ではたいして役にも立たんだろう。あんまりでかい顔はするなよ、平民」

 吐き捨てるように言ってマズロットは立ち去った。

   ◆ ◆ ◆

 クメルは一人、王女から貸し与えられている家に帰ってきた。家具は揃っているのだが、ラズベルといっしょに買ったその家具が逆に彼女のことを思い起こさせる。

 クメルは二脚買った一人掛けソファにぎしりと音を立てて座り込む。
 隣にラズベルが座っていた時のことを思い出した。戦闘時以外の彼女はクメルの前では愛らしい笑顔を絶やさなかった。

「一人で生きていくって、結構ハードル高いよな」

 クメルは呟いた。戦時下でラズベルといっしょに生きてきた時のほうが平和に暮らすこの家よりも良かったと思うのは、単に思い出を美化しているにすぎないんだということはわかっている。

 以前は常に命の危険と隣り合わせだったのだ。

 敵のメタリカルドから逃げることと、日々の糧を得ることだけで毎日が懸命だった。

 そのことが逆に生きるということを輝かせていただなんて、ばかばかしいくらい皮肉なことなんだろうなとクメルは思う。

「退屈だな」

 クメルは思いっきり伸びをした。安物の一人掛けソファはぎしぎしと音を鳴らして不満を訴えてくる。
 軋む音でも、ないよりはましだった。
 ここは静か過ぎる。

「よし、ちょっと見に行ってみるか」

 クメルには気になる場所があった。

 そこへ行ったからといって、何がどうなるわけでもないのだが、実際に魔法というものを目にしておきたかった。

 クメルは家を出て魔法学校を探すことにした。