翌日、城下に王女から用意してもらった家具も何もない空っぽの家でクメルとラズベルは向かい合っていた。
 状況が好転したとラズベルはやたら明るい声で昨日の出来事を振り返る。

「よく考えてください。エネルギー効率が向上したということは、今までよりも気軽にT-AIを利用できるということです。これは進歩です、クメル」

 03型にアップデートしたからなのか、今日のラズベルはとにかく機嫌がいい。

「それでですね、聞いてください、クメル。もちろん私のエネルギーを回復することも大事ですが、私が停止したとしても、あなたはこの世界でやっていかなくてはなりません。元の世界に戻ることも考えなければなりませんが、戻ることが必ずしも最善とは限りません。合理的かつ多角的に物事を考える必要があります」

 つまり、この空っぽの家に家具を揃えろとラズベルは言うのだ。

 彼女としてはこの家で平穏に暮らすという選択もクメルは考えておくべきだと話す。

 クメルは冷たく冷え切った状態で横たわるラズベルを想像した。
 動かない人形となったラズベルの姿を毎日見ながらこの家で生きていく――そんなのはとても耐えられないなと思った。

 それでも陽気に話すラズベルを見ていると、彼女と過ごす残り少ない時を味わっておかなくてはという思いもあった。

「わかったよ、じゃあ家具でも買いに外に出てみるか。お前は食事をしなくてもいいけど、俺は食事もしなきゃだから、食料品も調達しないとな」

 気乗りしない様子のクメルであったが、
「ではさっそく買い物に行きますよ」
 そういってラズベルはクメルの腕を取って、足取りも軽く家の外へと連れ出した。

 クメルはラズベルといっしょに市場を見て回る。
「ソファは欲しいよな。王女様のところにあったような豪華なやつじゃなくていいからさ」
「ベッドも必要ですね。クメルはベッドで寝たことはありますか?」

「小さい頃はベッドを使っていたよ。まだ両親が生きていた時な」
「もしかしてママといっしょに寝ていたんですか? ママといっしょじゃないと寝れない~って。今夜は私がママの代わりをしましょうか?」

 くすくす笑うラズベルに、顔を真っ赤にしてクメルは話を逸らす。

「そんなわけないだろ――。それよりタンスなどの家具も欲しいけど運んでくれるのかな? ラズベルには持たせたくないし」
「クメルも女の子を気遣えるようになったんですね。いつも重いものを私に持たせていた頃からは大きな進歩です」

「そりゃ、あっちにいた時はラズベルのエネルギーを気にすることはなかったし」

 そういってクメルはラズベルの残存エネルギーはあとどのくらいだろうかと気になった。話題を変えるようにラズベルはクメルの腕を引く。

「クメル、あっちに屋台がありますよ。私、あれが食べたいです」

 ラズベルは串に刺した肉が売られている屋台を指さした。メタリカルド01型、02型はともに食事をすることはできない。

 ラズベルが何かを食べたいと言うことは、今までになかった。

「お前は食べられないだろ」
「そうでもないんですよ。03型はですね――なんと食事ができるのです」

 満面の笑みをラズベルは浮かべる。

「へえ、そうなんだ。でも、なんだか意味のないアップデート機能のような気もするが。じゃあ、トイレなんかも?」
「いえいえ、食べたものは原子崩壊させてエネルギーにします。トイレの必要はありません。それにエネルギーにするといっても総エネルギー量の一万分の一にも満たないのですが」

「そうか、それじゃ役に立つことはないか」
「ところが、何と味覚センサーもアップデートされていたりします。食事してみたいんですよね、クメル。行ってみましょうよ」

 ラズベルはクメルをぐいぐい引っ張る。これが人間の女の子であったなら無理をして明るく振る舞っているように思えただろう。

 ラズベルはアンドロイドだ。あくまでAIが最適と判断した少女を演じているだけだ。

 それでも気丈な振る舞いのように感じてしまうクメルは、ラズベルの期待に応えようとする。

「よし、買い食いでもするか」

 そういってクメルは串焼きを二本注文した。焼き上がるまで少し待つように言われる。
 その時一人の男がラズベルの肩にぶつかってきた。
 小太りでやや背が低い男だ。

「なんだ邪魔だぞ、ババア」

 男は睨みをきかせながら、威圧的な声を上げた。
 老婆扱いをしたところから、ラズベルの白髪を見て年齢を勘違いしているらしい。
 ラズベルもエネルギー消費を抑えるために感知センサーをオフにしており、男を回避することができなかったようだ。

「ん? 若い姉ちゃんだったか。髪が白いから間違えちまったよ」

 そして「ぐへへへ」と嫌な笑みを浮かべる。横にいた仲間らしきもう一人の男もそれに同調して気色の悪い笑い声を上げた。

「やたら派手なドレスを着たババアがいるな、と思ってたんだよ」

 そう言いながらラズベルが来ていた薄桃色のドレスのスカートをめくろうとした。その手をクメルが握った。

「やめろ」

 顔をしかめながら小太りの男がクメルに向き直る。

「ん? なんだ、連れがいたのか」
「生意気そうなガキだな。俺たちが誰だかわかってねえんじゃねえの?」

 下品な口調ではあったが二人の男の着ている服装は高貴そうに見えた。周囲にいた人間も遠巻きにクメルたちを見ている。

「知らないな。お前たちのことなど」

 そのクメルの返答に、むっとしながらも右手の親指で自分の顔を指しながら男が答えた。

「序列一位。バロン公爵家三男。マズロット・バロン。俺の名だ」

 マズロットと名乗った男は横にいたもう一人の男を指して「そんでこっちは序列二位な」と言い放ち、指された男はにやにやとしていた。

「だから何だ?」
 物怖じしない口調でクメルは返答した。

「何だとは何だ。俺たちにそんな口の利き方をして、ただで済むわけがないだろう。平民風情が」
 二人の男が同時にクメルの胸元を摑んできた。

 そこにラズベルが割って入った。

「もういいわ。くだらないことで争わないで。まったく合理的じゃないと思うの」

 その場の雰囲気にそぐわない可愛らしい笑顔を男たちに向けていた。
 その愛くるしい笑顔に、クメルの胸元を摑む男たちの手が緩んだ。

 次の瞬間、自分のことを序列一位だと言ったマズロットの腹にラズベルの右拳が食い込んでいた。

 マズロットは何をされたのか理解できないまま、ただ「ぐえっ」とだけ呻いて吐しゃ物を撒き散らした。

 吐き出された汚物がラズベルのドレスを汚した。

 マズロットは苦しそうに呻きながら、その場にへたり込む。
 ラズベルはもう一人の男に向き直る。

「序列二位、あなたは勘弁してあげるわ。あなたまで潰してしまったらこの汚物を運ぶものがいなくなってしまうものね。さっさとこの汚い男を片付けてちょうだい。ところで序列二位という階級は下から数えてどのくらいなのかしら。よほど低層に位置しているようね。早く這い上がれるといいわね」

 そう言いながらラズベルは、腹を抱えて苦しんでいるマズロットを足蹴にして仰向けに転がした。
 いつの間にか冷酷な仮面をかぶっているアンドロイドの少女がそこにいた。

「ふ、ふざけんな。覚えていろ」
 そう言い放って男はマズロットを引きずるように抱えた。

「悪いけど、記憶領域の無駄だからデリートしておくわ」

 ラズベルのその言葉を背中に聞きながら、男はマズロットを抱えて逃げるように雑踏の中へと消えていった。

「ラズベル、エネルギー消費を抑えるようにしろよ」

「あら、あのくらいではたいした消費にならないわ。ちょうど串焼き一本てところでしょう。クメル、そろそろ串焼きが焼けたのではないかしら」

 肉が焼けるいい匂いが漂ってきた。クメルがお金を払い、串焼きを二本受け取る。一本をラズベルに渡した。
 ラズベルは無邪気な笑顔を浮かべた。

「初めての食事ね」

 歩きながら二人で串焼きを食べ始めた。
 大きな口を開けて串焼きに夢中になる姿は、とてもアンドロイドとは思えなかった。

 時折見せる冷酷な顔のラズベルがいる。一方でクメルと接する時は無邪気な少女を思わせる振る舞いをする。

 どちらが本当のラズベルなのか。

 それはクメルにだけ心を許しているのだというAIによる表現なのかもしれない。それでもラズベルといるとほっとする自分がいることにクメルは気がついていた。

 常にメタリカルドとの戦闘に明け暮れていたクメルにとって、つかの間に訪れた安息なのかもしれない。それとも永遠の安息になり得るのであろうか。

 それでも気楽にこんなことをしていていいのだろうかと不安にもなる。ラズベルと過ごせる時間は残りわずかなのだ。

 ラズベルのエネルギー補給を模索するべきか、残り少ない彼女との時間を大切に過ごすべきか、どちらが合理的な判断なのかがわからないでいるクメルであった。

   ◆ ◆ ◆

 王女から提供された家に家具が運び込まれた。永住するつもりで家を借りているわけではないので、家具は簡素なもので揃えた。
 一般の平民が住むといわれるエリアなので家はそれほど広くはない。二部屋しかないこの家はわずかな家具でもだいぶ狭くなったように感じた。それでもラズベルと二人なら問題のない広さだ。

 ラズベルのエネルギーを補給する方法はないだろうか、そればかりをクメルは考えていた。

 ラズベルはラズベルで、自分のエネルギーが枯渇することなど意に介さないかのようにはしゃいでいた。

 クメルと平和なこの世界で暮らせることが楽しくて仕方がないようなはしゃぎぶりだった。

 そんな時に王女からの使者がこの家にやって来た。
 南東の国境付近にある砦がこれまでにないほどの強力な魔物の襲撃により、今にも破壊されようとしているとのことだった。

 南東の砦は今まで魔物が出現したことがなく、もっとも手薄な場所だったようだ。
 何者かの手引であることも考えられるが、それを究明する暇すらないほどに事態は切迫していた。

 早急に対処したいため、アーガストによる対応を王女は依頼してきた。
 実際、アーガストのエネルギーは無限に近い状態であるし、その点で断る理由はない。

 断るとしたら、残り少ない日数をラズベルと過ごすことが最善じゃないかと考えるクメルがいた。

「行きましょう、クメル」

 ラズベルはそう言い放った。渋るクメルにラズベルが促す。

「聞いてください。強力な魔物が現れたということは、あのオーガのようにメタリカルド化されている可能性があります。本当はオーガの死体を調べたかったのですが、遺跡の時は忽然と消えてしまいました。もし、今回の魔物がメタリカルド化していた場合――」

「エネルギーを補給する方法が得られるかもしれない」
「そうです、クメル」

 ラズベルはクメルの目を見て頷く。
 たぶんこのAIは自分の延命のためではなく、心底からクメルのことを考えているのだろう。

 ラズベルのエネルギー補給がクメルのためでもあると。
 クメルは王女からの使者に対し、アーガストに搭乗して南東の砦へ向かうことを了承したと伝えた。