王都は活気にあふれていた。馬車に揺られながら窓を覆う布をめくって外を見ているのだが、これほど多くの人間がひしめき合っているのを見たのは、クメルにとって久しぶりのことだった。

 城下街を真っ直ぐに貫く広い道はそのまま王城まで続いているようだ。

 人が多いのは道沿いに市場があるためだ。市場にはたくさん商品が積まれている。色とりどりの果物や、香ばしい匂いを放つ串焼きの肉、豪華な装飾が型どられた壺や皿、花瓶の類、幾何学的な模様が織り込まれた布、ナイフや短剣、盾類などの防具。

 ここに来れば大抵のものは揃うのではないかと思うが、やはりクメルがいた世界の技術で作られたものは存在しないようだ。文化レベルがかなり違う。

 王女ファルナの話からも電化製品や遠隔通信の話は出てこない。しかしその代わりに魔法の話が時々顔を出す。

 魔法を使うことで生活の質の向上がはかれ、遠隔地との交信も可能なようだ。

 ほどなくして王城の周囲を取り囲むエリアの外門に到達した。このエリアはぐるりと深い堀に囲まれている。

 確かに王都へ入る門もこの外門もアーガストが通り抜けるには少し狭そうだ。

 門兵が立つ外門を素通りし、馬車は城につながる道を揺られている。

 情景が一変し、いかにも高級そうな門構えに、広い庭を備えた大きな家が点在する。この場所は貴族階級が住む屋敷が立ち並んでいるのだそうだ。

 貴族階級が住むエリアを抜けて、堀に架けられた短い橋を渡ると王城にたどりついた。

 馬車が城門の前に止まると、静かに城門が開いた。ゆっくりと馬車がその中へと進む。背後の城門が閉じられたところで、一行は馬車を降りた。

   ◆ ◆ ◆

 クメルとラズベルは応接間に通された。しばらく待っていると、それまでの上下ともに簡素な服装の王女からは想像できなかったが、豪華な純白のドレスを身にまとった、いかにも王女らしい姿のファルナが現れた。

 ドレスというものを見たことがなかったクメルは思わず見とれてしまう。

 薄汚れた迷彩服姿の自分自身とラズベルを目にしてしまい、純白のドレスに身を包んだ王女がよけいに眩しく映った。

 そんなクメルに王女ファルナは声をかける。

「あなたたちのその格好はいまいちよね。よかったら服をお貸ししましょうか。ラズベルさんもどうぞお着替えになって」

 ファルナは付き従った者に何か小言で指示を出す。「私はこのままで結構」と冷静に言うラズベルだったが、ファルナにより半ば強制的に着替えされられていた。

 王女よりやや簡素な桃色のドレスであったが、いかにも十六歳の少女といった出で立ちの白髪の令嬢がそこにいた。

 クメルも灰色の迷彩服から、緑のパンツに赤いシャツと、やや派手目の衣装に着替えさせられてしまった。

 ラズベルの着せ替えに満足したのか、機嫌のいい口調で王女が口を開く。

「ひとつ疑問がございますの」

 ソファに座るように促されたクメルとラズベルが座ると、ラズベルが王女に応えた。

「疑問とは、何でしょうか?」

 冷たい声だ。いい加減、冷ややかな対応のラズベルに慣れたのか王女は気にも留めない様子で、ラズベルに向き直った。

「着替えをして思ったのですが、ラズベルさんの鎧、いったいどうしたのかしら。見当たらないようなので」

 ラズベルはオーガを倒したあと、戦闘形態(モード00-A)の装備を維持していた。軽装鎧にも見えるその姿だったが、応接間に通され、クメルと二人きりになった時に装備を解除して緑の迷彩服姿になっていた。

「外装は皮膚の内側に格納できる。皮膚の下のメタル層に薄い装甲板は格納されるから。厚い装甲が必要な場合は原子変換が必要になるけれど。最大でメタル層の60%の原子を装甲の生成に回すことができる」

 ラズベルは極めて簡潔に答えた。しかし王女は首をひねるだけでその意味は理解できない様子だった。

「01型の常識かと思うのですが」

 冷たい口調で言い放つラズベルに、なんとか彼女との仲を修復したいと考えていたらしき王女ファルナはふう、と溜め息をついた。

「まったく、わかりませんわ」
「そう――」

 呆れた声の王女に対して、切り捨てるようにラズベルは言った。
 しばらくとりとめのない会話が続いたあと、王女が切り出した。

「ところでクメルさんもラズベルさんもあのアーガストとかいう巨人で魔物退治に協力していただきたいのですが、よろしいですよね。当然、相応の報酬は用意させていただきますし、必要でしたら王都に住む場所も用意させます」

「お断りしま――」

 拒否を示そうとしたラズベルの頭をクメルがぐいっと押さえつける。

「よろこんで協力させていただきます」

 手の下からラズベルが睨んでくる、気にせずにクメルは続ける。

「住む場所もぜひお願いします」

 少し首を傾げて王女が訊ねた。

「お二人とも、ノルラート王国民の方でいらっしゃいますよね?」

「いえ、俺たちは別の国の人間です」

「あら、なるほど、そうでしたか。つい自国民のつもりで話してしまった私が悪かったかもしれませんね。当然のように協力が仰げるものとばかり、失礼しました。ではファラルース帝国あるいはバラット国からいらしたのかしら?」

「いえ、そのどちらでもなく……」

 クメルは愛想笑いでその場を乗り切ろうとした。頭を押さえていたクメルの手が下から押し返され、ラズベルが頭を持ち上げた。

「クメルと私はガイラット連合国の所属。隣国であるブルネル連邦と戦争中」

「それは……その国はどこにあるのでしょう」

「ここからかなり遠く」

「……ここからかなり南に行ったところです」

 ラズベルの答えに、あとからクメルが補足した。

「なるほど、あなたがたは戦禍から逃げのびてきたと、そういったところなのでしょうね」

 王女は一人納得するように頷きながら「では早急にあなた方の住む家を用意させます」と答えた。

 遺跡近郊でのオーク討伐、そして遺跡でのオーガ討伐に対して、クメルが報酬を受け取った。
 王女からは何かあったら城に訪ねてくるように言われ、クメルとラズベルは城をあとにした。

 クメルはとりあえずラズベルと二人で話がしたかったので、適当な食堂を探して入った。
 二人は食堂のテーブルに対面で座る。

「ラズベル、お前、俺たちの情報を漏らしすぎじゃないか?」

 高度なAIを搭載しているメタリカルドのラズベルが、無用だと思われることを王城で口にしていたことをクメルは指摘した。

「いえ、クメル。私は必要だと判断して話したまでです。どうも今私たちがいるこの場所は、アンドロイドという概念や、私たちが持っている技術に関する知識を持たないようでした。そのことを確認するための発言です。彼女らには話しても理解できなかったので、問題はありません」

「そうか。そういうことなら……」

 王女に対してつれない態度をとっていたことにも納得していないクメルではあったが、次の言葉でラズベルの真意を知る。

「重要なことですのでよく聞いてください、クメル。私が余計なことを話したのは、彼らから私たちの役に立つ内容が得られないか探っていたためです。なぜなら私の残存エネルギーが残り26%しかなく、なんらかの方法で早急にこの問題を解決しなければならなかったからです」

「なん――!? なんで、もっと早く言ってくれなかったんだ、ラズベル」

 クメルは動揺を見せる。

「王女の前ではさすがに残存エネルギーのことまではしゃべれませんよ、クメル」

 冷静な声に反して、アンドロイドはにっこりと微笑んだ。命綱ともいえるエネルギーの四分の三を失っていてもあくまで冷静さを失わないのはアンドロイド故であろう。

「今までこんなに残存エネルギーが減ったことはあったか?」

「いえ、ありません。残存エネルギーが90%を割り込むようなことは一度もありませんでした」

「現状を打開する方法は何かあるか?」

 クメルには何の考えも浮かばなかった。最悪の場合はラズベルが停止して彼一人で行動しなければならない可能性すらあった。もしラズベルが停止すれば二百五十キロの重量を持つメタリカルドを運ぶようなことは困難だった。

「そうですね、クメル。一つはT-AIに尋ねることです。そもそもT-AIの予測演算はかなり信頼が置けるものです。今回の失敗もT-AIの予測と違う行動をとったことにあります。つまり遺跡において、アーガストを発見した時点で王女の口を封じ、遺跡を調査すれば何かが発見できたはずです。アーガストのような兵器以外の文明の利器が必ず残されていたはずですから」

「俺の判断が間違ってたって言いたいのか」
「はい、間違っていました」

「で、一つと言ったが、まだあるのか?」
「二つ目はT-AIに尋ねずに遺跡へ戻ることです。この二つは同じようで違います。T-AIに尋ねた場合、遺跡へ戻ることとはまったく違う結論を出す可能性がありますから」

「それで、メタリカルドとしてのAIはどう判断を下す?」

「今はT-AIの演算を利用するエネルギー消費は避けたいところです。2%ほどエネルギーを消費しますから。現状での2%は少ない数値ではありません。このまま遺跡へ戻ることを提案いたします。T-AIを起動するタイミングを慎重に選びましょう」

「わかった、なるべくラズベルのエネルギー消費を最小限にして遺跡へ向かおう。戦闘形態をとらない場合、エネルギーはどのくらい持つ?」

「およそ、三日から四日の間です。その間、どのような行動を取るかによりますが、クメルを抱え上げたりしない限りは最低でも三日は持つでしょう」

 そしてラズベルはアンドロイドらしくない悪戯めいた少女の笑みを浮かべた。

 クメルを抱えたとしてもエネルギー消費には影響しないことをわかっていて、半分からかっているのだ。

 王女といるラズベルはまるで冷酷な仮面を被っているようだった。クメルといる時はその仮面を外しているようで、愛くるしい笑顔を振りまいている。

「じゃあ、ラズベルは省エネモードで活動するように。移動は馬車を貸してくれる人を探してそれに乗っていこう。ところで馬車の操作方法だが――」

「大丈夫です。ワールドネットには接続できませんが、私の頭脳に格納されている情報だけでなんとかなります」

「それじゃあ悪いけど、そこだけは頼むな。エネルギー消費は大丈夫か?」

「ええ、このくらいならなんともありませんよ、クメル。エネルギーはパワーゲインが大きく変動する場合に消耗するものです。もし戦闘形態を取ったらそのままでいるほうが場合によってはエネルギーの消耗が少なかったりします。細かく形態を切り替えることでエネルギー効率は悪くなります。私はなるべく形態を切り替えないようにします」

「よし、わかった。じゃあまずは馬車を探すことからだ」

   ◆ ◆ ◆

 馬車を手に入れたクメルとラズベルは遺跡へと向かっていた。位置情報を軍事衛星から取得できないラズベルであったが、代わりに地理情報を人工頭脳へと格納し続けている。そのため、一度通った道であれば正確に覚えていた。

「もうすぐです、クメル。あと三十分ほどでアーガストを発見した遺跡に到着します」

 そして、三十分あまり馬車を走らせたところで、遺跡があった場所へと到着した。場所は間違っていなかったが、そこは草木が生い茂っているだけだった。

「本当にここか? ここで間違っていないか?」
「間違いありません。クメル、遺跡が消失しているようです」

 ここには巨大な岩で囲まれた地下へと降りる階段が存在していた。
 今いるこの場所は岩の影もなく、遺跡が存在していた場所にだけ、草が生い茂っていた。その草もここ何日かで生えたような状態ではない。

 まるで何ヶ月も前からここには何も人工物が存在していなかったかのようだった。

 メタリカルド化されたオーガの死体も存在しなかったし、争いの痕跡すらなかった。

「どういうことだ?」

 当惑するクメルをよそに、ラズベルは草をかき分けて地面に手を当てる。

「遺跡が埋められたとかそういうことではないようです。地面の下にはいっさいの金属反応がありません。おそらく掘り返しても何も出てこないでしょう」

「遺跡がまるごと消えた。そういうことか?」

「そういうことです、クメル」

 もしT-AIの予測演算を利用していたら、このことも予測できていたのだろうか。

「ラズベルの残存エネルギーは残りどれくらいだ?」
「23・5%です、クメル」

 1・5%のロス。このエネルギーでT-AIを利用していたらと悔やまれる。

「T-AIを利用していたら良かったのだろうか」

「それはどうでしょう。さすがのT-AIでもこの事態を予測できたかどうか。でもまだ可能性は残っていますよ、クメル」

 どうしたら良いのか見当もつかなかったクメルはラズベルに頼る他なかった。

「どうしたらいいんだ?」
「アーガストですよ、クメル」

 ラズベルの話によると、方法の一つとして、アーガストからエネルギーを供給することも検討できるのだと言う。アーガストも何らかのエネルギー源で動いているからだ。

 この世界の技術とメタリカルドの技術に差があるかもしれないが、利用できる可能性はあるだろう。急ぎ馬車の手綱を握り、アーガストの元へと向かった。

 ラズベルの手綱さばきを見ていて、クメルもすっかり馬車の操作がうまくなっていた。
 なるべくラズベルの負荷を少なくしなければならない。クメルは馬車の操作をラズベルと代わった。

 可能な限りクメルも自分の頭で地理を暗記し、ラズベルに頼らないように心がけた。

 アーガストを隠した森の中へと到着した。
 すぐに操縦席にクメルとラズベルが乗り込む。

「どうだ? ラズベル」

 ラズベルは自分の右腕に格納されていたケーブルを引き出し、アーガストと直結して通信を行っていた。直結することにより、遠隔通信の数百倍の速度で通信が可能だ。

「いろいろとわかりましたよ、クメル」

 そしてクメルに説明を始める。

「このアーガストは私たちと似た技術で造られています。ちょうどメタリカルドの亜種のようなものです。残念ながら動力炉は搭載されていません。その代わりに私と同じようなエネルギーポンプが使われています。このエネルギーポンプの作動概念さえわかればなんとかなりそうなんですが、少し学習に時間がかかりそうです」

 ラズベルによると、2・5次元空間から直接エネルギーを汲み上げるフリーエネルギーシステムを採用しているとのことで、それはクメルがいた世界には存在しない技術だそうだ。
 無尽蔵に大量のエネルギーを得ることができるようなのだが、機構の解析に時間がかかりそうだと、ラズベルは話す。

「仮にT-AIを起動して学習させたらどのくらいの時間がかかる?」

「190時間もあれば十分でしょう、クメル」

 190時間、およそ八日間だ。数秒T-AIを起動させるだけでもラズベルのエネルギーを数%消費するのだ。ラズベルのエネルギーが持たない。

「そんなにかかるのか。なんとか短縮はできないのか?」
「無理ですよ、クメル。この技術はおそらく私たちの技術より数世代進歩した技術です。それを八日間で学習することですら驚異的なことなんです」

 すると疑問が出てくる。それほど発達した技術がなぜこの世界に存在するのか。

「もうひとつ面白いことがわかったんです、クメル」
「なんだ?」
「このアーガストの型式は07型です。第七世代のメタリカルドということです」

 ――07型、第七世代の戦闘用メタリカルド――

 これが意味するところまでは、ラズベルも解析することができなかった。



 結果、アーガストからエネルギーを取り出してラズベルに供給することは困難であると判明しただけだった。

「私が停止した時のために、クメルにアーガストの操縦方法を転送しておきますね」

 そう言ってラズベルはクメルの右こめかみに中指を当てる。クメルの脳の脇に埋め込まれたシリコン素子にアーガストの操縦方法に関する情報が流れ込む。

 情報が転送されるのを待ちながらクメルはラズベルを見つめた。

 ラズベルが停止するかもしれない、その時が迫ってくるのだ。あと何時間ラズベルは動いていられるのだろうか。残り五十時間もすれば彼女のエネルギーは枯渇する。

 ラズベルはアンドロイドとしての自分が停止した時のことを考えてくれていた。それは戦闘用アンドロイドであるメタリカルドのAIが計算で出した単なる合理的な解答なのだが、クメルの心には小さい棘が刺さるように感じられた。

 十年以上ラズベルと行動をともにしてきたのだ。
 両親もいないクメルにとっては、ラズベルを失うことは考えられなかった。

 彼女は機械の人形なのかもしれない。だが、ラズベルにはそれ以上の何かを感じていた。

「クメル、転送が終わりました。これであなたでもアーガストを操ることができます。これからは私の代わりにアーガストを相棒にしてやってください」

 だが、アーガストにAIは搭載されていない。話をすることもできない。
 ラズベルの代わりになどならないのだ。
 クメルは思わずラズベルの手を取った。

「ラズベル、俺は最後まで諦めない」
「クメル」

 アンドロイドは悲しい目を作らなかった。
 AIはそれを表現することを避けた。
 代わりににっこりと微笑む。

「大丈夫ですよ、クメル。あなたなら」

 母親代わりだったラズベル。
 包み込むような笑みをAIは表現した。

 クメルはそれが逆に悲しかった。
 自分と別れることを悲しんでくれないAIに身を切られるような感情を抱いた。

 アーガストはラズベルの代わりになんてならない。そう、こいつは、この巨人はただの木偶の坊でしかない。悲しみを知らない存在とはいえアンドロイドのラズベルのほうが遥かに失い難い。

 そう考えてから、ふとクメルは疑問を感じた。
 そうだ、この大型兵器はAIを搭載していない。
 なぜだ?

 T-AIのような高度なAIが開発されていてもおかしくないだろうに。

 自分たちの技術より進歩しているならば、それは考えられないことなのではないだろうか。

 ましてやアーガストはメタリカルドの亜種だとラズベルは言った。

「ラズベル、アーガストにAIは搭載されていない、これは間違いないよな」

「ええ、クメル。AIは搭載されていません。必要がありませんから」

「必要がない?」

 クメルは首を傾げた。

「ええ、最初にアーガストを動かした時に、クメルも一緒に搭乗していました。そしてクメルに操作方法を伝送しましたので、クメル一人でもこれを動かせます。しかし、私一人ではアーガストを動かせないんですよ」

「どういうことだ?」

「アーガストは人間の脳に干渉して、脳の機能を引き出しているんです。人間の脳には未知の領域があり、それを活用できればT-AIを超える予測演算も可能なようです。これも私たちの技術を遥かに超えた技術のようですが」

「つまり、これだけの技術があっても、人間の脳を越えたAIを作り出せず、人間の脳を直接利用するしかない、人間の脳を利用した方が効率がいい、そういうことなのか?」

「そういうことです、クメル」

 アーガストに格納されている情報を調べたところ、T-AIを超えるAIは開発されたようだが、それでも人間の持つ脳の特殊性には遠く及ばなかったそうだ。

「人間の脳にそこまでの力があるなんて思わないけどな」

「いえ、クメル。人間の脳は単なる計算装置ではないんですよ。時空を越えて情報を引き出す、それは予測演算なんてものではなく、完全な予知能力です。そして時には未来から情報を引き出し、時にはとんでもない創造性を発揮する、そして極めて合理的ではないにも関わらず合理的な結論すら導き出します。アーガストによると、それは『神のひらめき』と呼ぶそうです」

「神のひらめき……」

 そんなものがあるのなら、ラズベルのエネルギーの問題もなんとかなるのだろう。少なくとも今のクメルには何もひらめかない。

 神のひらめきとは何なのだろう。直感のようなものなのだろうか。

 根拠のない確信。たとえば……。
 こんな?
 クメルはラズベルから伝送されたアーガストの情報を走査する。脳に埋め込まれたシリコン素子がやや熱くなる。

「ラズベル、アーガストの情報に読み取れない部分がないか?」

「ええ、私では閲覧できない情報があるようですが、それが何か?」

 ラズベルは気に留める様子がなかった。戦時下においてメタリカルドに読み取れない秘匿情報が隠されていることはよくあることだからだ。目的を知らせずに、ただ作戦だけを遂行させるのは、人間がメタリカルドを感情の持たない機械人形として戦争の道具に使っていたためだ。

 メタリカルドは戦争の道具でしかない。そして、アーガストにも同じように秘匿された情報がある。

 人間であるクメルにはすべての情報にアクセス権がある。ラズベルにアクセスできなくて、クメルがアクセスできる情報があった。

「ラズベルにアクセス権がなくて、俺にアクセス権がある、そういった情報があるんだ」

「なるほど、そうですか」

「この情報はいったい何なんだ? どうすればこれを解析できる?」

「でしたら、今がT-AIを起動すべき時かと思われます」

「よし、わかった。でも俺を通してT-AIを利用できるのか?」

「私とあなたがゼロ距離接続すれば可能です」
「ゼロ距離接続?」

 クメルが疑問を投げかけると同時に、ラズベルが自分の額をクメルの額につけた。
 至近距離に少女の瞳が飛び込んできた。

「こうするんです、クメル」

 額を接触したまま、甘い微笑みをアンドロイドは返した。
 ラズベルの顔がすぐ目の前に迫り、クメルは顔を真っ赤にする。

 本来メタリカルドに読み取れない情報を、クメルの許可を受けてラズベルが走査する。T-AIを使ってクメルの脳内の情報を読み取ろうというのだ。
 五秒間。
 それがT-AIを起動させた時間だ。
 T-AIが解析に走った時間はわずかであったが、ラズベルのエネルギーは12%減少し、残存エネルギーは11・5%になった。

 五秒間の沈黙のあと、ラズベルは額をクメルに付けたまま口を開く。

「この情報は――。クメル、これはメタリカルドのアップデート情報です」

 クメルからラズベルに向かって情報の波が流れ込む。

「クメル、今から私はアップデートされます。しばらくこのままでいてください」

 額を合わせながら二人の少年と少女は目を閉じた。
 ラズベルが何かをぶつぶつと呟く。

 しばらくそうしていたが、すっ、とラズベルはクメルから額を離した。

「私は03型にアップデートされました。エネルギー消費も若干ですが押さえられそうです。もう少し長生きできそうですよ」

 鋼鉄製の少女は笑顔を投げかけた。

 だが残存エネルギーは11・5%のままだった。
 それでも03型にアップデートされたことでエネルギー効率が向上したそうだ。

 現在のエネルギー量で三日は大丈夫だと言う。

「時間は変わらないじゃないか」

 クメルは不満そうに言ったが、ラズベルはどこまでも上機嫌だった。

「エネルギー効率が良くなったおかげで、三時間ほど寿命が延びましたよ。それとこれはT-AIの判断ですが、私の疑似人格情報をクメルのシリコン素子に転送しました。覚えていますか? この世界に来る前にも私の情報をクメルに送ってあります。今回の情報と合わせて、あとでメタリカルドの複製に使うことになるかと思います」

 結局のところ、ラズベルの寿命がたいして延びたわけではなかった。三日ほどでラズベルが活動を停止してしまうことには変わりがない。

 それにラズベルの複製情報をクメルの脳に転送したからといって、クメルは二体目のラズベルを造るつもりなんてなかった。

 それでもT-AIの判断というものは予期せぬ結果を生むこともある。

 とりあえずはラズベルの判断に口を挟まないことにした。