遺跡へ向かうために、クメルとラズベルも馬車に乗り込んだ。
馬車の中でクメルとラズベルは王女ファルナと対面して座った。二人を挟むように近衛長であるガルファともう一人の兵士が座っているので、非常に窮屈な状態で四人が横並びになった。残る一人の兵士が馬車の手綱を握っている。
遺跡に向かう道中でこの国の内情を知ることができた。王女ファルナが統治するノルラート王国は現国王が病に伏すとともに王家の力が急速に衰えていた。娘であるファルナが国王の代理として国を統治することになったが、年端もいかない少女が国を統治することに対して貴族たちは非難の材料にした。
ここぞとばかりに各貴族が反旗を翻す形となったそうだ。もちろん表立っては王家に逆らう意向を示しているわけではない。陰で貴族同士が結託し、三つの派閥が生まれ、王家の力を削ごうと時には派閥を越えて連携していた。
外には魔物、内には貴族と、敵を抱えたファルナに、信頼のおける人物は日増しに少なくなっていった。
いや、クメルたちにとって問題はそんなところにはなかったのだ。
――ノルラート王国?
――魔物だって?
聞いたことのない国名に、見たこともない異形の存在。いったいこの場所は地球上のどこで、いったい何がどうなっているのか。クメルの頭は混乱を極めていた。
驚愕だったのは、この国にはいっさいの科学技術と呼べるものが存在しないことだった。それだけではなかった。この国といっていいのか――この世界には、魔法が存在するというのだ。
ファルナや兵士の話を聞けば聞くほど、不可解だった。ラズベルのAIも、そしてさすがのT-AIも現状に関する結論を出せないでいた。
出せるのは仮説だけだった。
――元いた場所とは時間的、あるいは空間的にまったく異なる場所に自分たちはいる。
そんな仮説だった。
小一時間ほど馬車に揺られ、一行は遺跡があるという場所までやって来た。
小高い丘に囲まれ、かろうじて馬車が通れる細い道が遺跡までつながっていた。
周囲は木々がまばらに点在し、巨大な岩が遺跡の入り口を囲むように配置されている。遺跡は地下にあるそうだ。四角い穴がぽっかりと空いており、暗闇が地下へと続く石段を呑み込んでいた。
この遺跡へ来た目的は、遺跡奥深くの壁に彫られたメッセージなのだと王女は話す。
『――長い旅の道のりを越えた英雄がこの地に舞い降りたのち、我は目覚めるであろう
――脅威を排除すべき時が来たならば、英雄を我の内へといざなえ
――神のひらめきを内包した我は、賢者に鉄槌を落とすべく立ち上がらん』
そもそもこの遺跡は最近になって発見されたそうだ。
発見した地元の住民によると、それまではこのような遺跡は影も形もなかったと証言した。その住民には金を摑ませて口をつぐませてあるという。
「実は調査隊の報告で概要は摑んでいたのですが、話を聞くだけでは何のことかさっぱり見当がつかないのです。とにかく遺跡の地下には巨大な彫像が眠っており、光を放っているそうです。そして先程のメッセージが壁に彫られていると、そういうわけです」
その彫像が動き出して助けてくれるのか。王女自身も半信半疑であったがその目で確かめてみるまでは何の結論も出せないと自らこの場所にやってきたのだ。
遺跡の地下への入り口は狭く、人が一人ようやく通れるほどの大きさだった。
「では行きましょうか」
そういって先導しようとした王女ファルナを遮って、ガルファが「私が先に参ります」と先陣を切った。
次に兵士の一人があとに続き、残された一人の兵士は馬車の見張りに立つことになった。
二人の兵士のあとに王女ファルナが地下への階段に足を踏み入れ、その姿が闇に包まれた時だった。
それに続こうと足を踏み出したクメルをラズベルが制止した。
「電磁波パルス反応があります。メタリカルドの可能性25%。――クメル、来ます!」
ラズベルが声を大きくしたと同時だった。階段の脇にあった巨大な岩が、地下への階段を塞ぐように倒れ込んできた。
ラズベルに引っ張られたクメルの眼前を巨大な岩がかすめた。轟音を立てて岩が階段に覆いかぶさった。
クメルが降りようとした遺跡の入り口はその岩が塞ぐ形になった。王女と二人の兵士が閉じ込められた。
「王女様!」
馬車の見張りに立っていた兵士が叫んだ。
「反応は三体。01型でも02型でもありません」
即座にラズベルは戦闘形態|《モード01-D》に移行した。
まるで軽装鎧のようだった薄い装甲板が厚いものと入れ替わり、手足は元の三倍の太さはあろうかという太い外殻に変わっていた。
不自然なほどに太い腕に太い脚。
腕力と脚力を重視した装甲だ。
右手にはアサルトライフルをやや小ぶりにしたような銃器を生成している。殺傷力が高く、連射性能に優れた銃だ。
クメルは灰色の迷彩服に手を突っ込み、懐に隠し持っていた小型の銃を手にする。
メタリカルド相手に銃で応戦しても回避されるのがオチなのだが、何かの役に立つかもしれないとの判断だった。
そんな二人を前に咄嗟に反応できなかった兵士が、やや上方を見上げながら呟いた。
「お、大きすぎる……」
平均的な男性の身長の二倍ほどもある緑色の肌の巨人が三体、そこにいた。
腰には麻布のような布を巻いており、手には周囲の木々の幹より一回りも二回りも太い棍棒を握っていた。
ラズベルによると、この存在はファンタジー小説に出てくるオーガに似ているとのことだ。ラズベルとクメルは秘匿通信により、この存在を便宜上オーガと呼ぶことにした。
ここまでくるとクメルは本当にファンタジー世界に迷い込んでしまったのではないかと思うようになっていた。
しかしクメルには気になる点があった。オーガの腕と足だった。
明らかに生体が備えているそれではない。オーガの腕の側面、そして足の側面には縦に細長く金属質のラインが入っている。鈍く光るそれはどう見ても金属なのだが、鎧だとかそういった類ではなく、肉体に埋め込まれているようにも見える。
肘や膝の関節部分もまるで金属で補強されているかのようだった。
メタリカルド……なのか? その疑問がクメルの頭をよぎった。
それを確かめる手段は簡単だ。巨体ではあるが、動きは鈍そうに見えた。オーガに向かってクメルは小銃を突きつけた。
銃弾の発射音とともに銃口から煙が上がる。遅れて金属同士が弾ける音が鳴り響いた。
銃弾はオーガの胸元に着弾していた。
着弾した部分のオーガの皮膚が抉れ、内側のメタル層――メタリカルドの皮膚のすぐ内側の層――が露出していた。
このオーガはメタリカルド化されている――。クメルは確信した。
人間にも応用が利くこの技術は、生体を利用することで安上がりにメタリカルドを量産することができる。
もちろん完全なメタリカルドのほうが戦力としては大きいのだが、生体を利用したメタリカルド化は生産コストが少なくて済む。ここでいう生産コストとは費用のことではなく、必要になる金属量と製造時間のことだ。少ない資源で早く生産ができるということを意味する。
クメルもかつては人間をベースにしたメタリカルドを目撃したことはあった。完全なメタリカルドは人間が百人がかりでも倒すことは難しいだろう。一方で、人間ベースのメタリカルドは倒すことが不可能ではない。
もちろん倒す側の犠牲者が出ることは当然想定できるために、人間が直接挑むなどということはないのだが、一度だけ人間ベースのメタリカルドを相手にしたことがあった。
むしろ完全なメタリカルド相手のほうが躊躇せずに挑める。人間ベースのメタリカルド相手ではためらいが起こるのだ。クメルは二度とこんな存在は相手にしたくないと強く思った。その時のことが脳裏によぎった。
「クメルは下がっていてください」
戦闘形態のラズベルが三体のオーガの中心に飛び込んだ。銃を連射しながら同時に一体のオーガの眼前に跳躍する。
ラズベルの両手両足はオーガに勝るとも劣らない太い装甲だった。右手に構えたライフルの照準を敵から外し、左腕を大きく振りかぶって、拳でオーガの脳天を真横から殴りつけた。
ぐしゃりと音がしてオーガの頭がひしゃげ、脳髄が飛び出した。
オーガベースであるメタリカルドにはおそらくAIは搭載されていない。生体の脳をそのまま自身の制御に利用しているはずだった。
脳を破壊されたオーガがゆっくりと後方に倒れ込み、その巨体が地面を激しく揺らした。
間髪入れず左脇の下に銃口を差し込むようにして、ラズベルは左に位置していたオーガの右膝に銃弾を数十発叩き込んだ。ズダダダダ、とフルオートの銃声が鳴り響く。激しく肉片をまき散らしながらオーガの右膝は破壊され、立っていられなくなったオーガが右膝を地面につく。
そこへ馬車を守っていた兵士が勇敢にも、残り一体のオーガに向かっていった。
「だめです! あなたは下がって――」
ラズベルの言葉はわずかに遅かった。
彼女にとって最優先に守るべき対象は主人であるクメルである。兵士を守ることに意識は向いていなかった。
剣を手にオーガに立ち向かった兵士は棍棒で横薙ぎにされる。
軽く奮ったオーガの一撃で兵士の重厚な鎧はまるで紙でできていたかのようにひしゃげ、近くの岩にその身が叩きつけられた。
岩に血糊だけを残して兵士が地面にうつぶせに倒れ落ちる。
折れ曲がった鎧の中の兵士はぴくりとも動かなかった。
ちっ、と軽く舌打ちをしてラズベルは兵士を攻撃したオーガに走る。オーガが奮った棍棒がラズベルの左腕に叩きつけられた。オーガの棍棒とラズベルの鋼鉄の左腕が激突して、衝撃音が鳴り響く。
だが、ラズベルの左腕の装甲には損傷すらなかった。手足の強度を極端に高めるのが戦闘形態だ。
曲げていたオーガの左足ふとももを踏み台にしてラズベルは跳躍した。オーガの眼下まで飛び上がると、オーガの口に銃口を突っ込みフルオートのアサルトライフルの引き金を引く。銃撃音を響かせ、七、八発の銃弾が口腔の上側から脳天に突き抜けた。
ラズベルが地上に降り立つと同時にオーガの巨体が後方に倒れ込んだことによる地響きが地面を揺らした。
続けて右膝を破壊されて無様に横たわっていた二体目のオーガの元へ歩き、脳天に銃弾を一発撃ち込んだ。オーガは動かなくなった。
オーガはすべてラズベルによって倒され、巨人の死体が三体横たわっている。
ラズベルはそれには目もくれず、オーガに薙ぎ払われた兵士の元へと歩み寄った。軽く鎧に手を触れながら、その体を調べる。
「死んでいます。ナノマシーンを使っても、ここからの蘇生は無理でしょう。すいませんでした。マスター。私の失態です」
おそらくラズベルは最優先事項をクメルの保護に回していたはずだ。
それは彼女にとって最適な方策であったろうし、失態といえるものではないはずだ。それでも後悔のような言葉を口にした。
これがAIの学習の結果による反応なのか、一種の擬似的な感情なのかはクメルにはわかるはずもなかった。
「仕方ない、ラズベル。それよりも王女様の安否が気になる。あの入り口を塞いだ岩をどけることはできるか?」
「それよりも、マスター。このオーガはメタリカルド化されているようです。オーガの死体の調査と王女の救出と、どちらを優先しますか?」
ラズベルにとっては王女の安否すらも優先事項にはないのかもしれないと、クメルは少し気がかりに思った。
クメルをマスターと呼んでいる間は、人間の命よりも状況を総合的に判断した合理的な結論が優先されることは嫌というほど目の当たりにしてきた。
人間としての優先順位の判断をラズベルに伝える。
「王女様を優先しよう」
「かしこまりました。マスター」
ラズベルは遺跡の入り口を塞いでしまった大岩へと歩み寄り、太い手足を使って最大限のパワーを発揮する。これも見越しての戦闘形態への移行だったようだ。
それでも巨大な岩を動かすには困難が伴うようだった。
「マスター。この岩の重量は二十八トンと推定されます。これを排除するには私のエネルギーの約35%を消費しますがよろしいでしょうか?」
沈着冷静な声が辺りに響いた。
「ラズベルの残存エネルギーはどれくらいだ?」
「現在92%残っています」
「なら、聞くまでもなく大丈夫だろう」
「ところが問題が生じています。マスター」
ラズベルは直接会話から通信による会話に切り替えた。
『どういうことだ?』
『――私の動力炉の燃料リサイクル機能が働いていません。ダークマターから吸い上げるエネルギーポンプも未作動です。つまりエネルギー切れがじきに訪れてしまいます』
メタリカルドの動力源は実質的に無限である。時間さえあればいくらでもエネルギーを回復できる。
動力炉は原子崩壊によるエネルギー放出を利用している。そして崩壊を起こした原子を再度利用できるように再構築してリサイクルする。非物質を構成するダークマターから吸い上げたエネルギーを使って原子の再構成を行う。
こうして無限サイクルが成立しているメタリカルドだが、エネルギーポンプが作動しないためエネルギー枯渇の可能性があるというのだ。
王女様の命を助けるか、ラズベルの寿命を縮めるか、そういった問題が生じていた。
「T-AIに結果を求めるとしたら、どのくらいのエネルギーを使う?」
「2%ほどです」
「ラズベルはどう思う?」
これはT-AIの演算結果をラズベルに予測させる質問だ。ラズベルのAIによる演算結果を彼女は口にした。
「この岩を動かすのに必要な35%のエネルギー浪費は避けるように進言するはずです」
クメルは間違いなくT-AIもそう結論付けるだろうと思った。
メタリカルドは時に冷酷な存在だ。感情プログラムを搭載していないからなのだが、だからこそ冷静でかつ合理的な結論を導き出せるのだろう。
クメルはしばし悩んだ。
クメルは人間だ。
メタリカルドのように合理的な結論を下すのは苦手だ。
あとあと後悔するのは人間だけに許された性質だ。おそらくここで王女を見殺しにしたならば、人間特有の後悔というやつに何日も苛まれるだろう。
クメルにとっては王女を助けるという決断こそが、合理的な解答であった。
「ラズベル、君には悪いんだけど。王女様を助けたい。協力してもらえるだろうか」
断ることができないことを知っていてクメルは訊ねた。
「わかりました。クメル。王女の救出を開始します」
柔らかい笑顔の少女がそこにいた。
冷酷な仮面が剥がれた人間味のある存在になっている。
ラズベルは自らの肘関節、膝関節を軋ませながら巨大な岩を少しずつ動かしていった。
エネルギーの消費を最小限に抑えているようだった。ぎりぎり人がすり抜けられる程度の隙間ができた。
まず王女が這い出てきた。出口は狭かったために、鎧を脱ぎ捨ててガルファと兵士が這い出てくる。
王女と兵士たちは、三体のオーガが倒れている姿と、馬車の見張りに付いていた兵士の遺体を目にした。
あまりの惨状に王女が顔を手で覆う。
ショックのあまり呆然とする王女であったが、やがて死んだ兵士の埋葬を指示する。クメルとラズベルもそれを手伝った。
兵士の埋葬が終わり、改めて遺跡の中に入らなければならないのだが、ガルファは王女には外に残るように進言した。
それでも強く中に入ると主張する王女にガルファが折れ、馬車に兵士を一人残して、王女、ガルファ、クメル、ラズベルの四人が遺跡の地下へと足を踏み入れることになった。
馬車の中でクメルとラズベルは王女ファルナと対面して座った。二人を挟むように近衛長であるガルファともう一人の兵士が座っているので、非常に窮屈な状態で四人が横並びになった。残る一人の兵士が馬車の手綱を握っている。
遺跡に向かう道中でこの国の内情を知ることができた。王女ファルナが統治するノルラート王国は現国王が病に伏すとともに王家の力が急速に衰えていた。娘であるファルナが国王の代理として国を統治することになったが、年端もいかない少女が国を統治することに対して貴族たちは非難の材料にした。
ここぞとばかりに各貴族が反旗を翻す形となったそうだ。もちろん表立っては王家に逆らう意向を示しているわけではない。陰で貴族同士が結託し、三つの派閥が生まれ、王家の力を削ごうと時には派閥を越えて連携していた。
外には魔物、内には貴族と、敵を抱えたファルナに、信頼のおける人物は日増しに少なくなっていった。
いや、クメルたちにとって問題はそんなところにはなかったのだ。
――ノルラート王国?
――魔物だって?
聞いたことのない国名に、見たこともない異形の存在。いったいこの場所は地球上のどこで、いったい何がどうなっているのか。クメルの頭は混乱を極めていた。
驚愕だったのは、この国にはいっさいの科学技術と呼べるものが存在しないことだった。それだけではなかった。この国といっていいのか――この世界には、魔法が存在するというのだ。
ファルナや兵士の話を聞けば聞くほど、不可解だった。ラズベルのAIも、そしてさすがのT-AIも現状に関する結論を出せないでいた。
出せるのは仮説だけだった。
――元いた場所とは時間的、あるいは空間的にまったく異なる場所に自分たちはいる。
そんな仮説だった。
小一時間ほど馬車に揺られ、一行は遺跡があるという場所までやって来た。
小高い丘に囲まれ、かろうじて馬車が通れる細い道が遺跡までつながっていた。
周囲は木々がまばらに点在し、巨大な岩が遺跡の入り口を囲むように配置されている。遺跡は地下にあるそうだ。四角い穴がぽっかりと空いており、暗闇が地下へと続く石段を呑み込んでいた。
この遺跡へ来た目的は、遺跡奥深くの壁に彫られたメッセージなのだと王女は話す。
『――長い旅の道のりを越えた英雄がこの地に舞い降りたのち、我は目覚めるであろう
――脅威を排除すべき時が来たならば、英雄を我の内へといざなえ
――神のひらめきを内包した我は、賢者に鉄槌を落とすべく立ち上がらん』
そもそもこの遺跡は最近になって発見されたそうだ。
発見した地元の住民によると、それまではこのような遺跡は影も形もなかったと証言した。その住民には金を摑ませて口をつぐませてあるという。
「実は調査隊の報告で概要は摑んでいたのですが、話を聞くだけでは何のことかさっぱり見当がつかないのです。とにかく遺跡の地下には巨大な彫像が眠っており、光を放っているそうです。そして先程のメッセージが壁に彫られていると、そういうわけです」
その彫像が動き出して助けてくれるのか。王女自身も半信半疑であったがその目で確かめてみるまでは何の結論も出せないと自らこの場所にやってきたのだ。
遺跡の地下への入り口は狭く、人が一人ようやく通れるほどの大きさだった。
「では行きましょうか」
そういって先導しようとした王女ファルナを遮って、ガルファが「私が先に参ります」と先陣を切った。
次に兵士の一人があとに続き、残された一人の兵士は馬車の見張りに立つことになった。
二人の兵士のあとに王女ファルナが地下への階段に足を踏み入れ、その姿が闇に包まれた時だった。
それに続こうと足を踏み出したクメルをラズベルが制止した。
「電磁波パルス反応があります。メタリカルドの可能性25%。――クメル、来ます!」
ラズベルが声を大きくしたと同時だった。階段の脇にあった巨大な岩が、地下への階段を塞ぐように倒れ込んできた。
ラズベルに引っ張られたクメルの眼前を巨大な岩がかすめた。轟音を立てて岩が階段に覆いかぶさった。
クメルが降りようとした遺跡の入り口はその岩が塞ぐ形になった。王女と二人の兵士が閉じ込められた。
「王女様!」
馬車の見張りに立っていた兵士が叫んだ。
「反応は三体。01型でも02型でもありません」
即座にラズベルは戦闘形態|《モード01-D》に移行した。
まるで軽装鎧のようだった薄い装甲板が厚いものと入れ替わり、手足は元の三倍の太さはあろうかという太い外殻に変わっていた。
不自然なほどに太い腕に太い脚。
腕力と脚力を重視した装甲だ。
右手にはアサルトライフルをやや小ぶりにしたような銃器を生成している。殺傷力が高く、連射性能に優れた銃だ。
クメルは灰色の迷彩服に手を突っ込み、懐に隠し持っていた小型の銃を手にする。
メタリカルド相手に銃で応戦しても回避されるのがオチなのだが、何かの役に立つかもしれないとの判断だった。
そんな二人を前に咄嗟に反応できなかった兵士が、やや上方を見上げながら呟いた。
「お、大きすぎる……」
平均的な男性の身長の二倍ほどもある緑色の肌の巨人が三体、そこにいた。
腰には麻布のような布を巻いており、手には周囲の木々の幹より一回りも二回りも太い棍棒を握っていた。
ラズベルによると、この存在はファンタジー小説に出てくるオーガに似ているとのことだ。ラズベルとクメルは秘匿通信により、この存在を便宜上オーガと呼ぶことにした。
ここまでくるとクメルは本当にファンタジー世界に迷い込んでしまったのではないかと思うようになっていた。
しかしクメルには気になる点があった。オーガの腕と足だった。
明らかに生体が備えているそれではない。オーガの腕の側面、そして足の側面には縦に細長く金属質のラインが入っている。鈍く光るそれはどう見ても金属なのだが、鎧だとかそういった類ではなく、肉体に埋め込まれているようにも見える。
肘や膝の関節部分もまるで金属で補強されているかのようだった。
メタリカルド……なのか? その疑問がクメルの頭をよぎった。
それを確かめる手段は簡単だ。巨体ではあるが、動きは鈍そうに見えた。オーガに向かってクメルは小銃を突きつけた。
銃弾の発射音とともに銃口から煙が上がる。遅れて金属同士が弾ける音が鳴り響いた。
銃弾はオーガの胸元に着弾していた。
着弾した部分のオーガの皮膚が抉れ、内側のメタル層――メタリカルドの皮膚のすぐ内側の層――が露出していた。
このオーガはメタリカルド化されている――。クメルは確信した。
人間にも応用が利くこの技術は、生体を利用することで安上がりにメタリカルドを量産することができる。
もちろん完全なメタリカルドのほうが戦力としては大きいのだが、生体を利用したメタリカルド化は生産コストが少なくて済む。ここでいう生産コストとは費用のことではなく、必要になる金属量と製造時間のことだ。少ない資源で早く生産ができるということを意味する。
クメルもかつては人間をベースにしたメタリカルドを目撃したことはあった。完全なメタリカルドは人間が百人がかりでも倒すことは難しいだろう。一方で、人間ベースのメタリカルドは倒すことが不可能ではない。
もちろん倒す側の犠牲者が出ることは当然想定できるために、人間が直接挑むなどということはないのだが、一度だけ人間ベースのメタリカルドを相手にしたことがあった。
むしろ完全なメタリカルド相手のほうが躊躇せずに挑める。人間ベースのメタリカルド相手ではためらいが起こるのだ。クメルは二度とこんな存在は相手にしたくないと強く思った。その時のことが脳裏によぎった。
「クメルは下がっていてください」
戦闘形態のラズベルが三体のオーガの中心に飛び込んだ。銃を連射しながら同時に一体のオーガの眼前に跳躍する。
ラズベルの両手両足はオーガに勝るとも劣らない太い装甲だった。右手に構えたライフルの照準を敵から外し、左腕を大きく振りかぶって、拳でオーガの脳天を真横から殴りつけた。
ぐしゃりと音がしてオーガの頭がひしゃげ、脳髄が飛び出した。
オーガベースであるメタリカルドにはおそらくAIは搭載されていない。生体の脳をそのまま自身の制御に利用しているはずだった。
脳を破壊されたオーガがゆっくりと後方に倒れ込み、その巨体が地面を激しく揺らした。
間髪入れず左脇の下に銃口を差し込むようにして、ラズベルは左に位置していたオーガの右膝に銃弾を数十発叩き込んだ。ズダダダダ、とフルオートの銃声が鳴り響く。激しく肉片をまき散らしながらオーガの右膝は破壊され、立っていられなくなったオーガが右膝を地面につく。
そこへ馬車を守っていた兵士が勇敢にも、残り一体のオーガに向かっていった。
「だめです! あなたは下がって――」
ラズベルの言葉はわずかに遅かった。
彼女にとって最優先に守るべき対象は主人であるクメルである。兵士を守ることに意識は向いていなかった。
剣を手にオーガに立ち向かった兵士は棍棒で横薙ぎにされる。
軽く奮ったオーガの一撃で兵士の重厚な鎧はまるで紙でできていたかのようにひしゃげ、近くの岩にその身が叩きつけられた。
岩に血糊だけを残して兵士が地面にうつぶせに倒れ落ちる。
折れ曲がった鎧の中の兵士はぴくりとも動かなかった。
ちっ、と軽く舌打ちをしてラズベルは兵士を攻撃したオーガに走る。オーガが奮った棍棒がラズベルの左腕に叩きつけられた。オーガの棍棒とラズベルの鋼鉄の左腕が激突して、衝撃音が鳴り響く。
だが、ラズベルの左腕の装甲には損傷すらなかった。手足の強度を極端に高めるのが戦闘形態だ。
曲げていたオーガの左足ふとももを踏み台にしてラズベルは跳躍した。オーガの眼下まで飛び上がると、オーガの口に銃口を突っ込みフルオートのアサルトライフルの引き金を引く。銃撃音を響かせ、七、八発の銃弾が口腔の上側から脳天に突き抜けた。
ラズベルが地上に降り立つと同時にオーガの巨体が後方に倒れ込んだことによる地響きが地面を揺らした。
続けて右膝を破壊されて無様に横たわっていた二体目のオーガの元へ歩き、脳天に銃弾を一発撃ち込んだ。オーガは動かなくなった。
オーガはすべてラズベルによって倒され、巨人の死体が三体横たわっている。
ラズベルはそれには目もくれず、オーガに薙ぎ払われた兵士の元へと歩み寄った。軽く鎧に手を触れながら、その体を調べる。
「死んでいます。ナノマシーンを使っても、ここからの蘇生は無理でしょう。すいませんでした。マスター。私の失態です」
おそらくラズベルは最優先事項をクメルの保護に回していたはずだ。
それは彼女にとって最適な方策であったろうし、失態といえるものではないはずだ。それでも後悔のような言葉を口にした。
これがAIの学習の結果による反応なのか、一種の擬似的な感情なのかはクメルにはわかるはずもなかった。
「仕方ない、ラズベル。それよりも王女様の安否が気になる。あの入り口を塞いだ岩をどけることはできるか?」
「それよりも、マスター。このオーガはメタリカルド化されているようです。オーガの死体の調査と王女の救出と、どちらを優先しますか?」
ラズベルにとっては王女の安否すらも優先事項にはないのかもしれないと、クメルは少し気がかりに思った。
クメルをマスターと呼んでいる間は、人間の命よりも状況を総合的に判断した合理的な結論が優先されることは嫌というほど目の当たりにしてきた。
人間としての優先順位の判断をラズベルに伝える。
「王女様を優先しよう」
「かしこまりました。マスター」
ラズベルは遺跡の入り口を塞いでしまった大岩へと歩み寄り、太い手足を使って最大限のパワーを発揮する。これも見越しての戦闘形態への移行だったようだ。
それでも巨大な岩を動かすには困難が伴うようだった。
「マスター。この岩の重量は二十八トンと推定されます。これを排除するには私のエネルギーの約35%を消費しますがよろしいでしょうか?」
沈着冷静な声が辺りに響いた。
「ラズベルの残存エネルギーはどれくらいだ?」
「現在92%残っています」
「なら、聞くまでもなく大丈夫だろう」
「ところが問題が生じています。マスター」
ラズベルは直接会話から通信による会話に切り替えた。
『どういうことだ?』
『――私の動力炉の燃料リサイクル機能が働いていません。ダークマターから吸い上げるエネルギーポンプも未作動です。つまりエネルギー切れがじきに訪れてしまいます』
メタリカルドの動力源は実質的に無限である。時間さえあればいくらでもエネルギーを回復できる。
動力炉は原子崩壊によるエネルギー放出を利用している。そして崩壊を起こした原子を再度利用できるように再構築してリサイクルする。非物質を構成するダークマターから吸い上げたエネルギーを使って原子の再構成を行う。
こうして無限サイクルが成立しているメタリカルドだが、エネルギーポンプが作動しないためエネルギー枯渇の可能性があるというのだ。
王女様の命を助けるか、ラズベルの寿命を縮めるか、そういった問題が生じていた。
「T-AIに結果を求めるとしたら、どのくらいのエネルギーを使う?」
「2%ほどです」
「ラズベルはどう思う?」
これはT-AIの演算結果をラズベルに予測させる質問だ。ラズベルのAIによる演算結果を彼女は口にした。
「この岩を動かすのに必要な35%のエネルギー浪費は避けるように進言するはずです」
クメルは間違いなくT-AIもそう結論付けるだろうと思った。
メタリカルドは時に冷酷な存在だ。感情プログラムを搭載していないからなのだが、だからこそ冷静でかつ合理的な結論を導き出せるのだろう。
クメルはしばし悩んだ。
クメルは人間だ。
メタリカルドのように合理的な結論を下すのは苦手だ。
あとあと後悔するのは人間だけに許された性質だ。おそらくここで王女を見殺しにしたならば、人間特有の後悔というやつに何日も苛まれるだろう。
クメルにとっては王女を助けるという決断こそが、合理的な解答であった。
「ラズベル、君には悪いんだけど。王女様を助けたい。協力してもらえるだろうか」
断ることができないことを知っていてクメルは訊ねた。
「わかりました。クメル。王女の救出を開始します」
柔らかい笑顔の少女がそこにいた。
冷酷な仮面が剥がれた人間味のある存在になっている。
ラズベルは自らの肘関節、膝関節を軋ませながら巨大な岩を少しずつ動かしていった。
エネルギーの消費を最小限に抑えているようだった。ぎりぎり人がすり抜けられる程度の隙間ができた。
まず王女が這い出てきた。出口は狭かったために、鎧を脱ぎ捨ててガルファと兵士が這い出てくる。
王女と兵士たちは、三体のオーガが倒れている姿と、馬車の見張りに付いていた兵士の遺体を目にした。
あまりの惨状に王女が顔を手で覆う。
ショックのあまり呆然とする王女であったが、やがて死んだ兵士の埋葬を指示する。クメルとラズベルもそれを手伝った。
兵士の埋葬が終わり、改めて遺跡の中に入らなければならないのだが、ガルファは王女には外に残るように進言した。
それでも強く中に入ると主張する王女にガルファが折れ、馬車に兵士を一人残して、王女、ガルファ、クメル、ラズベルの四人が遺跡の地下へと足を踏み入れることになった。