ラズベルの動力炉が再起動した。
起動時のシークエンスを終え、わずか0・3秒でシステムに損傷がないことが確認される。
視覚機能が作動する。
クメルの顔が視界に入る。
聴覚機能も問題がない。声が聞こえる。
「ラズベル、やっと起きたか」
クメルは何度ラズベルを起動させようとしても動力炉が作動しなかったのだ。メタリカルドの最低限の生命活動を維持するエネルギーポンプまでもが完全に停止していた。
クメルが諦めかけた頃にラズベルの動力炉が作動した。
◆ ◆ ◆
ラズベルが再起動する数刻前のことだ。
見覚えのない場所にクメルとラズベルはいた。
しばらく気を失っていたクメルは目覚めると、冷たく冷え切って動かない鋼鉄の少女――ラズベルの横で不思議な景色に見とれていた。
一面が花畑だった。
ぴくりとも動かないラズベルだったが、眠るようなアンドロイドの少女は美しかった。その美しさは周囲の花畑で彩られていた。花と花の間を蝶が行き交っている。
こんなに花が咲き乱れる様子を見たのはいつ以来だろう。
クメルが六歳になった時に戦争が激化した。
世界は姿を変え、地上には人間が安全に住める場所はなくなっていた。
地形は地図を書き換えなければならないほどに抉られて、都会だけではなく田舎ですらも敵国の砲撃の対象となった。
地上で見える景色といえば、ビルの瓦礫の山に、砲弾によるクレーターの跡、なぎ倒されて枯れ果てた木々。
そして亡骸となっているメタリカルドの姿もたまに見かける。
こうした破壊されたメタリカルドは回収をしなければならない。メタリカルドの記録領域には自分たちの隠れ家などの情報が残ってしまっているからだ。
もちろん暗号化されているためすぐに解析できるものではないが、技術は常に進歩しいる。いつその情報が漏れてしまうかわからない。
しかし、回収にあたって自国のメタリカルドは互いを攻撃できないように設定されている。そのためメタリカルドの回収と記録消去に関しては人間が直接出向くことになる。
最小限のメンバーを募ってメタリカルドの回収に出るのだが、運悪く敵国のメタリカルドの奇襲を受けたクメルとラズベルは仲間からはぐれてしまっていた。
クメルは視線を上げる。
遠方の山々は頂に雪を被り、延々とのどかな風景が続いている。木々が生い茂った森はその姿を維持していた。どこから聞こえてくるのか、小鳥がさえずる音が耳に入ってくる。
そして人工物らしきものはまったく視界に入ってこなかった。
まるで戦争とは無縁のような風景にクメルは見入ってしまった。
これは夢だろうか、あるいは自分は死んでしまって死後の世界に来てしまったのだろうか。
そんな思いも、すぐ脇に横になっている少女の姿で現実に引き戻された。
まさに人工物がすぐ脇に存在していた。
全身を鈍色に光らせた鋼殻に覆われた金属製の少女。
全身を鎧で覆った戦闘形態の少女は冷たく冷え切っており、周りに咲き乱れる花が、棺の中で横たわる少女を連想させた。
「本当に死んでないよな」
クメルは彼女の体を揺する。
二百五十キロの機体はびくともせずにそこに横たわり、色とりどりの花とその茎を押しつぶしている。動力炉もエネルギーポンプも、ともに停止しているようだった。
メタリカルド01型の起動用ボタンは背中側に存在する。
太めの木の棒を探してきて、テコの原理でひっくり返そうと試みたが単身で二百五十キロの機体を裏返すことは到底無理だった。
仕方なしにクメルはラズベルの周囲の土を掘ることにした。
一時間かけて起動用ボタンに手が届くまでに掘り進んだが、ボタンを押してもラズベルはぴくりとも動かない。
七度目か、八度目か、何らかの損傷を受けたために起動ができなくなったのかと、諦めかけた頃にラズベルは起動した。
◆ ◆ ◆
「ここは……。クメル、ここはどこですか?」
戦闘形態の姿のままラズベルは体を起こす。ラズベルは体を起こす際に、地面に手をついて、周囲の花々を圧し潰した。
「わからん。いったいどこなんだここは……。それよりずっと起動できなかったが、ラズベルには異常はないのか?」
ラズベルは自己診断機能を実行した。起動シークエンスではあくまでシステムの異常の有無を確認するだけだ。
自己診断機能により全身の損傷状態を確認する。
「被弾した肩の修復も完全に終わっています。顔面と右ふとももの外装もすでに修復されたようです。システムに異常は見られませんが……」
ラズベルは一度言葉を切った。
クメルに先を促されて、ラズベルがふたたび口を開いた。
「現在位置の確認ができません。軍事衛星にもワールドトランスネットにも接続ができません。通信が外界と遮断されています。隠れ家との暗号通信に対しても応答がありません」
それを聞いてクメルは眉をひそめた。
「それはラズベルの通信機能に異常が出ているってわけじゃないんだよな?」
「ええ、私の通信機能には異常は見られません。異常があるとしたら私以外の外部要因のほうでしょう。まるで別世界に来てしまったかのような」
そこまで言ってラズベルは自身の視界に表示されたスクリーンをクメルと共有する。
クメルの脳に埋め込まれたシリコン素子により、クメルの視覚野に情報が伝達される。
クメルの目の前にもラズベルが見ているウインドウが表示された。
「『周囲二十キロに渡り、メタリカルドとの戦闘に巻き込まれる恐れなし。戦争は行われていない』――ってなんだこれ?」
「T-AIは少なくとも周囲二十キロは安全だと判断したようです」
T-AIは人間の知能を遥かに上回るAIとして十五年ほど前に開発され、メタリカルド01型に搭載された。高い知能だけではなく、高度な予測演算機能を有している。
メタリカルドの脳に相当するAIとは独立した形でT-AIは搭載されている。T-AIは高度な演算結果を返すのだが、そのエネルギー負荷も相当なもので、必要な時だけT-AIを起動することでエネルギーの消耗を抑える必要がある。
「二十キロ圏内が安全って、海上ならともなく地上にはそんな場所は存在しないだろ」
「まあ、そうですよね……」
メタリカルドらしからぬ、不安と曖昧さを兼ね備えた返答だった。
このT-AIの判断を信用したのか、ラズベルは戦闘形態を解除して迷彩服姿の少女に戻った。
T-AIの利用だけでなく、戦闘形態の維持は多大なエネルギーを消費するために長時間の稼働はできない。
緑の迷彩服のラズベルと、灰色の迷彩服のクメルが歩きだした。
どこへ行くというあてはない。
「クメル、とりあえず近辺の調査と生体反応を探ってみましょう。インフォメーションスクリーンはクメルのほうにも表示しておきます」
「わかった。脅威はないとはいえ、戦時下にあるんだ。油断しないように」
「かしこまりました。マスター」
「マスター……は無しだっていったよな」
「すいませんでした。……クメル」
メタリカルドは専任の担当者――主人(マスター)がつくことになっている。しかしラズベルの本来のマスターは十一年前に失踪している。
十年前にクメルがマスターとなったのだが、人間に服従することを義務づけられたラズベルは時々昔の思考経路が再現されてしまうこともある。
しばらく歩くとラズベルが口を開いた。
「クメル、北北東22・3度の方角に生命反応あり。距離は2・12キロ。数は8から10。対象が近接しており正確な数は不明。行ってみますか?」
「二キロか。けっこう離れてるな。たとえば上空から見ることは可能かな?」
「わかりません。たとえば森の中ではなく草原に位置していればあるいは可能かと」
「じゃあラズベル。お願いしてもいい?」
「かしこまりました。クメル」
ラズベルは飛行形態|《モード01-F》に移行した。跳躍力を重視した形態で、わずかに飛行も可能だ。脚部が金属製の装甲で覆われ、背部には小型の翼が形成された。
そしてなぜかクメルをお姫様抱っこの要領で抱え上げる。
「え、ちょ、ちょっとラズベル。俺も!?」
「では、行きますよ」
クメルの動揺をよそにラズベルは跳躍した。
百メートルほどの高さに飛躍すると、遠方に複数の小さい点が見え、視野を拡大した画像がクメルの視界にも共有される。
「いましたね。どうしましょう。行ってみますか」
「そ、それより、これって俺もいっしょに飛び上がる必要があったのか!?」
「ありますよ。こうすれば視覚情報の伝達にタイムラグが発生しないじゃないですか。合理的な判断です」
「合理的っちゃ、合理的だけど……」
クメルは顔を真っ赤にしてラズベルの腕の中でその柔肌を感じていた。
同じ年代の女性と触れ合ったことのないクメルは、少女の肌の柔らかさを知らない。
少なくとも同じ十六歳の女の子にはクメルをお姫様抱っこで抱き上げる筋力はないわけで、そんな経験はできっこないのだが。
ただのアンドロイドにもかかわらずどきどきしてしまう自分に、なんともいえない罪悪感のようなものを感じてしまっていた。
内臓が浮き上がるような浮遊感で落下し、アンドロイドは見事に着地の衝撃を殺していた。
地面に下ろされたクメルは「次からは了解を取ってから抱え上げろよな」とぶつぶつ言っていた。
「クメル、何か言いましたか?」と答えた鋼鉄の少女の返答に首を振って「何でもない」としか返せなかった。
当然、聴覚も尋常ではないラズベルにはしっかりと聞こえていた。抱きかかえるたびに面白い反応をするクメルを見ることが気に入っていたので、聞こえないふりをしていたのだ。
このあたりは人間臭さのある反応をするようにAIが学習した結果だった。
二キロの道のりを歩いていたクメルたちであったが、二十分ほど歩いたところでラズベルが口を開いた。
「クメル、血液の臭気が検出されました。戦闘が起こっている可能性があります。急ぎましょう」
「血液? 血が流れるってことは誰かが戦っているということか。相手はメタリカルドか?」
「いえ、生体反応のみで電磁波パルスは検出されていません。生物同士の争いのようです」
視覚情報を共有しているクメルの眼前にも情報がスクロールされて表示される。目まぐるしく流れる情報は生身の人間であるクメルには読み切れない。
かろうじて把握できたのは人間4、種族不詳の存在5の情報だった。
クメルとラズベルは走り出した。軽く息を切らせながらクメルが視線を先に向けると、三百メートルほど先に争い合う複数の姿が目に飛び込んできた。
だが、どうも様子がおかしい。
火器等の銃器を使う様子はなく、一方は剣と盾で応戦し、彼らを囲んで襲っている者たちは全身が猪のような茶色い毛で覆われている。毛むくじゃらの存在は五体おり、鎚らしきものを振り回していた。
戦っている者たちに囲まれた中央には馬車と思われる乗り物がある。
重装備をした三人の兵士風の男たちが馬車を守るように、剣を振り回して応戦している。残る一名はおそらく戦力にならないため、馬車の中に残っているのであろう。
「クメル、どうしますか?」
ラズベルがクメルに状況判断を求めた。
「ラズベル、馬車を襲っているあの存在はなんだ?」
離れた位置から、見たことのない異形の存在を指さした。
「現在ワールドネットに接続できませんが、保持している情報から判断するに、あれは過去にファンタジー小説に登場したオークという、豚の姿をした二足歩行のモンスターに該当します」
「オーク!?」
「いえ、あくまでもっとも検索結果に近い存在がオークというだけで……」
「T-AIはどんな判断を下している?」
クメルはラズベルに訊ねた。少しの沈黙のあと、ラズベルが答えた。
「オークと思しき側は知的能力が低く、野生の本能で襲っているようです。一方の兵士と思しき側は知性を兼ね備えており、間違いなく人間であるとの結論です。知力こそ低いですがオークらしき生物の側に分があり、尋常でない筋力に押されて、兵士側の勝利の確率は《12%誤差±1%》です。馬車の中にいる存在を身を挺して守っていますので、彼らを助けて恩を売ることで、現在の私たちが置かれている状況に関する情報を引き出せるものとT-AIは判断しています」
「わかった。T-AIの判断に従おう」
「では、オークらしき生物の駆除を行います。便宜上、対称をオークと呼称することにします。オークの処分はいかがなさいますか? 首をはねてしまってもよろしいですか? マスター」
ラズベルの目が冷酷なものに変わる。
こんな時のラズベルはクメルのことをマスターと呼び、呼び方を訂正するように促しても無駄なことをクメルは知っている。
「とりあえず、追い払うだけで殺さないでおこう」
「かしこまりました。では、行動を開始します」
地面を蹴って走り出したラズベルは、駆けながら戦闘形態《モード00-A》に移行する。これは先のよりもエネルギーの消費を押さえた対人戦闘用の形態だ。
緑の迷彩服姿のまま、腕と脚、そして身体の一部分だけを簡素な薄い金属製の装甲で覆う。無駄がなく、かつ確実に勝利を収める選択を少女メタリカルドのAIは瞬時に計算する。
「助力いたします」
目の前に突然現れた軽装鎧の少女に兵士たちは一瞬たじろいだ。
鎧の少女――ラズベルは細剣を生成する。細剣はメタリカルドが自身を構成している素材から原子変換により生み出したものだ。
次の瞬間にはその細剣を振るって、オークらしき生物が手にした鎚をその手首ごと横薙ぎに一閃する。ラズベルは細剣の先端部分だけを使って一体のオークの手首を切り落としていた。
鎚とオークの手首が地面に転がった。
「あなたは、いったい……?」
どうやら言語の問題はないようだ。現在はどこでも世界統一言語が使用されている。言葉が通じることには疑問を抱かなかったが、少しなまりはあるようだ。
戸惑いながら問いかける兵士を無視して、ラズベルはオークの処理を黙々と続ける。
戦意を失った一体のオークを残して、残り四体のオークはその矛先をいっせいにラズベルに向けていた。だが、オークの反撃をラズベルは許さない。
ラズベルの素早い突きが四連発し、剣閃が四本きらめくと同時にオークは四体とも右肩を貫かれていた。ごとごとと大きな音を立ててオークが持っていた重量感のある鎚が地面に転がり落ちた。
オークは怯えた表情を浮かべたあと、じりじりと後ずさりする。
ラズベルがずいと一歩を踏み出した。
オークが一体、また一体と踵を返して走り出す。
完全に戦う意欲を失った五体のオークは武器をその場に残したまま、身を翻して森の方角へと逃げ出していった。
一方的な戦いに、三人の兵士はその様子を呆然と眺めることしかできないでいた。
ラズベルはオークを追うことなく、反転して兵士に向き直った。
「ご無事でしたでしょうか。襲われていたようですので、お助けいたしました」
三人の兵士は戸惑いつつも、無言で頭を下げる。
ラズベルが自己紹介のために続けて口を開いた。
「私はラズベルと申します。そしてこちらが私の主人であるクメルです」
遅れてその場に到着したクメルに顔を向けてラズベルは紹介した。
すでに兵士の一人は肩に重症を負っていたようで片手で剣を握っていた。別の兵士も鎧の一部がひしゃげており、満身創痍の状態だった。
一人、万全の状態で立っていた兵士は明らかに他の二人とは体格が違っていた。それでも軽く息を切らせながら答えた。
「ラズベル殿とクメル様でございますね。助かりました。こんなところで魔物に襲われるとは思いませんでしたので。本当に助かりました。ありがとうございます」
兵士は深く頭を下げて礼を言った。
「ガルファ、終わったのですか?」
震える声とともにおぼつかない足取りで一人の少女が馬車から顔を出した。
着ている服の上下は白を基調とした簡素な服装だ。服装こそ簡素であるが、胸元まで長く伸びた金色の髪と品の良い顔つきからは高貴な雰囲気が漂っている。
馬車から降りようとする彼女に、ガルファと呼ばれた兵士が近づく。
「王女様、安全が確認されるまで馬車の中でお待ち下さい」
王女と呼ばれた少女は、手をガルファの前に出して制した。
「ガルファ、助けていただいたのです。何の問題もないでしょう」
そして王女と呼ばれた少女はクメルとラズベルに向き直る。
「ありがとうございます。わたくしはこの国を王の代理で統治しておりますファルナと申します。わけあって少数の護衛で行動していましたところ、魔物に襲われてしまいました。本当に助かりました。心から御礼を申し上げます」
王女は深く頭を下げる。
とりあえず王女の礼に対してクメルが「当然のことをしたまでです。頭を上げてください」と気易く返答した。
だが、むすっとした顔をしながらガルファが横から口を挟んだ。
「こちらにおわしますのは正真正銘ノルラート王国の王女、国王代理のファルナ陛下でございます。王女様に謁見したことのない者には判断がつかないやもしれませんが、馬車の紋章では信用いただけないか――」
ガルファが口を出したのは、クメルの口調があまりにも軽かったためだろう。言葉の途中で再度ファルナが手で制した。
「いいのですよ、ガルファ。こんな少数の護衛で城を出た私にも問題があります。ところでラズベルさん、女性ですのに凄くお強そうですね。それに年も若そうです。おいくつですの?」
訊ねられたラズベルが少し考えてから返答した。
「今年で十六になります」
「まあ、わたくしより一歳若いだけですの。素晴らしいわ。王国近衛長よりお強いんじゃないかしら」
王女はちらりとガルファに視線を向ける。横には「面目ございません」と頭を下げるガルファの姿があった。
クメルはオークを殺さずに逃したことを間違っていなかったと思った。ラズベルに全力であたらせたら手の内を晒すことになってしまっていた。
いまだ正体のわからないこの者たちから情報を引き出す必要がある。
それは相手にとっても同様だろう。王女だと名乗るファルナは親しげに話しかけてはきているが、王国近衛長のガルファに至ってはこちらのことを得体の知れない存在だと警戒している様子も見えた。クメルは隠せる情報はなるべく隠したいと思った。
ラズベルの装甲は軽装備の鎧に見えなくもない。少なくとも今この装甲を格納することは避けたほうが良いと思って、そのままでいるようにラズベルへと通信を送る。
クメルの脳に埋め込まれたシリコン素子を使えばラズベルとの近距離通信が可能だ。戦闘形態はそのまま維持するようにラズベルに伝えた。エネルギー消費の少ない《00-A》にしておいたことがうまく生きた。
王女ファルナが話しかけてくる。
「よろしかったら、今しばらく私たちの護衛をしていただけないかしら」
それを横から咎める声をガルファが出しかけた。
「王女様、今回の調査は機密事項で――」
「ガルファ、私たちに何かがあったらそれこそ問題じゃないかしら。それにこの者たちは信用できるような気がします。私の直感でしかありませんが」
ファルナはにっこりと微笑みを向けてくる。十七歳の少女らしい無垢な笑みだった。
「差し支えなければ、何の調査なのか教えてもらってもいいですか?」
クメルが訊ねた。
「この先にある遺跡の調査です。御存知の通り我が国は国境付近で魔物による侵攻に苦しめられております。国境から離れたこんな場所に魔物の侵入を許してしまうなんて思ってもおりませんでしたが。事はそれだけ切迫しているのかもしれません。この状況を打開できるかもしれない可能性がその遺跡にあるかもしれないのです」
王女ファルナが言うには、魔物たちの侵攻が近年戦略的になっており、防御の薄い場所を狙うようになってきているとのことだった。
しかも、裏に手を引くものがいて、内部からの密告があるのではないかとの噂が立っていた。
確証はなかったが、魔物たちを利用して王家の信用を失墜させようとする貴族たちがいるのではと疑心暗鬼になった王女は、内密に自らその遺跡に向かうことにしたのだという。
遺跡までの道程はこれまで魔物が出現したことはなかったため護衛を最小限にしたのだが、魔物に遭遇したことはかなり危険な状況であったようだった。
「クメルさんたちの協力が仰げなければこのまま引き返すしかありません。いかがでしょうか? それなりの報酬もご用意させていただきます」
ラズベルからクメルに近距離通信が入った。『この申し出を受けて、現状に関する情報を引き出しましょう』という内容にクメルも同意した。
「わかりました、王女様。謹んで護衛役を拝領いたします」
少し大仰にクメルは深く頭を下げた。
横のラズベルもクメルに倣って頭を下げていた。
起動時のシークエンスを終え、わずか0・3秒でシステムに損傷がないことが確認される。
視覚機能が作動する。
クメルの顔が視界に入る。
聴覚機能も問題がない。声が聞こえる。
「ラズベル、やっと起きたか」
クメルは何度ラズベルを起動させようとしても動力炉が作動しなかったのだ。メタリカルドの最低限の生命活動を維持するエネルギーポンプまでもが完全に停止していた。
クメルが諦めかけた頃にラズベルの動力炉が作動した。
◆ ◆ ◆
ラズベルが再起動する数刻前のことだ。
見覚えのない場所にクメルとラズベルはいた。
しばらく気を失っていたクメルは目覚めると、冷たく冷え切って動かない鋼鉄の少女――ラズベルの横で不思議な景色に見とれていた。
一面が花畑だった。
ぴくりとも動かないラズベルだったが、眠るようなアンドロイドの少女は美しかった。その美しさは周囲の花畑で彩られていた。花と花の間を蝶が行き交っている。
こんなに花が咲き乱れる様子を見たのはいつ以来だろう。
クメルが六歳になった時に戦争が激化した。
世界は姿を変え、地上には人間が安全に住める場所はなくなっていた。
地形は地図を書き換えなければならないほどに抉られて、都会だけではなく田舎ですらも敵国の砲撃の対象となった。
地上で見える景色といえば、ビルの瓦礫の山に、砲弾によるクレーターの跡、なぎ倒されて枯れ果てた木々。
そして亡骸となっているメタリカルドの姿もたまに見かける。
こうした破壊されたメタリカルドは回収をしなければならない。メタリカルドの記録領域には自分たちの隠れ家などの情報が残ってしまっているからだ。
もちろん暗号化されているためすぐに解析できるものではないが、技術は常に進歩しいる。いつその情報が漏れてしまうかわからない。
しかし、回収にあたって自国のメタリカルドは互いを攻撃できないように設定されている。そのためメタリカルドの回収と記録消去に関しては人間が直接出向くことになる。
最小限のメンバーを募ってメタリカルドの回収に出るのだが、運悪く敵国のメタリカルドの奇襲を受けたクメルとラズベルは仲間からはぐれてしまっていた。
クメルは視線を上げる。
遠方の山々は頂に雪を被り、延々とのどかな風景が続いている。木々が生い茂った森はその姿を維持していた。どこから聞こえてくるのか、小鳥がさえずる音が耳に入ってくる。
そして人工物らしきものはまったく視界に入ってこなかった。
まるで戦争とは無縁のような風景にクメルは見入ってしまった。
これは夢だろうか、あるいは自分は死んでしまって死後の世界に来てしまったのだろうか。
そんな思いも、すぐ脇に横になっている少女の姿で現実に引き戻された。
まさに人工物がすぐ脇に存在していた。
全身を鈍色に光らせた鋼殻に覆われた金属製の少女。
全身を鎧で覆った戦闘形態の少女は冷たく冷え切っており、周りに咲き乱れる花が、棺の中で横たわる少女を連想させた。
「本当に死んでないよな」
クメルは彼女の体を揺する。
二百五十キロの機体はびくともせずにそこに横たわり、色とりどりの花とその茎を押しつぶしている。動力炉もエネルギーポンプも、ともに停止しているようだった。
メタリカルド01型の起動用ボタンは背中側に存在する。
太めの木の棒を探してきて、テコの原理でひっくり返そうと試みたが単身で二百五十キロの機体を裏返すことは到底無理だった。
仕方なしにクメルはラズベルの周囲の土を掘ることにした。
一時間かけて起動用ボタンに手が届くまでに掘り進んだが、ボタンを押してもラズベルはぴくりとも動かない。
七度目か、八度目か、何らかの損傷を受けたために起動ができなくなったのかと、諦めかけた頃にラズベルは起動した。
◆ ◆ ◆
「ここは……。クメル、ここはどこですか?」
戦闘形態の姿のままラズベルは体を起こす。ラズベルは体を起こす際に、地面に手をついて、周囲の花々を圧し潰した。
「わからん。いったいどこなんだここは……。それよりずっと起動できなかったが、ラズベルには異常はないのか?」
ラズベルは自己診断機能を実行した。起動シークエンスではあくまでシステムの異常の有無を確認するだけだ。
自己診断機能により全身の損傷状態を確認する。
「被弾した肩の修復も完全に終わっています。顔面と右ふとももの外装もすでに修復されたようです。システムに異常は見られませんが……」
ラズベルは一度言葉を切った。
クメルに先を促されて、ラズベルがふたたび口を開いた。
「現在位置の確認ができません。軍事衛星にもワールドトランスネットにも接続ができません。通信が外界と遮断されています。隠れ家との暗号通信に対しても応答がありません」
それを聞いてクメルは眉をひそめた。
「それはラズベルの通信機能に異常が出ているってわけじゃないんだよな?」
「ええ、私の通信機能には異常は見られません。異常があるとしたら私以外の外部要因のほうでしょう。まるで別世界に来てしまったかのような」
そこまで言ってラズベルは自身の視界に表示されたスクリーンをクメルと共有する。
クメルの脳に埋め込まれたシリコン素子により、クメルの視覚野に情報が伝達される。
クメルの目の前にもラズベルが見ているウインドウが表示された。
「『周囲二十キロに渡り、メタリカルドとの戦闘に巻き込まれる恐れなし。戦争は行われていない』――ってなんだこれ?」
「T-AIは少なくとも周囲二十キロは安全だと判断したようです」
T-AIは人間の知能を遥かに上回るAIとして十五年ほど前に開発され、メタリカルド01型に搭載された。高い知能だけではなく、高度な予測演算機能を有している。
メタリカルドの脳に相当するAIとは独立した形でT-AIは搭載されている。T-AIは高度な演算結果を返すのだが、そのエネルギー負荷も相当なもので、必要な時だけT-AIを起動することでエネルギーの消耗を抑える必要がある。
「二十キロ圏内が安全って、海上ならともなく地上にはそんな場所は存在しないだろ」
「まあ、そうですよね……」
メタリカルドらしからぬ、不安と曖昧さを兼ね備えた返答だった。
このT-AIの判断を信用したのか、ラズベルは戦闘形態を解除して迷彩服姿の少女に戻った。
T-AIの利用だけでなく、戦闘形態の維持は多大なエネルギーを消費するために長時間の稼働はできない。
緑の迷彩服のラズベルと、灰色の迷彩服のクメルが歩きだした。
どこへ行くというあてはない。
「クメル、とりあえず近辺の調査と生体反応を探ってみましょう。インフォメーションスクリーンはクメルのほうにも表示しておきます」
「わかった。脅威はないとはいえ、戦時下にあるんだ。油断しないように」
「かしこまりました。マスター」
「マスター……は無しだっていったよな」
「すいませんでした。……クメル」
メタリカルドは専任の担当者――主人(マスター)がつくことになっている。しかしラズベルの本来のマスターは十一年前に失踪している。
十年前にクメルがマスターとなったのだが、人間に服従することを義務づけられたラズベルは時々昔の思考経路が再現されてしまうこともある。
しばらく歩くとラズベルが口を開いた。
「クメル、北北東22・3度の方角に生命反応あり。距離は2・12キロ。数は8から10。対象が近接しており正確な数は不明。行ってみますか?」
「二キロか。けっこう離れてるな。たとえば上空から見ることは可能かな?」
「わかりません。たとえば森の中ではなく草原に位置していればあるいは可能かと」
「じゃあラズベル。お願いしてもいい?」
「かしこまりました。クメル」
ラズベルは飛行形態|《モード01-F》に移行した。跳躍力を重視した形態で、わずかに飛行も可能だ。脚部が金属製の装甲で覆われ、背部には小型の翼が形成された。
そしてなぜかクメルをお姫様抱っこの要領で抱え上げる。
「え、ちょ、ちょっとラズベル。俺も!?」
「では、行きますよ」
クメルの動揺をよそにラズベルは跳躍した。
百メートルほどの高さに飛躍すると、遠方に複数の小さい点が見え、視野を拡大した画像がクメルの視界にも共有される。
「いましたね。どうしましょう。行ってみますか」
「そ、それより、これって俺もいっしょに飛び上がる必要があったのか!?」
「ありますよ。こうすれば視覚情報の伝達にタイムラグが発生しないじゃないですか。合理的な判断です」
「合理的っちゃ、合理的だけど……」
クメルは顔を真っ赤にしてラズベルの腕の中でその柔肌を感じていた。
同じ年代の女性と触れ合ったことのないクメルは、少女の肌の柔らかさを知らない。
少なくとも同じ十六歳の女の子にはクメルをお姫様抱っこで抱き上げる筋力はないわけで、そんな経験はできっこないのだが。
ただのアンドロイドにもかかわらずどきどきしてしまう自分に、なんともいえない罪悪感のようなものを感じてしまっていた。
内臓が浮き上がるような浮遊感で落下し、アンドロイドは見事に着地の衝撃を殺していた。
地面に下ろされたクメルは「次からは了解を取ってから抱え上げろよな」とぶつぶつ言っていた。
「クメル、何か言いましたか?」と答えた鋼鉄の少女の返答に首を振って「何でもない」としか返せなかった。
当然、聴覚も尋常ではないラズベルにはしっかりと聞こえていた。抱きかかえるたびに面白い反応をするクメルを見ることが気に入っていたので、聞こえないふりをしていたのだ。
このあたりは人間臭さのある反応をするようにAIが学習した結果だった。
二キロの道のりを歩いていたクメルたちであったが、二十分ほど歩いたところでラズベルが口を開いた。
「クメル、血液の臭気が検出されました。戦闘が起こっている可能性があります。急ぎましょう」
「血液? 血が流れるってことは誰かが戦っているということか。相手はメタリカルドか?」
「いえ、生体反応のみで電磁波パルスは検出されていません。生物同士の争いのようです」
視覚情報を共有しているクメルの眼前にも情報がスクロールされて表示される。目まぐるしく流れる情報は生身の人間であるクメルには読み切れない。
かろうじて把握できたのは人間4、種族不詳の存在5の情報だった。
クメルとラズベルは走り出した。軽く息を切らせながらクメルが視線を先に向けると、三百メートルほど先に争い合う複数の姿が目に飛び込んできた。
だが、どうも様子がおかしい。
火器等の銃器を使う様子はなく、一方は剣と盾で応戦し、彼らを囲んで襲っている者たちは全身が猪のような茶色い毛で覆われている。毛むくじゃらの存在は五体おり、鎚らしきものを振り回していた。
戦っている者たちに囲まれた中央には馬車と思われる乗り物がある。
重装備をした三人の兵士風の男たちが馬車を守るように、剣を振り回して応戦している。残る一名はおそらく戦力にならないため、馬車の中に残っているのであろう。
「クメル、どうしますか?」
ラズベルがクメルに状況判断を求めた。
「ラズベル、馬車を襲っているあの存在はなんだ?」
離れた位置から、見たことのない異形の存在を指さした。
「現在ワールドネットに接続できませんが、保持している情報から判断するに、あれは過去にファンタジー小説に登場したオークという、豚の姿をした二足歩行のモンスターに該当します」
「オーク!?」
「いえ、あくまでもっとも検索結果に近い存在がオークというだけで……」
「T-AIはどんな判断を下している?」
クメルはラズベルに訊ねた。少しの沈黙のあと、ラズベルが答えた。
「オークと思しき側は知的能力が低く、野生の本能で襲っているようです。一方の兵士と思しき側は知性を兼ね備えており、間違いなく人間であるとの結論です。知力こそ低いですがオークらしき生物の側に分があり、尋常でない筋力に押されて、兵士側の勝利の確率は《12%誤差±1%》です。馬車の中にいる存在を身を挺して守っていますので、彼らを助けて恩を売ることで、現在の私たちが置かれている状況に関する情報を引き出せるものとT-AIは判断しています」
「わかった。T-AIの判断に従おう」
「では、オークらしき生物の駆除を行います。便宜上、対称をオークと呼称することにします。オークの処分はいかがなさいますか? 首をはねてしまってもよろしいですか? マスター」
ラズベルの目が冷酷なものに変わる。
こんな時のラズベルはクメルのことをマスターと呼び、呼び方を訂正するように促しても無駄なことをクメルは知っている。
「とりあえず、追い払うだけで殺さないでおこう」
「かしこまりました。では、行動を開始します」
地面を蹴って走り出したラズベルは、駆けながら戦闘形態《モード00-A》に移行する。これは先のよりもエネルギーの消費を押さえた対人戦闘用の形態だ。
緑の迷彩服姿のまま、腕と脚、そして身体の一部分だけを簡素な薄い金属製の装甲で覆う。無駄がなく、かつ確実に勝利を収める選択を少女メタリカルドのAIは瞬時に計算する。
「助力いたします」
目の前に突然現れた軽装鎧の少女に兵士たちは一瞬たじろいだ。
鎧の少女――ラズベルは細剣を生成する。細剣はメタリカルドが自身を構成している素材から原子変換により生み出したものだ。
次の瞬間にはその細剣を振るって、オークらしき生物が手にした鎚をその手首ごと横薙ぎに一閃する。ラズベルは細剣の先端部分だけを使って一体のオークの手首を切り落としていた。
鎚とオークの手首が地面に転がった。
「あなたは、いったい……?」
どうやら言語の問題はないようだ。現在はどこでも世界統一言語が使用されている。言葉が通じることには疑問を抱かなかったが、少しなまりはあるようだ。
戸惑いながら問いかける兵士を無視して、ラズベルはオークの処理を黙々と続ける。
戦意を失った一体のオークを残して、残り四体のオークはその矛先をいっせいにラズベルに向けていた。だが、オークの反撃をラズベルは許さない。
ラズベルの素早い突きが四連発し、剣閃が四本きらめくと同時にオークは四体とも右肩を貫かれていた。ごとごとと大きな音を立ててオークが持っていた重量感のある鎚が地面に転がり落ちた。
オークは怯えた表情を浮かべたあと、じりじりと後ずさりする。
ラズベルがずいと一歩を踏み出した。
オークが一体、また一体と踵を返して走り出す。
完全に戦う意欲を失った五体のオークは武器をその場に残したまま、身を翻して森の方角へと逃げ出していった。
一方的な戦いに、三人の兵士はその様子を呆然と眺めることしかできないでいた。
ラズベルはオークを追うことなく、反転して兵士に向き直った。
「ご無事でしたでしょうか。襲われていたようですので、お助けいたしました」
三人の兵士は戸惑いつつも、無言で頭を下げる。
ラズベルが自己紹介のために続けて口を開いた。
「私はラズベルと申します。そしてこちらが私の主人であるクメルです」
遅れてその場に到着したクメルに顔を向けてラズベルは紹介した。
すでに兵士の一人は肩に重症を負っていたようで片手で剣を握っていた。別の兵士も鎧の一部がひしゃげており、満身創痍の状態だった。
一人、万全の状態で立っていた兵士は明らかに他の二人とは体格が違っていた。それでも軽く息を切らせながら答えた。
「ラズベル殿とクメル様でございますね。助かりました。こんなところで魔物に襲われるとは思いませんでしたので。本当に助かりました。ありがとうございます」
兵士は深く頭を下げて礼を言った。
「ガルファ、終わったのですか?」
震える声とともにおぼつかない足取りで一人の少女が馬車から顔を出した。
着ている服の上下は白を基調とした簡素な服装だ。服装こそ簡素であるが、胸元まで長く伸びた金色の髪と品の良い顔つきからは高貴な雰囲気が漂っている。
馬車から降りようとする彼女に、ガルファと呼ばれた兵士が近づく。
「王女様、安全が確認されるまで馬車の中でお待ち下さい」
王女と呼ばれた少女は、手をガルファの前に出して制した。
「ガルファ、助けていただいたのです。何の問題もないでしょう」
そして王女と呼ばれた少女はクメルとラズベルに向き直る。
「ありがとうございます。わたくしはこの国を王の代理で統治しておりますファルナと申します。わけあって少数の護衛で行動していましたところ、魔物に襲われてしまいました。本当に助かりました。心から御礼を申し上げます」
王女は深く頭を下げる。
とりあえず王女の礼に対してクメルが「当然のことをしたまでです。頭を上げてください」と気易く返答した。
だが、むすっとした顔をしながらガルファが横から口を挟んだ。
「こちらにおわしますのは正真正銘ノルラート王国の王女、国王代理のファルナ陛下でございます。王女様に謁見したことのない者には判断がつかないやもしれませんが、馬車の紋章では信用いただけないか――」
ガルファが口を出したのは、クメルの口調があまりにも軽かったためだろう。言葉の途中で再度ファルナが手で制した。
「いいのですよ、ガルファ。こんな少数の護衛で城を出た私にも問題があります。ところでラズベルさん、女性ですのに凄くお強そうですね。それに年も若そうです。おいくつですの?」
訊ねられたラズベルが少し考えてから返答した。
「今年で十六になります」
「まあ、わたくしより一歳若いだけですの。素晴らしいわ。王国近衛長よりお強いんじゃないかしら」
王女はちらりとガルファに視線を向ける。横には「面目ございません」と頭を下げるガルファの姿があった。
クメルはオークを殺さずに逃したことを間違っていなかったと思った。ラズベルに全力であたらせたら手の内を晒すことになってしまっていた。
いまだ正体のわからないこの者たちから情報を引き出す必要がある。
それは相手にとっても同様だろう。王女だと名乗るファルナは親しげに話しかけてはきているが、王国近衛長のガルファに至ってはこちらのことを得体の知れない存在だと警戒している様子も見えた。クメルは隠せる情報はなるべく隠したいと思った。
ラズベルの装甲は軽装備の鎧に見えなくもない。少なくとも今この装甲を格納することは避けたほうが良いと思って、そのままでいるようにラズベルへと通信を送る。
クメルの脳に埋め込まれたシリコン素子を使えばラズベルとの近距離通信が可能だ。戦闘形態はそのまま維持するようにラズベルに伝えた。エネルギー消費の少ない《00-A》にしておいたことがうまく生きた。
王女ファルナが話しかけてくる。
「よろしかったら、今しばらく私たちの護衛をしていただけないかしら」
それを横から咎める声をガルファが出しかけた。
「王女様、今回の調査は機密事項で――」
「ガルファ、私たちに何かがあったらそれこそ問題じゃないかしら。それにこの者たちは信用できるような気がします。私の直感でしかありませんが」
ファルナはにっこりと微笑みを向けてくる。十七歳の少女らしい無垢な笑みだった。
「差し支えなければ、何の調査なのか教えてもらってもいいですか?」
クメルが訊ねた。
「この先にある遺跡の調査です。御存知の通り我が国は国境付近で魔物による侵攻に苦しめられております。国境から離れたこんな場所に魔物の侵入を許してしまうなんて思ってもおりませんでしたが。事はそれだけ切迫しているのかもしれません。この状況を打開できるかもしれない可能性がその遺跡にあるかもしれないのです」
王女ファルナが言うには、魔物たちの侵攻が近年戦略的になっており、防御の薄い場所を狙うようになってきているとのことだった。
しかも、裏に手を引くものがいて、内部からの密告があるのではないかとの噂が立っていた。
確証はなかったが、魔物たちを利用して王家の信用を失墜させようとする貴族たちがいるのではと疑心暗鬼になった王女は、内密に自らその遺跡に向かうことにしたのだという。
遺跡までの道程はこれまで魔物が出現したことはなかったため護衛を最小限にしたのだが、魔物に遭遇したことはかなり危険な状況であったようだった。
「クメルさんたちの協力が仰げなければこのまま引き返すしかありません。いかがでしょうか? それなりの報酬もご用意させていただきます」
ラズベルからクメルに近距離通信が入った。『この申し出を受けて、現状に関する情報を引き出しましょう』という内容にクメルも同意した。
「わかりました、王女様。謹んで護衛役を拝領いたします」
少し大仰にクメルは深く頭を下げた。
横のラズベルもクメルに倣って頭を下げていた。