メタリカルドのラズベルの操縦により、二体目のアーガストの搭乗口から人間の頭部が取り出された。
巨人の指でつままれているのは黒髪のボブカット――クメルの母親であるラズベル・ベラウトの頭部だった。
「この頭は潰してしまわなければなりません」
許可を求めるために発したラズベルの冷たい声が、クメルの耳に届いた。クメルはその頭部の顔を見つめた。
「母さん――」
もう少し、あと少しアーガストの指先をわずか動かすだけで、簡単に潰すことができる。本来はクメルの許可などは必要としなかった。
そしてメタリカルドのラズベルは静かに口を開いた。
「クメル、あなたの母親からの伝言です。よく聞いて下さい」
――私のいない世界で、新しい幸せを掴みなさい
クメルの脳裏に思い出が走馬灯のように蘇る。
愛する母さん――
まだクメルが七歳だった。母親がいなくなる数か月前だったろうか。
「もうすぐ母さんはいなくなっちゃうの?」
母親は研究のためにしばらくクメルと会えなくなるのだと聞かされていた。
「そうね。ごめんね。しばらく会えないの」
「どうして?」
クメルは母親に抱きつき、無邪気な声を上げた。母親の寂しそうな顔を不思議に思っていた。
「戦争を終わらせるためなの。我慢してね」
「いやだ。母さんに会えなくなるなら戦争なんて終わらなくていい」
「そんなこと言わないで、クメル。母さんのすることをクメルも信じてほしいの」
真剣な母親の言葉と表情に、クメルも真剣な言葉で返さなければならないと子供心に思った。
「わかった。我慢する。母さんのことをしんじる」
「ありがとう、クメル。クメルにひとつお願いがあるの」
「なあに?」
母親の慈愛に満ちた微笑みに、クメルも親に甘えるような仕草をしながら答えた。
「母さんね、クメルが幸せに暮らせるように何年もがんばるから、そうしたらクメルを母さんのところに呼び寄せるから、クメルは母さんのことを楽にしてほしいの」
「らくにする?」
「そう、お願いできる?」
「らくにするってどういうこと?」
「その時になったら分かるわ」
「らくにしなかったらどうなっちゃうの? 母さん、らくになりたいの? らくにしたらいっしょにまた暮らせる?」
「母さんね、戦争を終わらせた後に、新しい人類を滅ぼしちゃうかもしれないの。クメルに新しい幸せを選択してもらったら、母さん幸せな気持ちで死ぬことができるから、だからクメルにお願いしたいの」
「母さん死んじゃうの? やだやだ、いやだ!」
「お願い、クメル。あなたしかいないの。母さんは何年も何年も一人で寂しく生きていくことになるの。だからね――」
「やだやだ、母さんが死んじゃうんなら、いやだ」
「そんなこと言わないで、クメル。お願い――」
「いやだ、いやだ、いやだ――」
駄々をこねるようなクメルの顔の両頬に、母親は両手を添える。クメルの目を見据えて、言い聞かせるように口を開く。
「これは、必要なことなの。人類の滅亡は止められない。けれど、長い長い年月の先、あなたは呼び寄せられる。T-AIはきっと人類を復興させようとする。けれど、私は、あなたには新しい世界で、別の幸せをみつけてほしい。もしかしたら母さんは大型兵器に乗っているかもしれない。でも大丈夫、ちゃんとお別れができるようにしてあるから――」
過去を思い出していたクメルは、意識を取り戻したファノンの声を耳にして現実に引き戻された。
ファノンの引き絞るような声が……。
「ファルナ姉さん――」
アーガストの後席にいっしょに乗せていたファノンの意識が戻って、弱々しい声を上げていた。それを耳にして、クメルはアーガストの操縦席を取り囲むモニター越しに前方を見る。
もう一体のアーガスト――こちらのアーガストに馬乗りにされている――の巨大な右腕が上がっていた。
その右手には王女ファルナが握り締められていた。
もう一体のアーガストから声が響いた。クメルの母親と同じ声だった。
「先ほどの馬車に乗っていたこの子を握りつぶします。クメル、この子を助けるか、見殺しにするか、選びなさい」
王女を握っているアーガストの手に力が入る。王女の目が見開き、うめき声を上げた。直後、げほっと血を吐き出す。めきめきと骨の軋むような音までもが聞こえる。
「お姉様。お姉様。クメル、お姉さまを助けて――」
横では意識を取り戻したばかりのファノンが、朦朧としたまま前方のモニターを摑むように手を差し出していた。弱々しくも悲痛な声が操縦席内に反響した。
前席に座るラズベルが機械的な声で語りだす。
「人間の脳には神のひらめきがあります。あなたの母親はアーガストの一部となり、アーガストは07型へと進化して戦争を終結させました。そして百万年をかけて、過去からあなたを呼び戻す方法をずっと計算していました。母親の脳はT-AIと融合しており、T-AIの判断から逃れられません。T-AIの判断は新人類である〝魔力〟を持つ人間を駆逐し、クメルの遺伝子情報から旧世代の人類を蘇らせて繁栄させることです」
少し間を空けて、鋼鉄の少女は続ける。
「一方で、あなたの母親の望みは、クメル、あなたにメタリカルドのいない世界で幸せに生きてもらうこと、ただそれだけです。だからあなたの母親はアーガストオリジナルモデルとあなたが接続できるように、プログラムに血の盟約を書き込んでいました」
――血の盟約――
クメルの母親ラズベル・ベラウトは血縁者であるクメルだけがアーガストオリジナルモデルに対して互いに魔力の供給ができるようにした。だからアーガストの内部でメタリカルドのラズベルを複製できた。これがこの世界で手にしたクメルの魔法だ。
クメルは何も答えることができないでいた。横では姉を助けてくれと悲痛な声を上げるファノンがクメルの体を揺すっていた。
だが、クメルには母親を見殺しにすることなどできなかった。同時に王女を助けたい気持ちもあった。
どちらかを選ぶことなどクメルにはできなかった。
しかし、王女を握るもう一体のアーガストの手にはさらに力が加わっていく。
王女は目から血を流していた。時間は残っていなかった。
「クメル! クメル!」
ファノンが隣で泣き叫ぶ。
クメルは目の前の情景を見つめながら固まっていた。
前席のラズベルが口を開く。その声はどこか、かつての母親を思わせた。
『クメル、百万年の苦しみからわたしは解放されたいの――。あとはあなたが引き継ぐのです。あなたにはメタリカルドのいない世界で生きていって欲しい――』
次にラズベルは機械的な声に戻って言った。
「私が実行します」
母親の頭部をつまむアーガストの指がわずかに動く。
クメルは唇を強く噛み締めた。
唇から血が滴った。
このままクメルの母親の頭部を残しておくと、T-AIは現在の新人類を滅亡させる判断を下すだろう。
クメルの母親はそれを阻止するために、自分を殺してすべてを終わらせて欲しいと願っている。王女ファルナを人質に取り、脅してまでして、すべてを終わらせようとしていた。
しかしクメルはラズベルに許可を出さなかった。
代わりに自分がアーガストの操縦権を握った。
クメルは奥歯を強く噛み締めた。右目から一筋の涙を流した。
「俺が……。俺がやる。俺の手で終わらせる。俺が母さんを楽にさせる……」
クメルの操縦により、さきほどまで指先でつままれていた母親の頭部が、アーガストの右手の中に包み込まれた。アーガストの手に力が込められる。
一瞬の間があった。
エラー音が鳴り響く。
クメルからアーガストの操作権が剥奪された。アーガストの操作ができなくなった。
「あなたにはさせません。あなたの母親から許可が出ていません。私が実行いたします」
クメルの母親は、息子に手を汚させることを望んでいなかった。その時が来たらすべてを破壊する権限をラズベルに与えていた。それがクメルの母親の愛情だった。
そしてアーガストの巨大な手が握り締められた。
静まり返った中に、嫌な音が鳴り響いた。
赤い血がアーガストの指と指の間から滲んだ。
アーガストはゆっくりと手を開いた。
原形を留めていない頭蓋骨とぐちゃぐちゃになった脳髄があった。
脊髄につながっていたと思われる複数の銀の配線がずるりと滑り落ち、静かに地面に落ちた。
クメルはかつて母親だったものを見つめた。
自分の両手を強く握り締めて、拳を目の前の小型モニターに激しく叩きつけた。何度も何度も叩きつけた。
ファノンが落ち着かせようとクメルの肩に手を置いたが、クメルは乱暴にはねのけた。
クメルの泣き叫ぶ声が、いつまでもアーガストのコクピットに溢れ続けていた。
巨人の指でつままれているのは黒髪のボブカット――クメルの母親であるラズベル・ベラウトの頭部だった。
「この頭は潰してしまわなければなりません」
許可を求めるために発したラズベルの冷たい声が、クメルの耳に届いた。クメルはその頭部の顔を見つめた。
「母さん――」
もう少し、あと少しアーガストの指先をわずか動かすだけで、簡単に潰すことができる。本来はクメルの許可などは必要としなかった。
そしてメタリカルドのラズベルは静かに口を開いた。
「クメル、あなたの母親からの伝言です。よく聞いて下さい」
――私のいない世界で、新しい幸せを掴みなさい
クメルの脳裏に思い出が走馬灯のように蘇る。
愛する母さん――
まだクメルが七歳だった。母親がいなくなる数か月前だったろうか。
「もうすぐ母さんはいなくなっちゃうの?」
母親は研究のためにしばらくクメルと会えなくなるのだと聞かされていた。
「そうね。ごめんね。しばらく会えないの」
「どうして?」
クメルは母親に抱きつき、無邪気な声を上げた。母親の寂しそうな顔を不思議に思っていた。
「戦争を終わらせるためなの。我慢してね」
「いやだ。母さんに会えなくなるなら戦争なんて終わらなくていい」
「そんなこと言わないで、クメル。母さんのすることをクメルも信じてほしいの」
真剣な母親の言葉と表情に、クメルも真剣な言葉で返さなければならないと子供心に思った。
「わかった。我慢する。母さんのことをしんじる」
「ありがとう、クメル。クメルにひとつお願いがあるの」
「なあに?」
母親の慈愛に満ちた微笑みに、クメルも親に甘えるような仕草をしながら答えた。
「母さんね、クメルが幸せに暮らせるように何年もがんばるから、そうしたらクメルを母さんのところに呼び寄せるから、クメルは母さんのことを楽にしてほしいの」
「らくにする?」
「そう、お願いできる?」
「らくにするってどういうこと?」
「その時になったら分かるわ」
「らくにしなかったらどうなっちゃうの? 母さん、らくになりたいの? らくにしたらいっしょにまた暮らせる?」
「母さんね、戦争を終わらせた後に、新しい人類を滅ぼしちゃうかもしれないの。クメルに新しい幸せを選択してもらったら、母さん幸せな気持ちで死ぬことができるから、だからクメルにお願いしたいの」
「母さん死んじゃうの? やだやだ、いやだ!」
「お願い、クメル。あなたしかいないの。母さんは何年も何年も一人で寂しく生きていくことになるの。だからね――」
「やだやだ、母さんが死んじゃうんなら、いやだ」
「そんなこと言わないで、クメル。お願い――」
「いやだ、いやだ、いやだ――」
駄々をこねるようなクメルの顔の両頬に、母親は両手を添える。クメルの目を見据えて、言い聞かせるように口を開く。
「これは、必要なことなの。人類の滅亡は止められない。けれど、長い長い年月の先、あなたは呼び寄せられる。T-AIはきっと人類を復興させようとする。けれど、私は、あなたには新しい世界で、別の幸せをみつけてほしい。もしかしたら母さんは大型兵器に乗っているかもしれない。でも大丈夫、ちゃんとお別れができるようにしてあるから――」
過去を思い出していたクメルは、意識を取り戻したファノンの声を耳にして現実に引き戻された。
ファノンの引き絞るような声が……。
「ファルナ姉さん――」
アーガストの後席にいっしょに乗せていたファノンの意識が戻って、弱々しい声を上げていた。それを耳にして、クメルはアーガストの操縦席を取り囲むモニター越しに前方を見る。
もう一体のアーガスト――こちらのアーガストに馬乗りにされている――の巨大な右腕が上がっていた。
その右手には王女ファルナが握り締められていた。
もう一体のアーガストから声が響いた。クメルの母親と同じ声だった。
「先ほどの馬車に乗っていたこの子を握りつぶします。クメル、この子を助けるか、見殺しにするか、選びなさい」
王女を握っているアーガストの手に力が入る。王女の目が見開き、うめき声を上げた。直後、げほっと血を吐き出す。めきめきと骨の軋むような音までもが聞こえる。
「お姉様。お姉様。クメル、お姉さまを助けて――」
横では意識を取り戻したばかりのファノンが、朦朧としたまま前方のモニターを摑むように手を差し出していた。弱々しくも悲痛な声が操縦席内に反響した。
前席に座るラズベルが機械的な声で語りだす。
「人間の脳には神のひらめきがあります。あなたの母親はアーガストの一部となり、アーガストは07型へと進化して戦争を終結させました。そして百万年をかけて、過去からあなたを呼び戻す方法をずっと計算していました。母親の脳はT-AIと融合しており、T-AIの判断から逃れられません。T-AIの判断は新人類である〝魔力〟を持つ人間を駆逐し、クメルの遺伝子情報から旧世代の人類を蘇らせて繁栄させることです」
少し間を空けて、鋼鉄の少女は続ける。
「一方で、あなたの母親の望みは、クメル、あなたにメタリカルドのいない世界で幸せに生きてもらうこと、ただそれだけです。だからあなたの母親はアーガストオリジナルモデルとあなたが接続できるように、プログラムに血の盟約を書き込んでいました」
――血の盟約――
クメルの母親ラズベル・ベラウトは血縁者であるクメルだけがアーガストオリジナルモデルに対して互いに魔力の供給ができるようにした。だからアーガストの内部でメタリカルドのラズベルを複製できた。これがこの世界で手にしたクメルの魔法だ。
クメルは何も答えることができないでいた。横では姉を助けてくれと悲痛な声を上げるファノンがクメルの体を揺すっていた。
だが、クメルには母親を見殺しにすることなどできなかった。同時に王女を助けたい気持ちもあった。
どちらかを選ぶことなどクメルにはできなかった。
しかし、王女を握るもう一体のアーガストの手にはさらに力が加わっていく。
王女は目から血を流していた。時間は残っていなかった。
「クメル! クメル!」
ファノンが隣で泣き叫ぶ。
クメルは目の前の情景を見つめながら固まっていた。
前席のラズベルが口を開く。その声はどこか、かつての母親を思わせた。
『クメル、百万年の苦しみからわたしは解放されたいの――。あとはあなたが引き継ぐのです。あなたにはメタリカルドのいない世界で生きていって欲しい――』
次にラズベルは機械的な声に戻って言った。
「私が実行します」
母親の頭部をつまむアーガストの指がわずかに動く。
クメルは唇を強く噛み締めた。
唇から血が滴った。
このままクメルの母親の頭部を残しておくと、T-AIは現在の新人類を滅亡させる判断を下すだろう。
クメルの母親はそれを阻止するために、自分を殺してすべてを終わらせて欲しいと願っている。王女ファルナを人質に取り、脅してまでして、すべてを終わらせようとしていた。
しかしクメルはラズベルに許可を出さなかった。
代わりに自分がアーガストの操縦権を握った。
クメルは奥歯を強く噛み締めた。右目から一筋の涙を流した。
「俺が……。俺がやる。俺の手で終わらせる。俺が母さんを楽にさせる……」
クメルの操縦により、さきほどまで指先でつままれていた母親の頭部が、アーガストの右手の中に包み込まれた。アーガストの手に力が込められる。
一瞬の間があった。
エラー音が鳴り響く。
クメルからアーガストの操作権が剥奪された。アーガストの操作ができなくなった。
「あなたにはさせません。あなたの母親から許可が出ていません。私が実行いたします」
クメルの母親は、息子に手を汚させることを望んでいなかった。その時が来たらすべてを破壊する権限をラズベルに与えていた。それがクメルの母親の愛情だった。
そしてアーガストの巨大な手が握り締められた。
静まり返った中に、嫌な音が鳴り響いた。
赤い血がアーガストの指と指の間から滲んだ。
アーガストはゆっくりと手を開いた。
原形を留めていない頭蓋骨とぐちゃぐちゃになった脳髄があった。
脊髄につながっていたと思われる複数の銀の配線がずるりと滑り落ち、静かに地面に落ちた。
クメルはかつて母親だったものを見つめた。
自分の両手を強く握り締めて、拳を目の前の小型モニターに激しく叩きつけた。何度も何度も叩きつけた。
ファノンが落ち着かせようとクメルの肩に手を置いたが、クメルは乱暴にはねのけた。
クメルの泣き叫ぶ声が、いつまでもアーガストのコクピットに溢れ続けていた。