クメルと王女は寝室を飛び出し、駆け出した。
中庭に面した廊下まで走り、窓から外を見ると中庭が目に入った。
月明かりの下で大量のガーゴイルがアーガストを覆った布に群がっていた。大勢のガーゴイルにより、ついばむように布が持ち上げられ、ところどころ穴があいている。
やがてアーガストを覆っていた布は引き裂かれ、水晶の煌めきを放ちながらその巨体が露わになった。
廊下にはすでに大勢の兵士と、翌朝に備えて待機していた魔法部隊の面々、そして貴族たちが集まってきていた。
「どうして、ここにガーゴイルが!?」
「それよりも、アーガストは森の中に隠していたんじゃなかったのか?」
「なぜ、城の中庭にアーガストが置かれているんだ」
廊下に喧騒が響き渡る。
王女は、中庭に面した廊下にはアーガストの存在を知らない者は近寄らないように配慮していたのだが、ガーゴイルが現れたとなると彼らが詰めかけるのを制止するすべはなかった。
苦渋の言い訳として、明日に備えてアーガストをここに運んでおいたのだと言い訳するしかなかった。
しかし、問題はそんなことではない。
どうしてここにガーゴイルの群れがいるのかは不明だが、一刻も早く魔物の群れに対処しなければならなかった。
「クメル殿、アーガストに乗り込んで対応を!」
兵士の一人が叫んだが、とてもアーガストに近寄れる状況ではない。
中庭には既に魔法部隊と騎士団が足を踏み入れているが、中庭へ出る扉は狭く、足場も少ないために中庭に出ることのできた者はわずかだった。
魔法でガーゴイルを攻撃するが、ガーゴイルの側でも魔法を打ってくる。ガーゴイルの攻撃に魔法部隊は押されているように見えた。
その時、アーガストの胸の部分、搭乗口の入り口が開いた。
「クメルさん!」
廊下の窓からガーゴイルと魔法部隊の攻防を見ていた王女が叫んだ。
開いた搭乗口からは白髪のラズベルの姿が見えた。
その正面に全身を軽装鎧で包んだ別の少女が降り立った。降り立ったように見えたのは、少女が上空から降ってきたからだ。おそらくガーゴイルによってここまで運ばれてきたのだろう。
クメルはひと目でわかった。あの少女はメタリカルドだ。戦闘形態。機動力を重視した装甲を形成している。
外見こそラズベルと大差がないが、装甲が仄かに赤く輝くのが02型の特徴だ。
全身を赤い鈍色に光らせたメタリカルドの少女は、アーガストの前席に座るラズベルの首を摑んで持ち上げ、そのまま操縦席の外に体を放り投げた。
二百五十キロのラズベルは一度激しく城の壁に激突したあと、魔法部隊とガーゴイルが交戦している中間に激しい音を立てて落下した。重量のある物体が落下した衝撃で、地面が抉れ、石や土を撒き散らした。
02型の赤く光るメタリカルドは何かを手にしていた。クメルにはそれがすぐには分からなかった。しかし、悲鳴のような声を上げた王女の声で理解した。
「ガルファ!」
ガルファ。王国近衛長の名だ。
メタリカルドの右手には髪の毛の束が握られ、その下にはガルファの首。首から下は切断されたと思われ、体の代わりに無数の配線が伸びてメタリカルドにつながっていた。
――アーガストの操縦には人間の脳が必要です。
クメルはラズベルの説明を思い出す。
あのメタリカルドはガルファの頭部を利用してアーガストを動かそうというのだ。
02型メタリカルドがアーガストの内部に姿を消した。搭乗口の扉が閉じられ、ゆっくりとアーガストが立ち上がり始める。
立ち上がったアーガストは一度大きく右腕を振り回すと、城の壁に叩きつけてそのまま水平に、がががが、と轟音を立てながら振り回した。
「危ない!」
クメルは王女に飛びついて、抱きしめるように倒れ込んだ。中庭に面した壁が破壊され、頭上をアーガストの腕が横切っていった。
城の壁を大きく破壊すると、アーガストは跳躍し、城の中庭から飛び出した。
大きな衝撃を地面に伝えながら一度着地して、再度飛び上がると背面部分に翼を形成し、建物をかすめるように飛翔した。
人型巨大兵器アーガストは月の光をきらきらと反射させながら、王都の上空を北東に向けて飛び去った。
クメルたちは破壊されて視界が開けた城から、アーガストが小さくなって見えなくなるまで見続けることしかできなかった。ほんの数秒足らずで、アーガストはクメルたちの視界から消えていった。
北東の洞穴への遠征は中止になった。
翌朝、薄暗い時間帯から城の復旧工事が始まっている。
「どうやら近衛長のガルファが敵に内通していた模様です」
兵士からの報告を受け、ガルファの自宅が捜索された。
捜索の結果、数々の証拠が出てきたようだ。
この国では魔法部隊が優遇される現状で、魔法が使えないものは軽視されている。
それを不満に思っていたガルファに接触したメタリカルドがガルファをそそのかしたようだった。とは言っても、ガルファは内通相手がメタリカルドだとは思っていなかったようであったが。
ガルファは王家を弱体化させるだけでなく、魔物を統括する力を得ることでクーデターを起こすことすら視野に入れていたらしい。
遺跡の近くで王女がオークに襲われたのもガルファの手引であり、逐次メタリカルド側に情報を流していたようだ。
ガルファにしてみると、自分が陰でクーデターを主導としていたとばかり思っていた節があるが、実際にはメタリカルドのいいように使われていただけだった。
結局わかったのはガルファの裏切りと、アーガストが02型のメタリカルドに奪われたということだけだ。
アーガストから叩き落とされたラズベルは、十人がかりで城内に運び入れており、王女の部屋に運び込まれている。
王女の部屋の床で、眠り姫のようにラズベルは横たわっている。全身は戦闘形態の状態で頭部以外の全身が鎧に覆われたままだ。
銀色の眠り姫はぴくりとも動かない。
それでも目は見開いたままで、それが不気味ですらある。
王女は誰もいない部屋で、ラズベルの頬に触れる。
「あなたの代わりに、クメルさんは私がお世話をしますからね。あなたに蹴落とされたことは忘れていませんけど」
王女は皮肉交じりに呟いた後、ラズベルから離れてソファに座った。侍女が入れてくれた紅茶のポットからカップに紅茶を注ぐ。優雅な仕草でカップを持ち上げ、口に運んだ。
ふと、視線を感じた。
ラズベルに目を向ける。鋼鉄の人形の瞳は天井を見据えたままだ。
気のせいかと、ふたたび紅茶を口にする。
あれから何度かラズベルの背後、つまりアーガストの後席でクメルと密着した。
初めてアーガストに乗り込んだ時はクメルに左の胸を鷲摑みにされた。男性に胸を触らせたことのなかったファルナは、とつてもない怒りを感じたのだが、なぜか翌日にはクメルのことが気になって仕方がなかった。
あれからクメルはファルナの胸を触ってこない。あれは事故だったのか、それとも彼の欲情がそうさせたのか。クメルは胸を触っただけじゃない。揉みほぐしたのだ。
クメルとともにアーガストの後席に乗り込むたびに心臓を高鳴らせながら、また胸を摑まれるのではないか、揉まれるのではないか、と常に気にしていた。クメルが何もしてこないことが、逆に王女の気持ちを高ぶらせていった。
いつしか、クメルに触れて欲しい。そんな風に考えている自分がいることに気がついた。
何度もクメルを王城へと呼び出し、その度にアーガストの操縦席という狭い空間で二人きりの時を過ごす。
背徳的なその行為を繰り返すうちに王女は下着の染みに気がついてしまった。それは小さな染みではあったが、王女の淫欲の証しであることには間違いなかった。
一国の王女がふしだらな行為をしていると自責の念が襲ってきたファルナは、三日間、クメルとの連絡を断った。
しかしよくよく考え直してみると、なんら恥ずべき行為はしていないのだと思い直し、またクメルを王城に呼びつけるようになった。
そもそも私にこんな思いをさせるのは、最初にクメルが私の胸を鷲摑みにしたことが原因なのだと、王女は考えた。だから彼には責任を取ってもらう必要がある。女性の胸を摑むことの責任の取り方なんて一つしかないと、ファルナは思う。
「ラズベルさんとは反りが合わなかったけど、クメルさんのことは諦めてね」
ファルナは紅茶を口にしながら動かない鋼鉄の少女に向かって話しかけた。
王女は、未来の夫を想像した。
そして未来の夫と行動を共にしていた人形のラズベル。
ラズベルは動かないが、もし動くとしたら相性が合わない義姉といったところだろうか。見た目は少女の姿だが、ラズベルの口調は大人びていた。姉というより、クメルの母という表現がしっくりくる。
それでもまさか、姑なんてことはないだろうと思った。
しかしラズベルの白髪を目にすると、クメルの母親という設定も悪くないと思い直した。
嫁と姑の仲が悪いのはよくあることだ。
ラズベルとは仲良くしようとしても上手くいかなかった。
仲の悪い嫁と姑なんていうのもあり得るのか、などと王女の妄想は進んだ。
「あなたの息子を奪うことになってごめんなさいね。息子の嫁は憎いですわよね」
ファルナは悪戯っぽくラズベルに話しかけた。
ラズベルの目が一瞬光った気がしたが、部屋の灯りが反射したものと思い、特に気に留めることはなかった。
部隊は王城の修復に目処がつき次第、アーガストの捜索に乗り出さなければならなかった。今回、あまりにも簡単にガーゴイルの侵入を許してしまった。その上にあの巨人が王都を襲ってきたら、ものの短時間で王都が陥落する可能性すらある。早急に対処する必要があった。
バロン家の魔法部隊を取り仕切る総隊長であるカルナ・リーシュは、現在魔法学校で飛び抜けた成績を修めている王女の妹、ファノン・ライクル・ノルラートを前にしていた。
カルナは二十五歳の女性で、ファノンは齢十五の少女だ。
カルナは腰まで長く伸びた黒髪に大きく膨らんだ胸とくびれたウエストをもち、作り出すシルエットは妖艶で大人の女性を主張している。
一方で、童顔のファノンは茶色い髪のてっぺんを小さく括り、それが小さい胸とあいまって、子供っぽさを強調していた。
大人の風格を持つカルナといまだ幼さから脱却していない二人はとても対照的だった。
「ファノン様、お呼びだてして申し訳ありません」
カルナは年下のファノンに対して敬語を使い、頭を深く下げる。
「ファノン様はやめてください。ファノンで結構です。それに王族とはいえ、魔法部隊の総隊長様のほうが立場が上かと……」
それに対し、カルナも譲らない。
「いえ、王族の方のほうが立場が上でございます。私共はバロン家に仕えているとはいえ、あくまでもバロン家は王家の配下であり、すなわち私はファノン様の配下でもあります。ファノン様におきましては、カルナ、と呼び捨てにされてください」
「さすがにそれは……」
カルナの毅然とした態度に、ファノンはたじろぐ。
「それで、ファノン様をお呼びだてした理由なのですが。すでにお耳に入っておられると思われますが、王城から我々の巨人が奪取されてしまいました。私の部隊に与えられた命令は巨人を奪い返すか又は破壊することなのですが、より確実に任務を遂行する必要がございます。敵の勢力は未知数である上、かなりの困難が予想されます。ですので――」
「私にも部隊に加わって欲しい――と?」
カルナは深く頷く。
「理解が早くて助かります。ファノン様の魔力はこの国においても突出しております。おそらく私を上回る魔力量を内包しているかと。この国にファノン様の右に出るものはおりません」
それはおそらく世辞などではなく、本心から言っていたのだろう。それでもファノンは複雑な表情を見せる。
「最近、私なんかよりも桁違いな人に会っちゃったけどね――」
その声は小さく、カルナに届かなかったようで、カルナが聞き返した。
「ファノン様、何か?」
慌ててファノンは顔の前で両手を振る。
「いえいえ、こちらのことです。わかりました。喜んで協力させていただきます。私は何をすればいいですか? わかっているとは思いますが、私は実戦経験はあまりありませんよ」
「もちろん承知しております。それにファノン様を危険に晒すようなことは望んでおりません。我々の後方に控えていただいて、支援をしていただきたく思います」
「わかりました。では協力させていただきます」
そのあとカルナとファノンは打ち合わせを綿密に行った。アーガストの捜索に加わる旨を王女ファルナに伝えるために、ファルナは王城へと足を運んだ。
ファノンが立ち去ったあと、バロン家の長男であるスエットがカルナを訪れた。
スエットはバロン家を統括しており、カルナの主人ともいえる。
スエットがカルナに訊ねた。
「それで、アーガストがどこへいったのか目星はついたのか?」
「まだはっきりと判明したわけではありませんが、例の洞穴です。見張らせていた者の話によると、何か巨大な人型の塊が洞穴の入り口を大きくえぐって中に入っていったとのことです。その者はアーガストを見たことがないそうですが、報告の内容から推測するとその巨大な人型がアーガストに間違いないと思われます」
「よし、わかった。ではその洞穴へバロン家の魔法部隊の全勢力を向けよう。あとはカルナ、お前に任せる」
「かしこまりました」
ファノンはアーガストの捜索活動に参加することを伝えるために、王女ファルナを訪ねていた。
ファルナの部屋に入った途端に、彼女は横になった鋼鉄の少女の姿を目にする。
「お姉様、これは……」
ファルナは一度だけその姿に見覚えがあった。アーガストの前席に座っていたあの金属製の人形だ。
「ラズベルよ」
王女はおっとりとした口調で言ったあとに一言を加える。
「わたくしのお義母さまといったところかしらね」
ファノンにはその意味するところはわからなかったが、死んだように横たわるラズベルにやや怯えながら聞いた。
「いったいどうしてここに?」
「ファノンはアーガストが奪われた時に城にいなかったわね。これはアーガストの操縦席から叩き落とされたの」
そう、まさにラズベルが王女をアーガストの操縦席から突き落としたように、ラズベルも同じ運命を後追いした。
「これは、やはり動かないのですか?」
「動かないわ。叩いても、揺らしても。と、言っても重くて揺らすことなんてできないのですけど。十人がかりでやっとのことで運んできたのだから」
「そんなに重いのですか」
ファノンはラズベルの顔を覗き込む。開ききった瞳は輝きを失っておらず、今にも動き出しそうであった。その瞳の奥で何かがチカチカと煌めいているのが微かに見えた。ファノンは部屋の灯が反射したものかと思い、ガラス玉のような綺麗な瞳を食い入る様に見つめた。
続けて鋼鉄の少女の全身に視線を向ける。
鎧を着込んでいるように見えるが、姉とそう変わらない年齢のラズベルはそれほど重そうにも見えない。
ファノンは姉の王女へと視線を戻した。ファノンの考えを先読みしたように王女が声をかけた。
「想像以上に重たいわよ。腕だけだって、私じゃ持ち上がらないもの」
そう言って王女はラズベルの鋼鉄装甲の腕を取って持ち上げようとした。
懸命に力を入れているようにも見えるのだが、まったく上がらない腕を見るとファノンは姉が自分をからかっているんじゃないかとも思えてくる。腕くらい女性の力でも持ち上がりそうなものだ。
「お姉様、本当に力を入れてらっしゃるの?」
そう言いながらファノンはラズベルに近づき、姉が持ち上げようとしている左腕とは反対側の右の手に触れようとする。ラズベルの右手は開いた状態でそこに置かれていた。
ファノンが手に触れた時だった。
突然、鋼鉄の人形がファノンの右手を握り返してきた。
慌てて振りほどこうとするファノン。だが固く握られたラズベルの手は開かない。ファノンは悲鳴のような声を上げる。
「お姉様、お姉様、手が、手が!」
「どうしたの? ファノン」
王女ファルナはすぐにその状況が理解できなかったが、やがて握手をするように握られたラズベルの手を見て状況を察する。
「ファノン! どうしたの!? 大丈夫なの、ファノン!」
「お姉様、お姉様!」
ファノンは悲鳴のような金切り声を上げる。王女とファノンは二人してなんとかラズベルの手を解こうと苦心するが、女性の力では何とすることもできない。
王女の部屋の前で待機していた二人の兵士が騒ぎを聞きつけて部屋へと入ってきた。
「王女様! どうなさいました!」
叫ぶ兵士に対して、狼狽しながら王女は説明する。兵士が二人がかりで力を加えて少しずつ手が開き出すが、ファノンの腕の中を得体の知れない管が這うように肩まで上ってきた。
「痛い! 痛い! お姉様、助けて!」
ファルナはてっきり右手をラズベルに強く握られており、それが痛むのかと思っていた。だが、妹の腕を見て理解する。何かが妹の皮膚の内側でうごめいている。ラズベルの手のひらから伸びた線虫にも思えるそれは、ファノンの肩に向けてせり上がってきている。
ファルナは自分の髪を縛っていた紐を解き、妹の二の腕の辺りで固く縛った。妹の腕の中の、線虫だか蛇だか得体の知れない存在はそれ以上は皮膚の内側を上れないでいた。
やがて、二人の兵士によりラズベルの手がこじ開けられ、ファノンの手が解放された。ラズベルの手から伸びていた鉄の線虫のようなものは、しゅるしゅると不気味な音を立てて鋼鉄の少女の手のひらの中へと消えていった。
王女は怯えているファノンに声をかける。
「大丈夫? 大丈夫なの? ファノン」
ファルナは心底心配そうにファノンに訊ねた。見たところ、ファノンの腕からは出血はなかった。ファノンは右腕を左手で押さえながら姉に答える。
「ええ、大丈夫です。今はもう痛みもありません」
ファノンの腕には手首から肘、そして肩への半分くらいに金属製のラインが出現していた。
王女はそれに見覚えがあった。
遺跡でオークに襲われた後に、遺跡の中に閉じ込められてしまった。遺跡の外ではメタリカルド化したオーガとラズベルが格闘していたのだそうだ。
そして遺跡から出ると王女はオーガの死体を目にしていた。あの巨体の側面にも今のファノンと同じような金属製のラインが見えた。
それはラズベルが身に着けている装甲とは違うものだ。まるで皮膚に同化しているかのようで、腕の一部であるかのようだった。
王女はラズベルがファノンをメタリカルド化しようとしたのだと思った。
しかし今までは、王女がいくらラズベルに触れても眠れる銀の少女は何の反応も示さなかったのだ。おそらくラズベルはファノンを狙った。なぜラズベルは王女ではなく、ファノンを狙ったのだろうか。
王女とファノンの違いは……。
魔法?
妹が魔法を使いこなせるから?
王女は横でがたがたと震えるファノンを前にして、ラズベルのことを睨みつけることしかできないでいた。
中庭に面した廊下まで走り、窓から外を見ると中庭が目に入った。
月明かりの下で大量のガーゴイルがアーガストを覆った布に群がっていた。大勢のガーゴイルにより、ついばむように布が持ち上げられ、ところどころ穴があいている。
やがてアーガストを覆っていた布は引き裂かれ、水晶の煌めきを放ちながらその巨体が露わになった。
廊下にはすでに大勢の兵士と、翌朝に備えて待機していた魔法部隊の面々、そして貴族たちが集まってきていた。
「どうして、ここにガーゴイルが!?」
「それよりも、アーガストは森の中に隠していたんじゃなかったのか?」
「なぜ、城の中庭にアーガストが置かれているんだ」
廊下に喧騒が響き渡る。
王女は、中庭に面した廊下にはアーガストの存在を知らない者は近寄らないように配慮していたのだが、ガーゴイルが現れたとなると彼らが詰めかけるのを制止するすべはなかった。
苦渋の言い訳として、明日に備えてアーガストをここに運んでおいたのだと言い訳するしかなかった。
しかし、問題はそんなことではない。
どうしてここにガーゴイルの群れがいるのかは不明だが、一刻も早く魔物の群れに対処しなければならなかった。
「クメル殿、アーガストに乗り込んで対応を!」
兵士の一人が叫んだが、とてもアーガストに近寄れる状況ではない。
中庭には既に魔法部隊と騎士団が足を踏み入れているが、中庭へ出る扉は狭く、足場も少ないために中庭に出ることのできた者はわずかだった。
魔法でガーゴイルを攻撃するが、ガーゴイルの側でも魔法を打ってくる。ガーゴイルの攻撃に魔法部隊は押されているように見えた。
その時、アーガストの胸の部分、搭乗口の入り口が開いた。
「クメルさん!」
廊下の窓からガーゴイルと魔法部隊の攻防を見ていた王女が叫んだ。
開いた搭乗口からは白髪のラズベルの姿が見えた。
その正面に全身を軽装鎧で包んだ別の少女が降り立った。降り立ったように見えたのは、少女が上空から降ってきたからだ。おそらくガーゴイルによってここまで運ばれてきたのだろう。
クメルはひと目でわかった。あの少女はメタリカルドだ。戦闘形態。機動力を重視した装甲を形成している。
外見こそラズベルと大差がないが、装甲が仄かに赤く輝くのが02型の特徴だ。
全身を赤い鈍色に光らせたメタリカルドの少女は、アーガストの前席に座るラズベルの首を摑んで持ち上げ、そのまま操縦席の外に体を放り投げた。
二百五十キロのラズベルは一度激しく城の壁に激突したあと、魔法部隊とガーゴイルが交戦している中間に激しい音を立てて落下した。重量のある物体が落下した衝撃で、地面が抉れ、石や土を撒き散らした。
02型の赤く光るメタリカルドは何かを手にしていた。クメルにはそれがすぐには分からなかった。しかし、悲鳴のような声を上げた王女の声で理解した。
「ガルファ!」
ガルファ。王国近衛長の名だ。
メタリカルドの右手には髪の毛の束が握られ、その下にはガルファの首。首から下は切断されたと思われ、体の代わりに無数の配線が伸びてメタリカルドにつながっていた。
――アーガストの操縦には人間の脳が必要です。
クメルはラズベルの説明を思い出す。
あのメタリカルドはガルファの頭部を利用してアーガストを動かそうというのだ。
02型メタリカルドがアーガストの内部に姿を消した。搭乗口の扉が閉じられ、ゆっくりとアーガストが立ち上がり始める。
立ち上がったアーガストは一度大きく右腕を振り回すと、城の壁に叩きつけてそのまま水平に、がががが、と轟音を立てながら振り回した。
「危ない!」
クメルは王女に飛びついて、抱きしめるように倒れ込んだ。中庭に面した壁が破壊され、頭上をアーガストの腕が横切っていった。
城の壁を大きく破壊すると、アーガストは跳躍し、城の中庭から飛び出した。
大きな衝撃を地面に伝えながら一度着地して、再度飛び上がると背面部分に翼を形成し、建物をかすめるように飛翔した。
人型巨大兵器アーガストは月の光をきらきらと反射させながら、王都の上空を北東に向けて飛び去った。
クメルたちは破壊されて視界が開けた城から、アーガストが小さくなって見えなくなるまで見続けることしかできなかった。ほんの数秒足らずで、アーガストはクメルたちの視界から消えていった。
北東の洞穴への遠征は中止になった。
翌朝、薄暗い時間帯から城の復旧工事が始まっている。
「どうやら近衛長のガルファが敵に内通していた模様です」
兵士からの報告を受け、ガルファの自宅が捜索された。
捜索の結果、数々の証拠が出てきたようだ。
この国では魔法部隊が優遇される現状で、魔法が使えないものは軽視されている。
それを不満に思っていたガルファに接触したメタリカルドがガルファをそそのかしたようだった。とは言っても、ガルファは内通相手がメタリカルドだとは思っていなかったようであったが。
ガルファは王家を弱体化させるだけでなく、魔物を統括する力を得ることでクーデターを起こすことすら視野に入れていたらしい。
遺跡の近くで王女がオークに襲われたのもガルファの手引であり、逐次メタリカルド側に情報を流していたようだ。
ガルファにしてみると、自分が陰でクーデターを主導としていたとばかり思っていた節があるが、実際にはメタリカルドのいいように使われていただけだった。
結局わかったのはガルファの裏切りと、アーガストが02型のメタリカルドに奪われたということだけだ。
アーガストから叩き落とされたラズベルは、十人がかりで城内に運び入れており、王女の部屋に運び込まれている。
王女の部屋の床で、眠り姫のようにラズベルは横たわっている。全身は戦闘形態の状態で頭部以外の全身が鎧に覆われたままだ。
銀色の眠り姫はぴくりとも動かない。
それでも目は見開いたままで、それが不気味ですらある。
王女は誰もいない部屋で、ラズベルの頬に触れる。
「あなたの代わりに、クメルさんは私がお世話をしますからね。あなたに蹴落とされたことは忘れていませんけど」
王女は皮肉交じりに呟いた後、ラズベルから離れてソファに座った。侍女が入れてくれた紅茶のポットからカップに紅茶を注ぐ。優雅な仕草でカップを持ち上げ、口に運んだ。
ふと、視線を感じた。
ラズベルに目を向ける。鋼鉄の人形の瞳は天井を見据えたままだ。
気のせいかと、ふたたび紅茶を口にする。
あれから何度かラズベルの背後、つまりアーガストの後席でクメルと密着した。
初めてアーガストに乗り込んだ時はクメルに左の胸を鷲摑みにされた。男性に胸を触らせたことのなかったファルナは、とつてもない怒りを感じたのだが、なぜか翌日にはクメルのことが気になって仕方がなかった。
あれからクメルはファルナの胸を触ってこない。あれは事故だったのか、それとも彼の欲情がそうさせたのか。クメルは胸を触っただけじゃない。揉みほぐしたのだ。
クメルとともにアーガストの後席に乗り込むたびに心臓を高鳴らせながら、また胸を摑まれるのではないか、揉まれるのではないか、と常に気にしていた。クメルが何もしてこないことが、逆に王女の気持ちを高ぶらせていった。
いつしか、クメルに触れて欲しい。そんな風に考えている自分がいることに気がついた。
何度もクメルを王城へと呼び出し、その度にアーガストの操縦席という狭い空間で二人きりの時を過ごす。
背徳的なその行為を繰り返すうちに王女は下着の染みに気がついてしまった。それは小さな染みではあったが、王女の淫欲の証しであることには間違いなかった。
一国の王女がふしだらな行為をしていると自責の念が襲ってきたファルナは、三日間、クメルとの連絡を断った。
しかしよくよく考え直してみると、なんら恥ずべき行為はしていないのだと思い直し、またクメルを王城に呼びつけるようになった。
そもそも私にこんな思いをさせるのは、最初にクメルが私の胸を鷲摑みにしたことが原因なのだと、王女は考えた。だから彼には責任を取ってもらう必要がある。女性の胸を摑むことの責任の取り方なんて一つしかないと、ファルナは思う。
「ラズベルさんとは反りが合わなかったけど、クメルさんのことは諦めてね」
ファルナは紅茶を口にしながら動かない鋼鉄の少女に向かって話しかけた。
王女は、未来の夫を想像した。
そして未来の夫と行動を共にしていた人形のラズベル。
ラズベルは動かないが、もし動くとしたら相性が合わない義姉といったところだろうか。見た目は少女の姿だが、ラズベルの口調は大人びていた。姉というより、クメルの母という表現がしっくりくる。
それでもまさか、姑なんてことはないだろうと思った。
しかしラズベルの白髪を目にすると、クメルの母親という設定も悪くないと思い直した。
嫁と姑の仲が悪いのはよくあることだ。
ラズベルとは仲良くしようとしても上手くいかなかった。
仲の悪い嫁と姑なんていうのもあり得るのか、などと王女の妄想は進んだ。
「あなたの息子を奪うことになってごめんなさいね。息子の嫁は憎いですわよね」
ファルナは悪戯っぽくラズベルに話しかけた。
ラズベルの目が一瞬光った気がしたが、部屋の灯りが反射したものと思い、特に気に留めることはなかった。
部隊は王城の修復に目処がつき次第、アーガストの捜索に乗り出さなければならなかった。今回、あまりにも簡単にガーゴイルの侵入を許してしまった。その上にあの巨人が王都を襲ってきたら、ものの短時間で王都が陥落する可能性すらある。早急に対処する必要があった。
バロン家の魔法部隊を取り仕切る総隊長であるカルナ・リーシュは、現在魔法学校で飛び抜けた成績を修めている王女の妹、ファノン・ライクル・ノルラートを前にしていた。
カルナは二十五歳の女性で、ファノンは齢十五の少女だ。
カルナは腰まで長く伸びた黒髪に大きく膨らんだ胸とくびれたウエストをもち、作り出すシルエットは妖艶で大人の女性を主張している。
一方で、童顔のファノンは茶色い髪のてっぺんを小さく括り、それが小さい胸とあいまって、子供っぽさを強調していた。
大人の風格を持つカルナといまだ幼さから脱却していない二人はとても対照的だった。
「ファノン様、お呼びだてして申し訳ありません」
カルナは年下のファノンに対して敬語を使い、頭を深く下げる。
「ファノン様はやめてください。ファノンで結構です。それに王族とはいえ、魔法部隊の総隊長様のほうが立場が上かと……」
それに対し、カルナも譲らない。
「いえ、王族の方のほうが立場が上でございます。私共はバロン家に仕えているとはいえ、あくまでもバロン家は王家の配下であり、すなわち私はファノン様の配下でもあります。ファノン様におきましては、カルナ、と呼び捨てにされてください」
「さすがにそれは……」
カルナの毅然とした態度に、ファノンはたじろぐ。
「それで、ファノン様をお呼びだてした理由なのですが。すでにお耳に入っておられると思われますが、王城から我々の巨人が奪取されてしまいました。私の部隊に与えられた命令は巨人を奪い返すか又は破壊することなのですが、より確実に任務を遂行する必要がございます。敵の勢力は未知数である上、かなりの困難が予想されます。ですので――」
「私にも部隊に加わって欲しい――と?」
カルナは深く頷く。
「理解が早くて助かります。ファノン様の魔力はこの国においても突出しております。おそらく私を上回る魔力量を内包しているかと。この国にファノン様の右に出るものはおりません」
それはおそらく世辞などではなく、本心から言っていたのだろう。それでもファノンは複雑な表情を見せる。
「最近、私なんかよりも桁違いな人に会っちゃったけどね――」
その声は小さく、カルナに届かなかったようで、カルナが聞き返した。
「ファノン様、何か?」
慌ててファノンは顔の前で両手を振る。
「いえいえ、こちらのことです。わかりました。喜んで協力させていただきます。私は何をすればいいですか? わかっているとは思いますが、私は実戦経験はあまりありませんよ」
「もちろん承知しております。それにファノン様を危険に晒すようなことは望んでおりません。我々の後方に控えていただいて、支援をしていただきたく思います」
「わかりました。では協力させていただきます」
そのあとカルナとファノンは打ち合わせを綿密に行った。アーガストの捜索に加わる旨を王女ファルナに伝えるために、ファルナは王城へと足を運んだ。
ファノンが立ち去ったあと、バロン家の長男であるスエットがカルナを訪れた。
スエットはバロン家を統括しており、カルナの主人ともいえる。
スエットがカルナに訊ねた。
「それで、アーガストがどこへいったのか目星はついたのか?」
「まだはっきりと判明したわけではありませんが、例の洞穴です。見張らせていた者の話によると、何か巨大な人型の塊が洞穴の入り口を大きくえぐって中に入っていったとのことです。その者はアーガストを見たことがないそうですが、報告の内容から推測するとその巨大な人型がアーガストに間違いないと思われます」
「よし、わかった。ではその洞穴へバロン家の魔法部隊の全勢力を向けよう。あとはカルナ、お前に任せる」
「かしこまりました」
ファノンはアーガストの捜索活動に参加することを伝えるために、王女ファルナを訪ねていた。
ファルナの部屋に入った途端に、彼女は横になった鋼鉄の少女の姿を目にする。
「お姉様、これは……」
ファルナは一度だけその姿に見覚えがあった。アーガストの前席に座っていたあの金属製の人形だ。
「ラズベルよ」
王女はおっとりとした口調で言ったあとに一言を加える。
「わたくしのお義母さまといったところかしらね」
ファノンにはその意味するところはわからなかったが、死んだように横たわるラズベルにやや怯えながら聞いた。
「いったいどうしてここに?」
「ファノンはアーガストが奪われた時に城にいなかったわね。これはアーガストの操縦席から叩き落とされたの」
そう、まさにラズベルが王女をアーガストの操縦席から突き落としたように、ラズベルも同じ運命を後追いした。
「これは、やはり動かないのですか?」
「動かないわ。叩いても、揺らしても。と、言っても重くて揺らすことなんてできないのですけど。十人がかりでやっとのことで運んできたのだから」
「そんなに重いのですか」
ファノンはラズベルの顔を覗き込む。開ききった瞳は輝きを失っておらず、今にも動き出しそうであった。その瞳の奥で何かがチカチカと煌めいているのが微かに見えた。ファノンは部屋の灯が反射したものかと思い、ガラス玉のような綺麗な瞳を食い入る様に見つめた。
続けて鋼鉄の少女の全身に視線を向ける。
鎧を着込んでいるように見えるが、姉とそう変わらない年齢のラズベルはそれほど重そうにも見えない。
ファノンは姉の王女へと視線を戻した。ファノンの考えを先読みしたように王女が声をかけた。
「想像以上に重たいわよ。腕だけだって、私じゃ持ち上がらないもの」
そう言って王女はラズベルの鋼鉄装甲の腕を取って持ち上げようとした。
懸命に力を入れているようにも見えるのだが、まったく上がらない腕を見るとファノンは姉が自分をからかっているんじゃないかとも思えてくる。腕くらい女性の力でも持ち上がりそうなものだ。
「お姉様、本当に力を入れてらっしゃるの?」
そう言いながらファノンはラズベルに近づき、姉が持ち上げようとしている左腕とは反対側の右の手に触れようとする。ラズベルの右手は開いた状態でそこに置かれていた。
ファノンが手に触れた時だった。
突然、鋼鉄の人形がファノンの右手を握り返してきた。
慌てて振りほどこうとするファノン。だが固く握られたラズベルの手は開かない。ファノンは悲鳴のような声を上げる。
「お姉様、お姉様、手が、手が!」
「どうしたの? ファノン」
王女ファルナはすぐにその状況が理解できなかったが、やがて握手をするように握られたラズベルの手を見て状況を察する。
「ファノン! どうしたの!? 大丈夫なの、ファノン!」
「お姉様、お姉様!」
ファノンは悲鳴のような金切り声を上げる。王女とファノンは二人してなんとかラズベルの手を解こうと苦心するが、女性の力では何とすることもできない。
王女の部屋の前で待機していた二人の兵士が騒ぎを聞きつけて部屋へと入ってきた。
「王女様! どうなさいました!」
叫ぶ兵士に対して、狼狽しながら王女は説明する。兵士が二人がかりで力を加えて少しずつ手が開き出すが、ファノンの腕の中を得体の知れない管が這うように肩まで上ってきた。
「痛い! 痛い! お姉様、助けて!」
ファルナはてっきり右手をラズベルに強く握られており、それが痛むのかと思っていた。だが、妹の腕を見て理解する。何かが妹の皮膚の内側でうごめいている。ラズベルの手のひらから伸びた線虫にも思えるそれは、ファノンの肩に向けてせり上がってきている。
ファルナは自分の髪を縛っていた紐を解き、妹の二の腕の辺りで固く縛った。妹の腕の中の、線虫だか蛇だか得体の知れない存在はそれ以上は皮膚の内側を上れないでいた。
やがて、二人の兵士によりラズベルの手がこじ開けられ、ファノンの手が解放された。ラズベルの手から伸びていた鉄の線虫のようなものは、しゅるしゅると不気味な音を立てて鋼鉄の少女の手のひらの中へと消えていった。
王女は怯えているファノンに声をかける。
「大丈夫? 大丈夫なの? ファノン」
ファルナは心底心配そうにファノンに訊ねた。見たところ、ファノンの腕からは出血はなかった。ファノンは右腕を左手で押さえながら姉に答える。
「ええ、大丈夫です。今はもう痛みもありません」
ファノンの腕には手首から肘、そして肩への半分くらいに金属製のラインが出現していた。
王女はそれに見覚えがあった。
遺跡でオークに襲われた後に、遺跡の中に閉じ込められてしまった。遺跡の外ではメタリカルド化したオーガとラズベルが格闘していたのだそうだ。
そして遺跡から出ると王女はオーガの死体を目にしていた。あの巨体の側面にも今のファノンと同じような金属製のラインが見えた。
それはラズベルが身に着けている装甲とは違うものだ。まるで皮膚に同化しているかのようで、腕の一部であるかのようだった。
王女はラズベルがファノンをメタリカルド化しようとしたのだと思った。
しかし今までは、王女がいくらラズベルに触れても眠れる銀の少女は何の反応も示さなかったのだ。おそらくラズベルはファノンを狙った。なぜラズベルは王女ではなく、ファノンを狙ったのだろうか。
王女とファノンの違いは……。
魔法?
妹が魔法を使いこなせるから?
王女は横でがたがたと震えるファノンを前にして、ラズベルのことを睨みつけることしかできないでいた。