「確かこのあたりのはず……」

 クメルは通りがかりの住民に魔法学校の場所を訊ね、言われたとおりに歩いてきた。

 大きい建物だからすぐにわかると聞かされていたのだが、そもそもこのエリア自体が貴族たちが住む場所のため、どの屋敷も巨大だ。小さい建物なんてありはしないのだ。

 だが、一際大きな屋敷の裏手にあった林の横を通り過ぎて視界がひらけると、なるほどここが魔法学校だなとひと目でわかる建物があった。教えられた場所とも符合する。

 三階建ての豪奢な建物は石造りで、広大な庭を前にしてその存在を主張していた。はたしてこれは入っていってもいいものかと迷うクメルであったが、やはり好奇心のほうが先立ち、庭に足を踏み入れてしまった。

 そして校舎と思われる建物に向かって真っすぐ歩きだした。
 クメルは学校というものに通ったことはない。物心ついた時から戦争に巻き込まれ、必要な知識だけを仲間から教わってきた。

 校舎の窓の下まで来たが、さすがに校舎内に入るのは憚られる。
 外から様子を見るだけにしようと、こっそりと中を覗き込んで見た。
 だが、教室はがらんとしており、そこにあるのは横長の机と、同じく横長の椅子が数列並んでいるのが見え、緑の黒板には何も書かれていない。

 仕方なく隣の窓に移動する。
 窓の内側には真っ赤なカーテンが閉められており、中の様子はわからない。
 しかし、左右から閉められている二枚のカーテンにはわずかな隙間があり、そこから動くものがちらほらと見える。誰かが中にいるようだ。

 クメルは窓に顔を寄せ、カーテンの隙間を覗き込んだ。

 そこには下着姿の複数の少女がいた。

 クメルはしまったと思ったが遅かった。
 一人の少女と目が合ってしまった。

 上下にピンクの下着を身に着け、これから着るところだったのだろう、制服らしき服を手にしている。細身の体に備わった寂しいほどに小さい胸は彼女の年齢相応なのだろうか。

 頭の上にはちょこんとしばった栗色の髪がリスの尻尾のように跳ねていた。ぴょこんと動く茶色の尻尾に反して、顔は硬直して固まっている。

 幼そうな顔立ちの少女は、硬直から溶けたと同時にその目を大きく見開いた。と同時にクメルに向けて右手を突き出して突然叫んだ。

「ち、ち、ちがんんんんんー!!」

 おそらく痴漢と言いたかったのだろう。

 叫ぶと同時に少女の右手から業炎が噴き出した。

 クメルの目の前の真っ赤なカーテンを黄色い炎が包んだかと思ったら、そのまま勢い良く窓枠ごと激しい音を立てて突き破る。

 恐ろしいほどの反射能力を発揮したクメルは頭を抱えてしゃがみ込んだ。
 その頭上を業火が突き抜けていった。

 クメルが初めて目撃した魔法の威力はとてつもないものだった。頭上から無数のガラス片が振り注いでくる。

 魔法の威力に感心している場合ではなかった。クメルにとって今は非常事態となってしまった。

 どうするか――

 真っ白になる頭を懸命に働かせる。

 逃げるか――

 逃げるにしてもどうやって……。
 クメルは前の世界でたびたび使用していたある装置に思い至る。

 対人には効果がある逃走用のホログラムがあった。懐に手を突っ込み、それを起動させる。

 空中に人型が出現し、窓から離れるように人型は走り出す。
 生体反応を検知するメタリカルドには効果がないが、対人戦においては馬鹿にならない。

 窓の中では少女たちの悲鳴が飛び交っている。

「痴漢! 痴漢よ!」「窓の外から男が覗いてた!」「絶対許さない、S組を覗くだなんて」

 遅れてホログラムの人型に対して、魔法と思われる無数の攻撃が襲った。炎だけでなく氷の矢や雷撃までもが飛び交っていた。

 ホログラムは近くの森の中へと消えていく。森に向かって次々と魔法が打ち込まれていった。

 クメルは冷や汗をかきながら、窓の高さより体を低くして中腰のまま校舎の壁沿いを小走りに走って逃げた。

   ◆ ◆ ◆

 息を切らせて校舎から離れたクメルは、大きな木の根元で休んでいた。
 遠目には校舎が小さく見える。

 クメルが逃げた方向とは別の方角へと人型のホログラムは走って森の中へと消えた。あれから二十分ほど経つが、時折、森の中に魔法が打ち込まれている。

 下着姿を見られることは少女たちにとってどれほどの問題であるのか。クメルは罪の重さを想像したが、想像を遥かに上回る何らかの重罪を犯したのではないかという気持ちになっていた。

 木の下に座ったままクメルは、ふうと息を吐きだし、右足を前に投げ出して折り曲げた左足を抱え込む。

 さすがにもう校舎の中に入るのは無理だな、と思って帰ろうかと考えていたところに、クメルの上に影が落ちた。

 仁王立ちしている一人の少女がすぐ前に立っていた。
 頭には尻尾のような茶色い髪の束がぴょこんと跳ねている。

「あなた、このあたりで痴漢を見なかった?」

 少女は低い声でクメルに訊ねる。

 緑を基調とした上下の服に、襟元からは白いシャツが覗いている。想定される年齢にしては平坦すぎる胸。膝上丈のスカートは風が吹くとスカートの中が見えてしまいそうだった。

 さっと一陣の風が吹いた。
 スカートの裾が軽く翻る。

 低い位置のクメルから、ちらりとピンク色の下着が見えた。
 一瞬ではあったが、クメルはその下着に見覚えがあった。

 赤いカーテンの隙間から教室を覗いた時に目が合った少女だ。
 少女はそのことには気がついていないようで、同じ質問を繰り返した。

「痴漢の行方を探しているの。あなた知らない?」

 クメルはその質問には誤魔化すことしかできない。

「痴漢? さあな。俺はずっとここに座っていたから、知らないな」

 少女は訝しげな目をクメルに向ける。

「そう、ならいいけど――」
 疑わしい目のまま、少女はクメルの頭を指さした。

「ところであなた、頭頂部が少し焦げているようだけど、いったいどうしたらそうなるのかしら?」

 クメルが窓を覗いた時、少女の手から火炎が噴き出して襲ってくるのが見えた。
 慌ててしゃがんだのだが、頭上を魔法の炎が通過していった。

 それを思い出したクメルは咄嗟に自分の頭に手を当てた。

 わしゃわしゃと髪をまさぐる。違和感はない。髪の毛はなんともなかった。クメルはほっとする。

 大丈夫、どこも焦げてなんかいない。何を言っているんだこの少女は、俺の髪は焦げてなんか……。

 いや、しまった。はめられた――。そう思ったが遅かった。

 クメルは頭に手をおいたまま、自分の愚かさを嘆く。

 身に覚えがなければ、こんな行動はとらない。これでは自ら犯人だと言っているようなものじゃないか。

「ふん」
 少女は鼻を鳴らした。

「どう落とし前をつけてもらいましょうかね」

 少女は覗きの犯人に向かって、ずい、と一歩を踏み出した。

 座っているクメルからすると、風が吹かずとも下着が見えそうなほど少女のふとももが迫ってきているが、それどころではなかった。

 自ら犯行を告白してしまったともいえるクメルは何も言えないでいる。そんなクメルに少女は訊ねた。

「ところで、あなた、あの幻想のような魔法はどうやったのかしら? 幻の映像を作り出したでしょ。あれを教えてくれたら許してあげないこともないわよ」

 ホログラムのことだ。あれはクメルの世界の技術によるもので、この世界の魔法とは何ら関係がない。

 クメルは自分の懐にしまってある装置に意識を向ける。大したものではないから、この少女にあげてしまってもいいのだが、あれほど強力な魔法が使える少女がどうしてこんなものを欲しがるのだろうか。これを魔法だと信じているからだろうか。

 仕方なく、クメルは説明することにした。

「あれは大したことじゃないんだ。ホログラムっていって対人戦の時に逃走するために、自分が逃げる方向とは別の方向に人の姿を投影して――」

 クメルの言葉をそこまで聞くと、少女がクメルの鼻先に人差し指を突きつけた。

「はい、もういいわ、犯人さん。頭を触っただけじゃまだ確信がなかったけど、そこまで逃走時の状況を詳しく話しちゃうなんて疑いようがないわね。私の下着姿を見た罪はその生命で償ってもらいましょうか」

 とことん少女ペースで話が進んでいく。
 それにしてもこの世界の少女というものは、下着姿を見られただけで相手の命を奪おうというのか。とんでもない世界に来てしまったものだとクメルは嘆息する。

「わかった。窓を覗き込んでしまったことは認める。だが、悪気があったわけじゃないんだ。偶然だったんだ。事故だったんだ。なんとか命だけは助けてもらえないだろうか?」

 クメルは抵抗しないことを示すために両手を上げながら懇願した。
 クメルの真剣な言葉遣いに、一瞬だけ少女は動揺を見せる。

「ほ、ほんとに殺すわけないでしょ。言葉のアヤよ、言葉のアヤ。命を取りたいくらいのことをされたって、そういう意味でしょ」

「なんだ、殺さないのか?」

 真顔で言うクメル。

「殺すわけないでしょ! 私だってそこまで愚かじゃないわよ」
「だが、あの魔法による攻撃はかなり殺気がこもっていたが」

「そりゃ、仕方ないでしょ、咄嗟のことだったし。あなたが覗いたのが、S組だったのがいけないのよ」
「S組?」

「知らないの? この学校でもっとも魔法の素質があると言われている生徒たちのクラスよ。S組卒業っていったら、どこへいっても通用するわ。本当に知らないの?」

 少女は魔法学校のクラスにおけるランク分けについて説明してくるが、クメルがそれを知るはずもない。

 少女の話によると、S組といったらすぐにでも魔法部隊における複数の部隊を統括する役をまかされるほどの実力者だという。

 そのS組の攻撃から逃げ切ったことで、躍起になって犯人を探したのだそうだ。

「S組から逃げ切るなんてあり得ないことなの。あなた、名前はなんていうの?」
「俺はクメル。クメル・ベラウト」

「ベラウト家? 聞いたことないわね。もしかして貴族じゃないとか?」
「ここでは、ただの平民だ」

「でもあなた、魔法学校の生徒か卒業者なのよね」
「いや、魔法は使えない」

「そんなはず……」

 少女は手を顎に当てて考え込んだ。何か納得のいかない様子だった。

「私は……私はファノン・ライクル・ノルラート。ファノンって呼んでくれてかまわない。知っていると思うけど、この国の王女、ファルナ・ライカ・ノルラートが私の姉よ」
「知らなかった。ファルナに妹がいたのか」

「王女であるお姉さまを呼び捨て!? あなたいったい何様よ」
「すまなかった。ファルナ〝様〟と呼べばよかったのか? なら、そなたのこともファノン様と呼べばいいのだな」

「ファノンでいいわよ、ファノンで。様付けで呼ばれるのは嫌いなの」

 ファノンと名乗る少女とクメルは会話を交わした。
 ファノンは魔法学校において常に首席の成績を修めているそうだ。控えめに言ってはいたが、その能力は他の生徒に比べて、突出したものだと会話の内容からクメルには判断できた。

 クメルの側でも、王女との出会いからこの魔法学校に足を運んだ理由までを簡単に説明した。

 アーガストのことはファノンに話すかどうか迷ったのだが、王女の妹であればどうせ何らかのルートから知られるものと思い、話すことにした。

「つまり、クメル。あなたは、巨人の操り手ってことなのね」
「まあ、そういうことになるな」

「お姉様の知り合いということなら……まあ、覗きには執行猶予を与えるしかないわよね」
「悪かったな。ところでファノンの年齢はいくつなんだ?」

「私? お姉さまのひとつ下の十六よ」
「十六……」

 クメルはファノンの胸に目をやった。ファノンの目元がぴくりと引きつる。

「今、お姉様と比べたでしょ」
「いや……」

 王女ファルナの胸は豊満だった。一方でファノンの胸はささやかな膨らみがあるだけだ。クメルの乏しい知識でも、年齢に対するこの胸の貧相さは理解できる。

 これは絶対に触れてはならない話だと判断し、クメルは無理にでも話題を変えようと思った。

「俺も同じ十六なんだ。よろしくな」
「ええ、よろしく。それでクメル、あなたは魔法を使えないって本当?」

「ああ、使えない」
「あり得ない」

 ファノンは断言した。何をどうあり得ないのかクメルには理解できなかった。

「魔法というのは誰でも使えるものなのか?」
「いいえ、使えない人のほうが多いわよ」

「なら、何も不思議な事はないんじゃないか?」
「そうじゃないわよ。私くらいになると、その人の持つ魔力の奔流のようなものを感じ取れるの。あなたの場合、それが尋常じゃないのよ」

 ファノンの話によると、魔法を使うためにはその根源となる魔力を有している必要があるそうだ。それがそのままその人の魔法を使う才能につながる。

 魔力を持たないものは魔法を使えないのだそうだ。

「魔力というのは、いったい何なんだ?」
「何って言っても……。その正体まではまだ解明されてないわよ」

 科学技術に慣れ親しんだクメルにとっては曖昧なまま力を利用することは少し理解に苦しむ所だった。それでもこの世界に来て理解できないことのほうが多い。一つ一つ気にしている余裕はなかった。

「それで、俺に魔力があるってことなんだな。じゃあ、俺も魔法を使えるのか?」
「うーん。練習次第ってとこかな? 魔力があればいいってわけでもないし。だから魔法学校があるわけだし」

「なるほど」
「一応、原理に関する授業もあるけどね。聞いたからって何が変わるというわけじゃないの。実践あるのみよ。魔法の根源となる力はね、なんだか私たちのいる世界とは半分ずれた世界があって、そこから井戸水を汲み上げるように力を吸い上げるそうよ。その吸い上げ力の強さが魔力って呼ばれているの」

 クメルはアーガストの動力源を思い出していた。アーガストは2・5次元からエネルギーを汲み出している。そこから無尽蔵にエネルギーを取り出せるのだそうだ。

 アーガストのエネルギー源と魔法を使うための力には違いがあるのだろうか。

「ファノン、よかったら俺に魔法の使い方を教えてくれないだろうか」
「なんで私が痴漢なんかに……って言いたいところだけど、お姉様の知り合いなら邪険にもできないわね。仕方ない。なんかクメルは素質ありそうだし、レクチャーしてあげるわ。でもそろそろ学校に戻らなきゃだから、私は行くわね。みんなには適当に言っておくから。痴漢は懲らしめてから、二度と学校に近寄らないように言い含めたとかそんな感じに。じゃあ、またね」

 そしてファノンは校舎に向かおうとしたところ、はた、と立ち止まる。クメルの家の場所を一方的に聞き出してきた。クメルに対してはファノンの住所などは告げないまま、ぴょこぴょこと頭の尻尾を揺らして校舎へと走っていった。