科学が進歩した中での戦争は熾烈を極めていた。
アンドロイドが戦闘員として戦うことが常識となっていたが、機械式の戦闘員は自己複製を繰り返しながらその数を増やしていった。
一方で、世界の人口は大幅に減少していた。
自国であるガイラット連合国の人間はほとんど残っていなかった。
敵であるブルネル連邦も、大多数が死亡しているのではないかとの噂がある。
人類が絶滅しつつある中で、アンドロイドだけが増殖していく。その結果、人口の減少に反比例して戦争の規模は拡大する一方であった。
先の見えない戦況に期待が持てないまま、少年クメル・ベラウトと少女型アンドロイドであるラズベル――コードナンバー01-21075――は偵察部隊の仲間とはぐれてしまっていた。
地上の建造物はアンドロイド同士の争いにより破壊しつくされている。
瓦礫の山が散乱する中、仲間と合流するためにクメルは必死に瓦礫をよじのぼり、飛び降り、先を行くラズベルの姿を追っていた。
周囲には建造物を支えていたであろう鉄筋がむき出しになっていた。地面には割れたガラスやコンクリート片が散乱している。生命力の強い草木がアスファルトの割れ目を押し広げていた。
「ラズベルはいいよな。メタリカルドだから」
クメルは数十メートル先を行く鋼鉄の少女を視界に収めながらぼやいた。
戦闘用アンドロイドはメタリカルドと呼ばれている。
通常のAIとは独立して高度な予測演算を行うT-AIと呼ばれるAIを搭載しているのが特徴だ。
T-AI――Transcended Artificial Intelligence(超越した人工知能)――はAIの機能を遥かに凌駕した高い知能と高度な予測演算機能を有している。
欠点としてはエネルギー負荷が莫大なことだ。
常時T-AIをフル稼働させることはできないが、要所要所でメタリカルドはT-AIを起動して、戦況の予測に利用している。
現在はこうした高度な人工知能を搭載したメタリカルドが戦争の主役となっている。
一時は大型兵器の開発も検討されたが、大型兵器は高トルクに加えて負荷に耐えうる機体強度を必要とする。現状の人型メタリカルドを超える大型兵器を作ることは、この時代の科学技術をもってしても不可能だった。
クメルの先を行くラズベルは移動形態|《モード01-B》を展開している。
緑の迷彩服を着た少女の足だけが金属の装甲板で覆われていた。
移動形態は脚力のトルクを増幅し、摩擦による関節の摩耗を防ぐためにナノマシーンが足首の関節や膝関節に修復用人工シリコンを運ぶ。これにより、摩耗し続ける関節を自己修復しつつ、シリコンが欠乏するまでは高い脚力を維持することができる。
一方のクメルはただの人間である。移動形態をとっているラズベルに追いつくはずもない。
ひっしに自らの筋力を使って、瓦礫をよじのぼるしかなかった。
ラズベルが高く跳躍して瓦礫に飛び乗って進むのに対し、クメルは瓦礫に手をかけ、足場を探し、その痩躯を筋力によって持ち上げていく。
クメルの迷彩服は灰色でビルの瓦礫の山に溶け込んでいるが、生命探査能力を持つ敵メタリカルドと遭遇したら簡単に見つかってしまうだろう。
クメルは数十メートル先にいるラズベルを視界に入れる。ラズベルは一際高い瓦礫の上に立ってあたりを見回していた。索敵を行っているのだ。
目立つ場所に立って索敵を行っているのは近場にはすでに敵がいないことを見越しているからだ。
ラズベルは遠距離からの攻撃を警戒していた。
クメルを中心として円を描くようにラズベルが瓦礫の山の上を飛び跳ねる。半径二十メートルほどの円を描いて、索敵を終えたラズベルがクメルの元に戻ってきた。
「クメル、今のところ敵影はありません。あなたを抱えて進んでもよろしいでしょうか?」
人間であるクメルがこの瓦礫の中を進むのは困難を極める。過去に何度もラズベルに抱えられたのだが、そのたびにクメルの顔が渋る。
「まあ、それしかないんだろうけどさ……」
クメルの了承とも取れる返答に間を空けず、ラズベルはクメルをお姫様抱っこの要領で抱え上げた。
メタリカルドとはいえ少女の姿をしているラズベルにこの形で抱えられることは、十六歳の少年であるクメルにとって羞恥以外の何物でもなかった。
はたして他のメタリカルドは人間と行動をともにする時にこんなやり方で抱え上げるのだろうか? クメルはいつもそんなことを考えてしまう。
抱きかかえられたクメルの顔のすぐ近くでラズベルの高い声が響いた。
「じゃあ、行きますよ。私にしっかりつかまっていてください」
クメルと同年齢の十六歳の姿をベースに作られているラズベルだが、口調からはもっと年上に思えてくる。
ラズベルのボブカットの白髪が風になびいた。
メタリカルドの少女は跳躍し、瓦礫の頂上を飛び跳ねながら進む。
本来であればもっと移動速度は速いのであろう。クメルを気遣ってか、膝を使ってショックを最小限にしてくれているようで、おそらくは最大速度の40パーセント程度と推測された。
ラズベルに抱えられながら、まだ街がその姿を保っていた時に乗ったエアーモービル――ギャレット――をクメルは思い出していた。飛行車両であるギャレットに乗るとこんな感じでふわふわとした浮遊感を味わっていた。最後に両親とギャレットに乗ったのはたぶん五歳くらいの頃だ。
詳しく覚えているわけではない。戦争が激化し、両親とはそれから間もなくはぐれてしまった。エアーモービルの姿も両親の顔もはっきりとは思い出せない。母の顔はラズベルに似ていたなと、おぼろげに覚えているだけだ。
だが、ギャレットに乗っていた感覚、そして後部座席から前に座る両親の後頭部を眺めていた情景だけは、はっきりと記憶に残っていた。
確か母親もラズベルのようなボブカットだった。
母親は、ラズベルの白髪とは対象的な黒髪であったが。
突然、がくんという衝撃がクメルに伝わった。ラズベルが一際高いビルの瓦礫の上で急停止していた。
「クメル、異常なエネルギー反応を確認しました。敵の索敵を避けるために私の動力炉をシャットダウンします」
ラズベルはクメルを抱えたまま瓦礫から飛び降りて、物陰に姿を隠した。クメルはラズベルの腕の中から地面に降り立った。
しゅうん、と気体が抜けるような音がしたあと、ラズベルの足の装甲板が格納され、緑の迷彩服姿をした普通の少女の姿になった。それと同時に動力炉が停止したようだ。
ここからは空間に内包するダークマター――これはそれまでは存在しないとされていたが、十年前に発見された非物質を取り巻く構成要素――からエネルギーをポンプのように取り出す。このエネルギーポンプ機構により最低限の活動だけが維持される。
ラズベルがクメルを守るように、ぎゅっとその身に寄せた。
メタリカルドの外郭を構成するには本来必要のない膨らみをその肌に感じてしまったため、クメルの心臓の鼓動は高まる。
メタリカルド相手に何を興奮しているのだ、と自分を戒めるが、動力炉の停止に伴い体温――アンドロイドだから正確には機体温度――が下がり、ラズベルの体が冷え込んでいくほどに不安が頭をもたげてくる。
「ラズベル、敵のメタリカルドがいたのか? 01型か? 02型か?」
静かに、とラズベルは人差し指を立てて自身の口元に当てる。
「わかりません。どうもおかしいんです。01型でも02型でも、そのどちらでもないようです。まさか未知の03型なんてことはないでしょうが……」
ラズベルは声を潜めた。
戦闘用メタリカルドの開発は戦争の開始直後に開発された01型と、メタリカルド自身が自らを改良して進化させた02型が存在する。ラズベルは旧式ともいえる01型だ。
だが01型といっても常にアップデートを繰り返しており、現在の01型は02型と比べて戦力に大きな差は見られない。
拮抗するメタリカルド同士の戦闘は物量戦に突入し、互いの勢力が必死になってメタリカルドを製造し、そして破壊しあっている。
そんな中で人類だけは殺されていき、人口は減少傾向にあった。
人類の滅亡は避けられないと誰もが感じていた。
ラズベルが口にした第三世代のメタリカルドとなる03型は、単なる都市伝説にすぎなかった。物量戦がものをいう戦争において、あらたな兵器を投入するよりも既存の兵器を複製して量産することのほうが遥かに戦力としては頼りになるからだ。
03型は単なる噂にすぎない――
クメルもそう思っていた。
その噂の内容というのは、03型に遭遇したメタリカルドと人間がともに消滅してしまうというものだった。
何の攻撃も受けずに、ただ消滅する――。
そして、あとには何も残されない――。
何も残らないからこそ、03型の存在を確認するすべはない。
ばかばかしい――。噂を耳にした時、クメルはそう思った。
それでも今現在、謎の存在に肉薄されていることは確かだ。すでにこちらの位置を把握されてしまっているのだろうか。
仮に幽霊のような03型が相手だったとして、新型兵器ともいえる存在が、単なる一メタリカルドと一人の人間に対して姿を見せてまで攻撃してくることがあるとは思えない。
もし03型が存在し、敵の隠し玉であるとするならば、量産してその猛威を振るうまではひた隠しにするはずだ。
あるいは何らかの実験か?
相手側に見つからないと踏んでの?
いや、すでにラズベルはその存在を感知しているのだ。
そんな間抜けなことはないだろう。クメルは強く首を振る。
「ラズベル、動力炉を落とした状態で敵の位置はどのくらいの精度で把握できる?」
「誤差二メートルから五メートルの範囲で可能です。ですが、着実に私たちに向かって来ています。私たちの位置を捕捉しているようです」
見えない敵が向かって来ている今、この場所を移動することが先決だとクメルは判断した。
「よし、すぐにこの場所を離れて隠れよう――」
ところが、クメルの発言をラズベルが遮る。
「ちょっと待ってください。敵の反応が消えました。忽然と姿を消したように……」
どういうことだ?
クメルは必死に考える。
反応が消えたということは何者かに破壊されたということだろうか。
それともこちらの索敵機能を無効化するだけの能力が敵にあるというのだろうか。
「クメル、私がおとりになってみます。仮に敵がなんらかの原因で消失していたとして、それでいいでしょう。ですが敵側がこちらの索敵を逃れていた場合、あなただけでも逃げてください」
「そんなわけにいくか。ここまでずっと一緒に行動してきたんだ。ラズベルを見捨てるわけにはいかない」
「いえ、クメル。あなたが死んでしまうと代わりはいません。メタリカルドはいくらでも量産が可能です。私の代わりはいるのです」
ラズベルはクメルのこめかみに指でそっと触れた。
クメルの脳には情報伝達と情報格納用のシリコン素子が埋め込まれている。
ラズベルの中指からクメルの脳のシリコン素子に流れ込む情報伝達が、微細な振動としてクメルに伝わった。
「私の疑似人格情報をクメルに伝達しました。これで私のコピー――メタリカルドの複製体を作成することが可能です。ここから南西に十二キロほど行けば地下坑道への入り口があります。なんとかそこまでは逃げてください」
ラズベルが自分の複製体を作れなどということは今までなかったことだ。
同じ疑似人格を所有するアンドロイドを複製することは混乱をもたらすために、通常は行われない。
なんとなく嫌な予感がクメルの胸をよぎった。
高度なT-AIによる予測演算の結果がその結論をもたらしたのであれば、高い確率で将来ラズベルの身に危険が迫る。
ラズベルは近い未来になんらかの形で破壊されるのか――
まさかな――
クメルは首を振ってその思いを振り払う。
そんなクメルにはかまうことなく、ラズベルが動き出した。
「ちょっと待て、ラズベル――」
クメルの言葉を聞かずに動力炉を再起動したラズベルは、機体表面温度を一瞬で五十度まで上昇させた。
温度上昇を確認したラズベルはクメルの制止を振り切り、跳躍する。
ラズベルとしては敵の存在が一体だけであれば身を挺して足止めできると判断していた。
ラズベルの視界には様々な演算結果がまるで複数のスクリーンが宙に浮いているかのように表示されている。
【――敵が02型であると想定した場合、対象を破壊できる確率|《23%誤差±15%》――】
AIによる演算結果が、ラズベルの視界内に流れていく。
【――クメルを逃がすことができる確率|《85%》――】
【――02型を45分間足止めできる確率|《72%》――】
【――02型によりラズベル本体が完全に損傷する確率|《48%誤差±8%》――】
何よりラズベルがその場を飛び出したのは根拠のない行動ではなかった。
【――周辺に02型、もしくは未知の存在が潜んでいる確率|《0・15%》――】
【――対象が未確認の03型である確率|《0・0001%》――】
周囲に敵はいないであろうと判断していたからだ。
だから戦闘形態もとらずに緑の迷彩服姿のままだった。
ラズベルの予測演算結果の正答率はこれまで99・991%だった。学習に学習を重ね、クメルとちょうど十年の歳月を過ごしたラズベルの予測演算機能は格段に向上していた。
そして、そこにラズベルの油断があった。
ラズベルが南東の方角、遠方に海が見える方向に目を向けた時、時計の針で一時の方角からラズベルに向かって閃光が走った。
左肩に強い衝撃を受けるともに、仮想の痛覚が人工の脳に伝導された。
【――左肩損傷。活動能力12%減。31度の角度より狙撃されました。狙撃距離約二キロと推定。狙撃者の位置不明。――】
ラズベルの左肩に直径一センチほどの穴が空き、穴の周囲は焼け焦げてぶすぶすと音を立てている。ラズベルは反射的にその肩を右手で押さえた。
現在戦闘形態にないラズベルは単なる少女の姿だ。上下の迷彩服に、胸元からは白いシャツが覗いている。
メタリカルドは人間の行動を学習しているため、人間と同じような行動を取ってしまう。肩を撃たれた時に反射的に反対の手で押さえた行動を取ったのもそのためだ。
戦闘形態にないことを後悔する暇はなかった。
ラズベルは冷静に戦闘形態|《モード01-A》に移行する。残存エネルギーが2%減少した。
頬が金属の装甲板で覆われ、両腕、両脚そして身体のほぼすべてが攻撃に対応できる金属の外殻を形成する。外から見えるもともとの姿は白髪のボブカットとわずかに覗く整った顔だけだ。
肩の傷は自動修復が始まっている。三時間もあれば完全に修復されるであろう。
「ラズベル!」
眼下からクメルの声が響いた。
――どうしてまだそこにいるのだ……。
ラズベルは小さく声を漏らす。
人間の行動は予測演算の結果から大きく外れてしまって、まったく予測がつかない。
「クメル、早く逃げなさい!」
叫ぶと同時に、ラズベルに向けて第二射が襲った。さすがにラズベルも遠方からの二射目は許さない。
しかし――
「距離が詰められている!?」
目の前のスクリーンに表示された狙撃予測距離が五百メートルだった。
――敵は一体ではなく複数か、だとしたらクメルを一人で逃したのは失敗だ……。
あらたに予測演算をやり直そうとしたラズベルに五方向からの射撃が襲った。
最初の三撃は躱した。それでも第四弾、第五弾がラズベルの右ふとももと顔面にヒットした。
装甲板をわずかにひしゃげただけで、本体の損傷には及ばなかったものの、強い衝撃がラズベルに伝わった。
瓦礫の上から叩き落とされ、二百五十キロの重量を持つメタリカルドは地面に叩きつけられた。
地面に激しく衝突した影響でラズベルの視界が大きく揺らいでノイズが走る。
落下地点の近くにいたクメルが駆け寄ってきた。
「大丈夫か! ラズベル!」
――まだこんな場所にいるなんて。どうして人間の行動はこうも合理的でないのか……。
それでも今は近くにいることでクメルを守れる可能性が見えてきた。敵が複数であるとすればクメルのそばにいたほうが保護できる確率は上がる。
【――クメルを無傷で保護できる確率|《12%》――】
それでも演算結果はこの確率だ。
低すぎる。
クメルが近くにいてもなおこの数値。
さすがに今回は無理かもしれない。
十年にわたって行動をともにしてきた主人ともいえる人間を失うことは避けられないと思った。しかし、アンドロイドのラズベルには人間のように悲観する感情はない。
ラズベルには感情プログラムはインストールされていない。そもそもこの時代においてメタリカルドに感情は必要とされなかったし、人間と同等の感情プログラムの開発は頓挫していた。
ラズベル単体なら逃げ切れる可能性があった。
クメルを見捨てて逃げることをシステムは提案してきた。
しかしラズベルはそうしなかった。
「クメル、五方向から撃たれました。私達は囲まれているようです」
「わかった。俺はどうすればいい?」
「とりあえず私から離れないように」
ラズベルの視界の半分が黒く染まっていた。
「私の視覚機能が一部損傷しているようです」
その言葉にクメルが返した。
「違う。ラズベル。撃たれたところが黒くなって、それが広がっている――」
ラズベルが被弾した箇所――顔面と右ふともも――に黒い球体が広がっていた。握り拳程度の大きさだった球体は急速に拡大し、ラズベルを呑み込もうとしていた。
根拠のない危機をラズベルは感じ取っていた。
コンピューターによる演算とは無縁の判断だった。
「クメル、私から離れて! 逃げてください!」
叫んだが間に合わなかった。
クメルを巻き込んで黒い球体は膨れ上がった。
ラズベルのスクリーンには、
【――敵コードを識別、対象は07型と判明――】
これを見てラズベルは何らかのエラーが発生したものと思った。
だが、そうではなかった。
――対象は07型――
情報が正しければ、五世代も先の機体だといえる。そんな機体は存在するはずがない。
その表示のあと、すぐに視界が真っ暗になったが、クメルがしがみつく感触だけが人工の脳に伝わってきた。直後、ラズベルの思考回路は停止した。
瓦礫が散乱する中、クメルとラズベルの姿は消え、直径五メートルほどのクレーターだけが残されていた。
アンドロイドが戦闘員として戦うことが常識となっていたが、機械式の戦闘員は自己複製を繰り返しながらその数を増やしていった。
一方で、世界の人口は大幅に減少していた。
自国であるガイラット連合国の人間はほとんど残っていなかった。
敵であるブルネル連邦も、大多数が死亡しているのではないかとの噂がある。
人類が絶滅しつつある中で、アンドロイドだけが増殖していく。その結果、人口の減少に反比例して戦争の規模は拡大する一方であった。
先の見えない戦況に期待が持てないまま、少年クメル・ベラウトと少女型アンドロイドであるラズベル――コードナンバー01-21075――は偵察部隊の仲間とはぐれてしまっていた。
地上の建造物はアンドロイド同士の争いにより破壊しつくされている。
瓦礫の山が散乱する中、仲間と合流するためにクメルは必死に瓦礫をよじのぼり、飛び降り、先を行くラズベルの姿を追っていた。
周囲には建造物を支えていたであろう鉄筋がむき出しになっていた。地面には割れたガラスやコンクリート片が散乱している。生命力の強い草木がアスファルトの割れ目を押し広げていた。
「ラズベルはいいよな。メタリカルドだから」
クメルは数十メートル先を行く鋼鉄の少女を視界に収めながらぼやいた。
戦闘用アンドロイドはメタリカルドと呼ばれている。
通常のAIとは独立して高度な予測演算を行うT-AIと呼ばれるAIを搭載しているのが特徴だ。
T-AI――Transcended Artificial Intelligence(超越した人工知能)――はAIの機能を遥かに凌駕した高い知能と高度な予測演算機能を有している。
欠点としてはエネルギー負荷が莫大なことだ。
常時T-AIをフル稼働させることはできないが、要所要所でメタリカルドはT-AIを起動して、戦況の予測に利用している。
現在はこうした高度な人工知能を搭載したメタリカルドが戦争の主役となっている。
一時は大型兵器の開発も検討されたが、大型兵器は高トルクに加えて負荷に耐えうる機体強度を必要とする。現状の人型メタリカルドを超える大型兵器を作ることは、この時代の科学技術をもってしても不可能だった。
クメルの先を行くラズベルは移動形態|《モード01-B》を展開している。
緑の迷彩服を着た少女の足だけが金属の装甲板で覆われていた。
移動形態は脚力のトルクを増幅し、摩擦による関節の摩耗を防ぐためにナノマシーンが足首の関節や膝関節に修復用人工シリコンを運ぶ。これにより、摩耗し続ける関節を自己修復しつつ、シリコンが欠乏するまでは高い脚力を維持することができる。
一方のクメルはただの人間である。移動形態をとっているラズベルに追いつくはずもない。
ひっしに自らの筋力を使って、瓦礫をよじのぼるしかなかった。
ラズベルが高く跳躍して瓦礫に飛び乗って進むのに対し、クメルは瓦礫に手をかけ、足場を探し、その痩躯を筋力によって持ち上げていく。
クメルの迷彩服は灰色でビルの瓦礫の山に溶け込んでいるが、生命探査能力を持つ敵メタリカルドと遭遇したら簡単に見つかってしまうだろう。
クメルは数十メートル先にいるラズベルを視界に入れる。ラズベルは一際高い瓦礫の上に立ってあたりを見回していた。索敵を行っているのだ。
目立つ場所に立って索敵を行っているのは近場にはすでに敵がいないことを見越しているからだ。
ラズベルは遠距離からの攻撃を警戒していた。
クメルを中心として円を描くようにラズベルが瓦礫の山の上を飛び跳ねる。半径二十メートルほどの円を描いて、索敵を終えたラズベルがクメルの元に戻ってきた。
「クメル、今のところ敵影はありません。あなたを抱えて進んでもよろしいでしょうか?」
人間であるクメルがこの瓦礫の中を進むのは困難を極める。過去に何度もラズベルに抱えられたのだが、そのたびにクメルの顔が渋る。
「まあ、それしかないんだろうけどさ……」
クメルの了承とも取れる返答に間を空けず、ラズベルはクメルをお姫様抱っこの要領で抱え上げた。
メタリカルドとはいえ少女の姿をしているラズベルにこの形で抱えられることは、十六歳の少年であるクメルにとって羞恥以外の何物でもなかった。
はたして他のメタリカルドは人間と行動をともにする時にこんなやり方で抱え上げるのだろうか? クメルはいつもそんなことを考えてしまう。
抱きかかえられたクメルの顔のすぐ近くでラズベルの高い声が響いた。
「じゃあ、行きますよ。私にしっかりつかまっていてください」
クメルと同年齢の十六歳の姿をベースに作られているラズベルだが、口調からはもっと年上に思えてくる。
ラズベルのボブカットの白髪が風になびいた。
メタリカルドの少女は跳躍し、瓦礫の頂上を飛び跳ねながら進む。
本来であればもっと移動速度は速いのであろう。クメルを気遣ってか、膝を使ってショックを最小限にしてくれているようで、おそらくは最大速度の40パーセント程度と推測された。
ラズベルに抱えられながら、まだ街がその姿を保っていた時に乗ったエアーモービル――ギャレット――をクメルは思い出していた。飛行車両であるギャレットに乗るとこんな感じでふわふわとした浮遊感を味わっていた。最後に両親とギャレットに乗ったのはたぶん五歳くらいの頃だ。
詳しく覚えているわけではない。戦争が激化し、両親とはそれから間もなくはぐれてしまった。エアーモービルの姿も両親の顔もはっきりとは思い出せない。母の顔はラズベルに似ていたなと、おぼろげに覚えているだけだ。
だが、ギャレットに乗っていた感覚、そして後部座席から前に座る両親の後頭部を眺めていた情景だけは、はっきりと記憶に残っていた。
確か母親もラズベルのようなボブカットだった。
母親は、ラズベルの白髪とは対象的な黒髪であったが。
突然、がくんという衝撃がクメルに伝わった。ラズベルが一際高いビルの瓦礫の上で急停止していた。
「クメル、異常なエネルギー反応を確認しました。敵の索敵を避けるために私の動力炉をシャットダウンします」
ラズベルはクメルを抱えたまま瓦礫から飛び降りて、物陰に姿を隠した。クメルはラズベルの腕の中から地面に降り立った。
しゅうん、と気体が抜けるような音がしたあと、ラズベルの足の装甲板が格納され、緑の迷彩服姿をした普通の少女の姿になった。それと同時に動力炉が停止したようだ。
ここからは空間に内包するダークマター――これはそれまでは存在しないとされていたが、十年前に発見された非物質を取り巻く構成要素――からエネルギーをポンプのように取り出す。このエネルギーポンプ機構により最低限の活動だけが維持される。
ラズベルがクメルを守るように、ぎゅっとその身に寄せた。
メタリカルドの外郭を構成するには本来必要のない膨らみをその肌に感じてしまったため、クメルの心臓の鼓動は高まる。
メタリカルド相手に何を興奮しているのだ、と自分を戒めるが、動力炉の停止に伴い体温――アンドロイドだから正確には機体温度――が下がり、ラズベルの体が冷え込んでいくほどに不安が頭をもたげてくる。
「ラズベル、敵のメタリカルドがいたのか? 01型か? 02型か?」
静かに、とラズベルは人差し指を立てて自身の口元に当てる。
「わかりません。どうもおかしいんです。01型でも02型でも、そのどちらでもないようです。まさか未知の03型なんてことはないでしょうが……」
ラズベルは声を潜めた。
戦闘用メタリカルドの開発は戦争の開始直後に開発された01型と、メタリカルド自身が自らを改良して進化させた02型が存在する。ラズベルは旧式ともいえる01型だ。
だが01型といっても常にアップデートを繰り返しており、現在の01型は02型と比べて戦力に大きな差は見られない。
拮抗するメタリカルド同士の戦闘は物量戦に突入し、互いの勢力が必死になってメタリカルドを製造し、そして破壊しあっている。
そんな中で人類だけは殺されていき、人口は減少傾向にあった。
人類の滅亡は避けられないと誰もが感じていた。
ラズベルが口にした第三世代のメタリカルドとなる03型は、単なる都市伝説にすぎなかった。物量戦がものをいう戦争において、あらたな兵器を投入するよりも既存の兵器を複製して量産することのほうが遥かに戦力としては頼りになるからだ。
03型は単なる噂にすぎない――
クメルもそう思っていた。
その噂の内容というのは、03型に遭遇したメタリカルドと人間がともに消滅してしまうというものだった。
何の攻撃も受けずに、ただ消滅する――。
そして、あとには何も残されない――。
何も残らないからこそ、03型の存在を確認するすべはない。
ばかばかしい――。噂を耳にした時、クメルはそう思った。
それでも今現在、謎の存在に肉薄されていることは確かだ。すでにこちらの位置を把握されてしまっているのだろうか。
仮に幽霊のような03型が相手だったとして、新型兵器ともいえる存在が、単なる一メタリカルドと一人の人間に対して姿を見せてまで攻撃してくることがあるとは思えない。
もし03型が存在し、敵の隠し玉であるとするならば、量産してその猛威を振るうまではひた隠しにするはずだ。
あるいは何らかの実験か?
相手側に見つからないと踏んでの?
いや、すでにラズベルはその存在を感知しているのだ。
そんな間抜けなことはないだろう。クメルは強く首を振る。
「ラズベル、動力炉を落とした状態で敵の位置はどのくらいの精度で把握できる?」
「誤差二メートルから五メートルの範囲で可能です。ですが、着実に私たちに向かって来ています。私たちの位置を捕捉しているようです」
見えない敵が向かって来ている今、この場所を移動することが先決だとクメルは判断した。
「よし、すぐにこの場所を離れて隠れよう――」
ところが、クメルの発言をラズベルが遮る。
「ちょっと待ってください。敵の反応が消えました。忽然と姿を消したように……」
どういうことだ?
クメルは必死に考える。
反応が消えたということは何者かに破壊されたということだろうか。
それともこちらの索敵機能を無効化するだけの能力が敵にあるというのだろうか。
「クメル、私がおとりになってみます。仮に敵がなんらかの原因で消失していたとして、それでいいでしょう。ですが敵側がこちらの索敵を逃れていた場合、あなただけでも逃げてください」
「そんなわけにいくか。ここまでずっと一緒に行動してきたんだ。ラズベルを見捨てるわけにはいかない」
「いえ、クメル。あなたが死んでしまうと代わりはいません。メタリカルドはいくらでも量産が可能です。私の代わりはいるのです」
ラズベルはクメルのこめかみに指でそっと触れた。
クメルの脳には情報伝達と情報格納用のシリコン素子が埋め込まれている。
ラズベルの中指からクメルの脳のシリコン素子に流れ込む情報伝達が、微細な振動としてクメルに伝わった。
「私の疑似人格情報をクメルに伝達しました。これで私のコピー――メタリカルドの複製体を作成することが可能です。ここから南西に十二キロほど行けば地下坑道への入り口があります。なんとかそこまでは逃げてください」
ラズベルが自分の複製体を作れなどということは今までなかったことだ。
同じ疑似人格を所有するアンドロイドを複製することは混乱をもたらすために、通常は行われない。
なんとなく嫌な予感がクメルの胸をよぎった。
高度なT-AIによる予測演算の結果がその結論をもたらしたのであれば、高い確率で将来ラズベルの身に危険が迫る。
ラズベルは近い未来になんらかの形で破壊されるのか――
まさかな――
クメルは首を振ってその思いを振り払う。
そんなクメルにはかまうことなく、ラズベルが動き出した。
「ちょっと待て、ラズベル――」
クメルの言葉を聞かずに動力炉を再起動したラズベルは、機体表面温度を一瞬で五十度まで上昇させた。
温度上昇を確認したラズベルはクメルの制止を振り切り、跳躍する。
ラズベルとしては敵の存在が一体だけであれば身を挺して足止めできると判断していた。
ラズベルの視界には様々な演算結果がまるで複数のスクリーンが宙に浮いているかのように表示されている。
【――敵が02型であると想定した場合、対象を破壊できる確率|《23%誤差±15%》――】
AIによる演算結果が、ラズベルの視界内に流れていく。
【――クメルを逃がすことができる確率|《85%》――】
【――02型を45分間足止めできる確率|《72%》――】
【――02型によりラズベル本体が完全に損傷する確率|《48%誤差±8%》――】
何よりラズベルがその場を飛び出したのは根拠のない行動ではなかった。
【――周辺に02型、もしくは未知の存在が潜んでいる確率|《0・15%》――】
【――対象が未確認の03型である確率|《0・0001%》――】
周囲に敵はいないであろうと判断していたからだ。
だから戦闘形態もとらずに緑の迷彩服姿のままだった。
ラズベルの予測演算結果の正答率はこれまで99・991%だった。学習に学習を重ね、クメルとちょうど十年の歳月を過ごしたラズベルの予測演算機能は格段に向上していた。
そして、そこにラズベルの油断があった。
ラズベルが南東の方角、遠方に海が見える方向に目を向けた時、時計の針で一時の方角からラズベルに向かって閃光が走った。
左肩に強い衝撃を受けるともに、仮想の痛覚が人工の脳に伝導された。
【――左肩損傷。活動能力12%減。31度の角度より狙撃されました。狙撃距離約二キロと推定。狙撃者の位置不明。――】
ラズベルの左肩に直径一センチほどの穴が空き、穴の周囲は焼け焦げてぶすぶすと音を立てている。ラズベルは反射的にその肩を右手で押さえた。
現在戦闘形態にないラズベルは単なる少女の姿だ。上下の迷彩服に、胸元からは白いシャツが覗いている。
メタリカルドは人間の行動を学習しているため、人間と同じような行動を取ってしまう。肩を撃たれた時に反射的に反対の手で押さえた行動を取ったのもそのためだ。
戦闘形態にないことを後悔する暇はなかった。
ラズベルは冷静に戦闘形態|《モード01-A》に移行する。残存エネルギーが2%減少した。
頬が金属の装甲板で覆われ、両腕、両脚そして身体のほぼすべてが攻撃に対応できる金属の外殻を形成する。外から見えるもともとの姿は白髪のボブカットとわずかに覗く整った顔だけだ。
肩の傷は自動修復が始まっている。三時間もあれば完全に修復されるであろう。
「ラズベル!」
眼下からクメルの声が響いた。
――どうしてまだそこにいるのだ……。
ラズベルは小さく声を漏らす。
人間の行動は予測演算の結果から大きく外れてしまって、まったく予測がつかない。
「クメル、早く逃げなさい!」
叫ぶと同時に、ラズベルに向けて第二射が襲った。さすがにラズベルも遠方からの二射目は許さない。
しかし――
「距離が詰められている!?」
目の前のスクリーンに表示された狙撃予測距離が五百メートルだった。
――敵は一体ではなく複数か、だとしたらクメルを一人で逃したのは失敗だ……。
あらたに予測演算をやり直そうとしたラズベルに五方向からの射撃が襲った。
最初の三撃は躱した。それでも第四弾、第五弾がラズベルの右ふとももと顔面にヒットした。
装甲板をわずかにひしゃげただけで、本体の損傷には及ばなかったものの、強い衝撃がラズベルに伝わった。
瓦礫の上から叩き落とされ、二百五十キロの重量を持つメタリカルドは地面に叩きつけられた。
地面に激しく衝突した影響でラズベルの視界が大きく揺らいでノイズが走る。
落下地点の近くにいたクメルが駆け寄ってきた。
「大丈夫か! ラズベル!」
――まだこんな場所にいるなんて。どうして人間の行動はこうも合理的でないのか……。
それでも今は近くにいることでクメルを守れる可能性が見えてきた。敵が複数であるとすればクメルのそばにいたほうが保護できる確率は上がる。
【――クメルを無傷で保護できる確率|《12%》――】
それでも演算結果はこの確率だ。
低すぎる。
クメルが近くにいてもなおこの数値。
さすがに今回は無理かもしれない。
十年にわたって行動をともにしてきた主人ともいえる人間を失うことは避けられないと思った。しかし、アンドロイドのラズベルには人間のように悲観する感情はない。
ラズベルには感情プログラムはインストールされていない。そもそもこの時代においてメタリカルドに感情は必要とされなかったし、人間と同等の感情プログラムの開発は頓挫していた。
ラズベル単体なら逃げ切れる可能性があった。
クメルを見捨てて逃げることをシステムは提案してきた。
しかしラズベルはそうしなかった。
「クメル、五方向から撃たれました。私達は囲まれているようです」
「わかった。俺はどうすればいい?」
「とりあえず私から離れないように」
ラズベルの視界の半分が黒く染まっていた。
「私の視覚機能が一部損傷しているようです」
その言葉にクメルが返した。
「違う。ラズベル。撃たれたところが黒くなって、それが広がっている――」
ラズベルが被弾した箇所――顔面と右ふともも――に黒い球体が広がっていた。握り拳程度の大きさだった球体は急速に拡大し、ラズベルを呑み込もうとしていた。
根拠のない危機をラズベルは感じ取っていた。
コンピューターによる演算とは無縁の判断だった。
「クメル、私から離れて! 逃げてください!」
叫んだが間に合わなかった。
クメルを巻き込んで黒い球体は膨れ上がった。
ラズベルのスクリーンには、
【――敵コードを識別、対象は07型と判明――】
これを見てラズベルは何らかのエラーが発生したものと思った。
だが、そうではなかった。
――対象は07型――
情報が正しければ、五世代も先の機体だといえる。そんな機体は存在するはずがない。
その表示のあと、すぐに視界が真っ暗になったが、クメルがしがみつく感触だけが人工の脳に伝わってきた。直後、ラズベルの思考回路は停止した。
瓦礫が散乱する中、クメルとラズベルの姿は消え、直径五メートルほどのクレーターだけが残されていた。