沙苗は台所で朝食を作るかたわら、竹でできたお弁当箱におかずやご飯を詰めていく。

 景虎のお弁当だ。

 何でも持っているし、不足があれば買えるだけの資力のある景虎に、沙苗ができる恩返しといえば食事を作ることくらい。
 貴重な休日を自分のために使ってくれた景虎にどうしてもお礼がしたくて、考えたのが弁当だった。

 弁当箱をしっかり包む。
 それから起床した景虎のために、朝食を卓袱台へと並べていく。

「おはようございます、景虎様」
「ああ……」

 言葉少なに景虎は応じ、箸を動かす。
 元より、沙苗と景虎の間に愛情のつながりはないのだから、そんな態度を残念に思うなんていけないのに。

「これは明太子か?」
「はい。正造さんから……」
「正造?」
「あ、魚屋の店主さんから明太子をすすめていただいたので、ご用意してみたいのですがいかがでしょうか?」
「うまい」
「良かったです」
「この照り焼きもいけるな」
「はい。ぶりの照り焼きが美味しいと教えてもらったので。作り方は魚屋の女将さんから教えてもらいました」

 景虎は素っ気ないながらも、しっかり美味しいものには美味しいと言ってくれる。

 食事を終えると、今日は昆布茶を淹れた。いつも緑茶ではと思って、これもまたお茶屋さんの店主からおすすめしてもらったものを用意していた。

「さっきからどうした?」

 指摘されてどきっとする。実はさっきから膝のうえにお弁当をのせていたのだが、渡す機会をずっと窺っていたのだ。

 お弁当なんてとつぜん作られてわずらわしいと思われないだろうか。
 素人が作った料理のせいで外食する機会を奪われ機嫌をそこねないだろうか。
 そもそも弁当を望んでくれるだろうか、などなど。

「あの……」

 そこへ、三船が迎えに来る。

「行ってくる」
「か、景虎様!」
「? 何だ?」
「これ……もし、良ければ。お昼のお弁当です」
「俺に?」
「よろしければ……です。あの、突然こんなものを作ってしまってすみません。お昼はなにかご予定があるか事前に聞くべきでしたが、この間の休日のお礼の意味をこめて、作らせていただきました……」

 手にあった重りがなくなる。
 顔をあげると、景虎が弁当の包みを手にしていた。

「……わざわざ用意してくれたのか」
「わざわざ、というほどのものではないのですし、外で食べるとは比べものにならないものですが……」

 ごにょごにょと口の中で呟く。

「ありがとう。お前の料理はうまい。自信を持て」
「!」

 どきりとする。景虎はどうしてこんなにも、沙苗を喜ばせてくれる言葉を口にしてくれるのだろう。

「いってらっしゃいませ、景虎様……!」

 いつも以上に声を張り、沙苗は見送った。



 昼、景虎は書類をあらかた片付ける。
 三船は景虎が弁当を受け取ったことを知っているから、席を外している。

 ――弁当、か……。

 こうして誰かの手作りの弁当を食べるのは久しぶりだ。

 まさか沙苗が弁当を用意してくれていたとは予想もしていなかった。
 沙苗に触れたいという自分でも戸惑うような気持ちを覚えて以来、沙苗と距離を取るようにしていた。と言っても、突き放すような態度にならぬよう注意を払いながら。
 あくまでこの婚約は契約であり、愛はないのだと。

 しかし弁当は拒否できなかった。
 わざわざ作ったものを拒絶されれば、沙苗が悲しむと咄嗟に思ったのだ。
 自分のために作ったと言われ、驚きと同時に、胸の奥がくすぐったくなった。またも不用意に口元が緩んでしまいそうになるところだった。

 ――食べ物を無駄にすることはできないからな。
 誰に対してか分からないような言い訳をしてから、包みをとく。
 竹で出来た弁当箱の上には折り畳まれた紙が置かれていた。

 開くと、そこには『おしごと おつかれさまでございます ごむりはなさらず 沙苗』と、最初の頃にくらべると格段に上達した平仮名で書かれていた手紙が入っている。

 最後の署名である『沙苗』というのは、数日前に、彼女から自分の名前はせめて漢字で書きたいので教えて欲しいとお願いされたのだ。

 さすがに平仮名や片仮名は日々の練習でさまになってはきたものの、漢字ともなるとまだ書き慣れていないせいか、かなり崩れている。
 しかし沙苗が努力家であることは日々の練習成果や書き損じて捨てられた紙をこっそり回収して見ているから、分かっている。

 ――沙苗のやつ。
 また、口元が緩んでしまう。一体いつから自分の表情筋はこんなにも締まりのないものになってしまったのか。

「おい、まだ仕事してるのか?」

 一臣が無遠慮に入ってくる。

「昼、行こうぜ」
「昼なら今食べるところだ」
「食べるところって……」
「沙苗が弁当を作ったんだ」
「愛妻弁当か。くっそ。うらやましい奴め……って、なんだ、そりゃ。下手な文字だな。がきの手習いか? お、おい!」

 一臣は、景虎の手の中でゆらめく青白い炎を前に、炎と同じか、それ以上に顔を青ざめさせた。

「これは沙苗が書いたものだ。あれを侮辱するということは、私を侮辱するのと同義だと分かってるのか」
「お、落ち着けよ! そ、そうか。奥さんのかぁ」
「失せろ」

 景虎の辛辣な言葉と、絶対零度の眼差しに、一臣は怖れをなしたのか、「じゃあ、ごゆっくり」と引き下がる。

 が、去り際、「うまくいってるみたいじゃんか。というかお前、いつになく目元が優しいな。まるで恋する乙女だぞ」と言い逃げしていく。

 一瞬不意を突かれ、唖然としてしまった。