私は人見知りで、人と関わったりすることが苦手でよく人との間に壁を作ってしまうような人です。
そんな私には、小学生の頃からみんなと同じように見えても、違うところがあった。
それは、発達障害であること。
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発達障害とは、生まれつきの脳機能の発達の偏りによる障害。
相手の考えていることを読み取ったり、自分の考えを伝えたりすることなど難しく感じてしまう 自閉スペクトラム症(ASD)、
集中したり、じっとすることなど難しく感じてしまうADHD(注意欠如・多動性障害)、
「聞く」「話す」「読む」「書く」「計算」などすることが難しい 学習障害(LD)
など色々な種類、症状や重複していることがある。
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私は、発達障害の沢山の種類と症状がある中の一つである学習障害を抱えて生きている。
発達障害であるということを知ったのは、小学生の低学年の頃だった。
まだ、普通に当たり前のように通常のクラスで授業を受けていた頃。
私は授業中に寝たりなどせず、真面目に授業を取り組んで宿題もしっかりやっていた。
でも、頑張ってやっていても小学2年生の時に覚えなければならない「九九」や思っていることを言葉にして伝えたりすることなど普通の人たちには簡単にできるようになっていくことが、私にとっては理解したりすることなど時々すごく難しかった。
先生に何か聞かれたりしても、すぐに答えることができずにいた。
必死に頭をフル回転して、やっても言葉を紡ぎ出すのに時間がかかった。
必死に、なんて大袈裟な表現かもしれないけど、私にとっては大袈裟でも何でもなかった。
頑張って頑張ってやっているのにうまくできないし難しい。みんなと同じようにできない。
たまに自分が後悔してしまうことを相手に言ってしまうこともあった。
周りが気になってついつい見てしまったり、一緒に遊ぶ約束をしたのに約束を忘れて別の子と遊んでしまうこともあった。
そういうことがあって友達はいたけど、クラスに馴染められなかった。
できなくて苦しんだ。
こんな自分は嫌いだと、何度も思った。
このようなことがあったため病院の精神科に行ったり、学校の担任の先生などに相談したりした。
その時に、発達障害の一つである学習障害だったと知ったのだ。
それから学校からの支援を受けるようになった。
通常のクラスとは別にある特別支援学級という障害による学習や生活の困難な人たちが克服するための少人数学級で苦手で難しいと感じる教科のみ障害を抱えている子たちと一緒に勉強していくようになった。
特別支援学級は少人数と言うこともあってほとんど一対一で勉強ができるし、私と同じような理由の子が多く共通点が結構あって関わりやすく明るい気持ちでいられた。
勉強で分からないところをよく先生に質問したりして、理解できるようにちゃんとやったことを吸収できるように自分なりに頑張った。
通常教室と特別支援学級を行き来することが当たり前になってから、クラスに馴染められなくて浮いていた私は特別支援学級では自然体でいられるようなそんな場所になっていった。その反面、特別支援学級から通常教室に戻ると一瞬だけど見てくる視線が怖かった。
ここまでは、まだ何も起きていなかった。いや、何も起きていないように見えていただけなのかもしれない。
小学5年生のある日のこと。
私はいつも通りに、学校に登校した。その日の朝は、何故か周りの人が騒がしかった。
その時に私の友達である子が話しかけてきた。
どうやら、私は半年前くらいから陰口されていてそのことが発覚したらしい。
その言葉を瞬間、思考が止まって頭が真っ白になった。
それと同時にいじめのターゲットになっていたんだなと受け入れたくないのにそうだったんだと少し受け入れている自分がいた。
けど、私は友達に心配をかけたくなかったためすぐに笑顔を貼り付けて気持ち鎮めて友達に「私は大丈夫だよ」「私はこんなことで傷つかないよ」と言った。
友達は心配そうにいたけど、丁度その時チャイムが鳴った。
チャイムが鳴ったので私の友達や周りで騒いだりしている子たちが自分の席についた。
友達が私のそばを離れてからも泣いたりしないように深呼吸をして頑張って心を鎮め続けた。
私がいた小学校では、先生のお話や係・委員会からの連絡などを行う朝の会をする前に朝読書をしていた。
その朝読書の時間に担任の先生が私を廊下に呼び出した。
そして先生は、「◯◯さん、前から陰口をされていたそうです」と話し始めた。
私は「なぜ陰口をされているのか心当たりがない。わからない。」とちゃんと伝えた。
先生と話し合っているとき私は、先生からも陰口をされていたことを告げられて本当のことなんだと信じたくないけどそうなんだってしっかり思い始めた。
その瞬間に頑張って心を鎮めていたり、涙が溢れて来ないようにしていたものが一気に溢れ出した。先生はそんな私の泣いてしまった姿を見ても「泣いているのは、あなたが悪くない証拠だね」と優しく頭を撫でてくれた。その時、私は嬉しかった。真摯に向き合ってくれたから。
その後、私と担任の先生は教室に入った。私はまだ、涙が止まることなく溢れていたのを少し恥ずかしく思っていたけれど、先生がみんなに向かって今回のいじめについて指導してくれた。
けれど、そう簡単にいじめがなくなることはなかった。
朝、学校を登校して玄関に入って自分の上履きが入っているところを見ると片方だけ別の子の上履きと入れ替わっていたり、私が学校を休むと「やった〜!」と喜ぶ人がいたりなど辛く苦しい日々が続いた。
それから、だったと思う。
特別支援学級が息がしやすい場所になったのは。
周りの子と関わるのが怖く苦手意識が高まったのは。
私はそれでも、学校に通い続けた。
死にたいと自然と思っても、私の登校靴が投げ捨ててあるのを発見するとすぐに先生に知らせてくれたりとずっと味方でいてくれた友達。
何回もいじめが見つかったことで元々やる予定だった授業を変更して指導してくれた先生がいてくれるから。
悲しませるようなことはしたくない。頑張ろうと思って、ずっと頑張り続けた。
そうして小学校を卒業した。
中学生になってからは私にして来るいじめは何もなかった気がする。
いじめが途絶えたことは心の底から良かったと思えるけど、何故いじめが途絶えるようになったのかは私にはわからない。
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入学当初、人と関わることに苦手意識が強まっている私は中学からの新しいクラスメイトがどうなるのかたくさんの不安があった。
けど、新しいクラスのメンバー表を見てすごく安心したのだ。
それは、私がなった○組にずっと味方でいてくれて支えてくれた友達と同じクラスメイトに慣れたこと。気軽にいられて話せる友達と慣れて本当に良かった。
そうして、仲の良い友達と新しいクラスメイトで過ごすのに慣れてきたけど、私は周りの人と関わるのが怖いと思ってしまい人との間に壁を作った。ほとんど必要最低限しか関わらなかった。また新しく人間関係を築き上げることができたのに、私と関わって傷ついて離れていくのが怖かったから最初から浮くことを選んでしまった。この先の私が、後悔することになるとも知らずに。
クラス内での係や目標など決めていったあと、国語などの普通授業が始まった。
小学生の頃、支援を受けるようになってからずっと支援学級の方で授業を受けていたけど、中学の支援学級の先生と相談してまた通常のクラスで授業を受けても大丈夫かもしれないということでしばらくの間通常クラスの方で頑張った。
ちゃんと授業内容についていけるように毎日頑張った。自分なりに一生懸命に頑張り続けた。
そのまま中学生になってからの初めてのテストを受けた。問題用紙を見た瞬間、駄目だ出来ないと思った。頑張って問題を解いていったけど、多く解くことができなかった。
「頑張ってやって来たのになんで私はできないの」とテストの試験中に自分の”できない”部分に嫌気が差してこっそり泣いた。
テスト返しされた時、自分の答案用紙を見たら案の定テストの結果があまり良くなかった。
支援学級の先生と相談してまた小学生だった頃と同じように苦手で難しいと感じている教科のみ支援学級の方で授業を受けるようになった。
支援学級で授業を受けているとやっぱり支援学級の方が理解しやすく自分に合っていると思う反面、私がクラスにいる時間が減ることでクラスメイトとの関わりが減っていくことに良かったと思えるような良くないと思えるような、よくわからない気持ちが続くまま日々が過ぎていった。
そうした日々を過ごしているうちに私は支援学級では家にいるときと同じくらい自然体でいるのが当たり前で、クラスの方では息を潜めて空気のように居て仲のいい友達以外とはほぼ喋らなかったり関わらないのが当たり前になった。
話しかけられると私が大きく目を開けて驚いてしまうほど。支援学級からクラスに戻って来ると一瞬だけど目を向けて来るのが怖かったはずの視線もすっかり慣れてしまうほど。
三年生になってもずっと。ずっと変わらず。
3年生の頃の私は毎日、息を吐くようにため息が出ていた。支援学級にいても「たくさん、ため息を吐かないように頑張ろう!」と先生に言われてしまうほど。
入試試験を無事に合格するための勉強とため息を出さないように意識するのことを頑張った。
息ができる支援学級で授業をしているとき、私はよく弱音を吐いたり、自分を否定するようなマイナスなことをたくさん言葉にして口に出していた。だって、先生に詳しく理解しやすいように教えてもらっているとき自分のダメなところや嫌いなところを沢山見つけてしまうから。自分自身と向き合うたび、変えられない現実に打ちのめされるから。
でも、よく先生が「ちゃんと頑張っているよ!」「えらい!!」と沢山の肯定の言葉をくれた。この言葉に沢山救われた。この言葉を信じて精一杯に頑張った。
そして、中学生最後の3学期後半。
もう、今更なことだけど勇気を出してクラスいる子に話しかけたりしてみた。
そしたら以外にも会話が続いて楽しかった。
そのとき、私は思った。怖いと思わず、もっと早いうちにやってみれば良かったと。そしたら、何か変わっていたんじゃないかと。そういうことを考えちゃいけないのに。後悔という悔やむ気持ちが大きくなって根深くなっていくだけなのに。けど、結局たくさん考えてしまった。勇気を、一歩を、踏み出すのが遅すぎたと私は思った。
だって、中学を卒業してしまえばもう偶然に会ったり、同窓会を行わない限り会うことがないから。
本当に遅すぎた。
そういう気持ちを抱えたまま中学を卒業してしまった。
私の話を読んでくれている『あなた』 へ
私の過去のことを通して伝えたいことがあります。
それは、自分なりに必死に、精一杯に、みんなと同じことができるように、周り子と同じであろうと、頑張っている人がいるということです。
何気ない毎日を息苦しく、不平等で、生きづらいと感じている人がいるんだよ。
理解してもらえずに責められ、蔑まれ、いじめをされて、傷付いている人がいるんだよ。
傷付いてしまったモノは決して戻ることはなく、根深く、大きく残っている人がいるって知ってほしい。
頑張っている人を笑ったり、傷つくことをするのは絶対にダメです。
発達障害のことを理解することは、きっと難しいことなのかもしれません。
ですが、少しずつでもいいから発達障害を抱えている人の声に耳を傾け、どうすることが彼らにとって最適な選択なのかを一緒に考えてあげてほしい。
その子に悪い噂などあっても関係ありません。
障害を抱えたいと望んで生まれてきた人はいないから。
障害を抱える人、抱えていない人、関係なく、小さな事でも良いから肯定言葉を掛けてあげて下さい。
その言葉に救われることが多いから。
自分以外の誰かに認めてもらうだけでその人の世界が変われるから。
花優いのり より