目覚めたのは夕方だ。スマホを確認すると「16:14」と表示されている。新着メッセージも届いていて、送り主は篠村だとわかっていたけど見る気にはなれない。
 夏休みもあと二週間。このまま夏が終われば、住む時間を夜に変えてもいいかもしれない。
 そうなれば『真夜中ルーム』に行って相談をするしかない。どうせこれから私の夜に付き合ってくれる人はいないんだ。
 だけど、すべてが億劫で。私は動画配信なんかを適当に見て夜が明けるのを待つことにした。
 一人の夜はスローモーションのように過ぎていく。楽しいはずの動画は耳からすり抜けていき、何も頭に残さない。
 ……篠村がいない夜をこれから何度繰り返すんだろう。
 胸によぎった考えを振り払った。篠村は私のことを騙した、信じられない人。もしかしたら誰かと私のことをからかっていたかもしれない。
 なのに篠村とのこれからを求めてしまうなんて、ばかみたいじゃない。篠村は……。
 目をぎゅっと閉じる。もう眠ってしまいたい。だけど、夜はじっとりと過ぎていき、篠村の笑顔が瞼に張り付いて取れない。
「なんで、篠村は私と夜を過ごそうと思ったんだろう」
 ぽつりと疑問が口から出た。
 篠村は『昼夜逆転症候群』も『真夜中ルーム』も知っていた。どうして? 篠村は私に声をかけてくれた理由を「夜から連れ出してほしかったから」と言っていた。あのときの篠村はとても嘘をついているように思えなかった。
 私はスマホを開いて篠村のメッセージを見ることにした。
『体調悪い? 大丈夫? 海はまた行こう。俺は棚上と夜を過ごしたい。一度話がしたい』
 シンプルで、なんの弁明もないメッセージだ。だけど、胸がぎゅっと痛くなる。
 その時、スマホのバイブがぶるると震えた。真夜中の三時。メッセージが届くような時間ではない。もしかして――。
 やはりメッセージの主は篠村だった。
『棚上、起きてる? 今話せない?』
 メッセージを開いてしまったから、きっと篠村の画面には『既読』の印がついたはずだ。だから続いて着信が来た。
 ぶるぶると震えるスマホを手に取る勇気がない。しばらく震えて、やがて途切れた。そしてもう一度メッセージが届く。
『ごめん、直接話したくて、棚上の家まで来た』
 え? 私は反射的に窓の方を見た。篠村がここまで来てくれている。
 ……篠村の真意を聞くのは怖い。
 怖い。でも……。私は思い出してみる、篠村と過ごした時間を。昨夜はカッとなったけど、私の中に降り積もった篠村旭というひとは私を傷つけることをしない。それは私自身が一番良く知っている。篠村が嘘をついたなら、それはきっと何か理由がある。
 スマホがもう一度震えて『ごめん。また連絡する』とメッセージが届いていた。慌てて窓に向かってカーテンの隙間から下を覗いてみると、そこには自転車を引いた篠村がいた。
 スマホをじっと見ていた篠村がこちらを向いたから、私は慌ててしゃがんで身を隠す。
「なんで隠れちゃったの」
 もう一度窓の外を見てみると、篠村は自転車を引いて家から離れようとしているところだった。
 ……これでいいんだ。だって、嘘だった、と聞くのはやっぱり怖い。話を聞いてしまったらもう今までの私たちには戻れない。
 だけど、本当にいいの?
 篠村の態度は全部が嘘だった?
 ううん、そんなことはどうでもいい。相手の気持ちはどれだけ考えてもわからない。それを篠村が教えてくれた。
 私から行動しないと……! 何も変わらない!
 立ち上がると、部屋を出た。階段を駆け下りて、慌てて靴を履く。靴紐がほどけているけど気にしない。早く。早く、追いかけなきゃ。 
 昼に生きる篠村と、もう二度と会わない覚悟すらしていたのに。
 私がどうしたいかは明白だった。
 ――篠村の隣に行きたい。夜を、篠村と過ごしたい。篠村と話したい!
 篠村がどう思うかわからない。でも私はなんにも篠村に伝えてない。
 もつれる足を動かして、私は暗い道を走った。篠村は自転車だった、追いつかないかもしれない。だけど足を走らせた。
 そうだ、連絡……! ポケットを漁るけどスマホは忘れてきてしまったみたいだ。
「もう、運動不足だ!」
 自分自身に文句を言って、また走った。そもそも篠村が向かった先が本当にこっちなのか正解もわからない。
 走りながら、明日でもいいんじゃない?という言い訳が荒い息と共にこみ上げてくる。だけど、私はもう自分に言い訳をして、言い聞かせて、人を諦めたくなんてない……!
「篠村……!」
 人影が見えて、願うように叫んだ。人影が止まる。自転車をゆっくり引いていたのは篠村だった。
「棚上」
 篠村は振り向いて、驚いたように私を見た。
「……ごめん。やっぱりわたし……話が……したい……っ!」
 苦しい息を吐き出しながら私が言うと、篠村は目尻を下げた。
「――棚上、五時まで起きてられるようになったんだよな?」
「え、う、うん」
「じゃあ、行こう。見せたいものがあるんだ」
 篠村は笑顔を見せて私に自転車に乗るように促した。