八月二週目。夏休みやりたいこと、その三。

「そろそろ棚上の希望を叶えようよ。ないの? なんでもいいよ」
 そう言われて、私がひねりだした答えは線香花火だった。
「夏の夜といえば、線香花火! ……って感じしない?」
 小さな提案だというのに、声はかすれた。
「する」
 不安に思う間もなく篠村はそう言って「俺の希望で他の花火も買わせていただきましたが」
 と笑いながらディスカウントストアで買ってきた花火を並べ始める。
 私たちの学区の外れにある河原は、昼は多くのバーベキュー客が訪れて、夜は花火をする人もちらほらいるスポットだ。――今日は私たち二人きりだけど。
「よし」
 篠村はチャッカマンを出すと、まず自分の持っている花火に火をつけた。私が持っている花火に自分の火を渡してくれる。
 火が点いて勢いよく白の光が飛び出していく、まっすぐに。思っていた以上に明るくて、篠村の顔がはっきりと暗闇から浮かぶ。
「あ、すぐに終わった」
 篠村の顔がまた薄っすらとしか見えなくなってなぜか安心する。同じく私の顔も見えないはずだから。
「次はこれにしようかな。ぱちぱちするみたい」
「いいね。じゃあ俺はこれ。大閃光だって」
「さっきのより明るいのかな?」
 袋から出したときは、すごい量だ。と思ったのに、あっという間に手持ち花火はなくなってしまった。篠村と過ごしているとなんでもすぐに終わってしまうのはどうしてだろう。
「大本命、線香花火行きますか」
 篠村は花火の袋から小さなろうそくを取り出した。線香花火はこっちの方が火が点けやすいから、と言いながら。
「じゃあ……いくね」
 私はほんの少し緊張しながら線香花火を掴んだ。ろうそくの火に線香花火を近づけると大きな火の玉ができて、あっけなく、落ちた。
「あ」
 一瞬で落ちてしまった線香花火に篠村が声を出して笑う。
「俺がお手本を見せましょう」
 篠村も線香花火に火を点ける。火の玉は丸くなって、弾け――ずに落ちる。
「へたくそすぎない?」
 思わず声を出して笑ってしまって「あ」と思う。バカにしたように聞こえないだろうか。そんなことが一瞬よぎったけれど、ろうそくの淡い光に揺らされて、篠村は穏やかな目で私を見ていた。
「もう一回」
 線香花火にまた火が灯る。プクリと小さな玉が膨らんでいく。
 ――同時に、私の感情も芽を出した。何が正解かわからないから、何かを言ったら傷つけて傷つくから、好きとか嫌いとか、全部なくしたかったのに。
 線香花火はパチパチと弾けていく。一度気づいてしまったらもう止まれない。
「あ、」
 勢いよく弾けた玉はポタリと落ちた。
「これ不良品だったりする?」
 私が眉をひそめると、篠村はおかしそうに笑った。
 次の線香花火も勢いよく火が点いて、大きな玉に膨れ上がってパチパチと弾け始めた。そして、勢いが良くなったところでぼたりと落ちる。
「あーあ」
「もうちょっと下持った方がいいんじゃない?」
 篠村は私の持っている線香花火に手を伸ばした。
「ほら、このあたり。ここならそんな熱くないし、安定する」
 手は触れていない。でも、あと数ミリ動かせば手は触れてしまうし、私たちの距離は思っていたより近づいた。
「ごめん。俺邪魔だよな」
 ぱっと篠村が離れて、私は「ううん、ありがとう」なんて返した。
 篠村が近くにいるのは嫌じゃない。でもそんなに近寄られると、また揺れる。手元が揺れて、火の勢いに負けてしまう。
 小さな玉は大きく膨らんで、溢れて零れ落ちそうだ。一度火を点けてしまったら、もうあとは膨らんで弾けるしかない。私の感情も。
「落ちないで」
 笑ってしまうくらい必死な声が出た。何を線香花火に祈るんだろう。だけど、これがうまくいったら。篠村に話してみよう、自分のことを。
「落ちるなよー」
 篠村もじっと私の手元を見つめているから、手が少し揺れてしまったけど、線香花火は落ちることなくしぼんでいった。
「ふう、成功! 一つ成功すると気が楽だ」
「なんだそれ」
「線香花火してると、一つは成功させなくちゃって気になる」
「そんな追い詰めんでも。ま、言いたいことはわかるけど。じゃ、この後は気軽にやりますか」
 篠村が笑いながら次の線香花火を渡してくれる。火を点けて、私は訊ねた。
「篠村、なんで声かけてくれたの」
「ん?」
「誤解しないで欲しいんだけど、私は嬉しかったんだよ。だから結果的には良かったんだけど、その……、一緒に夜過ごそうって切り出すの、勇気いるでしょ? 私たち同じクラスになったことさえないんだし」
 ずっと思っていたことだった。私なら絶対にできない。ほとんど話したこともない人に、同じ症状というだけで、気軽に話すことは。ましてや夜を一緒に過ごそうと提案するなんて。
「ほら、おせっかいって思われたらどうしよう、とか……」
 つぶやきが途切れる。それを気にしているのは私なのに。なんで篠村に自分の悩みを押し付けてしまったんだろう。ちらりと篠村を見上げる。
「俺が救ってほしかったから」
 篠村は私を真っ直ぐに見た。
「え?」
「俺が夜から救ってほしかったから。一人の夜は不安だし、おせっかいでもなんでも。一緒に過ごしてほしかった。強引に連れ出してほしい気分だったから」
 篠村が、連れ出してほしかった……? 目を瞬かせていると、篠村は次の花火に火をつけてゆっくり話し始めた。
「嫌だとかキモいとか思われる可能性はあるとは思ったよ。でもさあ、それってどれだけ考えてもわからないから。自分の言動を相手がどう捉えるかって、一種の賭けみたいなもんだよ」
「賭け……」
「棚上は嬉しいって思ってくれたんでしょ。だから今回はたまたま俺は成功した。でも拒否する人も、俺を悪く思う人もいるだろうね」
 ぱちぱちと弾ける光が篠村の顔を照らす。思い出すように篠村は続けた。
「でも俺は過去にそのおせっかい的なものに救われたことがあるから。だから、俺も声をかけてみた。その人みたいになりたくて。それを全員に受け入れてもらえるとは思わない。でもそれでもいいかなと思ってる」
 線香花火は弾けて、また落ちる。それを見て篠村は真面目な顔を少し緩ませた。
「強いね、篠村は」
「どうだろ、開き直ってるだけかも」
「私、怖くなっちゃったんだ。意見を言うこと」
 次の火を灯しながら、小さく呟いた。
「私の言葉で友達を傷つけたかもしれない。そう思ったら、全部怖くなっちゃって。間違ってたらどうしようって思ったら、下手なこと言わないように黙ってなきゃって……一度そう思ったらうまく喋れなくなっちゃって。学校に行くのも怖くなっちゃった」
 そこまで一気に吐き出して、はっと顔を上げる。篠村は変わらない表情でこちらを見ていた。
「うん。話してくれてありがとう」
 こんなに自分の気持ちを話したのは久々だ。言葉と一緒に涙もじわりと出てきそうで私はぐっと喉に力を込めた。
「聞いてくれてありがとう」
 篠村はうーんと少し考える素振りをしてから、
「誰かを傷つけるためにわざと放った言葉は問題外だけど、それ以外は正解も不正解もないと思う。何を言っても悪く捉える人もいるし、言葉を間違えても、伝わる人もいる。棚上が悪いわけじゃない。もう相性の問題だよ」
 篠村の言葉がゆっくりと私の中で弾けていく。
「そうだよね」
「怖いものは怖いけど。どうですか、俺みたいに開き直るっていうのは」
「あはは、そうだね。私にはすぐには出来ないと思うけど、いいね。いいなあ」
 どう思われるか、怖い。自分の言葉が、石を投げた水面のように広がっていくのが。どんな広がり方をしてしまうのか。
 だけどそんなに、そこまで、自分を責める必要はないのかもしれない。線香花火の光はずっと優しく照らしてくれていた。
 
 その日、私の眠りにつく時間が一時間遅くなった。
 私は、五時まで起きていられるようになって。カーテンの外が少し明るくなるのを感じた。