最近至は不機嫌だ。というのも花火大会中に勝手に葵と花火を見ていたということを知ってひどくご立腹だった。せっかくの夏祭りが台無しだと至は葵につめ寄って喧嘩になりそうだった。歌恋に対しても、どうせ俺のことなんて、と卑屈な態度を取る。まるで幼子のようだ。ぱっと見た感じはとっても大人びていて何でもできるクールな男性なのに、実は幼いというギャップ。少しばかり安心した。つまり、完璧すぎないほうが楽だ。
毎日夏休みだというのに、至の束縛心はおさまらないらしい。
顔を合わせている時間も長いし、休み中は死神の仕事を手伝う時間も増えている。ちょっとばかり気まずい。
「葵には昔惹かれていた時期があったよ。でも、今は至が一番だから」
さみしそうな後姿の至に声をかけた。
昔惹かれていたということを隠していると変に疑われるかもしれない。
「惹かれていたのか……」
一言セリフを吐き捨てると、こちらを見る。
「俺を一番に思ってくれるならそれでいい。過去の歌恋も含めて俺は好きだから」
さらっときゅんとするセリフが耳に入る。
さすが至。隠さないストレートな性格だ。
今日は四人で海だ。
まさに真夏の快晴といった感じで青い海、青い空が美しい。
電車を降りるとそこには、たくさんの人が水着でビーチに密集していた。
夏休み中ということもあって家族連れも多く海の家は賑わっていた。
夏風が頬を撫でる。
香りも夏の香りがした。
大切な人、至がもしいなくなったらどうするのだろう。
元に戻るだけなのかな。
明日香は漣がいなくなることを知らない。
いなくなるその時まで知らないほうがきっと幸せだと思う。
明日香のことを思うと複雑な気持ちになる。
「漣は泳がないのか?」
「小さい頃溺れてから、海は眺めるものとなってる。泳げないんだよ」
漣は小さい時の恐怖をずっと抱えていた。
緊張しながら水着を披露する。
これも至が買ってくれたものだけど、露出は少なめを希望した。
至も他の人に肌を見せないほうがいいということで、ラッシュガードを着ることにした。
スタイルに自信がない歌恋は水着を披露することは恥ずかしいことだった。
至は気にしなくていいというけど、どうしても自分の体形が好きにはなれない。
明日香もあまり派手な格好を好まないので肌を露出しない格好でよかったと思う。
明日香は筋肉があり、引き締まった体型をしていた。
運動部に入ったこともなく、ただ家の手伝いをしていた歌恋は健康的な肌色でもなく、引き締まった筋肉もない。
「かき氷買ってきたぞ」
至はお金をいつも払ってくれた。
かき氷くらい四神の家にとって痛くもかゆくもないのだろうけど、そんなささやかな優しさが好きだった。
買ってきたのはレインボーかき氷というらしく、カラフルなシロップで覆われていた。
「このシロップ甘いね。イチゴの香りとレモンの香りとメロンの香りが混ざり合ってる」
「かき氷のシロップって色が違っても味は同じらしいぞ」
「気持ちの問題ってことかな」
「果汁も入ってないし、色のせいで香りがするような気がするということなのかもな」
かき氷で舞い上がってしまうなんて、恥ずかしいな。
「これからもっと楽しいことがあるから、もう無理しなくていいから」
そっと耳元で囁かれる。
「やっぱり、俺、死にたくないかな」
めずらしく漣の口から弱気な言葉が出た。
「母親と父親の秘密が気になるんだ。何で、離婚しなきゃいけなかったのか。謎の手紙が気になってさ」
『名前を似せても好きな人を諦めることはできませんでした。ごめんなさい、幸せになってください』という内容の手紙のことだろう。名前を似せるというのは誰と誰の名前を似せていたんだろう。
至が調べているからいずれ分かると思うんだけど。
「まだ調査中だ。近々報告できるだろう」
「なぜ私のお父さんと漣くんのお母さんは再婚したんだろうね。たしか同じ歳で同じ学校出身だったから、知り合いだったのかな」
同じ高校だとは聞いた。昔から恋仲だったのか、それは不明だった。
「私なら、子どもを置いて幸せになるのは辛いと思う」
「俺の母は、子どもを置いて幸せになったからな」
たしかに幸せなのかもしれない。わがままな娘に振り回されて大変だけど、嫌がってはいなかった。
むしろお義母さんこと、漣の実母は歌恋を嫌っていた。歌恋さえいなければもっと幸せなのにという感じがしていた。
ずっと体で感じていた疎外感。
至と同居を始めてからそれがなくなった。
お金の心配もしなくていい。
大切にしてくれる。
至は仕事が忙しく、家にいる時間は思ったよりも少なかった。
「歌恋ちゃんは至くんと幸せなの?」
「そうだね。幸せだよ」
「私も幸せだよ。祭りの後に、海の計画を立てて、二人きりで手を繋いだんだ」
明日香は少し照れながら嬉しそうに報告してくれた。
死神は残酷だ。この先の未来を知っているのにあえて伝えてはいない。
歌恋自身も未来のことはわからないけど、今楽しいのは事実だ。
「あれ? お姉ちゃんじゃない?」
苦手で嫌いな妹の夏香がなぜか海に来ていた。
友達が多いし、近いから会ってもおかしくはないけど、タイミングが悪すぎる。
露出も甚だしい水着を着用している。
若い男性に声をかけられてニコニコしているようだった。
いつわりの笑顔。
嘘で塗り固めた性格。上っ面だけいい人のふりをしている。
いつも悪いのは歌恋。
愛想がないのは歌恋。
嫌われるのは歌恋。
おねえちゃんなんだから、という魔法の言葉で虐げられてきた。
嫌な言葉を発する時の表情だ。
右眉が上がる。口角が上がる。
本音を言う時の声のトーンは低い。
「そんなに肌を見せないなんて、よっぽど自信がないのね」
自信がないのもあったけど、昔やけどを負ったことがあった。
やけどの跡を見られたくはない。それは妹のせいだった。
妹がかんしゃくを起こしてあついお湯の入ったコップを投げつけたことがあった。
割れたマグカップの破片でケガもした。
熱いお湯は服の上から体にかかった。
コップのぶつかる衝撃で打撲になり割れたガラスの破片で出血もした。最悪だった。
ずっと我慢していた。
どんなに辛くても歯をくいしばっていた。
妹にたたかれたこともある。あざは消えたけど、心の傷は消えない。
出口の見えない辛い日々だった。
耐えることしかできない日々。
年々関係は悪化していた。
至がいなかったら、ここから抜け出すことはできなかった。
思い出すだけで寒気と吐き気がする。
嫌な感じが全身を襲う。
目の前の悪魔を見て、恐怖に包まれた。
まだ逃げることはできないのだろうか。
鋭い妹のまなざしが怖い。
「まだ荷物もあるし、取りに来なよ」
「とりあえず至が揃えてくれたから、大丈夫」
「もしかして、自分は特別なんて思ってるんじゃない? 遊ばれてるだけ。からかわれているだけなのにね」
いじわるな言い方。
辛い日々を思い出す。
「男に媚びるなんてらしくないんじゃない? 地味なあなたのことをどうして愛するって言うの?」
たしかにその通りだ。
顔立ちも性格も地味なことはわかっている。
黙っていても次々告白される妹とは違う。
派手な洋服を着こなせる妹とは違う。
「至さん。お姉ちゃんを嫁にするなんて冗談なんでしょ。私と真剣に付き合ってみない? 私、今フリーだから」
笑顔がまぶしい。海が似合う妹は華がある。
「顔色が悪いな。歌恋、大丈夫か?」
至はいつも味方になってくれる。
体が硬直して動けない。
過去の記憶が体を固めてしまう。
そんな歌恋のことを察したのか、至は攻撃態勢をとる。
彼の睨んだ顔は勇ましく鋭い。
「本気に決まってるだろ。歌恋以外考えられないから」
そんな言葉を微笑みで交わす妹の夏香。
「いつでも気がかわったら会いに来てよ」
「妹の夏香って言ったな。昔から青龍の末裔、青龍葵を好きだったそうだが、相手にされてないらしいな。彼は歌恋のことが好きだからな」
至はお見通しのようだった。葵はたしかに好きだと言ってくれた。
昔から葵は夏香にはなびかないとは思っていたけど、夏香も他の男性と付き合っていたので、葵への好意は本気だとは思わなかった。
少し焦った口調になる。
「私は、本気で葵のことを好きだったわけじゃないんだから」
むきになる夏香。
「俺たち神の血を引くものは心の清らかさがわかるんだよ。お前の場合、暴力やいやがらせをしているから、泥沼のような濁りしか見えないんだよ」
「泥沼ですって?」
「汚いヘドロが体中をむしばんでいる色が見えるんだよ」
「適当なことを言わないでしょ。いつか選び間違えたと後悔するわよ」
髪の毛を掻きながら、自分が一番美しく見える角度で誘惑する目をする。
「金輪際、歌恋には近づかないでほしい」
「言われなくても、身内だなんて思ってないし」
「嫌がらせをしたら、俺が黙っていない。彼女にやけどを負わせたことはわかっているからな」
やけどのことを話していないのに、至は気づいていたのだろうか。
死神の力で調べたに違いない。
妹はヒステリーな表情をして、その場を立ち去った。
「勝手に調べてごめん。やけどのことは花嫁として調査したときにわかっていた」
「私、あまり素肌を出したくないんだよね」
「どんな過去も受け入れるつもりだ。どんな傷もどんなあざも気にしないから」
優しい人だな。こんな人に出会えるなんて幸せだ。
「妹の夏香からは危険な予感がした。何か仕掛けてくる可能性が高い。なるべく俺がそばにいるから」
「ありがとう」
本当は妹に会った瞬間体が凍った。
怖かった。何をされるんだろう。何を言われるんだろう。
何も言えない歌恋はただ、相手の言葉の刃を受けるしかできなかった。
「ひどい妹だね」
近くで見ていた明日香が激怒していた。
「慣れてるから」
本当はあの視線が怖かった。
でも、自分をずっとごまかしていた。
自然と涙が出る。今まで味方と言える人は葵だけだった。
でも、彼は直接妹に何か言うとか守るわけではなかった。
辛い時に傍にいてくれた。
でも、至は違う。真向勝負で挑んでくれた。守ってくれた。
それがとても嬉しかった。
自然と涙があふれる。
「ありがとう」
そう言うと、至は優しく微笑む。
「ずっと守るから」
明日香はうらやましそうな声で「いいな。ずっと守ってくれるなんて素敵じゃない」と言う。
贅沢者だと思う。今まで辛抱してきた甲斐があったのかな。
これからは、辛いことだけじゃないのかな。
私たちは四人で足首だけ海に浸かり、海の波を体で楽しんだ。
水をかけあって、笑いあう。
太陽の日差しは高くまぶしく、足の水がとても心地いい。
水面に反射する太陽の光が夏らしさを感じる。
もしかしたら、妹が何か仕掛けてくるかもしれない。
そのことが頭の隅で引っかかっていた。
でも、至に全部預けよう。
一緒に生きていくのだから。
いつの間にか結婚への決意は固まっていた。
海に来ていた夏香は、ナンパされることで自分への価値を見出し、飽きた頃に近所に住む葵に連絡を取っていた。
【これから、会えない?】
メッセージを送る。夏香は自分中心なので、突然の誘いなんかは平気だ。
いつも強引に相手の懐に入り込む。
葵はいつもは適当に断っていたが、失恋という事実に夏休みはどんよりした毎日を送っていた。
気持ちを伝えても、時すでに遅し。
両思いだったとしても、既に結婚前提の相手がいる歌恋。
どうしようもなく寂しい気持ちだった。
【歌恋おねえちゃんも海に来てるみたい】
【婚約者がいるんだろ】
【これから、会いに行くよ】
夏香は強引に葵を誘っていた。
葵にはいつも告白めいたことを言っていた。
好きだと言っても流されてしまうので、ちゃんと告白をしたことはなかった。
なんとなく葵は歌恋のことを好きなのだと思っていた。
葵はイケメンで、ビジュアルとしては四神至に引けをとらない。
今、付き合うなら葵しかいない。他の男子ではだめだと夏香は思っていた。
「私、今日は帰るね」
一緒に来ていた引き立て役の女子たちに別れを告げて、自分勝手に帰宅する。
葵を手に入れれば、四神には劣るとしても、準じた彼氏ができる。
四神至があまりにも姉を想うので、悔しくなり、葵の元へ急いだ。
「久しぶり」
葵の家に上がり込む。
「海に行ってきたのよ。無性に葵に会いたくなってさぁ」
甘えた声を出す。たいていの男はこれで落ちる。
でも、葵はいつも落ちてはくれなかった。
「最近、失恋したんだ」
「死神男が現れてお姉ちゃんをさらっていった件?」
「俺は、妹の夏香が姉をいじめていることになにもできなかった。だから、歌恋の相手としては失格だと思ってる」
「葵もお姉ちゃんが好きだとか言い出すわけ? 正気? それに、私はいじめていないけど」
「言葉の暴力があの家には蔓延していた。家族全体の態度もひどい。俺は、ただ寄り添うことしかできなかった。四神みたいに住処を用意したり、家族から離すほどの経済力はないから」
無力感を拳に込める。強く握った拳は痛いくらい手のひらに食い込んでいた。
「俺を誘うのはアクセサリーとか嫌がらせの一種なんだろ」
「違う。私は本気よ」
「何人もの男がわがままに付き合えなくて交際から離脱しただろ」
「私が飽きただけよ」
「みんな呆れてるのに気づかないのか。最初は笑顔なのに、どんどんものを買ってほしいとかわがままがエスカレートしていくから、別れてるんだよ」
「私は葵が好きよ。他の人なんて、葵への気持ちとは全然違う」
「俺は、夏香が好きじゃない。海で、歌恋に会ったっていうから、俺がおまえを呼んだんだよ。お前は何をするかわからない爆弾だからさ」
「はぁ? 何よそれ、人を危険物みたいに言わないでよ」
「俺はずっと歌恋を想い続けるよ。それがかなわぬ恋でもね」
お姉ちゃんのどこがいいのよ。
あんなに冴えない地味な女になんで四神も葵も惹かれてるの?
わかってくれる男友達に慰めてもらおう。
夏香に好意を持っている人なんていくらでもいるんだから。
夏香は負けず嫌いで、姉のことが大嫌いだった。
いつも葵が手に入らないから、ちやほやしてくれる男を探して付き合っていた。
好きじゃなくても、アクセサリーは身に着けるもの。
そんな感覚で、彼氏を作っていた。
「もし、四神の家に睨まれたら、ただじゃ済まされないってわかってるよな? あの一族に法律は通用しない。特別な家柄なんだから」
「姉妹という事実は変わらないでしょ。私はお姉ちゃんと交流したいだけなの」
おもちゃがいなくなって寂しくなった子供のように夏香は不機嫌になり、そのまま誰かと連絡を取りながら葵の家から姿を消した。
その様子を見て、スマホに入っている歌恋の写真を眺めて葵は紅茶を一口飲んだ。
せめて俺にできることがあれば、力になりたいと。
「まだ俺たちは漣を見送る義務がある。彼の願望の手伝いをしなければいけないからな」
楽しかった夏は終わりに向かっていた。確実に漣とのお別れが近づいていた。
至は漣の母親の家出と離婚について、調べた結果を伝えに行った。これも仕事だ。まるで探偵事務所みたいな感じがする。
「今日は調べた結果を伝えに来た。漣の母親は歌恋の父親と学生時代に仲が良かったらしい。歌恋の父親と付き合っていたようだが、漣の母親は他に両親が勧めた相手と結婚しなければいけなかった。それは漣の父親だった。不本意ながら結婚をして、漣の母親は辛い毎日を送っていたらしい。こっそり、想い人だった相手に会うために家族で海に訪れた。偶然を装って会おうと計画していた。ところが、偶然を装って会話していると、目の前で自分の子どもが溺れてしまう。ちょっと目を放した隙だった。子どもの頃の歌恋が漣を助けようと海に入った。その娘を助けようと命を落としたのが歌恋の母親だ。死別して独身となった歌恋の父親と漣の母親は親しくなっていった。お互いずっと好きという気持ちを忘れることはできなかった結果、二人は結ばれた。漣を置いていくことを条件に母親は離婚して家を出た。再婚したのは歌恋の父親だ。つまり、歌恋の義理の母になったんだ。その時、まだ幼い妹だけ連れて行き再婚した」
歌恋にとっても初耳な話だった。もし、あの事故がなければ今も家族として父と母は形を成していたのだろうか。やっぱりダメだったのだろうか。
歌恋の母に欠点があったわけではない。でも、もっと忘れられない人がいた。それだけなんだろう。忘れられなかった未練がましい父が悪いとも思えてくる。なんだか悔しい。
黙って話を聞く漣。どんな気持ちなのだろう。
彼の胸の内を考えるだけでとても息苦しくなる。
「頼まれていた暗号の答えだ。『名前を似せても好きな人を諦めることはできませんでした。ごめんなさい、幸せになってください』この文章が母親の残した手紙だった。金子漣は略すとカレン。歌恋は幼少期から父にレンと呼ばれていた。そうだよな」
「歌恋という名前をなぜか略してレンと呼ぶ父にどこか違和感を覚えていたのは本当だよ」
「答え合わせの時間だ。皮肉だが、歌恋の父親と漣の母親は口裏を合わせて子供の名前を付けていた。同じ名前を呼ぶことで我が子を最愛の人の子供のような気がしていたのは事実だろう」
子供の名前を似た名前にしたというのも偶然ではなく必然だった。
歌恋と漣。血はつながらないけれど、似た名前をつけて自己満足していたのかもしれない。
「お互いに結婚できなかった相手を引きずっていた。再婚したけど、子供のことを忘れられない母親はずっと遠くから漣を見守っていたようだ。息子に関わらないという約束をして、家を出て再婚した。その反動で、異常に連れ子である娘に愛情をぶつけるようになった。元妻の子どもである歌恋を憎く思うようになっていった」
「あんなにいじわるだったのは、そんな事実があったからなんだね」
歌恋のお母さんは幸せではなかった? 邪魔者だった?
なぜ歌恋と漣はこの世界に生まれてしまったのだろう。
そして、若くして死にゆく運命だったのだろう。
血がつながっていないけれど、それはまるで兄と妹のような感じがした。
後味の悪い結末。
漣は冷静に事実を受け止めた。
「捨てられたいうより、俺を置いていくことが離婚の条件だったんだな。理由が理由だ。父が話さないのも納得したよ」
風に吹かれた漣の顔が最初会った時よりもずっと優しくなっていた。
つり上がった目は少し垂れているように思えた。
笑うことも苦手な不器用な人なんだな。
まるで至みたいだ。
一応義理の兄になるのかもしれない。最期にちゃんと会えてよかった。
でも、お母さんが死んだ意味はまだ受け入れられない。
もし、お母さんが死ななかったら、漣も歌恋もきっともっと幸せだったかもしれない。
でも、それは漣の母親、つまり今の歌恋の母親にとっては不幸せでしかなかった。
全ての人が平等に幸せになることはできない。
人によって幸せの対象が違うから。
漣は一人何か考えているようだった。納得した様子でこちらを見る。
「りょーかい。胸のつかえがなくなってよかったよ。まるで名探偵だな」
「今のおまえの母の様子はタブレットで見ればわかるが、見るか?」
「遠慮しとくよ。新しい家族がいるんだろうし、俺の場合は、母は自分だけのものだったあの時のままでいいんだ」
なんだかとてもせつない気がする。
新しい家族になったのは歌恋だ。歌恋にとっては、いい母とは思えない。
でも、漣にとってはきっといいお母さんだったのだろう。
本当の血のつながったお母さん。純真無垢な無邪気な子供にとってお母さんは自動的に好きになる対象だ。
つい涙がこぼれそうになる。
今日は最後の日。わかっていることで、覆せないこと。
自然と瞳から涙があふれていた。
「歌恋、俺たちは兄妹のような関係だったんだな。不思議な縁を感じたよ」
「私も、ずっと新しいお母さんのことがわからなかった。でも、色々知ることができた。ありがとう、漣」
至と歌恋のことはおかまいなしに、いつもの調子で外出する準備をする漣。
漣はバイクに乗って風を感じるときが生きている感じがすると言っていた。
生きている実感をしながら、漣は死に向かうのだろうか。
人によって死に方は様々らしいし、死神に対する受け止め方も違うと聞く。
バイクに乗って漣は夜の街に出るようだ。
最近の漣の髪の毛は金髪になっていた。
とてもうつくしい黄金色だ。
「俺は風になりたいんだよ。歩いてるやつよりもずっと早いスピードで世界を駆け抜けてみたいんだよ」
「何を言ってるの? 今日バイクに乗ったら……」
「俺の最期の瞬間は自分で決めたいんだよ」
バイクに乗って散る最期ということなのだろうか。
満開の桜が急に散ってしまうような信じられないような悲しい景色が浮かんだ。
事故に遭うことは何となく想像ができた。だから、なるべくならば乗らないでほしいと願う。
仮にも歌恋は死神の手伝いをしているというのに。
死をいざなう役目なのに。
無意味な祈りは無意味な現実を突きつける。
きっと誰も逆らえなくなっているのだろう。
明日香に挨拶に行く。これが最期だなんて思うはずもない。明日香は微笑んでいた。
「明日香のこと、結構気に入ってたんだけどな。親父をよろしく。じゃあな」
笑顔でバイクにまたがる。
その後ろ姿はとても美しく見えた。
内面を知って思ったのは、カッコいい人だということ。
最初にいだいた怖い印象とは真逆の感じがする。
人は人と交流することで相手を知る。知れば知るほど、いなくなることは怖いと思うような気がする。
今、歌恋が抱いている思いは、怖いということ。
なぜ、人は知り合いになればなるほど、情が沸くのだろうか。
歌恋の頬には自然と涙がツーッと流れていた。
いつもの通り、漣は大通りを突っ走る。
もう決まっていること。それは覆せない現実。死神は無力だ。
風と一体化した漣は、何を思い走ったのだろうか。
もうわかっていることでも、受け入れなければいけない。
漣は既にその負の事実を受け入れていた。
歌恋は漣の死をまだ受け入れられていなかった。
対向車がなぜか漣側の車線に乗り込んできた。それは運命であり必然なのだろう。
車と人の体、どちらが頑丈なのか。それは、明白だった。
漣が見た最期の景色は満天の星空。体がひっくりかえって体を殴打した。
最期の言葉は「やっぱりな」だった。
こんなにも簡単に人はいなくなる。
こんなにもあっさり自分のいなくなる世界を受け入れられる人は珍しいような気がする。
今日は、九十日目。金子漣は風になった。
死神なんてものは無力だと思った。死神なんて傍観者でしかない。
とんでもない神様だ。いらない神様だと思う。
そんな仕事をしなければいけない四神至は何度辛い思いをしてきたのだろうか。
至の心の内を想う。きっと今までたくさんのお別れをしてたくさんの悲しみを背負った人。
この人を心から愛していると実感した歌恋は、胸が締め付けられるようにきゅんとした。
彼と一緒にこれから何度悲しみを分かち合えるのだろうか。
彼の心の辛さを少しでも分かち合えたら歌恋は花嫁として選ばれた意味があるのかもしれない。
自分の存在意義を確信してみる。目と目が合う。
視線が触れただけで、心が触れたような気がした。こういったことをときめくというのだろうか。
「俺たちは与えられた仕事をする運命なんだ。だから、必要以上に情を持たないようにしている」
この人が一瞬冷たく感じるのは、与えられた仕事をするために仕方のないことなんだな。もっと知りたくなる。
「私はずっと至のそばで一緒に仕事をするよ。至が一人でやっていくのは辛いと思うから」
少しばかり意外な顔をする至。
葬式に参列しようと歌恋が提案した。
だって、漣とは友達になっていたのだから。
悲しい気持ちは弔う行為で少しはやわらぐのだろうか。
でも、ちゃんと挨拶したい。
明日香の辛さを少しでも傍らで感じられたら、歌恋は自己満足するのかもしれない。
健やかなるときも病めるときも、至と歌恋は一緒だ。
至の指が私の指に触れそうになる。
至は触れる寸前で指を引っ込めた。
自然と歌恋の指が彼の指を追いかけて包み込んでいた。
自分でも驚くほど大胆なことをしている。
頬は赤く染まるけど、やはり涙は止まらなかった。
涙を至がそっと拭ってくれる。こうやって二人は助け合って生きていくんだろう。
風になった漣との夏はきっと忘れることはできないだろう。お互いの両親の因縁もあり、縁が深い人となった。血は繋がらないけれど、漣と歌恋はきっと繋がっていた。だから、こんな風に最期の九十日を共に過ごしたのかもしれない。
漣が死んだのは、死神のせいだと思う。
心が痛い。でも、真実を言わないようにと至に口止めされていたので、何も言えなかった。
もし、真実を話しても、なぜ助けられなかったか責められるだけだと言われた。
たしかにそうだ。神を名乗る者がいたら、誰だって責めるだろう。
なぜわかっていたのに助けないのかと。
漣の葬式に参列して、お別れをした。
傷はあまりないのに、運が悪かったと説明された。
漣の母はこっそり花を漣宛てに贈った。
葬式に参列することは許してもらえなかったらしい。
あの母から生まれたとは思えないくらい、漣はさっぱりした性格だった。
子どもは複雑な親の事情には逆らえない。
子どもはとても無力だ。
至の喪服姿はすごく似合っている。美しい顔立ちに映えて見えた。
漆黒のスーツ姿はまさに死神のようだった。
漣がいなくなっても日常は続いていく。それは、残酷だけど本当のことだ。
今日も暑くなりそうだという予感が空の様子や朝顔の開花具合を見て夏を感じる。今日も覚悟を決めて夏を走る。
「次の仕事だが、これもまた厄介な案件だ」
至は表情は乏しいが、いつもよりも悲しい顔をしているように思えた。
「もしかして知り合い?」
神妙な顔をする。
「お前が慕っていた青龍葵だ」
至は冗談を言わない。真面目な瞳を向ける。
「慕っているって言っても今は好きじゃないよ。それに、青龍の家は寿命を延命できるって言ってたよ。だから、きっと大丈夫だよ」
思ってもみない人、大事な人の寿命があと少しだなんて。
「青龍の家はあくまで他人への延命処置はできるんだ。でも、自分自身への延命処置はできないこととなっている」
「じゃあ、家族に頼めないの?」
「青龍家の家系能力があまりにも低くなりすぎて、能力者は今はほとんどいないだろう。葵という男は稀に能力を持ち合わせていたようだがな」
「じゃあ、葵は死んでしまうの?」
奈落の底に突き落とされたような感覚が全身を襲う。
「大好きな男が死ぬのは悲しいか?」
「知り合いが死ぬのは悲しいよ」
漣が亡くなったばかりなのに。また命が刈り取られる事実。
至は私の心を見透かしたような瞳をする。
「どうにかできないのかな?」
「俺は最高の死へいざなうのが仕事だからな。延命することはできないんだよ。死因もわからないしな」
そんなに簡単に命を操作できるわけもないのに死神ならば、もしかしたら、と願ってしまう。
いつのまにかわがままな自分になっている。
「残り九十日になった頃に本人に打ち明けようと思っている。あの男が死ぬ前に歌恋と仲良くしたいならば、仕事だ。その間だけはあいつと付き合っても構わない」
「嘘ばっかり。すごく嫌ですって顔に書いてあるよ」
至が少し焦って鏡に映る自分の顔を見ている。
「でも、その人の想いに寄り添う仕事が俺の使命だ。歌恋も同じ使命を背負っている」
「わかった。すごくショックだし悲しいけど、今はまだ心にしまっておくよ」
想像以上に心がショックで動揺している自分がいた。手が震えて息が若干苦しい。当たり前のはずの呼吸。どうやって息を吸い込むのか忘れてしまったかのようだった。どうしたらいいのか、これからの不幸を受け入れる覚悟はまだ歌恋にはなかった。これが死神の業だ。
至はずっとこんなに辛いことに向き合ってきたのだろうか。
至の背中が寂しそうなのはそのせいなのかもしれない。
歌恋は元々友達と呼べる人間がいなかったので、一人で休み時間を過ごすことが多かった。お弁当もひとりぼっちなのが辛くて、教室を抜けて階段の踊り場にいたりした。人が来なくて落ち着くのは屋上の手前の階段の踊り場だ。屋上は出入り禁止になっており、施錠されているから、人は来ない。楽しそうな声を遠くから聞くだけの人間だった。
今まではお弁当と言っても、手作りではなく、売店で買ったものを食べるようにしていた。本当ではないお母さんは手作り弁当を作ってはくれなかった。給食が無くなってから、お昼休みとか食べるという行為がとても辛い時間となった。本当の娘にしか作らないお母さんだった。食事は楽しいもののはずなのに、全然楽しくない。
そんな時、いつもひょいとやってきて話しかけてきたのは青龍葵だった。友達が多くて人気者でカッコいい。歌恋とは正反対の陽の当たる場所にいる人。幼なじみということもあってか気にかけてくれる彼のことが嬉しかった。昼休みの階段は二人だけの空間となった。
たわいない話をしてくる葵。
心をくすぐる面白いネタをよくぞ持っているなと感心する。
頭の回転の速い人で、気を遣える人。
料理上手で手作りのおかずを分けてくれる人だった。
友達と呼んでいいのかもわからないけれど、そばにいてくれるとありがたかった。
歌恋と休み時間を過ごして面倒にならないのかと不安にすらなった。
「俺、昨日告白されて付き合うことになったんだけどさ、いまいち好きっていう感情が湧かないんだよな。っておまえみたいな恋愛ゼロ人間に話してもわかんないよな」
「むかつくけど、ごもっともです」
歌恋のことをいじりながらも近況を話してくれたり、一緒に笑いあえていた。そんな人が近い将来死んでしまうなんて。若いからまだ絶対に死なないと思っていた。身近な大切な人が死ぬなんて想像もできなかった。それは自己都合で自分のいいように解釈していただけなのかもしれない。
彼が作った卵焼きの味はちょっぴり甘いのに少ししょっぱくて、唐揚げはさくっとしているのにジューシーだった。料理上手でクラスの人気者は女子にも人気があっていつも彼女と別れたと聞くと新しい彼女ができていた。
「なんですぐに別れちゃうの?」
一度気になって聞いたことがある。
「断れない性格なんだよな。好きじゃなくても、もしかしたら好きになるかと思って付き合うんだけど、俺がめんどくさがり屋で返信しなかったり、一緒に過ごさないからフラれちまうんだよな」
「誰かを好きになったことはないの?」
沈黙が流れた。
「好きになったとしても、付き合うっていうのは俺にあっているのかもわかんねーし。友達として仲がいいっていうのは一番いいような気がする。別れるとか友達だったら基本ないだろ」
「たしかに、友達だと別れるっていうのはあんまりないかもね」
最近は夜遅くまで家の家事をしていてあまり寝ていない。
眠いな。あくびをして目を閉じるとその後のことは覚えていない。
気づくとチャイムが鳴り、放課後の時間帯になっていた。
「あれ、私寝てた?」
気づくと葵の腕に寄っかかって寝ていたらしい。
「ごめん。授業さぼらせちゃったね」
「別にいいよ。俺も授業に出たくはなかったし」
「でも、枕代わりにしちゃうのは反則だよね。彼女もいるのに、私なんかのためにごめんね」
「私なんかなんていうな。おまえは疲れてた。家事押し付けられてるんだろ。勉強もしてたら睡眠時間はなくなるよ」
ひどく真剣でまっすぐな瞳だった。
「なんかという言葉はマイナスな印象を描くからやめとけ。おまえはちゃんと生きてると思うし、もう少し楽な生活ができたらいいんだけどな。俺にできることはこれくらいだから、少しは頼れよ。お前は全然友達もいないんだから、俺が友達として力になってやるよ」
いつも、男っ気がないことをからかっていた葵だったけど、実際に四神家の婚約者となったと聞いた時は、喉からなにかが飛び出るかというくらいびっくりしていた。魅力がないのに歌恋を選んでくれた至には感謝をしている。でも、ずっと温めていた気持ちを急に変えることは難しい。
多分、好きの種類が違うんだと思う。好きだと言われて惹かれている至。
片思いが長かった葵。憧れの延長戦だったのかもしれない。
「同じ高校に入れてよかった」
葵がふと口にした言葉。
「なんで?」
「支えてあげることしかできないから。同じ高校だと機会が増えるだろ」
照れた顔をする。
相変わらずのボランティア精神だな。
至は学校の生徒ではあるけど、実際は仕事で忙しく休んだり早退することは多い。婚約することになっても、葵はいつも通り話しかけてくれていた。変わらぬ距離で接してくれていた。それはとても嬉しいことでもあった。
自宅にいるとき、至が神妙な顔で話しかけてきた。
至は剣道の稽古をしていたようだった。
いつもの日課で木刀をふり、いつも体を鍛えている。
己にとても厳しい至は体が絞られており、汗が美しく滴っていた。
「青龍葵が好きだったんだよな。なんとかしたいとは思っている」
残念そうな怒ったようなさびしい声だった。
至は葵に対しては敵視しかしていない。
「好きと言っても友達の好きだから。私たちはそれ以上の関係じゃないよ。私が辛い時に接してくれた人だから恩を感じているのかもしれない」
何にもない歌にいつも困った時に寄り添ってくれていた人がいなくなってしまう。
「私たちは無力なんだね」
「青龍の家は延命の力を持っているだろ。親戚に能力者がいればあいつは死ななくて済むんだけどな」
「最近は異能がある人間は生まれていないと聞いていたけど」
「異能は開花することもある。最初から出せるわけではない。現時点で能力を秘めている者を探せばいるかもしれないってことだ」
「葵に親戚について聞いてみようか」
「まだ本人に言う時期ではないが、俺の方で能力者がいないか、素質がある者がいないかを調べてみるよ」
「至がこんなことするなんて、少し意外かもしれない」
「俺がそんなに冷たい人間に見えるのか。死神家業上死に至らすのは仕方がないんだよ。助けてあげられる可能性が今回はゼロじゃないからな。青龍の家ならば、俺以外の誰かが助けることができるかもしれないだろ。家系能力がそもそも違うんだ」
「見つかるといいな。私はずっと孤独だったけど、彼がいたから踏ん張れたのかもしれないって思うし、特別な存在かな」
「特別だっていうのは、ちょっと許せないけど。俺がもっと早く出会ってればとは思うんだが、こればかりは仕方がない。歌恋を助けてくれた人だから、俺も恩を感じてはいる。俺が早く出会っていれば、絶対におまえは俺に惚れてたって思うよ。一目惚れしてたに違いない」
変なところで負けず嫌いを発揮する。意地になっているのかもしれない。愛が重いけど心地いい。
「相変わらず負けず嫌いだね。私は私のことを好いてくれる人なら、基本とても嬉しいし、気持ちに応えたいって思ってる」
「受け身な気持ちじゃなくて、自発的に好きになってほしいのが本音なんだがな」
「至には感謝と愛情しかないよ」
顔が赤くなる。至は純粋で嘘がつけないまっすぐな性格だ。
歌恋にはもったいないくらい愛情深い人だ。
「私は至に出会えてよかったって思ってるよ」
優しい表情が自然と湧き上がる。それは至のお陰だと思っている。
言葉にしないと伝わらない。葵にはあまり言葉にして気持ちを伝えられなかった。
でも、至にはちゃんと気持ちを伝えたい。
大切な人がいなくなってしまうことはいつ何時起きるかわからないから。
「青龍葵。おまえの命は近々尽きる。青龍の家は延命の力があるなら、神の末裔である身内を頼ってお前を助けたい」
至が死神として対象者の葵に告げた。
ずっと知っていたけど、本人に伝えたくはなかった。
余命九十日になったとき、伝えることが義務らしい。
「死ぬまでは自殺とかできない力が有効になるっていうのはほんとかな」
もっと重く受け止めると思っていたのに、葵はひょうひょうとしていた。
カッターナイフを自分の体に当てても切ることができない。
死神の加護が働いている。
かくいう歌恋も死神の加護で生きている。
永遠に近い時を生きるのは死神の力のお陰だ。
「じゃあ、俺、今無敵だな」
カッターナイフをくるりと回し、明るい表情を向ける。
想像していたのとは違う葵の様子に少しだけ安堵した。
歌恋も思わずにこりと笑う。
「歌恋にはもう俺がいなくても四神がいるから大丈夫だよな」
こんな時にも他人の心配をする葵はいい人だ。
「私たち、葵の親戚で異能を持つ能力者を探し出そうと思ってるの」
「もう能力者は絶えたときいているから無駄だよ」
いつもけだるげな感じを醸し出す葵。
「能力は生まれつきではなく、ある程度大きくなってから出ることが多いと聞いた」
至は死神手帳を取り出し、何か考えているようだった。
「実は親戚で異能を持っていそうな人間を見つけたんだ」
至は仕事が早く、いつも深夜まで何か調べ物をしている事が多い。
葵のために一生懸命な姿。
全力で仕事に打ち込む姿は、四神家には法律が通用しない家系を担う姿を垣間見れる。
それくらい仕事を一生懸命やっているのが至。彼の体をいたわる気持ちになる。
その時は、歌恋にまた魔の手がしのびよることをまだ知らなかった。
あの妹が、負けたままで引き下がるわけがなかった。
あの執着心と負けず嫌いをすっかり忘れてしまうくらい平和な時間を過ごしていたのかもしれない。
その頃、夏香は親に行き所のない不満をぶつけていた。
「ねぇ、なんで死神なんかに家族を壊されてるの? 私たちは四人で家族なのに、勝手にさらわれて家族として抗議するほうがいいと思うの」
「でも、本人が四神家に嫁ぐと合意しているしね」
視線を泳がせながら夏香の母は言葉を発した。
偽物の娘がいない本当の親子水入らずになったことを一番喜んでいたのは母だった。
「お姉ちゃんを説得してうちに戻そうよ」
いじめる対象を戻し、また不幸のどん底に陥れたい。その一心だった。
「でも、お金をたくさんうちに融資してくれているわけだしな」
歌恋の父はお金がもらえればどうでもいいという様子だった。
でも、夏香は当たる相手がいなくなり、姉の方が幸せな人生を歩むことが約束されている事実を許せなかった。
姉のほどこしのお金というのもプライドが許さなかった。
四神至が夏香になびかないということはよくわかった。それならば、彼から姉を奪えばいい。元通りの地獄の生活になんとか説得して戻ってもらおう。それが、夏香が夏香らしく生きる術だった。性格の悪い夏香は家に当たる対象が親しかいなくなったということに物足りなさを感じていた。もっと幸せになるためには誰かの不幸をみなければいけない、そんな人間だった。
「とにかく、お姉ちゃんを戻すように四神の家に説得しましょう。家族というのは一番大事なんだから。結婚はもっと大人になってからでいいじゃない。とりあえずお互いに別居しながら婚約してればいいでしょ」
もとの家に戻れば、毎日いじめても、姉の歌恋はきっと誰にも相談しない。
今までも誰にも相談しないから大ごとにはならなかった。
婚約とは言っても、あまり接点が無くなれば、破談になることもあるかもしれない。
破談になるように仕向けるんだから。
妹である夏香の心は復讐でもなんでもないが、とにかく荒んでいた。
でも、本人にとっては生まれ持ったもので、それが普通だった。
つまり性格が悪いと言うのが一番わかりやすい。
「私、お姉ちゃんが他の男性と親しくしているの見ちゃったんだよね」
「そんな……それは本当なのか? 裏切りの花嫁の末路は悲惨なことになるんだぞ」
父は顔をしかめていた。
溺愛してくれる死神を敵に回した花嫁が昔いたという伝承がある。
その花嫁は昔から好きだった人を忘れられず、密かに逢瀬を重ねていた。
その昔、四神の家系はもっと人数が多かったらしい。
故に死神と出会うことも、花嫁になることも今よりは多かったと聞く。
「花嫁は死神によって婚約を破棄されたっていうじゃない。その女性と相手の男性は人様から後ろ指を指され、仕事もなく飢え死にしたというじゃない。でも、死を操っているのは死神でしょ。婚約者だった死神が殺したんじゃないかという話も聞くよね」
大昔の伝承だから、そんなことは確認できない。
四神の家に日本の法律は通用しないというのが昔からならば、何か手をまわして仕事をできないようにした可能性もある。裏を返せば恐ろしい存在だ。
「あんな怖い一族を敵に回すなんてありえないよね」
「それならば、こちらから婚約を解消するように言ったほうがいいのかもしれないね」
母はすぐに娘の言うことを聞いてしまう。
「これを見てよ」
夏祭りの時に二人きりで葵と一緒にいた時に隠し撮りしたものだ。
角度によってはキスしているように見える時に撮影した写真。
実際はキスをしているわけではないが、二人の顔が近いというのは事実だった。
何かあるだろうと頑張って張り込んだ甲斐があった。
夏香は不敵な笑みを浮かべる。
絶対に粗はある。何でもないとしても、葵が好意をもっているのならば、浮気にしてしまえばいい。
でっちあげることは得意だった。
死神は執拗に嫉妬をする。逆鱗に触れたらどうなるかわからない。
考えただけで笑いがこみ上げてくる。
死神は葵と姉のことを疑っている様子だった。
そのことも調査はしている。
歌恋の高校にいる男子高校生と親しくなり、お金を払って探偵のように報告させていた。
夏香の容姿は大抵の男が落ちる。
なのに、四神至だけは絶対になびかないのが悔しかった。
よりによって、姉の歌恋を溺愛するということが許せなかった。
少しでも疑いがあれば黒にしてしまえばいい。
「至さんの携帯電話ですよね。妹の夏香です」
この番号も至のクラスの高校生に教えてもらったものだ。
「何の用だ?」
「私たち親戚になるわけでしょ。電話をしたっていいじゃないですか。今日は折り入って連絡があって。青龍葵という幼なじみと姉の関係が気になったもので、写真を送らせてもらいますね」
電話を勝手に切る夏香。
添付された写真には夏祭りの青龍葵と歌恋の姿が映っていた。
キスしていたと誤解されてもおかしくない角度。親し気な様子が遠目に映っていた。
至は冷静な気持ちを保とうとする。
人一倍嫉妬深い死神族の血が怒りを目覚めさせないように、ただ画像を見た。
妹の悪態は知っていた。きっと姉への嫌がらせだろうということはわかっていた。
でも、至はつい歌恋に冷たく接してしまう。
「おはよう」
その言葉に答えずにただじっと目を見る。
至はどうしても嫉妬の気持ちを抑えられなかった。
自分がいないときに二人はどんな会話をしたのかとても気になっていた。
でも、今は自分の婚約者であり、彼女を一番愛しているのは自分だと自負していた。
「歌恋は俺のこと好きか?」
朝から急に聞かれるとなんとも言えない恥ずかしい気持ちになる。
「やっぱり生きたいから俺と結婚するなんて言ったのか? 他に好きな人がいたりするのか?」
「至のことが好きだよ。それ以外の人と結婚するつもりはないよ」
やっぱり恥ずかしい。頬が染まる。
「至は優しくて私のことを想ってくれる。こんな素敵な人を好きにならないはずはないでしょ」
「青龍葵のことは本当にもういいのか?」
「昔好きだと思っていたことはあったけど、今は違うよ」
その言葉に至は我に返った。
「今後、歌恋の妹がいやがらせをしてくる可能性が高い。気をつけろ。歌恋は俺が守るから」
「私、そんなに好かれるほどいい女ではないんだけどね」
「俺にとってはいい女だよ」
これは溺愛されているという表現が合っているのかもしれない。
心がムズムズする。
「俺はこんなにも嫉妬深い男だったんだな。自分に嫌気がする」
相変わらずのイケメンな顔が少しだけ歪む。
「嫉妬する意味がわからないよ。結婚は至としか考えていないわけだし」
「でも、ちょっとでも好きだったという男が目の前にいたら比較してしまうんだよ」
顔を赤らめる。歌恋のことで一喜一憂する至は少しばかりかわいい。
死神族は運命の人という言葉で片づけられてしまう。
もっとかわいい女の子はたくさんいるのに、彼は歌恋を選んでくれた。
歌恋を見つめるときの至は、死神の仕事の時の彼とは全然違う。まるで別人だ。
顔を赤らめたり嫉妬したり、普通以上の純粋な男の子だ。
今まで家族のことでも苦労していたし、至との結婚はご褒美なのかもしれない。
歌恋の場合一般的な神様ではなく、死神様のご褒美だ。
妹のことは不安があったけど、至が結界を張って外部から簡単に他人が入れないように自宅まわりは包囲されていた。安心感はあったけど、妹のことだし、あの親だから、何をしでかすかわからない。
直接四神の家に入れないため、手紙が実家から届いた。内容は、婚約を解消して娘を実家に戻してほしいというものだった。多分、妹が親に頼んで断り切れない親は仕方なく書いたのだろう。本当は歌恋がいないほうが実家の親は幸せだということはわかっていた。
実の父も妻に嫌われたくないと歌恋に冷たくする始末。夏香がわがままで、夏香の母は娘のいいなり。お金さえ入ればいいという考えの親。売られたも同然の身だと思っていた。あの人たちには愛情という概念が欠落している。あんなにいい息子を捨てて歌恋の父を選んだお義母さん。漣はとてもいい人間だった。彼がグレるのは親が原因だったのだろうと思う。今の母を見たくないというのは、きっと幼少期の想い出のままでいてほしいということだろう。
別な家庭ができて、歌恋はそこの一員で義理の家族の集合体。家族からのいじめは抜け出すことは難しい。両親ともどもが味方になってくれない場合は更に脱出することは難しい。最低限の親としての役目をまっとうすれば、他人は文句が言えない。子どもには抜け出す術がない。辛い毎日だった。
目の前には至がいる。彼と出会って幸せという言葉が身に沁みる。
本当は九十日で死んでもいいというくらい荒んでいた。
でも、彼と出会って、もっと生きたいと思えるようになっていた。
葵もきっと私以上に生きたいはずなのに。
どうしてこんなに無力なんだろう。
死神の力はどうして延命できないんだろう。
もっと万人を救えたら幸福なのに。
行き場のない苦しさともどかしさに押しつぶされそうになる。
「俺は歌恋に笑っていてほしいんだ。葵の力になれる人間をピックアップしている。希望はゼロじゃない」
少し根拠のある自信が垣間見れる。
もしかしたら、落ち込んでるのわかるのかな。
顔に出やすいって言われるからたいていの人は気づくとは思うんだけど。
嘘がつけない性格は至に心配をさせてしまう。
「実は、朱雀の家系にも命を延命できる力を持つ者がいると聞いた。基本分家した四家には命を司る力があるんだ。もちろん、本家である四神ほどの力はないがな」
「さすが四神家は何でも調べられるんだね」
「元をたどれば遠い親戚だし、今は生き残りが少ない一族だから調べることは簡単だ」
さっきまでの拗ねた感じはなく、いつも通りのカッコいい至に戻っていた。
あんな顔をすることは珍しい。
歌恋はあの表情を間近で見れる希少な存在なのかもしれない。
ちょっとした優越感。
「俺は、歌恋のためにならどんな犠牲もいとわない。だから、全力で君を守ってみせるから」
抱きしめようとする手を至は引っ込める。
今でも遠慮しているみたいだ。
「もうあなたのものなんだから、触れていいんだよ」
こちらから、至の胸のあたりをぎゅっと抱きしめる。
至には贅肉がなく、引き締まっていて、体は筋肉のせいか思ったよりも固い。
「でも、結婚前の女性がこんなに異性にくっつくのはいかがなものかと」
至は案外古風で奥手らしい。
「減るもんじゃないんだから、ぎゅっとさせてよ。私は至のものなんだから、至だけはくっついてもいいんだよ」
遠慮がちに優しく触れる至。
優しくぎゅっと抱きしめられる。
あんな写真のことは、これで忘れられるような気がした。
お祭りでの二人の時間。実際は、葵との初恋を片付けるための時間だった。
妹の嫌がらせがこれから執拗に来たとしても、今なら跳ね返せると思う。
二人の絆や信頼がより深まっているから。
「もし、不安になったら何でも言ってね」
「もちろん。歌恋も俺に何でも言ってほしい」
優しい瞳が私を見つめる。
こんなにドキドキすることは初めてだ。
これがときめきなのかもしれない。じんわりと実感する。
「南の朱雀家に女子高生がいて、その者が幼少期から特別な力を持つ異能の子どもだと噂になっていたとのことだ。今は人間社会に溶け込むために普通の高校生をやっているらしいが、能力が消えることはない。朱雀美央と接触してみようと思っている」
至のタブレットには朱雀美央の情報が入っていた。写真も添付されている。
この制服は進学校の百合ヶ丘学園の制服だ。
頭のよさそうな優等生美人というのが第一印象だ。
高嶺の花と言われていそうな容姿と雰囲気を纏っていた。
しっかりしていそうだし、美人で能力が高そうだなと思ってしまう。
「実はアポイントをとっていて、朱雀の家に行くことになっている。一緒に来るか?」
「もちろん一緒に行くよ。だって死神は基本、花嫁と仕事をすることが普通なんでしょ。私はこれからずっと至の力になるって決めたんだから。辛いこともずっと分け合って生きていこうよ」
これは、歌恋が勝手に決めたことだ。死神の花嫁は夫の手伝いをしていきていくことが古くからのしきたりだと聞いた。何もできないけど、至のために一緒に苦楽を分かち合いたい。それが歌恋のねがいだった。せめてもの恩返しでもあった。
つらい生活から助けてくれた至。死ぬことになっていた歌恋の命を救ってくれたのは至だった。この世界でもっと生きたいと思わせてくれたのも至だった。ずっと一緒に生きていきたいと思っていた。至の愛は重いと世間は言うのかもしれない。でも、愛を知らない歌恋にはちょうどいい重さだった。今まで愛されてこなかった分、彼が愛してくれる。この世界で生きている意味を初めて理解できたような気がしたのは至の愛だった。
ずっと一緒に生きていきたい。
「一緒に行こう。今から着替えてくるから、歌恋も好きな洋服に着替えて準備してくれ」
至が用意してくれた洋服は様々な種類があり、まるで衣裳部屋だ。部屋一個分が歌恋の衣装で埋まっている。
靴もバッグもそこには様々な物が用意されていた。
まるで幼少期に読んだシンデレラの衣装みたいなドレスも用意してある。
靴もヒールが高いパンプスからローファーからスニーカーまで何でもある。
色や形のバリエーションも豊富だ。
歌恋のサイズに合わせて用意したというのだから、さすが四神の家だ。
今まで服を選ぶほど持っていなかった歌恋は服選びに悩んでしまった。
普通に着れそうな服で、かわいらしいものを選びたかったが、色やデザインの組合せが慣れていないせいか難しかった。
世話係の女性に相談すると快くアドバイスしてくれた。今流行しているデザインの説明から、用途別に提案してくれる。洋服屋の店員さんが常駐してアドバイスしてくれているような感じだ。
世話係の女性は元々アパレル関係に勤務していた人を四神家で雇ったらしい。
それぞれの得意分野を持っている人間を世話人として雇い、家政婦のように身の回りのことを世話させているとか。
贅沢な生活だと思うのは一般的な感覚だろう。
ずっと一般的な感覚を失わないで生きていけたら幸せだなと思う。
どんなにいい生活でも満足できない人間はきっと不幸せだと思うから。
結局初めて伺う家に行くのにふさわしいと提案された紺を基調にしたワンピースを選んだ。
白い襟がきちんとした感じを出しているということらしい。
裾は長すぎず短すぎずの長さで、靴下も紺色のくるぶしが隠れるくらいの丈のもの。
ぴったりのサイズ。これはいつの間に至がサイズを把握したのだろうと不思議でならない。
もし、サイズが変わったらここの洋服は総入れ替えになるのだろうか。
そんなことを考える。お金に困らないこの家なら何でもありなのだろう。
ましてやこの家に嫁ぐことになった女性を丁寧にもてなすのは当然のことなのだろう。
ずっと孤独だったのに、今は至がいる。
遠い親戚にあたる朱雀の家はどんな家なのだろう。
そして、葵のことを助けてくれるのだろうか。
優等生美人の対応もとても心配だった。
もし断られたら、と思ってしまうのは今までの苦労の人生故のマイナス思考なのかもしれない。
「大丈夫かな?」
至を下から見上げて聞いてしまう。
「心配するな」
至は余裕の表情で至専用の車に私を手招きした。
車に乗って、三十分以上が過ぎる。
「そろそろだな。アポイントはとってあるから大丈夫だ」
山のてっぺんにそびえる豪邸。
ホテルのようにも見えるが、あれが朱雀の家らしい。
死神族の分家なのに、思った以上豪華な建物で委縮してしまう。
「今でも能力がある者が生まれる可能性がある一族だから、国から補助金がでているんだ。ずっと昔から国とは密接なかかわりを持った神の力を持つ一族が俺たちなんだよ。今でも国の仕事を請け負っているのは本当だ」
異能の一族。生死以外にも不思議な力を持つと聞く。
至も掌から炎を出し、攻撃する力を持っているとは聞いている。
人の死を操ることもできる国を影から守ってきた一族なのだろう。
山道を車で登ると、そこには絶景が広がっていた。
町が一望できる。空気も酸素濃度が高くおいしく感じる。
チャイムを押すと使用人が出てきた。
「約束していた四神至だ」
使用人は恐れおののいた様子を隠せないようだったが、丁寧にお辞儀をして中へ案内した。
分厚い絨毯が敷き詰められた床。中央階段には、大きな目を引くデザインの時計が掛けられていた。
奥へ通されると白く長いテーブルがあり、そこに写真で見た朱雀美央が座っていた。
カーテン越しに光に包まれた朱雀美央は写真で見るより美しく神々しい。
二人に座るように促し、紅茶とお菓子が用意されていた。
おしゃれなホテルのアフタヌーンティーに出てくるケーキスタンド。
こんなのは写真でしか見たたことがない。
カラフルなお菓子やケーキが並べられていた。
「はじめまして。朱雀美央と申します」
女子高校生とは思えない落ち着きがあった。
お嬢様という感じは最近死神の花嫁となった歌恋とは大違いだ。
「はじめまして。四神家次期当主四神至と申します。隣にいるのは花嫁となる予定の歌恋です」
「歌恋と申します。最近婚約者となったため、まだ至らぬ点がありますが、よろしくお願いします」
「今日伺ったのは、青龍家の長男であり歌恋の同級生である青龍葵についてご相談がありまして」
「わかっています。私は予知能力も備えておりますので、そちらの事情は把握しております」
この人、予知能力も持っているなんてすごいな。至も心が読める力があったし、やっぱりこの一族は違うんだ。
「それなら話は早い。是非、力になってほしい」
「お願いします」
頭を下げた。
「もちろん、遠い親戚となる青龍家の長男の寿命を延ばしてあげたいとは思っております。しかし、どのような人間なのかを知った上で、という条件があります。延命するということはその人の人生を変えてしまう。もっと言えば、この国の人生、周囲の人生を変えてしまいます。死んだはずだった人間が長生きすることによって結婚や子どもがうまれることのリスクを考えたことはありますか」
どういう意味だろう。二つ返事で快諾してくれると思い込んでいた。
「例えば、死んでいれば何も起こらなかったのに、その人間のせいで誰かが死ぬことがあるかもしれない。生まれるはずのなかった子どものせいで、周囲の誰かの人生を変えることもある。更に言えば国を揺るがすことがあるかもしれない。そういったリスクを知った上で延命をしなければいけません。私は本来は延命には反対なんです」
たしかに、その人のせいで誰かの人生が大きく変わることがある。
たとえば葵が交通事故を起こせば、誰かが死ぬこともある。
葵の子どもが犯罪者にならないとは断言できない。
多分、そういったリスクを言っているのだろう。
「そのリスクは承知の上でお願いに来ています」
珍しく至は下でに出ている。
歌恋を悲しませないためなのかもしれない。
「一度青龍葵と会わせていただけませんか」
「今すぐにでも葵をここに連れてきます」
「四神家の次期当主のあなた様が直々に来ていただいているのに、このような御無礼をお許しください」
丁寧なお辞儀。やっぱり至は特別な地位の死神なんだ。
「こういわれることはわかっていたので、部下に青龍葵を迎えにいかせております」
至は仕事ができる。次のことを考えて動いている。私が相棒で大丈夫なのか不安なのは否めない。
二人は用意された香りがいい紅茶とお菓子をいただいた。
こんなに豪華なケーキスタンドに用意されたケーキを食べるのは初めてだった。
ケーキを食べたのはいつぶりだろうか。
子供会で用意されたイチゴが乗ったショートケーキを食べたのが最後かもしれない。
あれからもう五年は経っている。
親は歌恋のためにはケーキを用意してくれなかった。
もちろん誕生日祝いも妹だけ。
差別された生活。
色々考えていたら涙があふれてきた。
仕事中なのに。
「大丈夫か」
至がハンカチを差し出す。優しい人だな。普段は冷徹だと周囲に言われているけど、歌恋だけにはとても優しい。
ベルの音が響く。
「青龍葵さんがいらっしゃったようね」
使用人が対応しているようだ。
この家は広いので、玄関からこの部屋までは距離がある。
しばらくすると使用人に案内された葵がやってきた。
詳しい理由は聞いていないらしく、普段着のジーパンにシャツブラウスという格好だった。
髪の毛も特別整えた様子はなく、いつも通り。
でも、着飾らなくても女子に人気がある容姿は隠せてはいなかった。
「はじめまして朱雀美央と申します」
じっくりと葵を見つめ、観察する美央。
「はじめまして青龍葵です」
なにがなんだかわからない様子の葵はどうしたらいいのかわからない様子だった。
「青龍、おまえの寿命を延命できる者を探し出した。おまえと同じ年齢の朱雀家の一人娘であり次期当主の美央さんだ」
「朱雀ってことは四神の分家のひとつか……」
「四神の分家には未だに異能を持つ者がいる」
「私は延命の力があります。でも、簡単に延命というものをするべきではないと思っています。四神家の次期当主直々のお願いだったため、対象者と会ってみることにしました」
「ありがとう。二人とも。でも、俺も運命に抗うなんておかしいとは思ってるんだよ」
「でも、あなたは死ぬべき人じゃないと思う」
歌恋はこれ以上大切な人が死ぬことを選びたくなかった。
見ているだけで何もできないことは辛かった。
「青龍葵さん、あなたは生きたいのですか?」
「生きたいと言えば生きたいけど、死ぬ運命なら仕方がないと思ってるよ」
「今回は遠い親戚である青龍家の長男だと聞いていたからお話を伺おうと思いました。青龍家は昔から国を助けてきた家です。あなたの異能の力が今後有益な力になるということも期待しているのです」
「朱雀美央さん、あなたは年齢の割に落ち着いてるな」
「あなたも死の宣告の割には随分落ち着いていますね」
「親戚とは言っても遠すぎるからほぼ血縁はないわけだ。俺はこんな感じで普通の高校生をやってる。今後異能の力で貢献できる保証もない」
「でも、あなたには延命の力を持っているということは知っています。それが自分には使えないだけだということも」
「ただ、この力を使ったことはない。やっぱり安易に誰かを助けることは未来を変えることになるからな。俺は普通の人間として生きていきたかったから」
「そうですか。私の力を使った場合、私と定期的に面会する義務が生じますがよろしいですか?」
「定期的な面会?」
「私の責任があるからです。あなたが悪いことをするようだったら、延命の力を切るためです。この世にいて悪い影響を与える者を生かすことはできません。あなたはこれからやりたいことはありますか?」
厳しい表情をする朱雀美央。
「だから、普通の人間として生活したいってだけでさ」
「わかりました。これは私の連絡先です。しばらくテレビ電話で毎日連絡をしましょう。その上で決めさせていただきます」
「毎日電話って付き合ってるみたいなこと言うんだな」
「な、なにを言っているのですか。これは私の使命であり責務なんです」
少しばかり美央が取り乱す。
ずっと機械のように淡々としゃべる美央は真面目過ぎるのかもしれない。
「毎日電話する暇があるなんて、友達いないんじゃないか?」
葵が真面目な顔で切り込む。
「失礼ですね。私は仕事を全うしているだけです。友達は少しはいます」
「少しね」
葵が強調すると美央は少し恥ずかしそうな顔をする。
「私は頭が固い人間だと言われます。私自身友達の必要性を感じていないんです」
「たしかに優等生面だからな。でも、根っこはすごくいい人だってことはわかるから、案外友達になりたいって思ってる奴はいると思うぞ」
「そうでしょうか」
「俺だったら、誠実な奴と友達になったほうがいいと思うけどな」
完璧に見えた優等生も実は友達がいないことに負い目を感じているという事実。
二人は案外違うタイプだけど、気が合うかもしれないと思った。
そして、まだ葵の生きる保証がされていなことに少しばかり不安が残った。
連絡先を交換した後、葵は甘党なので、置いてあったデザートを完食してしまった。
「あなた余命わずかなのに、そんなにもよく食欲がありますね」
美央は呆れた顔をする。
「今生きてるうちに食べたいものは食べておきたいからさ。健康な人もいつ死ぬかわからないだろ。ましてや高齢になればいつ死ぬかわからないからな。俺は本能のままに生きる」
妙に説得力のある意見を真顔で葵は述べる。
美央の顔に珍しく笑顔が垣間見れた。
三人で帰宅することになった。もちろん助手席は葵。後ろのシートには歌恋と至。
至は極力葵に近づけたくないらしい。
こんなにイケメンで美しい顔をしているのだから、もっと自信を持っていてもおかしくないし、もっと美人を花嫁にしてもおかしくないのに。死神の感覚は誰にもわからない。
葵は死ぬなら死ぬで仕方ないというスタンスを崩さない。
本人曰く、今まで好き勝手に生きてきたから、悔いはないとのことだ。
でも、未練があるから死神が担当となったはず。
昔から本音を言わない葵の未練は誰にもわからなかった。
恋愛感情のことはお互いに解決したから、もっと別なことだと思う。
葵はあれから青い色のメッシュを髪に入れた。
自己主張したいとか、前からやってみたかったとかそういった理由だった。
今日は珍しく至も朝から学校に来て高校生をやっている。
最近は、至も極力学校に来るようにしているようだ。
死神の仕事も対象者が今は葵ということもあり、むしろ学校にいたほうが仕事になるという判断でもあった。
死神族は国からの特別扱いを受けているため、仕事のために学校を休んでも問題はないらしい。
死神族は基本的に知能指数が高く理解力が高いため、授業に出なくとも教科書を読むだけで知識の吸収は可能らしい。羨ましい限りの能力の高さ。
葵のことがあるにもかかわらず、触れてもいいと言ってから、至は時を選ばず歌恋に触れるようになった。
恥ずかしいという感情があまりないらしい。
朝はおはようの挨拶と共に、歌恋の頬に触れる。
本当はキスをしたいと言われたが、さすがに家族や使用人が見ている中でキスをする勇気はなかった。
基本県外で仕事をしている弟の戦が最近は実家に入り浸っている。
仕事の対象者がこちらの地域らしい。
至と顔は似ているけれど、弟の戦は一言で言うとちゃらいというのが第一印象だ。
死神族は一途だと言われているが、まだ十六歳の戦には運命の人がいないらしい。
どこかにいる運命の人に出会うまで、自由にたくさんの女性と恋愛したいというのが彼の考えだ。
至は性格的にモテていたけれど、恋愛はしてこなかった。
戦はモテることをいいことに、複数の女性と交際をする。
歌恋は少しそんな戦に苦手意識があった。
女好きでも、運命の人に出会えれば、女遊びが止まるというのが死神族らしい。
人間の場合は、遊び人は結婚しても遊び人ということもあるけれど、死神族は違うらしい。
「おはよう。おねーさま。俺に姉ができるなんて夢のようだよ」
朝から女好き全開の戦。
最近は仕事で他県にいっていることが多く、久々の帰宅だった。
長男は基本的に本家周辺の仕事を担い、次男は遠い地域の仕事を担うことが普通らしい。
噂では、他県の数だけ彼女がいるとか、歳は何歳でも年上でもいいらしいとか、そんなことが耳に入る。
兄弟なのにこんなにも違うなんて、少し驚く。
顔立ちは似ていて、弟もイケメンぶりは負けてはいない。
総合的に見て、歌恋は誠実な至のほうが好きだとは思う。
落ち着いたまなざしや責任感や軽はずみなことを言わないところは信頼に値する。
戦も高校には所属しているが、仕事のために、出席日数は少ない。
死神族の偏差値はすこぶる高く、頭脳明晰のため、試験にパスして進級するのが認められているらしい。
至同様戦も戦闘能力にはたけているらしいが、勤勉に体を鍛えているのは至のほうだ。
努力が苦手な戦に運命の相手は現れるのだろうか。
「今回は兄貴が青龍の息子のことで忙しいから、俺が仕事を引き受けることになったんだけど、対象者は朱雀家の長女、美央さんだ」
戦が平然とした様子で話す。
心臓がキリッと痛む。
この前会ったばかりの葵への救世主になる人が死ぬことになっている?
あんなに元気だったのに、どうやって助ければいい?
血の気が一気に引いていくのを感じていた。
「朱雀の長女が対象者とは困ったものだな。青龍葵のために彼女にお願いに行ったんだけどな」
「その後、俺が余命九十日だと告げに行ったんだけど、表情一つ変えずにただうなずいたんだよ。あの年齢であの落ち着きは滅多にいないぞ」
戦も驚く朱雀美央の落ち着き。
「青龍も朱雀も元は四神の分家になる。そういったことを受け入れる器を持っているんだろう」
「美人なんだけどさ、冷たい感じがするんだよな」
「葵なら、多分彼女を助けることができると思うんだよね。そうすれば、二人はお互いに命を支えて生きられると思う」
「でも、朱雀美央は簡単に青龍を助けようとしないから、色々と面倒だよな」
美央も自分の寿命のためならば、葵と取引をするのだろうか。
「久々に学校行ってくる」
戦はここら辺では有名な進学校であるお金持ちが多い私立高校に在籍している。
戦は最初からサボる気満々だった。
「なんだかめんどくさいな、とりあえず近くの公園でサボるとするか」
自前のバスケットボールを持参した戦は、バスケットゴールのある公園へ向かう。
至と違い、勤勉ではない戦は、死神族ということを活かし、存分に学校をサボっていた。
戦は本当は普通の生活に憧れていた。
部活を頑張ったり、体育祭や文化祭で友達とわいわい騒いだり、そんな生活に憧れていた。
でも、現実は死にゆく人間を相手に仕事をしなければならず、運命の相手も自分では選べない。
学校も自分だけ特別措置で行かなくても問題はない。
高校生である意味があるのかもわからなかった。
顔が良く、お金を持っている戦には女性が勝手に寄ってきた。
そのせいで、よからぬ噂が付きまとっていることも知っている。
好きになった人もいたが、運命の赤い糸が見えないため、将来的に結ばれることはないことに気づきながら恋愛の真似事をしていた。死神族は赤い糸が結ばれている運命の相手と結婚しなければいけない。
その相手の顔が好みでなくとも、性格や趣味が合わなくとも、結婚しなければいけない。
「四神なんてめんどくせぇ」
怒りをボールにぶつけて、一人でバスケをしてみる。
部活に入っても仕事があって練習に参加できないから諦めてきた。
長男の至は不満を持った様子もなく、死神の仕事をこなしている。
でも、戦は違う。普通の高校生になりたかった。
「学校サボっていいと思ってるの?」
「誰だよ?」
突如現れた女子高生らしき少女。どうやらバスケットボールを持っているあたり練習にきたらしい。
「その銀髪、四神の次男はうちの高校じゃ有名だよね。滅多に学校に来ないから拝めたら超ラッキーなんて言ってる女子も多いんだけどね」
「だから、自己紹介してくれないと、わかんないんだけど」
「私は五条紗月。あなたと同じ高校。ほとんど学校に来ないから、同じクラスになっても会ってなかったね」
なんだこの派手な不良女は。
遊びにはこの手の軽そうなタイプを選んでいた。
でも、運命の相手には勝手な期待をしていたから、多分おしとやかな女性と結婚するのだと思い込んでいた。
周囲の花嫁たちが気品があるとかお嬢様タイプが多かったのもある。
「そっちこそサボってるじゃないか」
「今日は振り替え休日で高校休みなんだけど」
戦は仕事があり、学校行事に参加していなかったので、すっかり忘れていた。
まじめに制服を着ている自分が恥ずかしくもある。
恥ずかしくなり、下を向く。
横に立っている女は、さっぱりした気の強そうな感じがする。
少し悪そうな感じの派手な女は髪が長いストレートヘアだった。
校則違反であろう茶色い髪の毛はあの高校だと目立つと思う。
ほとんど高校へ行っていないから、実は高校のことについては、あまり知らないのだが。
「バスケ上手だね。部活やればいいのに」
「俺は仕事が忙しいんだよ」
「全都道府県に彼女がいて忙しいっていう噂も聞くけどね」
茶髪の女は苦手なタイプかもしれないと思う。
でも、紗月の指を見た時に、戦の全ては変化した。
彼女の薬指に赤い糸が確かに見えた。
実際につながっているわけではないが、戦に向かって糸は伸びていた。
死神にしか見えない運命の赤い糸だった。
ずっと待っていた相手が目の前にいる。でも、なぜかがっかりしていた。
どんな人が運命の相手なのか、ずっと想像していた。
勝手な想像が膨らんでいた。
相手は当然ながら、お嬢様タイプのおとなしい感じの女子のような気がしていた。
それも、戦のことをずっと密かに思っていたとかそういう勝手な想像だった。
「おまえ、恋人とかいるのか?」
突然運命の相手と言っても怖がられることが多いと聞いていたので、とりあえず質問してみる。
とは言っても初対面でこんなことを聞くのは失礼なのかもしれないが。
「彼氏はいるけど」
さらに戦はがっかりする。
運命の相手ならば当然彼氏がいたことがなく、お互い好みのタイプで結婚まっしぐらだと思っていた。
正直冴えないと思われる普通を絵にかいたような歌恋のことを至は溺愛している。
二人は相思相愛だ。
でも、ここで運命の人だなんて言ったら、フラれること間違いなしだ。
「彼氏とは言っても、ちょっとDV系だし、別れたいとは思ってるんだ」
紗月の顔が少しばかり曇る。
「DVってドメスティックバイオレンスのことか?」
更に衝撃を受ける戦。
「デートDVって聞くでしょ。お金も貸しても返ってこないしね。根は悪い人じゃないんだけど」
「根が悪くないのにDVかよ。おまえ本当にいいのか?」
「いくらクラスメイトでも、あんたに干渉する義理はないでしょ」
バスケットボールを投げる紗月。
「そんな茶髪で先生に注意されるんじゃないのか? あの学校は校則には厳しいだろ。俺の場合生まれつきの銀髪の死神だから、問題はないけどさ」
「近々学校を辞めるつもりなんだ」
「はぁ?」
せっかく運命の相手に出会ったのに、まだ全然好きになっていないのに、辞めるのかよと苛立つ。
至のように相手を見た瞬間恋に落ちると思っていた。
普通、死神族はそうだと言われている。
なのに、なぜ戦は恋に落ちていないんだろうと疑問が浮かぶ。
もしかして、運命の赤い糸は何かの間違いなのかもしれないとも思う。
「うちの会社が倒産したんだ。あそこはセレブなお金持ちが通う学校だから、学費の安い公立に転校するんだ」
「それは困る。まだ全然好きになってないのに、転校されては困るんだよ」
「どういう意味?」
「ようやく見つけた運命の花嫁のはずなんだよ。確かに赤い糸が見えるんだ。でも、全然一目惚れとか好きだとは思えないんだよ。そもそも、俺のタイプではないし」
「失礼な奴」
あからさまに不機嫌になりつつも、死神の花嫁という言葉に驚きを隠せない。
この世界には死神の花嫁となる女性がいて、この国を夫婦で支え合い、人の最期を見届ける選ばれた女性がいるということは知っていた。死神にしか見えない赤い糸というのも知っていた。
「私も四神のことなんて好きじゃないけど。彼氏もいるし」
「DV男なんて別れちまえ。俺と婚約したら、実家の会社を立て直すこともできるぞ」
「でも、お互い全然好きとかそういう気持ちにはなってないよね」
そこは二人とも沈黙だった。好きになっていないという事実は言わなくともわかっていた。
「私は、浮気するような複数女がいる男は好きじゃない」
「死神は相手を見つけたら浮気をしないこととなっているんだ。その掟を破ると俺はこの世界から消えることになっているらしい」
「なにそれ?」
「死神族は夫婦仲をとても大切にする種族なんだ。浮気なんてしたら、同族に殺されるんだよ」
「だから、相手が見つかる前に遊んでいたってわけか」
「遊びとは言っても、お茶するとか映画に行くとか友達としての付き合いなんだけど、噂に尾ひれがついて、彼女が複数人いるとか遊び人扱いになってるのは正直むかつく。俺は、死にゆく人のために日々仕事をしてるんだよ」
「おい、紗月、誰だよそのチャラそうな男は」
後ろから来たのは不良面の目つきの悪そうな男だった。
「クラスメイトだよ。偶然会っただけ」
「俺は紗月の彼氏だ。幼なじみで、誰よりも、紗月のことはわかってるからな」
「幼なじみだから両思いとか空想の物語の世界にしかないって俺は思ってる。それに、時間の長さなんて関係ないって思ってる」
戦は睨みつけた。
「俺は、かわいらしいおしとやかな女を死神の花嫁として迎えるつもりだった。でも、俺の運命の花嫁は不良じみたおしとやかとは正反対なかわいげのない女だったらしい」
紗月のことを見る。
「ちょっと、四神、人のこと馬鹿にしてるの?」
紗月は怒る。
「五条紗月は死神の花嫁なんだ。好きじゃないが、嫁にもらう義務があるんだよ」
普通少女漫画なんかだったら、ここで甘い告白になるのだろうが、とんでもないプロポーズだった。
「四神ってあの死神族の四神なのか?」
紗月の彼氏が少し驚いた顔をする。
「そうだよ。でも、私、彼氏である大ちゃんは根がいい奴だって思ってるし、私のことを好きだと言ってくれるから大好きなんだよ」
「俺は、死神なんかよりも価値がある男だからな。わかってるじゃないか。紗月、帰るぞ」
大ちゃんと呼ばれる男はにやりと勝利を確信する。
戦は不良男に負けたと思った。
「金、貸してくれないか。倍にして返すからさ」
早速彼女にお金をたかろうとしている。
「うち、会社が倒産してお金がないから無理だよ。前に貸した分も返してよ」
困惑している紗月。
「おい、おまえ、俺の言うことが聞けないのか」
豹変する彼氏は紗月になぐりかかりそうになった。
その時、腕にあざが見えた。彼氏の暴力によるものかもしれないと思った戦は咄嗟に、彼女を守るため、風で大ちゃんと呼ばれている彼氏を飛ばした。風とはいっても、一般的に殴ったのと同じくらいの衝撃と痛みが伴う。死神の力は普通の人間ではとてもかなわないものだった。
「おまえ、彼女にそんなことするなんて許されないぞ。だったら紗月は俺がもらう」
死神の本能なのか運命の相手を守るという気持ちが、好きという気持ちと関係なく動いたらしい。
彼氏はそのまま倒れ、しばらくは立ち上がれそうもなかった。
「五条紗月、俺の花嫁になれ。好きとかそういうことは後回しだ。とりあえず、お互いを知ってみないか」
「四神戦のことを知って嫌いになるかもよ」
美しい死神を目の前にしてそんなことを言える紗月はかなりの度胸がある。
「それはこっちのセリフだ。俺の理想は高いんだ。あの男よりは人格がマシだということは保証してやる」
「あんたみたいなモテるのわかってるような美男子は全然好みじゃないけど、どうしてもっていうなら、とりあえず契約結婚として考えてやってもいいけど」
「よろしくな」
戦は今まで何人もの女性に告白され、時間を共にしたが、初めての感情が生まれていることに気づく。
顔や性格が理想像とは違っていても、運命の相手というのは死神の血が愛しくさせてしまうらしい。
あれ以来、葵と美央も連絡を取っていた。お互いのことを知り、美央の寿命についても葵は知ることとなった。
「俺でよかったら、延命の力で美央のことを助けたいと思う。特に条件はない。時々近況を教えてもらうということは一生してもらうことにはなるが、いいか」
「葵くんのことを助けるのに一つ条件があるの。朱雀の家では延命した相手と結婚しなければいけないの。だから、簡単にあなたを助けるとは言えなかった」
申し訳なさそうな美央。
「青龍の家にはそういった取り決めはないから、美央には自由に恋愛してもらってもかまわない」
「朱雀の家の異能の力は限定されていて、配偶者となる人にしか使えないから、あまり有能じゃないのよ」
「じゃあ、形式だけの結婚としよう。本当に好きな男に事情を話し、美央はその男と一緒になればいい」
「これでウィンウィンって言いたいわけ?」
「まぁ、無理に俺は生きる意味もないから、延命しなくてもいいんだ。でも、美央、おまえは生きろ」
「何を格好つけてるの? 契約するなら、正式に婚約しましょう」
「は?」
葵のきょとんとした大きな瞳に驚いた様子は隠せなかった。
「あなたが以前歌恋さんを好きだったということも、今も忘れられないこともわかってる」
能力で葵の過去を読んだらしい。
「最初は愛想のない堅い女だと思った。でも、毎日話していたら、今まで出会った女の中で一番愛おしい奴だと思った」
その言葉に美央はとても驚いた顔をした。
いつもそんな言葉を言わない葵が初めてかわいいとか愛おしいなんていう言葉を放ったからだった。
いつも自分のことよりも相手のことを考えるところが葵のいいところだ。
それは歌恋に対しても同じだ。
彼女を一番幸せにできるのは葵ではなく至だということは金銭面や愛情などを含めて判断した事実だ。
現に、葵は金銭面で養うことはできず、寄り添うことしかできなかった。
契約結婚して、他の人と幸せになれなんて命がかかっていても心から言える人は少ない。
そんな葵に美央が惹かれていたのは間違いなかった。
四神以外の分家には運命の人を見分ける力はほとんど残ってはいない。
でも、人柄や温かさを測ることはできる。
二人が結婚前提で付き合うことになった。延命の契約を結んだ事実。
戦は担当となった朱雀美央にそのことを聞き、至は担当である青龍葵にそのことを聞いた。
そのことを聞いた歌恋は本当によかったと胸をなでおろした。
葵と美央は命をきっかけに結ばれた。
葵と美央は異能の力があるので、赤い糸がうっすらと見えていた。
運命の人だということは気づいていながら、お互いを知っていた。
でも、運命なんて言う言葉で束縛したくはなかった。
後日、弟の戦が彼女を紹介すると連れてきた。
一応契約の花嫁ということになっているらしいが、戦はいつもとは違う様子だった。
いつもよりも念入りに髪の毛を整え、正装である和服に身を包んでいた。
歌恋の時は、急だったこともあり、四神の家に来た時には至も着物に着替える暇はなかったが、何か大切なことがあるときは、正装として着物を着るのがしきたりらしい。
四神の家に来て、すぐに歌恋の専用の着物を作ってもらった。歌恋の体型や肌に合う色を見繕った完全なるオーダーメイドだ。金額は聞かなかったが、花嫁用の着物に出し惜しみはしないということだったので、相当な金額だと思う。怖くて聞くことができなかった。四神家の財力があれば、そんなことはたいした出費ではないらしい。
歌恋も妹となる花嫁を迎えるにあたって、美しい桜の柄をあしらった薄紅色の着物を着た。四神家に来てから、基本的な礼儀作法や着物の着方など、世話人の筆頭である年配の女性、華絵さんが教えてくれた。厳しくも温かい女性だ。髪をアップにして正装した歌恋は至と目が合った。
「本当にきれいだ」
至は本気で褒めてくれている。
二人は全力で照れてしまう。
「戦にもとうとう花嫁がみつかったらしいな」
「一応契約結婚ってことになってるけどな。彼女はまだ俺のことを好きになってないし、俺もまだ彼女のことを本気で好きになってないしな」
「そのわりには念入りに髪の毛をセットしているではないか」
痛い所を突かれたような顔をして、戦は別にといいつつ、彼女を迎えに車で向かった。
しばらくすると、彼女がやってきた。
彼女は制服姿で手入れの行き届いた茶髪のロングヘア―だった。
「こちらは契約花嫁の五条紗月さん」
「はじめまして。よろしくおねがいします」
至の父と母の美しさと若さにやはり驚いた様子で、本当にお父さんとお母さんですかと確認していた。
死神族とその配偶者は、ほとんど歳を取らない。
厳密に言えばゆるやかに歳は取るけれど、普通の人よりも速度が遅く、その結果長く生きるということらしい。
「私、まだ出会ったばかりでまだ愛とかそういう感情は持ってないんですが、少しずつ好きになれたら契約花嫁じゃなくて、本当の花嫁になれるかもしれないって思ってます」
その発言に素直じゃない戦は、嬉しい気持ちを隠しているようだった。
「俺もお前みたいな女は好きではないが、俺には運命の赤い糸が見えるんだ。花嫁として迎えるのは仕方がないことだからな」
普段は女性に優しい戦だが、彼女には少し冷たいような気がする。
「結婚するのは何歳と決められているわけではないから、長くお付き合いをしてお互いを知ればいい。もし、好きになれないときは、無理に花嫁になる必要はないから」
当主であるお父さんの物腰は柔らかい。
こんなに財力があり、権力があるのに、偉そうにしていることもなく、厳格なタイプでもない。
「私たち夫婦はひとめぼれだったから、すぐに婚約したけど、花嫁になる人間はなぜか運命である相手を好きになるのよ。それは、四神の歴史を知ればわかると思うわ。運命の赤い糸というのはなぜか惹かれる相手にしか結ばれていないのよ」
お母さんもいつも優しく美しい。
元々人間だったとはいうけれど、死神族の中にいて違和感のない美しさだ。
「俺らの場合は、その定義はあてはまらないかもしれないけどな」
戦は照れたように言う。
「でも、毎日連絡くれる戦ってマメだよね。高校も一緒だし、私に好きな人ができたら必死に阻止してきそうだよね」
死神の血には抗えない。
きっともう戦は、紗月に惚れている。
運命の相手を見つけたら、好きになる。その感情が理屈じゃないというのは本当らしい。
私たち人間も赤い糸が見えないだけで、人を大好きになることは多々ある。それはご縁と呼ばれるものだ。
一生を添い遂げることも多い。
その相手は運命の人で、その感情は理屈ではない。
死神族も人間も同じだ。
「四神歌恋です。まだ結婚していませんが、大好きな彼の名字になることを決めているので、四神の名前を使わせてください。ただの人間ですが、死神の花嫁になることを決意しました」
歌恋の自己紹介に至はとてもうれしそうな顔をして、手を握った。
運命の人はいるんだ。
あんなにいじわるな家族とも縁を切り、今は穏やかな生活を送っている。
「運命の赤い糸は本物だよ。絶対に惹かれあうことになってるんだから」
その言葉に紗月は戦のほうを見て、微笑んだ。
見えないけれど、ご縁の糸は存在していて、死神と花嫁を結び付けているということを確信した。
「ずっとそばにいてね」
歌恋は最近は甘えた言葉を言えるようになった。
そういったことを言うとすごく至は喜んでくれる。
他の人には絶対に見せない笑顔を向けてくれる。
「無愛想な兄貴が花嫁の目の前だと優しい顔をするんだな」
戦がつっこむ。
至は戦のように想いを隠さないし、いつも本音で接するので、当然だという顔をする。
「花嫁が見つかったから、次男の戦もこの家で死神の仕事に専念できるわね。だって、花嫁の近くに住むことが死神族では当たり前のことだから」
「じゃあ俺は普通に高校に通ったりできるんだな」
「仕事をしながらだが、今までよりも普通の高校生活を送ることは可能だ」
父の言葉に戦は嬉しそうにした。
普通の高校生活を送りたいと願っていた至。一番のご褒美なのかもしれない。
「部活やってみようかな」
「いいじゃん。応援するよ」
二人の息はぴったりで、まるで歌恋と至のようだ。
「花嫁に選んでくれてありがとう」
歌恋は改めてお礼を言う。
「俺が選んだわけじゃない。俺たちが結ばれていたのは必然だからな」
優しい至と共に歌恋は穏やかな生活を手に入れた。
「ありがとう。これからもよろしくね」
これからも消えゆく命を私たちは見つめて生きていかなければいけない。
それが死神の定めであり宿命だからだ。
そんな彼に寄り添って生きていきたい。
きっとたくさんの出会いと別れがあり、心を痛めながら生きていく。
でも、死神である至の花嫁の使命は、彼の痛みを少しでも分かち合うことだと思う。