翌日から、私にとっては地獄の日々が続いていた。なかなかうまくいかない全体演舞に加え、多少は形になっていた団員との演舞も空回りするようになってしまっていた。
その原因は、もちろん恭介くんにある。どことなく優しかった彼が豹変するように厳しくなり、その結果、叱責を恐れて萎縮した私の演舞は、さらに恭介くんに怒られるという悪循環にはまっていた。
――もう、ほんと最悪だよ
練習が終わり、ソフトボール部の部室を借りて着替えていた私は、今日も途中で恭介くんが帰るまでは散々怒られたことで肉体的にも精神的にも疲労していた。
――ほんと、なんで急に厳しくなったんだろう?
着替え終えたあとも動く気力がわかず、椅子に座ったまま恭介くんのことを考えてみる。最初は怖い人のイメージしかなかったけど、どこか優しい一面もあったし私を馬鹿にするような扱いもなかった。
なのに、今の恭介くんは私に対して横暴な態度で接してきている。その様子が異常なのは、周りの沈んだ空気からも一目瞭然だった。
――はあ、ほんと引き受けたのが間違いだったよ
壮大なため息をつき、浅はかな行動をとってしまった自分に嫌気がさしたときだった。
『今年の北軍、マジウケるよな』
『そうだな、あんな根暗が団長だから今年は俺たちの優勝で決まりだな』
帰ろうとドアに手を伸ばした瞬間に聞こえてきた声に、瞬時に身体が硬直していく。どこの軍かはわからなかったけど、明らかに私をネタに笑い話をしていることだけはわかった。
――ほんと、最悪すぎだよ
わかっていたこととはいえ、改めて陰口をたたかれたことに耐えきれず、私はまた椅子に座るはめになってしまった。
――わたしだって、好きでやってるんじゃないのに
あふれ出てくる涙を乱暴に拭いながら、頭の中に繰り返される陰口に必死に耳を塞ぎ続ける。私だって、応援団長なんかやりたくなかった。そもそも私は目立つことが嫌いで臆病な人間だ。普通ならどんなに誘われたってやることはないわけだから、私のことも知らずに適当に陰口たたく人たちに、そうじゃないと大声で言ってやりたかった。
でも、それができないのも私だとわかっている。いいように誤解されたとしても、それを訂正する勇気も覚悟も持てないのが私なのだ。
そう考えると、本当に自分の情けなさが嫌になっていく。でも、どうすることもできないのだから、せめて平穏だけが取り柄の日常に戻るためにも、今さらながら応援団長を辞退しようと決心しかけたときだった。
「みの、いるか?」
不意に聞こえてきたのは、立花くんの声だった。一瞬無視しようかと思ったけど、どこか迫力ある声に逃げれないと感じた私は、乱雑に涙を拭ってドアを開けた。
「な、なんでしょうか?」
「ちょっとつきあえ」
私を見るなり表情を固くした立花くんだったけど、それだけ言うと背を向けてついてこいといわんばかりに歩きだした。
――なんだろう……
立花くんの誘いの意図がわからないまま、無言で彼の背中を追いかける。駐輪場につくと、抵抗する間もなくヘルメットをかぶせられ、近づきがたいバイクの後ろに乗るはめになってしまった。
――どこに行くの?
爆音を轟かせながら、立花くんが運転するバイクは国道を颯爽と走っていく。正直怖くて周りがあまり見えなかったけど、向かっているのは川沿いにある市民球技場だとわかった。
「あれ、誰だかわかるよな?」
川沿いの路肩にバイクをとめ、土手下に広がるグラウンドを指さしながら、立花くんが聞いてきた。
「あれは、恭介くん、ですか?」
グラウンドでは、小学生から中学生の子どもたちが野球をしていた。そのそばには監督らしき大人の人がいて、その隣のベンチで笑っている恭介くんの姿が見えた。
「あそこにいる連中は、みんな親がわけありで施設にいる者ばかりだ。恭介は、そんな連中を集めて野球チームを作ったんだ」
立花くんの説明を聞きながら、楽しそうに野球をする人たちに目を向ける。見た目は全然私たちと変わらないのに、あそこにいるみんなは色んな事情を抱えているみたいだった。
「恭介も中学のときに無茶しすぎて施設送りになったことがある。そこで、傷を抱えた連中を少しでも明るくしようと野球チームを作ったわけだ。まあ、あいつはそのくらいに野球バカってことなんだ」
「そうなんですね……」
「あいつの本質は、ああやってみんなを明るくすることなんだ。だから、みのにつらくあたっているのも理由があることはわかってほしい」
ヘルメットを脱いだ立花くんが、ちょっと照れたように顔を強張らながらここに来た目的を話してくれた。
――つらくあたる理由か……
あの笑顔を見る限り、恭介くんが悪い人間じゃないことはわかる。けど、だからといって、毎日厳しく接してくることには結びつかなかった。
「みのは、明日死ぬって考えて生きたことはあるか?」
「え? どういうことでしょうか?」
「そのまんまだ。明日死ぬとわかった上で今日を生きることはあるか?」
立花くんの固い空気から冗談を言っているようには思えなかったから、私も立花くんの言葉の意味を真剣に考えてみた。
「ないと思います」
「どうして?」
「だって、わたしは死ぬような病気にもなってませんし、普通は考えないと思います」
「そうだよな、普通は考えないよな。けどよ、世の中は別に病気だけで死ぬわけじゃない。事故に遭うかもしれないし、事件に巻き込まれて死ぬ奴だっていっぱいいる。なのに、明日も当たり前に生きているって思えるのが不思議なんだよな。って言いながらも、俺も死ぬなんて考えたことないんだけどよ」
そう呟くと、立花くんは笑いながら頭をかいた。あまりこういう話は得意じゃないらしい。それでも話をしたということは、彼なりに考えがあってのことなんだろう。
「みのには言っておくけど、恭介はもうもたない」
「え? もたないというのは……」
「医者の言うとおり、この夏は越えられないということだ。ああやってると元気に見えるかもしれないけど、本当は立つのもつらいくらいに病気が進行してしまってる」
「そ、そうなんですね……」
「だからよ、恭介と俺たちではもう考え方が違うと思う。恭介には、明日死ぬというのがリアルに感じられるんだ。だから、俺たちとは違う考え方で、みのに接していると思う。うまく言えないけど、あいつは死を意識して、その上でみのになにかを伝えようとしてるんだと思っている」
それが、恭介くんが私に厳しくあたる理由だと、立花くんは考えているとのことだった。
「なんか、うまくは言えませんけど、わたしのためにそこまでしてくれるとは思っていませんでした」
笑顔で子どもたちに手をふる恭介を見ているうちに、さっきまで胸を占めていたマイナスな気持ちがほぐれ、気づくと言いようのない胸の高鳴りに変わっているのを感じた。
「実は、ついさっきまで辞めようと考えてました。なんで好きでもないことやらされて、しかも怒られ続けないといけないのって思ってました。でも、それはわたしの弱さからくる逃げなんだって、恭介くんを見てたら思えてきました」
「別に、逃げてもいいんだぞ?」
「え?」
「みのがつらいのはわかるから、別に逃げたとしても俺たちは笑わないさ。けど、恭介のためにもがんばるって言うなら、俺たちは最後までサポートしてやるよ」
わずかに視線をはずした立花くんが、恥ずかしさを隠すように頭をかいた。その仕草から立花くんの優しさが伝わってきて、私は反射的に頭を下げてお願いした。
「よし、だったらまずはみのの悪口言った奴らにお仕置きだな。クレアの仲間に喧嘩売ったらどうなるか教えてやらないとな」
「ちょ、ちょっと、わたしは大丈夫ですから。手荒なことはしなくて大丈夫ですから」
急に目つきを鋭くし始めた立花くんを、私は慌てて止めに入る。そんな私に、立花くんが笑いながら冗談だと言ったことで、私も初めて立花くんの前で笑うことができた気がした。
その原因は、もちろん恭介くんにある。どことなく優しかった彼が豹変するように厳しくなり、その結果、叱責を恐れて萎縮した私の演舞は、さらに恭介くんに怒られるという悪循環にはまっていた。
――もう、ほんと最悪だよ
練習が終わり、ソフトボール部の部室を借りて着替えていた私は、今日も途中で恭介くんが帰るまでは散々怒られたことで肉体的にも精神的にも疲労していた。
――ほんと、なんで急に厳しくなったんだろう?
着替え終えたあとも動く気力がわかず、椅子に座ったまま恭介くんのことを考えてみる。最初は怖い人のイメージしかなかったけど、どこか優しい一面もあったし私を馬鹿にするような扱いもなかった。
なのに、今の恭介くんは私に対して横暴な態度で接してきている。その様子が異常なのは、周りの沈んだ空気からも一目瞭然だった。
――はあ、ほんと引き受けたのが間違いだったよ
壮大なため息をつき、浅はかな行動をとってしまった自分に嫌気がさしたときだった。
『今年の北軍、マジウケるよな』
『そうだな、あんな根暗が団長だから今年は俺たちの優勝で決まりだな』
帰ろうとドアに手を伸ばした瞬間に聞こえてきた声に、瞬時に身体が硬直していく。どこの軍かはわからなかったけど、明らかに私をネタに笑い話をしていることだけはわかった。
――ほんと、最悪すぎだよ
わかっていたこととはいえ、改めて陰口をたたかれたことに耐えきれず、私はまた椅子に座るはめになってしまった。
――わたしだって、好きでやってるんじゃないのに
あふれ出てくる涙を乱暴に拭いながら、頭の中に繰り返される陰口に必死に耳を塞ぎ続ける。私だって、応援団長なんかやりたくなかった。そもそも私は目立つことが嫌いで臆病な人間だ。普通ならどんなに誘われたってやることはないわけだから、私のことも知らずに適当に陰口たたく人たちに、そうじゃないと大声で言ってやりたかった。
でも、それができないのも私だとわかっている。いいように誤解されたとしても、それを訂正する勇気も覚悟も持てないのが私なのだ。
そう考えると、本当に自分の情けなさが嫌になっていく。でも、どうすることもできないのだから、せめて平穏だけが取り柄の日常に戻るためにも、今さらながら応援団長を辞退しようと決心しかけたときだった。
「みの、いるか?」
不意に聞こえてきたのは、立花くんの声だった。一瞬無視しようかと思ったけど、どこか迫力ある声に逃げれないと感じた私は、乱雑に涙を拭ってドアを開けた。
「な、なんでしょうか?」
「ちょっとつきあえ」
私を見るなり表情を固くした立花くんだったけど、それだけ言うと背を向けてついてこいといわんばかりに歩きだした。
――なんだろう……
立花くんの誘いの意図がわからないまま、無言で彼の背中を追いかける。駐輪場につくと、抵抗する間もなくヘルメットをかぶせられ、近づきがたいバイクの後ろに乗るはめになってしまった。
――どこに行くの?
爆音を轟かせながら、立花くんが運転するバイクは国道を颯爽と走っていく。正直怖くて周りがあまり見えなかったけど、向かっているのは川沿いにある市民球技場だとわかった。
「あれ、誰だかわかるよな?」
川沿いの路肩にバイクをとめ、土手下に広がるグラウンドを指さしながら、立花くんが聞いてきた。
「あれは、恭介くん、ですか?」
グラウンドでは、小学生から中学生の子どもたちが野球をしていた。そのそばには監督らしき大人の人がいて、その隣のベンチで笑っている恭介くんの姿が見えた。
「あそこにいる連中は、みんな親がわけありで施設にいる者ばかりだ。恭介は、そんな連中を集めて野球チームを作ったんだ」
立花くんの説明を聞きながら、楽しそうに野球をする人たちに目を向ける。見た目は全然私たちと変わらないのに、あそこにいるみんなは色んな事情を抱えているみたいだった。
「恭介も中学のときに無茶しすぎて施設送りになったことがある。そこで、傷を抱えた連中を少しでも明るくしようと野球チームを作ったわけだ。まあ、あいつはそのくらいに野球バカってことなんだ」
「そうなんですね……」
「あいつの本質は、ああやってみんなを明るくすることなんだ。だから、みのにつらくあたっているのも理由があることはわかってほしい」
ヘルメットを脱いだ立花くんが、ちょっと照れたように顔を強張らながらここに来た目的を話してくれた。
――つらくあたる理由か……
あの笑顔を見る限り、恭介くんが悪い人間じゃないことはわかる。けど、だからといって、毎日厳しく接してくることには結びつかなかった。
「みのは、明日死ぬって考えて生きたことはあるか?」
「え? どういうことでしょうか?」
「そのまんまだ。明日死ぬとわかった上で今日を生きることはあるか?」
立花くんの固い空気から冗談を言っているようには思えなかったから、私も立花くんの言葉の意味を真剣に考えてみた。
「ないと思います」
「どうして?」
「だって、わたしは死ぬような病気にもなってませんし、普通は考えないと思います」
「そうだよな、普通は考えないよな。けどよ、世の中は別に病気だけで死ぬわけじゃない。事故に遭うかもしれないし、事件に巻き込まれて死ぬ奴だっていっぱいいる。なのに、明日も当たり前に生きているって思えるのが不思議なんだよな。って言いながらも、俺も死ぬなんて考えたことないんだけどよ」
そう呟くと、立花くんは笑いながら頭をかいた。あまりこういう話は得意じゃないらしい。それでも話をしたということは、彼なりに考えがあってのことなんだろう。
「みのには言っておくけど、恭介はもうもたない」
「え? もたないというのは……」
「医者の言うとおり、この夏は越えられないということだ。ああやってると元気に見えるかもしれないけど、本当は立つのもつらいくらいに病気が進行してしまってる」
「そ、そうなんですね……」
「だからよ、恭介と俺たちではもう考え方が違うと思う。恭介には、明日死ぬというのがリアルに感じられるんだ。だから、俺たちとは違う考え方で、みのに接していると思う。うまく言えないけど、あいつは死を意識して、その上でみのになにかを伝えようとしてるんだと思っている」
それが、恭介くんが私に厳しくあたる理由だと、立花くんは考えているとのことだった。
「なんか、うまくは言えませんけど、わたしのためにそこまでしてくれるとは思っていませんでした」
笑顔で子どもたちに手をふる恭介を見ているうちに、さっきまで胸を占めていたマイナスな気持ちがほぐれ、気づくと言いようのない胸の高鳴りに変わっているのを感じた。
「実は、ついさっきまで辞めようと考えてました。なんで好きでもないことやらされて、しかも怒られ続けないといけないのって思ってました。でも、それはわたしの弱さからくる逃げなんだって、恭介くんを見てたら思えてきました」
「別に、逃げてもいいんだぞ?」
「え?」
「みのがつらいのはわかるから、別に逃げたとしても俺たちは笑わないさ。けど、恭介のためにもがんばるって言うなら、俺たちは最後までサポートしてやるよ」
わずかに視線をはずした立花くんが、恥ずかしさを隠すように頭をかいた。その仕草から立花くんの優しさが伝わってきて、私は反射的に頭を下げてお願いした。
「よし、だったらまずはみのの悪口言った奴らにお仕置きだな。クレアの仲間に喧嘩売ったらどうなるか教えてやらないとな」
「ちょ、ちょっと、わたしは大丈夫ですから。手荒なことはしなくて大丈夫ですから」
急に目つきを鋭くし始めた立花くんを、私は慌てて止めに入る。そんな私に、立花くんが笑いながら冗談だと言ったことで、私も初めて立花くんの前で笑うことができた気がした。