終焉の歌 ~右腕を失って追放されても、修行をして歌姫の元にメイドとして帰ってきます~

 私の名前はヒメナ。
 両親に捨てられた孤児で、物心が付いた頃にはこの孤児院にいたんだ。

 年齢は分からないけど、院長のエミリー先生が言うには十歳くらいなんじゃないかって。
 名前は先生が付けてくれたんだけど、孤児の私たちに苗字はない。

 女の子だけの孤児が住む、孤児院の食堂。
 そこで今、私はアリアのパンを取ったブレアと、パンを取り返すために喧嘩をしている真っ最中だ。

「ちょっと、ブレア!! アリアのパン盗らないでよ!!」

「うっせーやい!! こちとら腹減ってんだ!!」

「いいよ、ヒメナ! 私お腹空いてないから……喧嘩しないで!」

 パンを取られたアリアは、私の大親友――物心がついた頃から一緒の姉妹みたいなものかな?

 アリアの髪の色は私と同じ金髪だけど、私のセミロングの癖っ毛とは違ってとっても綺麗なロングストレート。
 顔も凄く綺麗で可愛いから、物語に出て来るお姫様みたいなんだ。

 おとなしいけど、気遣いが出来る優しい性格で、いつも人のことばかり考えるから、たまに心配になるんだけどさ。

「へっへーん! ヒメナ! お前喧嘩であたいに勝てると思ってんのかよ!!」

 水色の髪を三つ編みで結っているブレアは、ギザギザな歯を食いしばって小さい身体にマナを巡らせると、次第に可視化される。
 自らのマナを闘気に変換して、身体能力を向上させたんだ。

 ブレアは私やアリアと同い年位の女の子だけど、運動が良く出来る上に年上でもルーナとエマしか扱えない闘気を操れたりできるの。

「ほぇ!?」

 闘気により強化されたブレアが振るった拳を、何とか私は両腕で受け止めるも、吹き飛ばされて地面を転がる。
 そのまま壁に衝突した私は仰向けに倒れたまま、強い衝撃を受けた体を起こせずにいた。

「ヒメナ!!」

 アリアが私の体を、抱きかかえる。
 うーん、アリアは可愛くて優しいし、柔らかくて最高だなぁ……それに良い匂い。くんかくんか。

「はっはっはっー! お前のパンはこれからもあたいのもんだ!! おとといきやがれーっ!!」

 アリアのパンを口一杯に頬張り、どこで覚えて来たのか私達が吐くはずの捨て台詞を吐いたブレアは、食堂から走り去ろうとしたその時――。

「バカたれっ!!」

「おぶっ!!」

 ブレアは買い出しから帰ってきた、孤児院の院長であるエミリー先生の拳骨を食らった。

「ったく。この悪ガキが。食べ物は平等に分けろって言ってんだろうが」

 老齢である先生の体は、すっごく大きくてムッキムキ。
 胸筋があり過ぎて脇が締まらないほど鍛えられている。
 とても女の人には見えないエミリー先生は、眼帯をしていない方の右目を光らせていた。
 修道服を着てるけど、見た目は盗賊顔負けな程、柄が悪い。

「うわぁぁん!! ごべんなさぁぁい!!」

 エミリー先生の拳骨でたんこぶを作ったブレアは、泣きながら走り去る。
 私とアリアはそんなブレアを同情しながら、呆然と見送ることしかできなかった。

 私は食べるのが遅いアリアが食べ終えるのを待つ中、ブレアが来て喧嘩になったため、食堂にはエミリー先生を含めて私達三人だけが残される。

「またアリアのご飯、ブレアのバカに取られちまったのか?」

「はい、すみません。でも、私大丈夫ですから」

 だけど、先生の顔を見て安心したのか、悪くないアリアが謝るのを見て悲しくなったのか、私の目からはポロポロと涙が出てきた。

「じぇんじぇぇぇ!! またブレアに負けちゃったよぉぉ!! アリアのご飯取られちゃったぁぁぁ!!」

「おーおー、わかったわかった」

 私はブレアにいっつも喧嘩で負けて、遊び道具やご飯を取られる。
 孤児院に住む私達にとっては死活問題だ。

 ブレアはただでさえ同年代の中で身体能力が高く、闘気で身体能力を強化できるもんから、年上にも喧嘩じゃ負けない。
 エミリー先生が言うには、将来騎士になれるかもしれないほどの才能の持ち主らしい。
 前に天才だって言ってた。

「まぁ相手がブレアだからな」

 エミリー先生は、先生の修道服に顔を埋めていた私の頭を優しく撫でてくれた。

「成長ってのは人それぞれ違うもんだ。ブレアだって将来どうなるかわからないし、あんただってきっと強くなれる」

 先生が言っていることなんて、よくわかんない。
 私は今、ブレアに勝てるように強くなりたいのに。

「エミリー先生みたいに強くなれる?」

「なれる。ヒメナが望んで、頑張ればな」

 ひとしきり泣いて落ち着いてきた私は、エミリー先生から離れる。

「……もう大丈夫」

「良い子だ。ほら、外で遊んでこい」

「うんっ!!」

「はい、エミリー先生」

 エミリー先生に促され、私達はその場から駆け出す。

「こんな血濡れた老いぼれだって、変われたんだ。あんた達子供なんて可能性の宝庫だ」

 切なそうな目をするエミリー先生の呟きを聞かずに――。


*****


 ここはボースハイト王国。
 隣国のアルプトラウム帝国は軍事国家で、隣国に戦争をしかけては植民地としてるらしい。
 王国も例外ではなく、昔から何度も小競り合いをしていて、今も国の偉い人達が揉めてるんだってエミリー先生が言ってた。

 私達が住む孤児院は、帝国に一番近いアンファングという街から、少し離れた丘にある。

 孤児院から少し離れると、街一面を見渡せるお花畑があって、とっても気持ち良いんだ。
 そこは私とアリアのお気に入りの場所だ。

「いつも私がご飯を食べるのが遅いのがいけないのに、ごめんね。私のために頑張ってくれて……」

「ううん、結局今回も取られちゃったけど次は負けない! あ、私が食べたパン、アリアに分けれるかな? うぇって吐いたらさ!」

「……それは……いいかな……」

 当たり前だけど、アリアは私にドン引きしている。
 流石にダメか。

 いっぱい泣いたけど、何だかまだスッキリしないな……やっぱりブレアに喧嘩で負けたせいかな?
 こういう時は、あれに限る。

「ねぇ、アリア歌ってよ」

「いいけど、私の歌何回も聞いて飽きないの?」

「だって私アリアの歌、大好きだもん! アリアも歌うの好きでしょ? ねぇ、歌って!」

「……うんっ!」

 私のおねだりに答えてくれたアリアは腹式呼吸で大きく息を吸い、歌い始める。
 とっても綺麗な歌声だ。
 アリアの歌に釣られるかのように、野鳥達が私達の元に集まって来た。

 アリアの歌で私の少し濁った心が洗われていく。
 嫌なことがあるといつもアリアに歌をお願いするんだ。
 だって私が聞いた歌の中じゃ、アリアは断トツで上手いんだもん。
 上手いだけじゃなくて、心に響くというか……よくわかんないけど、そんな感じ。

 マナの流れがアリアの口の周りで見えるけど、それと関係あるのかな?
 アリアの歌を聞いてたらお腹一杯になった時みたいに、幸せな気持ちになれるんだ。

 私は孤児院にいるけど、幸せだ。
 エミリー先生がいて、孤児院の皆がいて、隣にアリアがいて、アリアの綺麗な歌声を聞ける。
 お腹一杯食べれることは少ないけど、私はそれだけで十分だ。

 ――アリアが歌い終わると、野鳥たちはアリアにお礼を言うかのように、私達の周りをひとしきり回った後、飛んでいった。

「ほぇ~、幸せ」

 アリアの歌に大満足の私が寝ころぶと、アリアも私に合わせて隣に寝ころぶ。

「大人になってもさ。今みたいに平和に過ごせたらいいね」

 私がアリアの手を取ると、アリアが私の手をつなぎ返してきた。

「ヒメナ、ずっと私の側にいてね」

「うん、アリアも私に愛想つかさないでよ」

 私達は二人で空を見上げながら笑った。

 ずっとこのままがいいのにな。
 いつかアリアも私もどこかの家の養子になって、この孤児院を出ていくのかな?
 アリアやエミリー先生達とバラバラになりたくないなぁ。
 意地悪いブレアはどうでもいいけど。


 この時の私は知らなかった。
 私が抱えていた不安なんて、本当にちっぽけなモノだったんだって――。
 夜――。
 ベッドに入り、眠りにつこうとする私達。
 落ち着きがないブレアが、いつまでもベッドに入らないでウロウロとしていた。

「こぉら、ブレア!! とっとと寝ろって言ってんだろ!!」

「うびぃ!? ごべんなざいーっ!!」

 エミリー先生に見つかり、拳骨を頭に喰らうブレア。
 ブレアはあまりの痛さに、泣きながらベッドへと潜り込んだ。

 ブレアじゃなかったら死んでるかもしんない。
 だって、タンコブで掛け布団が盛り上がっちゃってるもん。

「しししっ、ざまぁ」

「人の不幸を笑っちゃダメだよ、ヒメナ」

 私がブレアが痛い目を見たことに笑うと、同じ掛け布団に仲良くくるまっているアリアに怒られる。

 明日のご飯は何だろう?
 また固いパンと具がないシチューだろうな。
 明日はブレアにアリアのパン取られないようにしないと。

 そんなことを考えながら私は眠りについた――。


*****


 エミリーは孤児院の子供達が眠りについたことを確認すると、自室の椅子に座り買い出しに行った時に聞いた風の噂を思い出す。

「帝国との戦争が、遂に始まる……か」

 ボースハイト王国の端に位置し、アルプトラオム帝国と近い街は、その噂で持ちきりであった。
 中には王都へと逃げるため、荷を纏めている者もいた。

「やはり帝国は……十年前と変わらないままか……」

 溜息をつきながら、自室の窓から満月を見上げるエミリー。
 満月を見て、月明かりを遮る何かに気付いた。

「あれは……? まさか!?」

 満月の光を遮っていたのは、煙。
 天まで上り、月を隠すほど煙が上がるということは、それ程大きい火元とエミリーは予想した。

 エミリーは現役時代から使っていた、自身の巨体をも超える大剣を手に取り、闘気で自身の身体を強化し駆け出す。

 その速度は、馬をも優に超えていた。

 エミリーは乱雑な音を孤児院に一瞬響かせた後、火元を確認するため孤児院を出て行くのであった――。


*****


 一瞬だけ聞こえた巨体が動いたかのような足音で、私は目覚めた。
 他の皆は気付いてなくて、グッスリ寝てる。

「……ほぇ? 何……?」

「……ん? ヒメナどうしたの……?」

 私が体を起こしたことで、同じ掛け布団にくるまっていた、アリアを起こしちゃった。

「マナの流れ……これってエミリー先生の……? 外に行ったのかな?」

「マナの流れ……? よくそんなのわかるね。私全然わかんないや」

 何となく感じたり、目を凝らしたらちょっと見えるだけだけどね。
 でも、こんな夜更けに外に何の用だろう?

「行ってみよ!」

「ダメだよ、ヒメナ! 寝ないと怒られちゃうよ!?」

 私がベッドから飛び降りると、アリアも私を止めるためにベッドから降りて、走る私に付いて来る。
 トコトコ走るアリアは可愛いなぁ。

 孤児院から出て外を見渡すと、大きな煙が空まで上がっていた。

「何あれ……?」

「街の方角……?」

 私達は異変を感じて、アンファング全体を見渡せるいつものお気に入りのお花畑へと向かう。
 走っている内に、大剣を担ぐエミリー先生が立っているのが見えてきた。

 何で先生は剣なんて持ってるんだろう?

「エミリー先生!! 何か煙が上がってるよ!?」

 私達はエミリー先生の隣に並ぶ。
 街が見渡せる私とアリアのお気に入りの場所――。

「アンファングの街が……燃えてる?」

 そこから見える景色はいつもの綺麗な景色とは違い、街全体が燃えていて赤く光ってる。
 ここまで色々なモノが焼ける、焦げ臭い匂いが漂ってきた。

 アンファングから沢山の人のマナが見える……。
 街の人達が、喧嘩してるの……?

「ヒメナ、アリア。急いで孤児院に戻って皆を連れて逃げろ。アンファングはもう駄目だ」

「え? 逃げるって何から? どこに行けば良いの?」

 街がもう駄目って……燃えてるから?
 エミリー先生は何言ってるんだろう?

「どこだっていい!! 安全な街……王都へ向かえ!! 間違っても帝国領には行くなよ!!」

「王都って……遠いんでしょ!? 何でそんな所行くの!?」

「それは――」

 アリアの質問にエミリー先生が答えようとした時、燃えるようなマナを背後に感じて、私の体が恐怖で石のように固まった。
 触れるモノ全てを焼き尽くす――そう感じさせる程の禍々しいマナ……怖い……。

 そのマナを体内に宿した人物は、エミリー先生に向けて飛びかかり、剣を振りかぶっていた。

「ちぃっ!!」

 突如剣を振われた先生も、大剣で応戦する。

「ほぇっ!?」
「きゃっ!?」

 私とアリアが何が起きているのか理解できない中、交錯した互いの剣は火花を散らし、辺り一面を照らす。

「破っ!!」

 襲い掛かって来た人を力づくで吹き飛ばした先生は、私達を庇うように前に立った。
 燃えるようなマナの主が受け身を取って立ち上がったことで、ようやく私はその人を観察できた。

 オールバックにした長い白髪をなびかせたおじさんは、剣で斬られた傷跡が残る顔から四十歳ぐらい。
 帝国の騎士なのだろうか、帝国の紋章が刻まれた漆黒の鎧を身に纏い、漆黒の炎の様に波打ったフランベルジュという剣を持っていた。

「お久しぶりですな。元帝国軍、剣帝エミリー・シュヴェールト様」

「アッシュ……!!」

 先生とアッシュっておじさんは知り合いなのか、挨拶を交わした……けど、二人の体内を巡るマナの流れから、二人は喧嘩腰に見える。

 どっちも体から溢れそうな位大きいマナ……。
 それにアッシュっておじさんのマナは、沸々と燃えてて何だか熱い……。

「先生……この人は……?」

「アッシュ・フラム……まぁ、昔私が世話してやった小僧だ」

「その度はお世話になり申した。剣帝の貴女が王国に亡命した後、炎帝として四帝入りをしましてな」

 アッシュさんは、エミリー先生に丁寧に一礼してるけど……どこか挑発的だ。

「ハッ、偉そうに。で、私に剣を向けてどういった了見だ?」

「私に貴女の討伐とアンファングを堕とす命が出ましてな。四帝の一人だった貴女は、古いとは言え帝国軍の情報を持っている。これからボースハイト王国とは戦争となるのに、そんな危険分子をこれ以上野放しにしてはおけませんのでね。下手な騎士では討伐は出来ない。かと言ってこのまま野放しにも出来ない。面倒な存在なのですよ、貴女は」

 何の話……?
 難しくて良く分からないけど、この人は先生を嫌ってるんだ……。
 それに帝国の人間ってことは……街を燃やしたのはこの人……?

「私はあんたらの情報を王国を売るつもりはない。この孤児院で、子供たちと平穏に過ごしたいだけだ。見逃してくれないか?」

「そんな道理がまかり通らぬことは、貴女が一番おわかりでしょう?」

「……なんてことはない、言ってみただけだ。あんたも四帝を名乗るなんて、ずいぶん偉くなったもんだな。初めて会った時は、戦場で足震わせてた小僧が」

「貴女の命をもって、此度の戦争の口火が開く。光栄に思うが良い」

 剣を構えて笑ってる……エミリー先生のことを斬る気だ。
 街を燃やしたみたいに……。

「炎帝アッシュ・フラム、参る!!」

「青二才が! 生意気に啖呵切ってんなよ!!」

 二人はマナを闘気に変え、剣をぶつけ合った。
 力強い闘気の衝突は、近くにいた私とアリアを吹き飛ばす。

「わぁ!?」
「きゃあ!?」

 ブレアの闘気とは訳が違う……比べ物にならない……。
 先生の全力ってこんな凄かったんだ……。
 だけど……アッシュっておじさんの闘気は強くて、燃えるように……熱い。

「ヒメナ、孤児院に行って皆で逃げよう!?」

「え!? でも、先生が……」

「エミリー先生なら大丈夫!! だって先生強いんだもん!!」

 アリアの言う通り、先生は間違いなく強い。
 盗賊が孤児院を襲って来た時もあっさり全員捕まえてたし、街の人に依頼されて三メートルを超える熊の魔物を素手で殴り倒してた。

 それでも、嫌な予感が止まんない。
 先生は何で、普段絶対使わない剣を取ったんだろう……。
 アッシュっておじさんに先生は勝てるの……?

 アリアは私の手を取り、私達は闘う二人を残して孤児院へと走った――。
 孤児院に戻り、アリアと二人で寝ている皆を起こす。
 ブレア以外の皆はすぐ起きたけど、ブレアだけはいつまでもぐーすかとイビキをかいていた。

「ブレア!! 起きて!!」

「うっせーな……後五分……」

「起きろって言ってんでしょ!!」

「あべっ!?」
 
 エミリー先生の拳骨のマネをして、ブレアの頭に拳骨をお見舞いする。
 一度やってみたかったんだ、ししし。

「いってーな!! 何しやがんだ!?」

「うっさい!! 早く身支度して逃げるの!!」

 ブレアは周りを見て異常事態を察したのか、いつものように私と喧嘩はせず、何が起きているのか分からず頭にクエスチョンマークを浮かべながらもすぐに着替え始める。

「ヒメナ、皆準備できたみたい!! 行こう!!」

 ブレアだけはズボンを履いている最中だけど、私達は孤児院を出て王都の方角へと向かった。

「アリア、皆と一緒に先行ってて!!」

「ヒメナ!?」

 エミリー先生……大丈夫なのかな?

 私が行ったって何も出来ないのは分かってる。
 皆と一緒に逃げたほうが良いって分かってる。

 だけどアッシュっておじさんの燃え盛るような憎しみのマナが、私をエミリー先生の元へと走らせた――。


 私がアリアとのお気に入りの場所に行くと、もう私が知ってる丘ではなかった。
 闘いで地形が変わり、お花畑は炎で燃え、大地には剣で斬られた跡がいくつも残っている。

「……何……これ……」

 二人の攻防は、凄まじい程のぶつかり合い。
 アッシュっておじさんは炎の魔法と剣を操り、エミリー先生は闘気を纏って大剣を振るう。

 二人の動きがあまりにも速過ぎて残像が微かに見えるくらいだけど、攻撃の一つ一つが相手を殺すため……二人のマナと闘気から明らかな殺意を感じた。
 
 互いの力は拮抗――。

「ちぃっ……!!」

 していなかった。

 エミリー先生が受けることに精一杯で攻撃できず、均衡が崩れ始めている。

「噴っ!!」

 アッシュっておじさんが魔法で、自身の剣に炎を纏わせ振るったその一撃は――。

「がああぁぁ!!」

 受け止めようとした先生の大剣を両断し、先生の胸にまで届く。
 切り傷から発火した炎は先生の上半身で燃え盛り、先生は斬られた痛みと炎の熱さから、地面でのたうち回った。

「エミリー先生!!」

 アッシュは叫んだ私をチラリと流し目で見てきたけど、まるで虫ケラを見るような目……。
 私にはまるで興味が湧かなかったのか、直ぐにのたうち回る先生を見据え直し、歩いて距離を詰めっていった。

「フハハハ。老いましたなぁ、元剣帝様。かつては四帝の一人として皇帝陛下に寵愛され、軍の全権を握っていた貴女が……今や逃亡兵となり、このザマ」

 倒れている先生に剣を向けてる……。
 このままじゃ……先生が殺されちゃう!!
 そんなの……そんなの嫌だよ……!!


「我が覇道!! 最初の礎となれ!!」


「やめろおおぉぉ!!」


 ――咄嗟だった。
 先生が剣で突き刺されると思ったら、気付けばマナを体に巡らせていた。
 闘気を纏った私の体は飛躍的に身体能力が上がり、アッシュを止めるために拳を振り上げ、跳ぶ。

 ブレアがいつも使っていたマナの流れを見ていたこともあってか、初めて闘気を纏った体に違和感はなくスムーズに動いた。

「先生から離れろおぉぉ!!」

「!!」

 でも、振り回した右の拳はアッシュに躱されて空を切る。

 瞬間、熱いマナが目の前で走った。
 私に分かったのは燃えるように熱いマナが、一瞬通り過ぎたということだけだった。

 殴れなかった……!!
 くそぅ……!!

 私は跳んだ勢いそのままに地面を転がり倒れ込むと、私の目の前に燃えた何かがボトンと落ちてくる。

 何これ……腕……?
 誰……の――!?

「ぎゃああああぁぁ!!」

 私の目の前に落ちてきた腕――それは、私自身の右腕。
 私は燃える自分の肘から先の腕の前に跪き、痛みと熱さを紛らわすために泣き叫ぶ。

 さっきの一瞬走ったマナは、アッシュの炎を纏った剣……!?
 私の右手……斬り落とされたんだ……!!

「ヒメナァ!!」

 自身の上半身を燃やす炎を消し切れていない先生が私の元に駆け付けるも、私はあまりの痛みから気を失いかけていた。

「……痛いよぅ……熱いよぅ……エミリー先生……どうしよう……私の右手……無くなっちゃった……」

 泣いている内に、斬り落とされた私の右腕はアッシュの炎で消し炭に近くなっており、今にも燃えて尽きてしまいそうだ。

「エミリー先生……ごめんなさい……私……ただ……先生を助けようと思って……」

「喋るな、ヒメナ!! あんたは良くやった!!」

 私の先の無い右腕を燃やす魔法の炎を消すために、先生は両手で包み込み、必死に自身のマナで相殺しようとしていた。
 自分を燃やす炎も消し終えてないのに……私のために……。

「その年齢で闘気を扱えるとは。その才気、帝国軍で鍛えれば……とも思ったが、右腕が無ければ――な」

 そんなに先生より強いことが……私の右腕を斬ったことが可笑しいのだろうか、アッシュは不敵に笑う。
 私を燃やそうとしていた炎を消し終えた先生は、半分ほどの長さになってしまった大剣を握った。

「……アッシュ……よくもこんな優しくて可愛い子を……コレールが死んで……本当にあんたは壊れちまったようだなぁ……」

「コレールが死んで……だと? 貴様も関与しているだろうが!!」

 何故かアッシュから責められた先生の顔はとても寂しくも悲しそうで、遠い昔を見ている感じがした。

 こんなエミリー先生……初めて見た。
 コレールって誰……?
 昔に……アッシュと何かあったの……?

「先生……そんな折れた大剣じゃ……あいつは倒せないよ……」

 エミリー先生の大剣は両断されており、体内に残ったマナも少なく感じる……体だってとてもあいつと闘える状態じゃない。

「ヒメナ……良く聞け。これから王国と帝国で戦争が起き、辛い時代になる」

 ほぇ……戦争……?
 帝国と王国で……?

「あんたは優しいからな……これから先、きっと辛いことや悲しいこと……誰かを恨むこともたくさんあるだろう……だけど、忘れちゃいけない。あんたの優しくて、強いその心を」

「先生……?」

「強くなれ、ヒメナ。アリアだけは何に代えても守るんだ」

「エミリー先生……何言ってるか分かんないよ……」

「頼んだぞ。あんたになら任せられる」

 いつも孤児の私達を子供扱いする先生は、明らかに今だけは私を子供扱いしてなかった。
 一人の大人――ううん、それ以上の存在として話してる――そんな気がする。

「返事は?」

「……ぅん……」

 私が先生の話を理解できないまま相槌を打つと、エミリー先生はいつものように私に優しく微笑みかけてくれた。

 先生は立ち上がり、両断されて短くなった大剣を自分のお腹に向けて構える。
 大剣に残ったマナを集めて……先生……何するの……!?

「破っ!!」

 先生はマナを込めた大剣を、自分の腹部に力一杯刺し込んだ。

「「!?」」

 先生が刺した部分から、マナが膨れ上がって先生の中の体に入っていき、先生の体内のマナが普段の何倍もの大きさになっていく。
 こんなマナの大きさ……感じたことない……。

「剣帝流、魔技【不退転】。私の生命力をマナに変える、その名の通り命と引き換えの奥義だ」

 それって……エミリー先生が……死ぬってこと……?

「ぬああぁぁ!!」

 先生は膨大なマナを闘気に変える。
 そこら中に落ちる小石や葉を浮かし、大気を揺るがすほどの凄まじい闘気。

 その闘気にアッシュも共鳴するかのようにマナを闘気へと変え、二人は互いに自らの間合いに敵を入れるため、一瞬で距離を詰めた。

「剣帝流、闘技【斬魔剣】!!」

「炎帝流、魔技【スピキュール】!!」

 二人の斬撃はぶつかり合い、閃光のように光る。
 私は二人から離れていたのにも関わらず、余りの衝撃に吹き飛び、大きな岩石に叩きつけられ――。

「……先……生……」


 気を失った。
「……ナ……て……」

 あれ……?
 誰かが私を呼んでる……?

「……メナ……起き……」

 そんなに呼んでどうしたの……?
 起きるってば……。

「ヒメナ!! 起きて!!」

「……ほぇ……」

 アリアが私の目の前で私の名前を叫びながら、泣いている。

 何か私したっけ?
 それとも、またブレアにイジメられたの?

「……アリア……何で……泣いて……るの……?」

「泣くよ!! 泣くに決まってるじゃない!? だって……だって、ヒメナ……右手が……!!」

「……あ……」

 そっか……私の右腕……あいつに斬り落とされたんだった……。
 そうだ……その後……アッシュと先生が闘って……。

「……アリア……先生……エミリー先生は……?」

「先生は……その……」

 アリアが俯いて口淀む。
 アッシュは……闘いはどうなったの……?
 先生……エミリー先生はどうなったんだろう……?

「ぶえええぇぇ!! 先生ーっ!! エミリー先生ーっ!!」

 ブレアが遠くで泣き叫んでる……どうしたんだろう……?
 ブレアを泣かすことができるのは、エミリー先生くらいだ……。

 先生がブレアに拳骨でもしたのかな……?

「先生!! エミリー先生!!」
「先生……嫌なの……」
「起きてぇ、先生ぃ……」

 私は皆が先生を呼ぶ方を見る。
 そこでは仰向きに倒れて動かないままの先生の周りを、ブレアを中心に皆が集まって泣いていた。

「……エミリー……先生……?」

 ――そっか……。
 エミリー先生は死んだんだ……。

 帝国軍のあいつに……アッシュ・フラムに……私達のお母さんは……殺されたんだ。


*****


 アッシュは自らが率いる自軍に戻る為、丘からアンファングの街へと体を引きずりながらも戻っていた。

「ぐぬうぅ……あの老いぼれが……」

 アッシュはエミリーの決死の一撃により斬られた目を抑えている。

「腐っても剣帝か……我がこれ程の深手を負うとはな……」

 エミリーの命を賭した決死の一撃は、アッシュに深手を負わせた。
 故にアッシュは、四帝の一人の頼み事にまで気が回らず、早々に自陣へと退散することを決めたのだ。
 失明した左目は光を既に失っており、顔と体がエミリーの斬撃で深く傷つけられている。

 そんな体を引きずりながら――アッシュは笑った。

「だがこれでもはや憂いはない……ようやく我が過去の清算も済み、戦争の口火も切れた……」

 アッシュの復讐の炎は、止まらない。
 現役時、史上最高の四帝の一人と称されたエミリーにすら止められなかったのだから。

「王国の全てを我が炎で燃やし尽くしてくれるわ!! 灰にせねば、我が私怨で燃えた炎……消せはせぬ!!」

 エミリーを殺したことで発火したアッシュの炎は、この時昇華する。
 自らの過去や未来をも燃やし尽くす――黒炎へと。


*****


「嫌だああぁぁ!! 先生っ!! エミリー先生ーっ!!」

 ブレアはずっとエミリー先生の死体を抱きしめながら、泣き叫んでいる。
 孤児の皆も、その周りを囲んで泣いていた。

「ブレア、馬鹿言ってないで行くわよ!! 帝国軍はまた来るわ!! 見つかったら私達はあいつらに殺されるか、一生慰みものよ!!」

 ブレアをエミリー先生から引きはがそうとしているのは、ルーナ。
 黒髪ロングの髪をポニーテールにして結っているルーナは、年長者でいつもしっかりしていて、孤児の私達のまとめ役だ。

 言うことを聞かないブレアを怒ってはいるけど、どこか悲しそうだ……。

「ルーナ……ヒメナはあんな怪我してるんだよ? 熱だってあるみたいだし動けないよ……それに、先生のお墓だってまだ……」

「駄目よっ!! そんな暇はない!! 今はここから一刻も早く離れたいの!! アリアは急いで皆を先生から引きはがして!!」

 いつもしっかりしてるルーナが涙ぐんでる……。
 ルーナも悲しいんだろうけど、我慢してるんだろうな……。

 私を心配するアリアの提案を否定したルーナは涙を振り払い、アッシュに斬られて火傷をした右腕を冷やしながら、木陰で休む私の元へやってきた。

「フローラ、ヒメナの手は……大丈夫?」

「んー、多分死にはしないよっ!! 敵の魔法が炎なのが不幸中の幸いだったのかも!! 傷跡が焼けてるから、血も止まってるし!! だけど、しばらくは感染症に気を付けなきゃいけないし、腕が生えてくる訳ないから一生右腕はないだろうねっ!!」

 私を看病してくれてるのは、ルーナと同い年位のフローラ。
 パーマがかったピンク色の髪をハイツインテールにしているフローラは、いつもニコニコしている。
 皆を元気づけてくれるムードメーカーのお姉さんだ。

「そう……ヒメナの応急処置が済んだら、ここを出ましょう」

 ルーナは切ない顔で孤児院を見る。

 気持ちは……痛いほどわかる。
 私達孤児にとって孤児院は家で――エミリー先生は母親だ。
 たった一晩で、そんな大切なモノを捨てて出ていくことになるなんて思わなかった。

「ルーナ……私……ここに残るよ……」

「ヒメナ!? 何言ってるの!?」

 怪我で熱があってボーとしてても……ううん、あいつにやられた怪我でボーっとしてるからこそ――。

「エミリー先生を殺したあいつは……まだ近くにいる……!! あいつだけは……私が絶対やっつけてやるっ……!!」

 この想いだけは抑えられない。

 私は闘争心からか、気付けば闘気を纏っていた。
 その闘気にルーナは思わず身じろぐ。

 アッシュ・フラム……!!
 あいつだけは絶対に許せない……!!

「ヒメナーっ、頭冷やしなーっ!」

 フローラに文字通り、私の腕の傷口を冷やしていた水を、頭からぶっかけられた。
 冷たっ……!!
 余りの冷たさに、纏っていた闘気も解けてしまう。

「……そうよ、ヒメナ。相手は軍人なんでしょう……? それに四帝と言ったら、帝国軍を率いる将軍の一人だって聞いたわ。そんな相手に子供のあなたがどうやって勝てると言うの?」

 それは……そうだけど……。

「それに怪我で熱も出てるし……右手もないのよ……あなたは……」

 ルーナ……わかってるよ……そんなこと……。
 でも私だけが見てたんだよ?
 先生の最期を……。
 なのに私……何も出来なくって……!!

「くっそおおぉぉ!!」

 四つん這いになった私は悔しさから、利き腕の右手を振り上げて地面に拳を叩きつけようとしたけど、右肘から先が無いので当然空を切る。
 よろめいた体を隣にいたフローラに支えられた。

 私の右手はもう生えてなんてこない……。
 だったら、私はあいつを一生倒せない……。

「うっ……ぐっ……」

 悲しさと情けなさから涙が出てきた。

「うああああぁぁぁぁ!!」

 堪えようと思っても、溢れ出てくる。

 先生……先生っ……!!
 私がもっと強ければ……私が魔法とか使えて助けれたら……!!
 エミリー先生は死ななかったかもしれないのに……!!

 ルーナは叫ぶ私を見て、困惑しながら頭を抱えた。

「もう……どうしたらいいのよ……エミリー先生……」

「たははーっ、ルーナ! 頑張ろーっ!!」

「何であなたは笑っていられるのよ!?」

 ルーナ……凄く怒ってる……。
 いつも私達がいけないことをしたら叱るけど、それとは全然違う……。

「私達は孤児……そして全員が女。今まではエミリー先生がいたから、生きる術を知らずとも先生が守ってくれていた良かった。けど……先生はもういない。この意味がわかってるの!?」

 ニコニコと笑って聞いていたフローラは一転、真剣な顔つきになる。

「だから、年長組のボク達がしっかりしなきゃいけないんでしょ?」

 いつもお気楽に笑っているフローラの、こんな顔は見たことない。
 私はいつもと違う二人を見て、唇を噛み締めた。

 我慢しているのは私だけじゃないんだ……皆我慢してて……苦しいんだ。
 なのに……私は……。

「……ぅぎ……わだじ……ぜんぜいどやぐぞぐじたんだ……」

 エミリー先生はアッシュを倒せ、なんて言わなかった。
 先生の最期の言葉を聞いたのは私だけなんだから……。

「づよぐなっで……アリアをまもるっで……!! だがらごごをでよう……みんなで……!!」

 エミリー先生とした最期の約束。
 私は、先生との約束を守るんだ。
 守らなきゃいけないんだ。

「……そうだね、ヒメナ」

「たははーっ! ヒメナは強いねっ!!」

 ブレアを引き剝がした皆が私達の所までやって来る。
 アリアはすぐに私の所に駆け付けて来た。
 泣き顔を見られたくなくて、私は直ぐに左手で涙と鼻水を拭う。

「ヒメナ……こんなになって……大丈夫? 痛いよね? 私がヒメナのことおんぶするから、頑張れる?」

 アリアは泣きそうな目で、私のことを抱きしめる。
 私はそんなアリアの頭を左手で撫でた。

「……泣かないで。私は大丈夫だよ……アリア」

 心配しないで。
 アリアは私が絶対守るから。

「びええぇぇん!! エミリー先生ーっ!!」

 私達孤児総勢九人は、泣き喚くブレアを無理やり引きずりながら、今まで過ごして来た孤児院を逃げるように去った。
 孤児院から離れた私達は、帝国軍が通る可能性がある街道を避け、山や森の獣道を通って、ルーナが持つ地図を見ながら王都へと向かっている。
 山や森には魔物がいる危険はあるけど、帝国軍と居合わせた方がよっぽど危険だからだ。

 母親であるエミリー先生を失い、孤児院という家を失った私達の足取りは――重い。

「……ルーナお姉ちゃん……これから……どうするの……? メラニー達は……どこまで行くの……?」

 長い黒髪が色白の顔を覆い、ほんの少し見える口元からボソボソと話すのは、メラニー。
 多分私より年下だけど、マイナス思考でネガティブ。
 誰よりも身長が高いのに、猫背でいつも人の後ろに隠れるんだ。

「あらあら、メラニーちゃんは相変わらず甘えん坊ねぇ。だけどそれは私も気になってたわぁ」

 勇気を出して自分の意見を言ったメラニーに、盾のように扱われているのは、ベラ。
 スタイルが良くておっぱいもおっきくて、とっても大人っぽい。
 ウェーブがかった緑色の髪が大人っぽさを際立たせてる。

 メラニーとベラに聞かれたルーナは、地図を持ちながら自信なさげに自分の考えを話す。

「……アリアから聞いたエミリー先生の言葉を守って王都へ行くつもり。そこでどうすればいいかはわからないけど……王国と帝国が戦争になるなら都市部にいた方が安全だから、エミリー先生は言ったんだろうし……」

「たははーっ! その方がいいよっ! 王都なら人も支援物資も集まるだろうしねっ!!」

「そう……だよね……うん、大丈夫だよね……」

 フローラはルーナの考えを後押しするかのように同意する。

 異常事態のせいか、いつものルーナとは違う。
 自信がなくてハキハキしてない。
 自分の選択が正しいか分からないから、どうしようってなっちゃってるんだ……。

「ま、面倒だしそれでいいっしょ。どうにかなるさ」

「まったく……あなたは気楽そうね、エマ」

 赤髪を括った頭の後ろで腕を組んでいるのは、エマ。
 飄々としてて掴みどころがないけど、誰かに何かあった時や困った時に、いつも手を差し伸べてくれて、実は優しいんだ。

「マイナスに考えてもしゃーないでしょ。何事も蓋開けなきゃわかんないさ」

「そう……ね」

 ベラは、もし何かあってもルーナは悪くない。
 そう言いたいみたい。
 まとめ役をしてくれてるルーナの背中を押してあげてるんだ。

「はぁ……はぁ……」

 私は皆の後ろをただ歩いているだけなのに、身体が熱くて足も重い。
 皆から少し遅れちゃってるや……。

「ヒメナ……本当に大丈夫……?」

「大丈夫、大……じょぶ……ぉろ……?」

 何でだろ……。
 何か頭がクラクラして、体もフラフラする……。

「ヒメナ!!」

「……ぁはは……大丈夫だって……アリア……」

 ほぇ……?
 アリアが何人もいる……?
 それに目がぼやけて……。

「!! ルーナ、大変!! ヒメナがっ……!!」

 倒れそうになった私を支えたアリアは、ルーナを慌てて呼ぶ。
 ルーナは急いで、私を抱くアリアの所へと駆け付けてくれた。

「凄い熱……やっぱり傷の影響かしら……? ヒメナの熱が下がるまで休みたいけど……でも、ここに長くいたら帝国が……」

「こんだけ孤児院から離れたら大丈夫っしょ。ウチも早朝からずっと歩きっぱで疲れたし、休んどこ。もう陽も落ちるし、野宿しよーよ」

 エマが首で促すと、ルーナは周りを見渡す。

 皆、徒歩での移動で疲弊していた。
 年長組とは違い、年少組は体力がない。
 私達より年下もいて、最年少の子は五歳だ。

「……それもそうね……何やってたんだろう……私……」

 自身が冷静でなかったことに気付いたルーナは、肩を落として顔を覆う。

「まっ、余り肩肘張って無理しなさんな」

 エマはそんなルーナの肩をポンポンと叩いた後、木陰で休む私とアリアの元に来る。

「エマ……ありがとう」

「んん? ウチ何かしたっけか?」

 アリアのお礼を知らんぷりしたエマは、冷や汗をかいた私の頭を優しく撫でてくれた。


*****


 夕方となり、休めそうな小さい洞窟を見つけた孤児達は、野営の準備を始める。
 そんな中、エマはフローラを連れ出していた。

「フローラ、ヒメナは治るのかい? 考えたくはないけど……ヒメナのヤツ……」

「多分今夜が山だねーっ! かなりの高熱が出てるし!!」

「……そっか」

「きっと大丈夫!! ヒメナはしぶといもんっ!!」

「……ったく、面倒なことになったね」

 エマがヒメナの心配をしている中、ヒメナは洞窟内でアリアの膝枕の上でうなされていた。

 見ている悪夢は――エミリーの死に際。
 ヒメナの脳内に呪いのように炎で焼き付けられた、エミリーの死。
 ヒメナはどうしようもない高熱と悪夢と闘い、涙を流していた。

「……先生……エミリー先生……」

「ヒメナ……」

 アリアはそんなヒメナを見て、エミリーの死に際何も出来なかった自分、そして今ヒメナが苦しんでいるのに何も出来ない自分を責めていた。

「先生……私は何が出来るの……? エミリー先生ならどうするの……?」

 答えてくれるものはいない――。

「歌えよ」

「え?」

 そう思ったアリアの目の前には、ブレアが腕を組み立っていた。
 独りごとに返答があることにも驚いたが、それがヒメナといつも喧嘩をしているブレアだったことが意外で、アリアは固まってしまう。

 ブレアはそんなアリアを意に介さず、うなされるヒメナをせつない目で見降ろした。

「ヒメナはお前の歌好きだろ? 聞かせてやれよ、バーカ」

 振り返り、三つ編みの髪を揺らしたブレアは、そのまま洞窟外へと歩いて行った。

「ヒメナ……」

 自分に出来ること、ヒメナが好きなこと。
 アリアが唯一ヒメナのために出来ることは、ヒメナのために歌うことだけだった。

 アリアは歌う。
 ヒメナを想って、ヒメナだけのために。
 アリアの歌が響く洞窟内は、大量のマナで満ち始める。

「アリア……?」

 洞窟内の歌声に気付き洞窟外から覗いたルーナ達に構わず、アリアはヒメナのために歌い続けた。
 優しいマナに包まれるヒメナは、遠い意識の中でアリアの歌を聴いていた。


*****


 翌日――。

「……ほ……ぇ……」

 早朝に起きた私は、体を起こす。
 後ろを見ると、アリアが壁にもたれ掛かって寝ていた。
 疲れていたのか、スースーと良く眠っている。

 どうやら私はアリアの膝枕で寝てたみたい。
 くっ……何でそんなおいしいシチュエーションを覚えてないの!?

 私は後悔の念と共に再びアリアの膝枕の上に寝転がり、アリアの太ももの感触を存分に楽しむ。
 ぐへへ……。

「って……体軽っ!!」

 体を動かして気付いたけど、昨日とは全然違う。
 頭もクラクラしないし、体もフラフラしない。
 何でだろう……いっぱい寝たから?

 私はあまりの昨日との体の調子の違いに、フローラが巻いてくれた包帯を解き、傷跡を確認した。

「ほぇ? 傷が塞がってる……? それに熱も……ない?」

 こんな大きな怪我をしたのは初めてだからわからないけど、一晩で傷が塞がるなんて……こんなこと、ありえるの?

「洞窟内に満ちているマナ……これは大気に流れるマナだけじゃない……アリアのマナ……」

 アリアは昨日、確かに歌っていた。
 多分、私だけのために……ずっと、ずっと……。


『強くなれ、ヒメナ。アリアだけは何に代えても守るんだ』


 右腕の傷跡とアリアを見て、エミリー先生が最期に残した言葉を私は思い出した。
 私達はひたすら森の中を王都の方角へ向けて、歩いていた。
 距離もどれくらいあるのか、どんな所なのか、誰も行ったことがないから良くわからない。
 ルーナが持つ、孤児院から持ち出した地図だけが頼りの綱だ。

「ルンルルーン♪」

 一晩で傷が完治した私は、獣道を上機嫌にスキップする。
 体は軽く、思い通りに動く。
 当然無くなった右腕の肘から先は無いままだけど、昨日までの苦しさが嘘みたい。

「ヒメナ、調子に乗ると怪我が……」

「大丈夫だって! すこぶる元気だもんっ!!」

「ちぇっ、うぜーな!! 元気出たらこれだよ!!」

 せっかく人が良い気分でいるのに、ブレアが口を挟んでくる。
 睨みを利かせてたら、アリアが私達の間に入りブレアと向き合った。

「ブレア、昨日はありがとう」

 アリアがブレアにお礼……?
 昨日何かあったのかな?

「うううう、うるせーっ!! バーカバーカっ!!」

「ブレア何赤くなってんの?」

「何だこらっ!! やんのか!?」

「ほぇ!? 上等よっ!!」

 いつも通りブレアと喧嘩する私達を、皆は呆然と見ていた。
 もしかしたら死ぬかもしれない怪我だったのに、一日経ったらいつも通り元気になってるんだもんね。
 そりゃ、びっくりもするよ。

「昨日のアリアの歌が……ヒメナの怪我を治したって言うの……? 治癒魔法ってこと?」

「ありえない、ありえない!! アリアの歌が魔法だとしたら、昨日一晩中ずっと治癒魔法を使い続けたってことでしょっ!? そんなの非科学的だってば!! それに治癒魔法を使える人は稀にしかいないんだよっ!!」

「……そうね。魔法を使うには、使い手のマナがいる。そして使い手のマナ量は個人差はあれど当然有限よ。昨日一晩中魔法を使い続けて、今日あんなに普通でいられるなんて……」

「王国最強の騎士団長や帝国の四帝でも無理なんじゃないかしらぁ?」

 ルーナとフローラとベラの三人が、私を見て議論してる。

 アリアの歌は魔法……か。
 確かにあの傷が一日で塞がるなんて魔法しか考えられないよね。

 でもエミリー先生に聞いたことあるけど、【水晶儀】とかいうのをしないと自分がどんな魔法を使えるか分からないみたい。

「まっ、何でもいいさ。面倒だし分からないことは考えるのやめよ」

「……それより今は……これから……どうするか……食料も少ないし……無くなったらどうしよう……」

「もう街道に戻っても平気かもね。孤児院から大分離れたから、帝国軍と鉢合わせることもないっしょ。これ以上荒れた道歩くのもだるいしさ」

 エマとメラニーの言う通り、孤児院から持ってきた食料は後数日しかもたない。
 確かにこのまま森や山の獣道ばっかり歩いてたら、方角感覚も失いそうだし皆の体も持たないかもしれないし。
 何より、魔物に会ったら大変だ。

「――そうね。街道を見つけたら、それに沿って王都へ向かいましょう。王都でなくても私達が定住できて、戦争が起きても安全な場所があるかもしれないし……」

 人と会えば、王都への正確な距離もわかるだろうし、食料もどうにかなるかもしれないもんね。

 でも今は、それよりブレアとの喧嘩が優先だ。
 右手が無くても、私だって闘気が使えるんだ。
 やられてばっかじゃないって、わからせてやる。

「二人とも、やめて!!」

「ブレアァァ!!」
「おらあぁぁ!!」

 アリアが止めようとする中、私とブレアが喧嘩しようとしていると、私達の間に小さい体を目一杯広げた幼女が割り込んだ。

「やめて」

 薄紫のショートヘアをした女の子は、ララ。
 孤児達の中でも最年少で、小動物のようでとっても可愛い。
 口も三角でとってもキュートだ。

「二人は……ララの前で、喧嘩を続ける気?」

「ほぇぇ……」
「ぬぬぬ……!!」

 ずるいよ、アリア……。
 ララを盾に取るなんて……。
 最年少のララの前で喧嘩をするのはばつが悪いもん。
 ブレアもそう感じたのか、地団駄を踏んでいる。

 一部始終を遠目で見ていたルーナが、走って私達の所にやって来た。

「ララ。喧嘩を止めてくれてありがとう。もう……二人共お願いだから仲良くして。非常時で大変なんだから」

「でも、ブレアのアホが……!!」
「だって、ヒメナのバカが……!!」

「これ以上ルーナに迷惑かけちゃ、めっ」

 何で私が言われなきゃなんないの?
 いっつもブレアから絡んでくるのに。

「ちぇっ!!」

 私とブレアが睨み合っていたけど、ブレアは舌打ちをしながら不機嫌そうに私達から離れていった。

「ララ、喧嘩止めてくれたんだね。ありがとう」

「うん」

 ララはルーナの服の裾を握っていて、離さない。
 ララは孤児院の頃からルーナを実の姉のように慕っており、ルーナもそんなララを可愛がっていた。

 あぁ……か、かわゆい……でも何で私じゃなくてルーナに懐くの……?
 確かにルーナは真面目で大人だし、かっこいいけどさぁ……。

「ほらヒメナ、皆に置いていかれるよ。いつまでも指くわえてないで、行くよっ」

「ほえぇぇ……ララぁ~……私の裾もキュッとしてぇ~」

 アリアは前を歩くルーナの集団と合流するため私を引きずり、ルーナとララは自然と街道へ向かう孤児達の最後尾となった。
 前を歩く私達に、自然とルーナとララの会話が聞こえてくる。

「エミリー先生、いなくなっちゃったの?」

 私達も……ルーナも、思わず固まる。
 幼いララには死ぬということが、まだ良く分からなかったのだろう。
 私も先生の死に際の話をララにだけはしなかった。
 どう話せば良いか分からなかったから……。

「……先生は……凄く遠い所に行っちゃったんだ」

 ルーナはそう答えた。
 ララはまだ小さい。
 ルーナもきっとどう話せばいいか分からなかったのだと思う。

「ララは大丈夫? エミリー先生いなくても」

「……ララにはルーナがいるし、皆もいる。平気」

 ……強がりだ。
 ララもエミリー先生を本当のお母さんのように思っていた。

 こんな小さい子に、強がりを言わせちゃうなんて……私のせいだ。
 私があの時アッシュを止められてたら、こんな想いさせずに済んだのに……。

 私が自責の念に苛まれていると、ルーナはララを安心させるように屈んで顔の高さを合わせて微笑んだ。

「これから大変かもしれないけど、ララは私が絶対守るから大丈夫だよ。私はララとずっと一緒だから……ね?」

「うん、ずっと一緒」

 ルーナとララは指切りげんまんをしていた。
 約束をしたのは、ルーナの決意の表れだったのかもしれない。


*****


 崖の上――そこからヒメナ達孤児一行を観察する者がいた。

 紳士な見た目をした太った中年男性は、ニコニコと優しそうな笑顔で微笑んではいるが、大量の血に濡れたノコギリを手に持っている。
 足元には、高貴な恰好をした男が四肢を切り落とされたのか、涙を流して横たわっていた。

「頼む……もう殺してくれ……俺を家族や民の元に――」

 太った男は実につまらなさそうな顔で、横たわっている高貴な男の首を足で踏みつけてへし折り、息の根を止める。

「とっても美味しそうだ」

 そう呟きながら、男は仲睦まじく指切りげんまんをする、ルーナとララを見つめていた。
 私達は街道沿って王都へ向かうために、森の中で方角に気を付けながら街道を探していると、何やら良い匂いがしてきた。

「ご飯だ! 料理の匂いだ!!」

 鍋で何かを煮ているのかな?
 すっごい良い匂い……。

「お腹、空いた」

 ララがそう言うと、皆もお腹が空いてたのか、全員が同時にお腹を鳴らす。

 お腹空くよね……私も空いたよぉ……。

 今は孤児院にあった保存食と道中で採った山菜や木の実で何とか食べ繋いでいるけど、王都の距離も分からない中食べきるわけにはいかない。
 だから皆、毎食ちょっとづつ食べてるんだ。

 私達の足取りが自然と匂いの方へと誘われると、やがて森の中で開けた草原が見えて来た。
 そこでは紳士的な服装をし、ハットを被っている太ったおじさんが、一人で大鍋を煮込んでいる。

「子供? 君達どうしたんだい?」

 あぁ……鍋……。
 お肉も入ってる……何のお肉だろう……?
 お、美味しそう……。

「す、凄い涎だねぇ。お腹空いているならおじさんの鍋食べる?」

「ほぇ!? いいの!? 頂きまーす!!」

 ラッキー!
 見ず知らずの私達にご飯を恵んでくれるなんて、このおじさんとっても良い人みたい。

 おじさんからお皿を受け取り、孤児院の修正が残っているのか、私達は急いで列を作る。
 私とアリアが一番最初に並んでたのに、隣からブレアが割って入って来た。

「ブレア!! 私が先に並んでたんだよ!?」

「うっせ、バーカ!! 孤児院のルール持ち出してんじゃねーや!!」

「おじさん、喧嘩されると困っちゃうなぁ。その鍋食べれるだけ食べて良いから皆にきちんと行き渡るよ」

 オタマをブレアに奪われて喧嘩になりそうになるも、優しいおじさんに諭されブレアがお皿に入れるのを待つ。

 ジュルリ……鍋の中、お肉がいっぱいだ……。
 確かに私達全員で食べても余りそう……。
 こんなにたくさんのお肉入ってる鍋見るの、初めてだ……!!

 全員がワイワイと鍋を囲む中、ルーナはそこには参加せずにおじさんの隣に座った。

「それにしても、こんな所に女の子だけで何をしてるんだい?」

「……私達は――」

 ルーナはおじさんに今までの経緯を説明していた。
 アンファングが帝国軍に燃やされたこと。
 エミリー先生が殺されたこと。
 孤児院を捨てて逃げたこと。
 王都へ向かっていること。

「それは大変だったねぇ。確かに王都なら王国の戦力が集まるだろうし、戦争になってもしばらくは安全かもしれないねぇ」

「……だと良いのですが……」

 おじさんは深刻な現状を話すことに夢中のルーナに、手を出していない自分のお皿を差し出す。

「食べなさい。お腹一杯になれば、元気になる。元気になれば、きっと前向きになれる。おじさん、そう思うよ」

「……ありがとう……ございます……」

 ルーナは大人の優しさに触れて安心したのか、頬を伝った涙を一粒おじさんから受け取ったお皿に垂らす。
 そして、私達に涙を隠すようにぐっと皿を口元にあげ、お皿の中身を一気に口の中へと運んだ。

 きっとルーナが一番不安だったんだ……。
 エミリー先生が死んで、私達をまとめて冒険に出ないと行けなかったんだから……。

「おじさん、これって何のお肉!? とっても美味しい!!」

「そう? おじさんはあんまり好きじゃないんだけどなぁ……美味しいならおかわりしていいよ」

「やったぁ!! アリア!! お鍋からよそうの手伝って!!」

「うんっ」

 私はルーナが泣いているのが皆にバレないように、出来るだけ騒いで鍋へと走る。
 泣いている所、ルーナは多分見られたくないもんね。

 アリアにお皿を持ってもらい、オタマで鍋の中の具を探す。
 利き腕がないと、ご飯を食べるのも一苦労だなぁ……。
 アリアにも迷惑かけちゃってるし……。

 そんなことを考えていると、メラニーとベラとエマの三人が少し離れた所で何やらコソコソと話している。
 何話してるんだろう?

「……何か……おかしい……気がする……」

「おかしいって、何がぁ?」

「鍋の量さ。一人で食べるには異常な量っしょ」

「あらあら。そう言われればそうねぇ。まるで私達が来るのを知ってたみたい」

 会話が聞こえたけど、何言っているのか良く分からない。
 おじさんが良い人だから、ご飯を分けてもらえた。
 それでいいじゃん!

「おっさん、何でこのお肉好きじゃないの!? こんなに美味しいのにさっ!!」

「フローラ!! おっさんは失礼でしょ!!」

 真面目なルーナじゃなくても、突っ込みたくなる。
 確かに失礼だ……フローラは誰にでもこんなだから凄いや。

「その人さぁ。この近くの城郭都市の領主なんだけど、民想いだって有名だったんだ。だから領主が愛する街人を一人残らず殺したら、きっとおじさんのことを憎んでくれるかなって思って皆殺しにしたんだけど、最期まで想っているのは民や家族のことだったよ。そんな男、美味しくないでしょ?」

 ……ほぇ……?
 今何て言った?

「おじさんが好きなお肉はさ、おじさんを憎んで憎んで殺したい。そんなお肉なんだ。おじさんのことを想って想って止まないね。その想いが長ければ長いほど、強ければ強いほど、熟成させた濃厚な味となる。そうは思わないかい?」

「……えと……これって結局……何のお肉……?」

 私はオタマにかなりの重みを感じ、おそるおそるとオタマを鍋から引き上げると――。

「人間のお肉だよ」

 オタマの上には、人間の首から上が乗っていた。
 私とアリアは思わず固まり、皆の視線もオタマの上の頭に集中した。

 まさか……私達が食べたお肉って……嘘……。
 人……間……!?

「「「うぉえぇぇ!!」」」

 私達はあまりの不快感から、一斉に吐いた。

「皆人間の肉だとわかると、そうやって吐くんだよねぇ。君たちは喜んで食べてくれていたのに、おじさん残念だよ」

 気持ち悪い……信じられない……!!
 人間の肉を食べるなんて……食べさせるなんて……!!
 このおじさん……何考えてるの……!?

「げほっ……うぇっ……」

「あ。そういえばおじさん、自己紹介をしていなかったね」

 胃の中を戻す私達を見ても、おじさんは平常運転で自分の手元にあったノコギリを手に取って、その場を立った。
 そして、私達へ向けて紳士的な一礼をして来る。

「おじさんは帝国軍所属四帝の一人、震帝カニバル・クエイクと言うんだ。よろしくね」

「……四帝……?」

 エミリー先生を殺した炎帝アッシュ・フラム。
 おじさんは、あの男と肩を並べる四帝の一人だった――。
 おじさん……震帝カニバルは、変わらずにこにこと微笑んでいた。
 その手には何の変哲もないノコギリを持っている。

 体内に宿すマナ量はアッシュ程じゃない……にしてもとてつもなく多く、不気味で何だか底が見えない……。
 このおじさん……カニバルを見ていると、何でか不安になってくる……。
 何ですぐに気付けなかったんだろう……。

「ゲホッ……やっぱりあの鍋の量……私達を誘い出すためだっだのねぇ……」

「……だとしたら……あの鍋には睡眠薬とか毒が入ってて……私達攫われて……売られちゃう……?」

「おじさん、そんな盗賊みたいなちゃちな小銭稼ぎはしないよ。誘い出したのは確かだけどね」

 カニバルはメラニーの不安を否定するも、ベラの予想は認めた。

 誘い出した……何のために……?
 私達に近づいたのはお金のためじゃない……だったら、私達に人間のお肉を食べさせたかったってこと……?

「――皆、逃げな!! そいつはウチらを殺す気だ!!」

 いつも飄々としているエマが珍しく叫んだと同時に、微笑んでいたカニバルは不気味に目をうっすらと開けて笑った。
 ずっと微笑んでいて見えていなかった目が、初めて見える。

「おじさん、感心だねぇ。聡い子がいるようだ」

 その瞳は――体が震えあがるほどの、狂気。

 カニバルから感じた狂気的な恐怖は、強者に感じる恐怖とかじゃなくて……得体が知れないモノへの恐怖、そんな感じだ。

 皆、私と似たような感覚を感じたのだろう。
 体を強張らせ、固まっている。
 逃げろと叫んだエマですら、恐怖で体を動かせずにいた。

 そんな中――。

「「うわああぁぁ!!」」

 私とブレアは、カニバルに向け特攻していた。

 エマに言われた通り逃げたほうが良い……!!
 体が怖いって……逃げろって悲鳴を上げてる……!!
 だけど――それでも――。

「四帝……エミリー先生の敵……!!」
「あたいが……ぶっ飛ばす!!」

 私とブレアは恐怖より、エミリー先生を殺された帝国軍四帝への復讐心が勝っていた。
 私達は闘気を纏い、恐怖心を振り払う。

「その歳で闘気を纏うとはね」

「「!?」」

 気付けばカニバルは、飛び込んでいる私とブレアの背後にいた。
 カニバルから目を離してないにも関わらず。

「おじさん、将来が楽しみだよ」

 私とブレアは後頭部に強い衝撃を受け、平衡感覚を失い、その場に倒れた。

「ヒメナ!! ブレア!!」

 薄っすらと、アリアが私達を呼ぶ声が聞こえる。
 私とブレアは必死に体を起こそうとするも、その意思に反して体は震えるだけだった。

「……ほ……ぇ……」

「な……何が……!?」

 頭がぐわんぐわんして体に力が入らない……。
 気持ち悪い……吐きそう……。
 もしかして……これがカニバルの魔法……!?

「何って、単に君達の後ろに移動して、後頭部に軽く手刀を放っただけだよ。種や仕掛けは何にもない。よーく見といてごらん」

 見とくって……何を……?
 そう思った刹那、カニバルが消える。

 消えた……違う……。
 マナの流れが……見える……。
 凄い速さで動いてるんだ……。

「あっ……!!」
「……がっ……!?」
「……ぅ……っ……」

 カニバルは瞬く間に、他の皆にも動けない程度の打撃を加える。
 誰一人気を失ってはいないけど、地に伏して動けない。
 あえてそう調節されているような、そんな気がした。

「……うぅ……くそ……」

 実力が違い過ぎる……。
 カニバルはまだ全然本気じゃない……。
 絶対に……勝てない……。

 私達が立てずにいる中、カニバルは背で腕を組みながら、まるで散歩をしながら花を見比べるように、私達の顔を見ていく。

 まずは自分に近く、いち早くカニバルの異常性に気付いたエマを。

「君は、つまらない子だね」

 次にブレアを。

「君は、残す側だね」

 次にルーナを。

「君なんて、絶対残す側だ」

 次にララを。

「んー……最初に目を付けた通り、やっぱり君かな」

 カニバルはそう言うと、マナを闘気に変えて体に纏い始める。

「よーし、一仕事だ。おじさん、頑張るぞぉ」

 腕まくりをしたカニバルは――。

「ああああぁぁぁぁ!!」

 ララの体を足で押さえつけ、ノコギリでララの首を切り始めた。
 ギコギコと木を切るような音と、ララの悲痛な叫びが辺り一面に響き渡る。

 嘘……信じられない……。
 何やってるの……?
 そんなことしたら……ララが……ララが!!

「やめろおおぉぉ!!」

 私は動かない体を気合いで無理矢理動かし、ララの首を切り落とそうとするカニバルに向け、闘気を纏って駆ける。
 そんな私をあしらうかのように、カニバルは私の顔に回し蹴りを放った。

「ララァァ!!」

 私がカニバルに蹴りを受ける中、ルーナも無理矢理体を起こし、闘気を纏ってカニバルとの間合いを詰め、掌底を放つ。

 ルーナとエマはエミリー先生から少し戦闘訓練を受けていた。
 多分ルーナのことだから、何かあった時皆を守れるように頑張ってたんだと思う。

 そんな責任感が込もったルーナの掌底は――。

「がっ……」

 カニバルの足に、一蹴される。

 カニバルは私に回し蹴りを放った後、まるでついでかのようにルーナのお腹を足蹴にした。
 私が回し蹴りを受け、鍋に当たってその中身を撒き散らしたと同時に、ルーナは激痛に耐えられずその場に崩れ落ちていた。

 カニバルはララに向き直り、再びララの身体を踏みつけ、固定する。

「……お願い……何でもするから……だから……」

 ルーナは顔を涙と鼻水でぐちゃぐちゃにし、うずくまりながらも懇願した。

「……何でもかい? ならおじさんの顔、よーく憶えておきなさい。君の大切な仲間を殺した、何よりも憎い相手なのだから」

 カニバルは狂気的な目で笑いながらノコギリを引く。

 一生懸命、楽しそうに。
 まるで子供が遊ぶように、夢中でノコギリを動かす。

「……やめ……て……」

 ララの首は切り落とされる寸前だった。
 ララは大量の血と体液で顔を汚し、それでも残りの力でルーナに助けを求めて、手を伸ばす。

「……助け……ルー……ナ……」

 それがララの最期の言葉となり――。
 
「いやああぁぁ!!」

 ルーナの叫びと共に、ララの首は切り落とされた。
 ララの頭はボトリと落ち、コロコロとルーナの目の前に転がる。
 ララの生気を失った眼は、ルーナを見つめているようにも見えた。

「……嘘……ララ……だって私……ララと約束したのに……ずっと一緒にいるって……約束……したのに……」

 私達が呆然とする中、カニバルは切り落としたララの頭を鷲掴みにし、口元に運ぶ。

 そして私達に見せつける。
 ララの頭蓋骨を嚙み砕き、脳髄をすすり、目玉を食すのを。
 カニバルの股間はズボン越しに膨らんでいるように見えた。

 カリバルはララの頭を食べ終えた後、失意の中にいるルーナの髪を鷲掴みにし、無理矢理自分と眼を合わさせる。

「おじさんを憎んで憎んで、熟成された美味しいお肉になりなさい。そうなった時、おじさんが食べてあげるよ」

 ルーナが恐怖からおしっこを漏らす中、カニバルはスキップをしながら去っていった――。


*****


 カニバルが私達に目を付け、ララを殺したことには何の意味もない。
 自分の趣向――ただ、それだけ。

 どうしようもない災害に巻き込まれて死ぬ。
 それと、何も変わらない。
 きっと私達は運が悪かっただけだ。

「……私……ララと約束したのに……」

 そう思いたくなる程、私達は無力だった。
 ララが死んだ現実を、ララが殺されるのを見てることしか出来なかった事実を、否定したかったから。

「ずっと一緒って……約束したのにぃぃ!!」

 首から上が無いララの死体を私達が囲む中、ルーナの悲痛の叫びが辺りに響き渡る。
 エミリー先生にずっと守られてきた私達は、自分達がいかに弱い存在なのかを知った。
 気力も何も残されていなかった私達は、カニバルと闘った場所で翌日まで過ごした。

 誰一人、まともな会話なんてなかった。
 とても喋る気になんてならなかった。

「ララ……向こうでちゃんとエミリー先生の言うこと聞くんだよ……」

 そして今、カニバルに殺された頭のないララの死体を私達は埋める。
 お墓は作らない。
 いつかエミリー先生のお墓と一緒に、孤児院に帰って建てようと皆で決めたんだ。

「……ララ……ごめんね……私が……もっと……」

 ルーナはララが埋まった地面の前で、ずっとへばり付いて泣いている。

「ルーナ……」

 私とアリアは、ララとルーナが指切りげんまんをしていたのを見ていた。

『これから大変かもしれないけど、ララは私が絶対守るから大丈夫だよ。私はずっとララと一緒だから……ね?』

 ララとそう約束したルーナに、私にはかける言葉も出来ることも……何一つない。
 私がララを失った失意とルーナに何もしてあげられない悔しさから押し黙っていると、アリアは歌い始める。
 
 ララに捧げる、鎮魂歌。
 どこか賑やかで優しいその歌は、死者の魂を浄化している気がする。

 きっとララが寂しくないように、気持ちを込めて歌っているんだろうな。
 ララが……エミリー先生と一緒に居られたらいいな……。

 アリアは涙を流しながら歌っていた。
 私達も皆で泣いた。
 アリアの歌を聴いて、ララのことを想って泣くことしか出来なかった――。


*****


 私達はそれから、街道に沿って王都へ向けて歩く。
 たまにすれ違う人は、子供だけの異様な集団である私達を不思議そうに見てたんだけど、まるで異物を見るような目にすら見えた。
 だから私達が頼ることもなかったし、全力で無視した。

 カニバルとの闘いが、皆の心のどこかでトラウマになっていて、見知らぬ人への恐怖と不安を抱きながら、必死に歩いた。
 夜、見張りを立てて休む時以外は、ただひたすらに。
 私達は前を向いて歩くことしか出来ないから――。


 孤児院を発って五日。
 食料が直に切れる。
 水を川で汲み、何とかそれで飢えを凌ぐ。

 孤児院を発って八日。
 食料が完全に無くなる。
 明らかに歩く速度が落ちている。

 孤児院を発って十日。
 気力を失っていく。
 皆無理に元気に振る舞うけど、限界は近い気がする。

 孤児院を経って十二日目の夕方。
 飢えに飢える私達は、それでも歩いた。
 王都に向けて。

 王都に着けば、きっと誰かが助けてくれる。
 炊き出しとかしてて、ご飯が食べられる。

 そんなことを願いながら、フローラが持つ地図を頼りに、あまり整備されていない街道を歩いていると、風に乗ってほのかに良い香りが漂ってきた。

「……ほぇ、良い匂い……」

「ほんとだ……」

 私とアリアが気付くと、皆も次第に気付き始めた。
 自然と私達の足は匂いの元へと傾くも、警戒心からか、それとも恐怖心からなのか、皆の足取りは……重い。

 ……カニバルの時と一緒だ。
 また同じようなことが起きたらどうしよう……。
 だけど……お腹空いた。
 でも……。

 食欲と恐怖心との闘いは、僅かに欲望が勝る。
 私達は料理の匂いがする所へと足を運んだ。

「しーっ!! 皆静かにっ!!」

「いや、あんたの声が一番大きいよ」

 私が口の前で指を立てて声を上げると、思わずエマに突っ込まれた。
 音を消して風下から匂いのする方へと近づくと、開けた場所でテントを張っている集団がいた。

 商人の集まりだろうか、傭兵らしき護衛を引き連れている。
 馬車の数は十台以上のキャラバンだ。
 人数も多いだけに、作られた料理の数も多い。

「商人さん達だねっ! それも相当のお金持ちだっ!!」

 茂みに身を隠しキャラバンを観察していると、商人が身に纏ってる物も高価そうな物ばかりなことに気付いたフローラ。

「お金持ちなら……お願いすれば、料理を分けてもらえるかな?」

「……でも……カニバルの時と……同じだよ……あの時みたいになったら……どうしよう……」

「そう……なんだよね……」

 見知らぬ人への恐怖心はありながらも、余りにもお腹が空いた私がそう提案すると、ベラの背中から顔を出したメラニーが水を差すようにネガティブな発言をされる。
 皆考えることはメラニーと同じだったみたいで、押し黙ることしかできなかった。

 そんな中、唯一違う考えを持っていたのは――ブレアだ。

「……こっちから仕掛けて奪えばいい……闘って!!」

 まるで盗賊の考えを持ち出すブレア。
 冷静な判断も出来ないくらいお腹が空いてるのだろう。

「……やめなさい、ブレア。そんな考えを持つのは。エミリー先生が聞いたら……きっと悲しむわよ」

「たっはっはー! 無理無理ーっ!! 子供のボク達じゃ勝てるわけないでしょっ!!」

「うっせーよ、バーカ!! あたいはもう腹も減ったし、疲れた!! あいつら全員やっちまえば、テントも飯も手に入る!!」

 ルーナとフローラがブレアを諭そうとする中、私は料理を食べる集団の一人一人を、眼を凝らして見ていく。

 ……護衛らしき人達の一人一人のマナ量は、私達より上だ。
 アッシュやカニバルよりは、凄く弱いんだろうけど……子供の私達じゃ勝てそうもない……。

 ブレアも勝てないかもしれないことは分かっているだろう。
 それでも、その目は血走っていた。

「何か奪われる前に、奪うしかねー!! ちまちまやってっと……全部無くなっちまう!! これ以上奪われてたまるかよ!!」

「……ブレア……」

 エミリー先生とララが殺されたことが、ブレアの中でトラウマになってるのかもしんない……。
 ブレアはきっと、そういうのとも闘おうとしてるんだ……。

「あらあら、ブレアちゃん。いい子いい子」

「んなっ!? ベラ!?」

 ブレアの戦意を失くすかのように、ベラは優しく微笑みながら後ろから抱き、胸の中にうずまったブレアの頭を撫でる。

「撫でてんじゃねーよ、バーカ!!」

「皆が皆悪い人間とは限らないわぁ。もしかしたら話せば分かってくれるかもしれないでしょ?」

 ベラの言う通りだ。
 アンファングの街の人達は、私達孤児にも優しい人も中にはいた。
 キャラバンの人達もそうかもしれない。

「……どっちも嫌だ……奪うのも……お話しするのも……怖いの……」

 メラニーのマイナス思考が加速している。
 あんなことがあった後だもん……他人と関わりたくないって思うのは無理もないよね。 

「大丈夫よぉ、メラニー。実は私、エミリー先生に交渉術を習ってたのぉ。私がまずお話してみるわぁ」

 交渉術……?
 何じゃそりゃ。
 エミリー先生、ベラにそんなこと教えてたんだ。

「確かに、今のまま王都に歩き続けることは無理だろうし、かといってあの人達を襲っていいはずもないわ……きっと断られるだろうけど、食事を少し分けて貰ったり、王都まで馬車に乗せてもらえたりすれば御の字よ。ダメで元々……お願いしてみましょう」

「皆はここで待っててぇ。大勢で行くと警戒されるかもしれないから、私一人でお話しして来るからぁ」

 ルーナはベラの意見に乗り、自身が率先してテントの集団へと近付こうとするも、
 それをベラは手で優しく精神し、ニッコリと笑った。

「世の中そんな悪い人ばかりじゃないから大丈夫よぉ」

 ベラはそう言い残して、一人商人のキャラバンに交渉に向かった――。