家族が全員寝静まったころ私は支度をする。部屋着にダウンコートを着てしっかり防寒対策をする。予め何日か前から玄関から取っておいた靴をベランダに出して外へ出る。
私の家は二階建てで私の部屋は1階にある。しかもベランダがついている部屋にしてもらえたから出ようと思ったらいつでも外に出て街中を歩くことができる。
ベランダにある柵を乗り越えるために「オシャレだ」と言い張り外用の椅子まで買ってもらった。
持ち物はスマホと財布とワイヤレスイヤホン。これがあれば充分。
寝ている母と響を起こさないように静かにベランダへの扉を開ける。
キュイという少々不快な音に顔をしかめる。
これで家族が起きてきたら最悪だ。
だが、無事に外に出ることができた。椅子の上にのり、柵を飛び越えた。
ワイヤレスイヤホンをスマホと接続し、最近ハマっているアーティストの新作の曲を聴いた。特に人気な訳でもなくいつも一緒にいるメンバーの好みでもないけれど私はこのアーティストが好きだった。
軽やかなリズムの中私はあの場所に向かった。
そこはさざ波が聞こえ、人っ子一人おらず整備さえされていない孤独な浜辺だ。
日中でもここに訪れる人は少ない。無名かつ、少々入り組んだ場所にあった。
小さいところも不人気な理由だろう。
波から少し離れたところに平たい石が置いてある。私はいつもそこで海を眺めていた。
月の光に照らされ私に光をそそぐ真夜中の海は驚く程に美しく映った。
ちょうど曲が終わり私の耳に入る音は波と風の音しかない。
そこに一つ、これもまた安心する音が聞こえてきた。
誰かの足音。足音の主なんて分かりきっているが。

「今日は早いね。」

淡い茶色の髪が柔らかい印象を強めていた。
いつ見ても優しそうな顔立ちだなと思う。学校ではきっとモテるのだろう。
声も落ち着く。ゆっくりとしていて静かだ。山北とは比べ物にならないほど魅力的に思える。
薄手で、だいぶ大きなパーカーをいつも着ている。

「そっちは今日遅くない?」

学校では声のトーンをあげて話すが今はそんなことしないくていい。
この人の前で偽ることは私たちの関係を偽ることに値する。

「ちょっと抜け出すのに手間取っちゃってね。」

「そう。」

しばらく沈黙が続く。この沈黙の時も私は嫌いじゃない。

(しろ)。」

「ん?」

呼びかけると前を向いたまま答えてくれた。
顔は見ていないのに声色だけで暖かさが容易に伝わる。

「今日も静かだね。ほんとここ落ち着く。最高。」

ゆっくりと言う。

「そうだね。」

言おうか悩んだ末気になっていたことを聞いてみることにした。

「ねぇ、白。」

「ん?」

「白は好きな人とか嫌いな人とかいる?」

自分の感情を確かめたい。そう思う一心で聞いた。自分は異常なのか。
答えが返ってくるのが怖い。

「僕は好きだった人ならいるよ。嫌いだった人もいる。」

どちらも過去形。白と関わって間もないけれど白は謎が多い。

「今は?いないの?」

「うーん。そうだね。いなくなちゃったね。」

苦笑いし、また海を見つめていた。
長く、色素の薄いまつ毛が羨ましく思えた。

「そっか…」

「澪はいるんだ?」

なにもかも見透かしてしまうようだ。
この目で見てしまわれたらもう言い訳なんてできない。
正直に言うしかないのだ。

「苦手な人がいて、でも嫌いではなくって。そもそも嫌いとか好きとかよく分かんないし。」

正直に自分のありのままの気持ちを伝えた。
白はしばらく黙っていた。

「その人っていうか人のことをここまで考えて悩めているんだから興味がないわけじゃないんだと思うよ。接し方だとか好かれ方がまだ曖昧で答えが出せてない状態。決してそれは悪いことじゃなくてこれから人をみて判断して一緒にいたい人とだけ一緒にいればいい。無理して苦手な人と関わろうとしなくてもいいんじゃないかな。澪のことが好きな人はちゃんと澪と一緒に居てくれるよ。澪がこの人にこれをしてあげたいって思えればそれが好きってことなのかもね。こうしてくれたから私も返すじゃなくて恋人だからとか友達だからとかいう理由無しで直感で動いちゃうような人を探そうよ。」

こういう時茶化したり適当な返しをするんじゃなくて自分なりの考えを言語化して私に伝えてくれる。それが白のいい所で私が白と一緒にいる理由。

「でも私、相手になにをしても義務でやってるみたいって言われるんだよね。私は私なりに考えて行動したつもりでも相手に伝わらない。」

「それは相手に問題があるでしょ。人からもらった好意を素直に受け取れないんでしょ?澪は悪くない。」

アドバイスをしてくれて肯定もしてくれるなんていい人間なんだろう。
白の悪いとこは見つかる気がしない。
白と一緒にいると安心する。なんだって話せる気がする。でも心の中で呟くと

「でもこの好きは人としての好き。」

こう思ってしまう。
確かに白はいい人だ。幸せになって欲しい。でもそれは私と一緒に幸せな時間を過ごして欲しいわけじゃない。私よりもずっと素敵な人としあわせな人生を歩んで安らかに眠って欲しい。わたしじゃなくていいの。
こんなんだから今まで誰にも心を開けなかったんだ。

「白。」

「ん?」

「好きな人はいる?」

「どうだろ。」

相変わらず何も教えてくれない人だ。白は出会った時から何も変わらない。秘密主義で私が知ってる白のことなんてほとんどない。
強いて言うなら同い年ってことくらい。フルネームも学校も家族構成も好きなことも何も知らない。でもこの距離感が心地いい。
一見お互いに興味が無いように見える。だけどそうじゃない。「安定」を求めている。
何も言わず敵でも味方でもない。それがとてつもなく楽なのだ。