私は、クラスの空気のような存在だ。朝は誰にも「おはよう」と言われないし、休み時間はいつも一人だし、もちろん一緒に帰る人なんていない。一年前の夏、あのことがあったから。それがきっかけだと思う。
「ゆりちゃん、待ってたよ!」
ただ。一人だけ、私に話しかけてくれる人がいる。違うクラスの山中叶人(やまなか かなと)くん。いつも屋上にいる、俗に言う犬系男子だ。
「今日もお弁当、持ってきたよ」
「ありがとう! ゆりちゃんのお弁当美味しいんだよなあ」
ゆりちゃんと呼ばれる私の名前は、鈴木 友梨奈。どこにでもいる普通の苗字だが、名前は少し珍しいと自分で思っている。
私は高校一年生の夏から毎日、お昼を食べる時は屋上に来ている。きっかけは仲良い子との喧嘩だった。
一年生のとき、クラスのリーダーの田中 沙耶ちゃん、内田 里奈ちゃんと仲が良かった。入学式のときに話しかけてくれて親友と呼べるほど仲が深まっていたある日、私はその関係を壊してしまった。
七月の半ばくらいに、紗耶ちゃんが里奈ちゃんの悪口を言っていて、私は思わず「里奈ちゃんは素敵な子だよ。陰で悪口言う紗耶ちゃんの方が酷いと思う」と反論してしまった。それが気に障ったのだろう、紗耶ちゃんは私と一切口を利かなくなった。それどころか学年のみんなに『鈴木友梨奈は人の悪口を平気で言う人』という嘘の噂が広まってしまった。もちろん里奈ちゃんにも。
そして私はお弁当を食べようと思い屋上へ行ったら、叶人くんが居た。もちろん私の噂のことは知っていたが「鈴木さんはきっといい人だよ。みんな何か勘違いしてるんだろうね」と言ってくれた。それがきっかけで私達は仲良くなった。
「明日から夏休みに入るね。ゆりちゃんは何かする予定あるの?」
「私は特にないかな。課題を早く終わらせて、家で過ごすだけだと思う」
正直に答えると、叶人くんはつまらなそうな反応をした。
「そうなの? じゃあ僕と遊ぼうよ! プールとかさ」
私は頭の中が真っ白になった。叶人くんと、プール……?
「だめかな……?」
可愛い声で尋ねられて、私は答えに迷った。こんなの断れるわけないじゃない。
「……いいよ」
「本当!? 嬉しいなあ」
心の底から喜んでくれた。私を必要としてくれる人が身近にいるんだな、って嬉しくなった。
「じゃあまたね、ゆりちゃん!」
「またね」
放課後、私は叶人くんと別れて一人で帰宅した。
「どうして家事もしないで飲みに行くの!?
主婦を甘く見ないで!」
「お前こそいつもブランドのバッグとか買いやがって。仕事する俺の身にもなれよ!」
「お母さん、お父さん、喧嘩しないで……っ」
……また始まった。両親の喧嘩。私は四人家族で中学生の妹、香里奈(かりな)がいるのだが、ここ最近お母さんとお父さんの仲が悪い。そのせいで本当に居心地が悪い。
「ただいま」
そう私が言っても無視。それだけ喧嘩に集中しているんだろうな。
すると私の携帯に電話がかかってきた。叶人くんからだ。
「もしもし、叶人くん?」
『ゆりちゃん! 良かったあ電話に出てくれて。早速だけど、今度の土曜日って空いてる?』
きっとプールの誘いだろうな、と思った。私は特に夏休みは予定がないので、空いてるよと素直に答えた。
『じゃあ、ここから近いプールに行こう。楽しみだね!』
電話越しでも、笑顔になってくれていることが分かる。叶人くんはすごく優しい人だなあと改めて思った。
その約束した日、私達は駅に待ち合わせし、一緒にプールへ行くことになった。これって、デートというのだろうか…。今更、私はすごく恥ずかしくなった。きっと顔も赤いと思う。
「ゆりちゃん! って……水着すごく可愛い!
ゆりちゃんのために作られたのってくらい似合ってるよ」
「……そんな褒めないでよ」
私は新しく買った水色のビキニを着ていった。本当に恥ずかしい……。けれど叶人くんが可愛いと言ってくれただけで、飛び跳ねそうになるくらい嬉しかった。
「叶人くんも可愛いんじゃないかな」
「可愛い!? かっこいいが良かったのに」
叶人くんは模様がない黒色の水着で、上半身裸だった。私は目が合う度に、思わず目を逸らしてしまった。
「あれ流れるプールだって! 見て見て、ウォータースライダーもあるよ。というか喉乾いたからジュース買ってくるね、待ってて!」
一人ではしゃいだ叶人くんは飲み物を買いに行った。私はそんなテンションではないが、叶人くんが幸せならそれでいいか、と思った。
「お待たせ、買ってきたよ。ゆりちゃんサイダーで大丈夫?」
「大丈夫だよ。ありがとう」
叶人くんはサイダーを奢ってくれた。胸が高鳴っているのが分かる。私は叶人くんのことを、どう思っているのだろうか…?
「僕ウォータースライダー乗りたい! 一緒に行こうよゆりちゃん」
「いいよ、行こう」
正直ウォータースライダーは苦手だけど、2人乗りらしい。安心して乗れる気がした。
「ではカップルのお二人行ってらっしゃいませ」
「うわあ! すごいねゆりちゃん、楽しい!」
スタッフさんにカップルと間違われ私の頭は混乱していた。それについて触れることもなく叶人くんは楽しそうな笑顔をしている。
「楽しかったね」
「そうだよね! 最高だった」
純粋に笑う叶人くんの笑顔を見てドキッとした。単純に素敵な笑顔だと思った。それを見て私は嬉しくなった。
「あれ、叶人じゃん?」
「本当だ、叶人!」
「紗耶ちゃん、里奈ちゃん!」
私は何が起きているか分からなかった。今まさに、紗耶ちゃんと里奈ちゃんに遭遇したからだ。二人は叶人くんと同じ中学校で仲が良かったらしい。
「え、もしかして友梨奈?」
「なんで一緒にいるの、二人。付き合ってるとかじゃないよね?」
二人と顔を合わせるのはもちろん、叶人くんと付き合ってる、と言われるのが嫌だ。私なんか釣り合わないに決まっているのに。叶人くんの評判を下げたくない。
「……僕、鈴木さんと二人で過ごしたいんだよね。ごめんね二人とも。またね!」
そう言って叶人くんは私の手を握り、売店の方へ走って行った。何が起きているの?私今、叶人くんと手を繋いでる?
「急にごめんね、びっくりしたよねゆりちゃん」
「あの、さっきの言葉の意味って……?」
そう聞くと、叶人くんは顔を真っ赤にし、恥ずかしそうに答えた。
「……ゆりちゃんが好きです」
その一言で私は頭の中が真っ白になった。
「これから先ゆりちゃんのことを僕が守っていきたい。付き合ってください」
私は叶人くんのことを本気で好きなのだろうか……と考えた。思えば、私との遊びを提案してくれたときも、可愛いと言ってくれただけでも飛び跳ねそうになるくらい嬉しかった。
――私は叶人くんのことが好き。大好きだ……。
「……ありがとう。よろしくお願いします」
「え、え、え。本当に? いいの?」
俯いたまま、私は首を縦に振った。これが精一杯できることだった。
「ありがとうゆりちゃん! 死ぬまで一生愛すって約束する!」
死ぬまで一生愛すなんて大袈裟だな、と思った。けれど、今までの人生で一番嬉しい言葉だった。
そして私達はお付き合いをすることになった。翌日から電話をするようになったり、夏休み中何回もあったりした。
「叶人、今日海行かない?」
「いいよ! ゆりちゃん行こう」
私は叶人くんのことを呼び捨てで呼ぶことにした。慣れないけれど、少しずつでも恋人っぽくなれたらいいな、と思ったから。
「うわあ、綺麗だね」
「そうだね、すごく綺麗」
太陽に照らされ、光り輝く真っ青な海、爽やかな波の音、潮の香り。夏だなあ、と改めて感じる。
「えい!」
そう言いながら、叶人は私に水をかけてきた。
「ゆりちゃん前より笑顔になること増えたね! 僕ゆりちゃんの笑った顔大好き」
私が笑顔になることが増えたのは、きっと叶人と過ごしているから。叶人のおかげで私は毎日が幸せなんだと思う。
「そろそろ帰ろうか」
私達は夕方まで遊び尽くした。叶人と過ごしているからか、本当にあっという間だった。物足りないと感じるほど。
「またね、ゆりちゃん! 今度また来ようね」
「うん、またね」
今日は本当に楽しかった。叶人といると、辛いことを忘れられるし、幸せな気持ちになる。
来年も二人で来れるといいなと考えながら、私は一人で帰宅した。
九月になってから、数週間後。私は咳が出ることが多くなった。単なる季節の変わり目で風邪を引いたのかな、と思っていた。けれどそれだけでなく、少量の血が出てくることがあった。
叶人に心配され、病院で検査を受けることになった。
――そして私は絶望した。
「肺がんです。おそらく一ヶ月ももたないでしょう」
と、医者に言われた。最初は何かの間違いかと思った。ただ血が混じってる咳が出るだけで、肺がんだなんて。
……余命宣告されるなんて、思いもしなかった。
「入院はどうしますか? ご自宅で過ごしたいのであれば私達は止めません。もちろん、延命もできます。が、入院することになります」
私の答えは、決まっていた。
「入院はしません。精一杯生きます」
「分かりました。では必ず薬を毎日飲んでください」
私は、このことを叶人に言うか迷っていた。言わないで私が死んだら、きっと叶人は悲しんでくれる。怒ってくれる。でも、私が生きている今、叶人を悲しませたくなかった。
「おかえりゆりちゃん。どうだった?」
「……軽い病気みたい。すぐ治るって言われたよ」
――と、咄嗟に嘘をついてしまった。
「そっか、良かった! でも無理しないでね」
叶人は心配そうに微笑んだ。私は胸が痛くなったが、“死ぬまで一生愛す”って言ってくれたから、私は精一杯今を生きよう。楽しもう。そう思った。
けれど容態は悪くなる一方だった。毎日目眩がして嘔吐して息切れしての繰り返し。親にも言えてないから一人で通院していた。きっと私が生きることができるのはあと数日なのだろう、そんな予感がした。
「ゆりちゃん、最近学校遅刻したり早退したりしているけど大丈夫?」
「……うん。ちょっと病気が治らなくて。でもすぐ治ると思うから。ごめんね叶人」
私は偽りの笑顔を浮かべ、そう伝えた。
「そっか、早く治るといいなあ、ゆりちゃん」
この人はなんでこんなに優しいんだろう。私の彼氏には勿体ないくらいの人だ。きっと私がいなくなっても、彼には素敵な人が見つかるんだろうな、と少し寂しく思った。
「また明日ね、ゆりちゃん! 本当に無理しないでね」
「ありがとう、叶人。また明日ね」
私は暗くて見にくい帰り道を、一人寂しく歩いた。
僕はこれが夢だったらどんなに良いだろうと考えた。
まだ僕は現実を信じきれていない。
ゆりちゃんが亡くなったなんて――。
「友梨奈が亡くなったって、本当……?」
里奈ちゃんが、ゆりちゃんの病室に来てくれた。里奈ちゃんの顔は絶望していた。
「里奈ちゃん。あのね、言わなきゃいけないことがある」
僕はゆりちゃんの噂のことについて伝えた。本当は紗耶ちゃんが里奈ちゃんの悪口を言っていてゆりちゃんは反抗したこと、それによってゆりちゃんの悪い噂が広まったこと。それのせいでゆりちゃんがどれだけ悲しんでいたか。
「そんな……。友梨奈ごめんね。信じてあげられなくてごめんね……。もう遅いよね」
涙を流しながらゆりちゃんの顔を見て謝っている里奈ちゃん。僕は胸が苦しくなった。
するとガラガラガラ、とドアが開いた。
「友梨奈……ごめん。本当にごめんなさい」
紗耶ちゃんだった。
沙耶ちゃんは眠っているゆりちゃんの前で頭を下げた。
「友梨奈が亡くなったのは、病気なんだよね……?」
ゆりちゃんは“肺がん”だったことを、僕にもご家族にも伝えていなかった。どうして……? という疑問と混乱が僕の頭によぎっていた。
「友梨奈!」
「お姉ちゃん!」
そこへ、ゆりちゃんのご家族が来た。家庭環境は複雑だったけれど、きっとゆりちゃんのご家族はゆりちゃんのことを愛していたと思う。
「お姉ちゃん! お姉ちゃん嘘だよね?目開けてよ?ねえ……ねえお姉ちゃん……」
「友梨奈……辛い思いをさせちゃってたよね。本当にごめんなさい……」
妹の香里奈ちゃんも、ご両親も、湖のように涙を流していた。
「あなたは……?」
ゆりちゃんのお母さんはそう言って、僕のことを指差してきた。
「僕はゆりちゃ……友梨奈さんとお付き合いさせていただいていた、山中叶人といいます。」
「そう……。友梨奈に彼氏が居たのね。私達気づいてあげられなかった」
そう言われて胸が切なくなった。僕のせいだ。僕がもっとゆりちゃんのことを見てあげられていたら、こんなことにはならなかったのかもしれない……。
「あの、叶人さん。これ、お姉ちゃんの部屋にあったんです、叶人さん宛に」
突然、ゆりちゃんの妹の香里奈ちゃんが1枚の紙を渡してきた。どうやら僕宛ての手紙らしい。
『叶人へ。
いつも仲良くしてくれてありがとう。
私人と付き合うのが苦手だから、上手く言葉を
伝えられないかもしれない。
叶人に迷惑をかけていたらごめんね。
叶人があの日、私のことを好きって言ってくれて
とても嬉しかった。本当にありがとう。
私も叶人のこと大好きだよ。
実はね、叶人。
私肺がんになっちゃってたんだ。
一ヶ月持つか分からない、ひどい状態だった。
もっと早く見つかっていれば、私は今も生きていたのかもしれない……。
叶人、きっと悲しんでくれるでしょ?
私が生きているときに叶人の悲しんでいる顔
見たくなかったの。
だから叶人には病気のことを伝えられなかった。
最期まで自分勝手でごめんね。
あと、あの言葉忘れてないよ。
“死ぬまで一生愛す”って言葉。
ずっと叶人の隣にいたかった。
おじいちゃん、おばあちゃんになっても
一緒にいたかった。
だから、叶人は私の分まで幸せになってね。
愛してる。
鈴木 友梨奈』
そう書かれていた。僕は涙で前が滲んでいて、ゆりちゃんの手紙にポタポタと涙が零れ落ちていた。
「ゆりちゃん……なんで、なんで死んじゃったんだよ……あああああ」
僕はその場で泣き崩れた。
辛い。悲しい。苦しい。憎い。後悔。その感情が一気に溢れ出てきた。どうして彼女が死ななければならないのだろうか。なんで神様は彼女を選んだのだろうか。自分が分からなくなるくらい僕は泣いていた。
「お姉ちゃん、表情が明るくなることが増えたんです。今までは地獄のような辛い顔をしていたのに……。叶人さんのおかげで、お姉ちゃんの人生は変わったんです」
「……違う、僕がゆりちゃんの人生を終わらせてしまったんだ。僕のせいで……っ」
僕と付き合ったせいで、ゆりちゃんは死んでしまった。僕が頼り甲斐のある、何でも相談できるような彼氏だったら。ゆりちゃんも僕に病気のことを話してくれたかもしれない……。
「……もう遅いから、あなたも帰ったほうがいいわ。お葬式の日は連絡するから」
ゆりちゃんのお母さんにそう告げられ、僕は歩いて家に帰った。帰り道に上を見上げると、世界の終わりのような空だった。僕は1人で地獄を歩いているような、そんな気がした。
数日経ったある日、ゆりちゃんのお葬式が行われた。僕はそれまで、一睡もできていなかった。もちろん親には心配されたが、それどころではなかった。
「叶人くん、今日は友梨奈のお葬式に来てくれてありがとう」
「いえ……」
僕はゆりちゃんのお母さんに、そう短い言葉しか返せなかった。
「……友梨奈ね、本当に幸せだったと思うの。叶人くんと出会って、きっと友梨奈の人生は変わった。私達両親は気付けなかったけど、きっと辛かったのよね。でも叶人くんが気づいて側にいてくれた。本当にありがとう」
そう言って、僕に頭を下げた。
「そんな……顔上げてください。お礼を言われることは何もしていないですし……。本当にすみませんでした。僕と付き合わなければ――」
「……ねえ叶人くん。友梨奈に挨拶してくれないかな」
僕が話し終わる前に、ゆりちゃんのお母さんはそう言った。僕はゆりちゃんの仏壇の前へ行った。
「……ゆりちゃん。元気にしていますか。僕は本当にゆりちゃんが愛おしくてたまらない。……ごめんね。頼りない彼氏で。ゆりちゃんは、僕と付き合って幸せだった……?」
そう心のなかで問いかけた。
彼女は僕と出会って幸せだっただろうか。
彼女は僕と過ごす日々を楽しんでいただろうか。
彼女は―僕のことを愛してくれていただろうか。
「……叶人」
――彼女の声がした。
僕は息を呑んだ。
前を見ると、透明になっている彼女の姿が見えた。
「……ゆりちゃん……ゆりちゃん!」
僕は彼女のことを抱きしめた。
「ゆりちゃん、ごめん、ごめんね……っ。僕が頼り甲斐のある彼氏だったら。ゆりちゃんの病気のことも相談できたよね。僕が弱い人間だから。僕と出会わなければゆりちゃんは今も幸せに生きていたはずなんだ……っ」
何が起きているのか分からない。ただ僕は涙が止まらなかった。
「叶人、落ち着いて。私ね、本当に幸せだったよ。出会わなければ、とか言わないで……。叶人と屋上で出会ったあの日から私は人生が変わったの。叶人のおかげだよ、本当にありがとう」
そう言って彼女は笑った。
「でも……」
「……私も、叶人とずっと一緒にいたいと思ってるよ。でもその願いは叶わない。私こそ、正直に病気のことを話せなくて本当にごめんね」
彼女は悲しそうに笑った。僕は彼女を守ってあげられなかったんだ……。
「今度はきっと、私が叶人を救う番なんだよ。遠くの空で見守っているから。叶人は叶人の人生を歩むんだよ」
「ゆりちゃん……ゆりちゃん……っ」
僕は言葉にならないほど涙を流していた。
彼女とずっと生きていたい……ずっと側にいたかった。
すると、ゆりちゃんは体がどんどん透明になっていった。これはお別れが近づいているんだろうな、と感じた。
「あ、一つだけ。“死ぬまで一生愛す”って言葉、やっぱり訂正して」
「……分かってる。“死んでも一生愛す”よ。ゆりちゃん大好き、愛してる……」
「私も……!」
彼女は僕の方へ手を伸ばしたが、僕たちが触れ合うことはもうできなかった。
彼女が亡くなって一年と半年が経ち、今日、高校の卒業式が開かれた。
僕は紫色のチューリップの花束を持ち、彼女の仏壇へと歩いた。
「ゆりちゃん。お元気ですか? もう卒業だって。時間が経つのは早いね」
僕は花束を、そっと仏壇へ置いた。
「紫色のチューリップの花言葉、“不滅の愛”って意味があるんだって。僕達にぴったりだと思って持ってきたよ」
そう問いかけて、立ち去ろうとしたとき。
「私達にぴったりの花束をありがとう。卒業おめでとう、叶人」
――彼女の声が聞こえた。
きっと卒業した僕のところへ会いに来てくれたのだろう。
僕は、彼女が消えてしまったこの世界の、雲一つない真っ青な空を見上げていた。
「ゆりちゃん、待ってたよ!」
ただ。一人だけ、私に話しかけてくれる人がいる。違うクラスの山中叶人(やまなか かなと)くん。いつも屋上にいる、俗に言う犬系男子だ。
「今日もお弁当、持ってきたよ」
「ありがとう! ゆりちゃんのお弁当美味しいんだよなあ」
ゆりちゃんと呼ばれる私の名前は、鈴木 友梨奈。どこにでもいる普通の苗字だが、名前は少し珍しいと自分で思っている。
私は高校一年生の夏から毎日、お昼を食べる時は屋上に来ている。きっかけは仲良い子との喧嘩だった。
一年生のとき、クラスのリーダーの田中 沙耶ちゃん、内田 里奈ちゃんと仲が良かった。入学式のときに話しかけてくれて親友と呼べるほど仲が深まっていたある日、私はその関係を壊してしまった。
七月の半ばくらいに、紗耶ちゃんが里奈ちゃんの悪口を言っていて、私は思わず「里奈ちゃんは素敵な子だよ。陰で悪口言う紗耶ちゃんの方が酷いと思う」と反論してしまった。それが気に障ったのだろう、紗耶ちゃんは私と一切口を利かなくなった。それどころか学年のみんなに『鈴木友梨奈は人の悪口を平気で言う人』という嘘の噂が広まってしまった。もちろん里奈ちゃんにも。
そして私はお弁当を食べようと思い屋上へ行ったら、叶人くんが居た。もちろん私の噂のことは知っていたが「鈴木さんはきっといい人だよ。みんな何か勘違いしてるんだろうね」と言ってくれた。それがきっかけで私達は仲良くなった。
「明日から夏休みに入るね。ゆりちゃんは何かする予定あるの?」
「私は特にないかな。課題を早く終わらせて、家で過ごすだけだと思う」
正直に答えると、叶人くんはつまらなそうな反応をした。
「そうなの? じゃあ僕と遊ぼうよ! プールとかさ」
私は頭の中が真っ白になった。叶人くんと、プール……?
「だめかな……?」
可愛い声で尋ねられて、私は答えに迷った。こんなの断れるわけないじゃない。
「……いいよ」
「本当!? 嬉しいなあ」
心の底から喜んでくれた。私を必要としてくれる人が身近にいるんだな、って嬉しくなった。
「じゃあまたね、ゆりちゃん!」
「またね」
放課後、私は叶人くんと別れて一人で帰宅した。
「どうして家事もしないで飲みに行くの!?
主婦を甘く見ないで!」
「お前こそいつもブランドのバッグとか買いやがって。仕事する俺の身にもなれよ!」
「お母さん、お父さん、喧嘩しないで……っ」
……また始まった。両親の喧嘩。私は四人家族で中学生の妹、香里奈(かりな)がいるのだが、ここ最近お母さんとお父さんの仲が悪い。そのせいで本当に居心地が悪い。
「ただいま」
そう私が言っても無視。それだけ喧嘩に集中しているんだろうな。
すると私の携帯に電話がかかってきた。叶人くんからだ。
「もしもし、叶人くん?」
『ゆりちゃん! 良かったあ電話に出てくれて。早速だけど、今度の土曜日って空いてる?』
きっとプールの誘いだろうな、と思った。私は特に夏休みは予定がないので、空いてるよと素直に答えた。
『じゃあ、ここから近いプールに行こう。楽しみだね!』
電話越しでも、笑顔になってくれていることが分かる。叶人くんはすごく優しい人だなあと改めて思った。
その約束した日、私達は駅に待ち合わせし、一緒にプールへ行くことになった。これって、デートというのだろうか…。今更、私はすごく恥ずかしくなった。きっと顔も赤いと思う。
「ゆりちゃん! って……水着すごく可愛い!
ゆりちゃんのために作られたのってくらい似合ってるよ」
「……そんな褒めないでよ」
私は新しく買った水色のビキニを着ていった。本当に恥ずかしい……。けれど叶人くんが可愛いと言ってくれただけで、飛び跳ねそうになるくらい嬉しかった。
「叶人くんも可愛いんじゃないかな」
「可愛い!? かっこいいが良かったのに」
叶人くんは模様がない黒色の水着で、上半身裸だった。私は目が合う度に、思わず目を逸らしてしまった。
「あれ流れるプールだって! 見て見て、ウォータースライダーもあるよ。というか喉乾いたからジュース買ってくるね、待ってて!」
一人ではしゃいだ叶人くんは飲み物を買いに行った。私はそんなテンションではないが、叶人くんが幸せならそれでいいか、と思った。
「お待たせ、買ってきたよ。ゆりちゃんサイダーで大丈夫?」
「大丈夫だよ。ありがとう」
叶人くんはサイダーを奢ってくれた。胸が高鳴っているのが分かる。私は叶人くんのことを、どう思っているのだろうか…?
「僕ウォータースライダー乗りたい! 一緒に行こうよゆりちゃん」
「いいよ、行こう」
正直ウォータースライダーは苦手だけど、2人乗りらしい。安心して乗れる気がした。
「ではカップルのお二人行ってらっしゃいませ」
「うわあ! すごいねゆりちゃん、楽しい!」
スタッフさんにカップルと間違われ私の頭は混乱していた。それについて触れることもなく叶人くんは楽しそうな笑顔をしている。
「楽しかったね」
「そうだよね! 最高だった」
純粋に笑う叶人くんの笑顔を見てドキッとした。単純に素敵な笑顔だと思った。それを見て私は嬉しくなった。
「あれ、叶人じゃん?」
「本当だ、叶人!」
「紗耶ちゃん、里奈ちゃん!」
私は何が起きているか分からなかった。今まさに、紗耶ちゃんと里奈ちゃんに遭遇したからだ。二人は叶人くんと同じ中学校で仲が良かったらしい。
「え、もしかして友梨奈?」
「なんで一緒にいるの、二人。付き合ってるとかじゃないよね?」
二人と顔を合わせるのはもちろん、叶人くんと付き合ってる、と言われるのが嫌だ。私なんか釣り合わないに決まっているのに。叶人くんの評判を下げたくない。
「……僕、鈴木さんと二人で過ごしたいんだよね。ごめんね二人とも。またね!」
そう言って叶人くんは私の手を握り、売店の方へ走って行った。何が起きているの?私今、叶人くんと手を繋いでる?
「急にごめんね、びっくりしたよねゆりちゃん」
「あの、さっきの言葉の意味って……?」
そう聞くと、叶人くんは顔を真っ赤にし、恥ずかしそうに答えた。
「……ゆりちゃんが好きです」
その一言で私は頭の中が真っ白になった。
「これから先ゆりちゃんのことを僕が守っていきたい。付き合ってください」
私は叶人くんのことを本気で好きなのだろうか……と考えた。思えば、私との遊びを提案してくれたときも、可愛いと言ってくれただけでも飛び跳ねそうになるくらい嬉しかった。
――私は叶人くんのことが好き。大好きだ……。
「……ありがとう。よろしくお願いします」
「え、え、え。本当に? いいの?」
俯いたまま、私は首を縦に振った。これが精一杯できることだった。
「ありがとうゆりちゃん! 死ぬまで一生愛すって約束する!」
死ぬまで一生愛すなんて大袈裟だな、と思った。けれど、今までの人生で一番嬉しい言葉だった。
そして私達はお付き合いをすることになった。翌日から電話をするようになったり、夏休み中何回もあったりした。
「叶人、今日海行かない?」
「いいよ! ゆりちゃん行こう」
私は叶人くんのことを呼び捨てで呼ぶことにした。慣れないけれど、少しずつでも恋人っぽくなれたらいいな、と思ったから。
「うわあ、綺麗だね」
「そうだね、すごく綺麗」
太陽に照らされ、光り輝く真っ青な海、爽やかな波の音、潮の香り。夏だなあ、と改めて感じる。
「えい!」
そう言いながら、叶人は私に水をかけてきた。
「ゆりちゃん前より笑顔になること増えたね! 僕ゆりちゃんの笑った顔大好き」
私が笑顔になることが増えたのは、きっと叶人と過ごしているから。叶人のおかげで私は毎日が幸せなんだと思う。
「そろそろ帰ろうか」
私達は夕方まで遊び尽くした。叶人と過ごしているからか、本当にあっという間だった。物足りないと感じるほど。
「またね、ゆりちゃん! 今度また来ようね」
「うん、またね」
今日は本当に楽しかった。叶人といると、辛いことを忘れられるし、幸せな気持ちになる。
来年も二人で来れるといいなと考えながら、私は一人で帰宅した。
九月になってから、数週間後。私は咳が出ることが多くなった。単なる季節の変わり目で風邪を引いたのかな、と思っていた。けれどそれだけでなく、少量の血が出てくることがあった。
叶人に心配され、病院で検査を受けることになった。
――そして私は絶望した。
「肺がんです。おそらく一ヶ月ももたないでしょう」
と、医者に言われた。最初は何かの間違いかと思った。ただ血が混じってる咳が出るだけで、肺がんだなんて。
……余命宣告されるなんて、思いもしなかった。
「入院はどうしますか? ご自宅で過ごしたいのであれば私達は止めません。もちろん、延命もできます。が、入院することになります」
私の答えは、決まっていた。
「入院はしません。精一杯生きます」
「分かりました。では必ず薬を毎日飲んでください」
私は、このことを叶人に言うか迷っていた。言わないで私が死んだら、きっと叶人は悲しんでくれる。怒ってくれる。でも、私が生きている今、叶人を悲しませたくなかった。
「おかえりゆりちゃん。どうだった?」
「……軽い病気みたい。すぐ治るって言われたよ」
――と、咄嗟に嘘をついてしまった。
「そっか、良かった! でも無理しないでね」
叶人は心配そうに微笑んだ。私は胸が痛くなったが、“死ぬまで一生愛す”って言ってくれたから、私は精一杯今を生きよう。楽しもう。そう思った。
けれど容態は悪くなる一方だった。毎日目眩がして嘔吐して息切れしての繰り返し。親にも言えてないから一人で通院していた。きっと私が生きることができるのはあと数日なのだろう、そんな予感がした。
「ゆりちゃん、最近学校遅刻したり早退したりしているけど大丈夫?」
「……うん。ちょっと病気が治らなくて。でもすぐ治ると思うから。ごめんね叶人」
私は偽りの笑顔を浮かべ、そう伝えた。
「そっか、早く治るといいなあ、ゆりちゃん」
この人はなんでこんなに優しいんだろう。私の彼氏には勿体ないくらいの人だ。きっと私がいなくなっても、彼には素敵な人が見つかるんだろうな、と少し寂しく思った。
「また明日ね、ゆりちゃん! 本当に無理しないでね」
「ありがとう、叶人。また明日ね」
私は暗くて見にくい帰り道を、一人寂しく歩いた。
僕はこれが夢だったらどんなに良いだろうと考えた。
まだ僕は現実を信じきれていない。
ゆりちゃんが亡くなったなんて――。
「友梨奈が亡くなったって、本当……?」
里奈ちゃんが、ゆりちゃんの病室に来てくれた。里奈ちゃんの顔は絶望していた。
「里奈ちゃん。あのね、言わなきゃいけないことがある」
僕はゆりちゃんの噂のことについて伝えた。本当は紗耶ちゃんが里奈ちゃんの悪口を言っていてゆりちゃんは反抗したこと、それによってゆりちゃんの悪い噂が広まったこと。それのせいでゆりちゃんがどれだけ悲しんでいたか。
「そんな……。友梨奈ごめんね。信じてあげられなくてごめんね……。もう遅いよね」
涙を流しながらゆりちゃんの顔を見て謝っている里奈ちゃん。僕は胸が苦しくなった。
するとガラガラガラ、とドアが開いた。
「友梨奈……ごめん。本当にごめんなさい」
紗耶ちゃんだった。
沙耶ちゃんは眠っているゆりちゃんの前で頭を下げた。
「友梨奈が亡くなったのは、病気なんだよね……?」
ゆりちゃんは“肺がん”だったことを、僕にもご家族にも伝えていなかった。どうして……? という疑問と混乱が僕の頭によぎっていた。
「友梨奈!」
「お姉ちゃん!」
そこへ、ゆりちゃんのご家族が来た。家庭環境は複雑だったけれど、きっとゆりちゃんのご家族はゆりちゃんのことを愛していたと思う。
「お姉ちゃん! お姉ちゃん嘘だよね?目開けてよ?ねえ……ねえお姉ちゃん……」
「友梨奈……辛い思いをさせちゃってたよね。本当にごめんなさい……」
妹の香里奈ちゃんも、ご両親も、湖のように涙を流していた。
「あなたは……?」
ゆりちゃんのお母さんはそう言って、僕のことを指差してきた。
「僕はゆりちゃ……友梨奈さんとお付き合いさせていただいていた、山中叶人といいます。」
「そう……。友梨奈に彼氏が居たのね。私達気づいてあげられなかった」
そう言われて胸が切なくなった。僕のせいだ。僕がもっとゆりちゃんのことを見てあげられていたら、こんなことにはならなかったのかもしれない……。
「あの、叶人さん。これ、お姉ちゃんの部屋にあったんです、叶人さん宛に」
突然、ゆりちゃんの妹の香里奈ちゃんが1枚の紙を渡してきた。どうやら僕宛ての手紙らしい。
『叶人へ。
いつも仲良くしてくれてありがとう。
私人と付き合うのが苦手だから、上手く言葉を
伝えられないかもしれない。
叶人に迷惑をかけていたらごめんね。
叶人があの日、私のことを好きって言ってくれて
とても嬉しかった。本当にありがとう。
私も叶人のこと大好きだよ。
実はね、叶人。
私肺がんになっちゃってたんだ。
一ヶ月持つか分からない、ひどい状態だった。
もっと早く見つかっていれば、私は今も生きていたのかもしれない……。
叶人、きっと悲しんでくれるでしょ?
私が生きているときに叶人の悲しんでいる顔
見たくなかったの。
だから叶人には病気のことを伝えられなかった。
最期まで自分勝手でごめんね。
あと、あの言葉忘れてないよ。
“死ぬまで一生愛す”って言葉。
ずっと叶人の隣にいたかった。
おじいちゃん、おばあちゃんになっても
一緒にいたかった。
だから、叶人は私の分まで幸せになってね。
愛してる。
鈴木 友梨奈』
そう書かれていた。僕は涙で前が滲んでいて、ゆりちゃんの手紙にポタポタと涙が零れ落ちていた。
「ゆりちゃん……なんで、なんで死んじゃったんだよ……あああああ」
僕はその場で泣き崩れた。
辛い。悲しい。苦しい。憎い。後悔。その感情が一気に溢れ出てきた。どうして彼女が死ななければならないのだろうか。なんで神様は彼女を選んだのだろうか。自分が分からなくなるくらい僕は泣いていた。
「お姉ちゃん、表情が明るくなることが増えたんです。今までは地獄のような辛い顔をしていたのに……。叶人さんのおかげで、お姉ちゃんの人生は変わったんです」
「……違う、僕がゆりちゃんの人生を終わらせてしまったんだ。僕のせいで……っ」
僕と付き合ったせいで、ゆりちゃんは死んでしまった。僕が頼り甲斐のある、何でも相談できるような彼氏だったら。ゆりちゃんも僕に病気のことを話してくれたかもしれない……。
「……もう遅いから、あなたも帰ったほうがいいわ。お葬式の日は連絡するから」
ゆりちゃんのお母さんにそう告げられ、僕は歩いて家に帰った。帰り道に上を見上げると、世界の終わりのような空だった。僕は1人で地獄を歩いているような、そんな気がした。
数日経ったある日、ゆりちゃんのお葬式が行われた。僕はそれまで、一睡もできていなかった。もちろん親には心配されたが、それどころではなかった。
「叶人くん、今日は友梨奈のお葬式に来てくれてありがとう」
「いえ……」
僕はゆりちゃんのお母さんに、そう短い言葉しか返せなかった。
「……友梨奈ね、本当に幸せだったと思うの。叶人くんと出会って、きっと友梨奈の人生は変わった。私達両親は気付けなかったけど、きっと辛かったのよね。でも叶人くんが気づいて側にいてくれた。本当にありがとう」
そう言って、僕に頭を下げた。
「そんな……顔上げてください。お礼を言われることは何もしていないですし……。本当にすみませんでした。僕と付き合わなければ――」
「……ねえ叶人くん。友梨奈に挨拶してくれないかな」
僕が話し終わる前に、ゆりちゃんのお母さんはそう言った。僕はゆりちゃんの仏壇の前へ行った。
「……ゆりちゃん。元気にしていますか。僕は本当にゆりちゃんが愛おしくてたまらない。……ごめんね。頼りない彼氏で。ゆりちゃんは、僕と付き合って幸せだった……?」
そう心のなかで問いかけた。
彼女は僕と出会って幸せだっただろうか。
彼女は僕と過ごす日々を楽しんでいただろうか。
彼女は―僕のことを愛してくれていただろうか。
「……叶人」
――彼女の声がした。
僕は息を呑んだ。
前を見ると、透明になっている彼女の姿が見えた。
「……ゆりちゃん……ゆりちゃん!」
僕は彼女のことを抱きしめた。
「ゆりちゃん、ごめん、ごめんね……っ。僕が頼り甲斐のある彼氏だったら。ゆりちゃんの病気のことも相談できたよね。僕が弱い人間だから。僕と出会わなければゆりちゃんは今も幸せに生きていたはずなんだ……っ」
何が起きているのか分からない。ただ僕は涙が止まらなかった。
「叶人、落ち着いて。私ね、本当に幸せだったよ。出会わなければ、とか言わないで……。叶人と屋上で出会ったあの日から私は人生が変わったの。叶人のおかげだよ、本当にありがとう」
そう言って彼女は笑った。
「でも……」
「……私も、叶人とずっと一緒にいたいと思ってるよ。でもその願いは叶わない。私こそ、正直に病気のことを話せなくて本当にごめんね」
彼女は悲しそうに笑った。僕は彼女を守ってあげられなかったんだ……。
「今度はきっと、私が叶人を救う番なんだよ。遠くの空で見守っているから。叶人は叶人の人生を歩むんだよ」
「ゆりちゃん……ゆりちゃん……っ」
僕は言葉にならないほど涙を流していた。
彼女とずっと生きていたい……ずっと側にいたかった。
すると、ゆりちゃんは体がどんどん透明になっていった。これはお別れが近づいているんだろうな、と感じた。
「あ、一つだけ。“死ぬまで一生愛す”って言葉、やっぱり訂正して」
「……分かってる。“死んでも一生愛す”よ。ゆりちゃん大好き、愛してる……」
「私も……!」
彼女は僕の方へ手を伸ばしたが、僕たちが触れ合うことはもうできなかった。
彼女が亡くなって一年と半年が経ち、今日、高校の卒業式が開かれた。
僕は紫色のチューリップの花束を持ち、彼女の仏壇へと歩いた。
「ゆりちゃん。お元気ですか? もう卒業だって。時間が経つのは早いね」
僕は花束を、そっと仏壇へ置いた。
「紫色のチューリップの花言葉、“不滅の愛”って意味があるんだって。僕達にぴったりだと思って持ってきたよ」
そう問いかけて、立ち去ろうとしたとき。
「私達にぴったりの花束をありがとう。卒業おめでとう、叶人」
――彼女の声が聞こえた。
きっと卒業した僕のところへ会いに来てくれたのだろう。
僕は、彼女が消えてしまったこの世界の、雲一つない真っ青な空を見上げていた。