「大地、修学旅行の準備は終わりそうか?」
「‥‥‥うん、まぁ」
「山陰か、楽しみだな」
「別にぃ」
つれないそぶりだ。
「父さんも小学校の修学旅行は山陰だったんだぞ」

青春の一大イベントが近づいているというのに、こんなありさまだ。
淡々とザラ紙に印刷された旅のしおりを確認しながら持ち物を準備している。
表情はいつもの二倍増しくらいで暗い。
というより、少し青ざめたような顔をしている。
よほど修学旅行に行きたくないのだろう。

大地は友達がいないらしく、小学校では孤立している。
個人懇談では担任の先生から、学力のことよりも、クラスメイトとの関係性についての話ばかりされるらしく、美里がとても心配している。
「あの子、こんな感じで修学旅行、大丈夫かしら」

まあ、俺の息子なんだし仕方がないだろう。
俺も修学旅行のあの夜までは、友達ゼロの陰キャだった。
そう、あの夜までは……



修学旅行一日目は、鳥取砂丘に行ったあと、昼食はレストランで松葉ガニの料理を食べた。
「おなじカニでも北陸では『ズワイガニ』、山陰では『松葉ガニ』とよばれます」
とバスガイドのお姉さんから説明がはいる。ニコニコしながら豆知識を教えてくれるタイプだ。しかし俺以外の男子たちはそんな解説を聞いている様子はない。
「おい、1組のバスガイドさんのほうがかわいいよな」
「いいよなぁ、1組は」
「いや、付き合うならこっちのバスガイドさんのほうがいいぜ」
どうせ、俺は誰とも話をすることがない陰キャだし、女の子にも興味ない。
俺はバスの中でひとことも発することはない。静かにバスガイドさんの解説に耳をかたむける。

ほどなくして、鳥取市街地に着いた。
友達がいない俺にとって、グループ単位での観光は苦痛である。
くじ引きで決められた六人のグループで市内を観光するのだが、
「はずれメンバーを引いちゃったな」
と、他のメンバーから無言で言われているような感じだ。
みんなの視線にとまどう。
俺はみんなの5メートルくらい後ろを歩くだけで、いてもいなくても一緒だろう。
三時間の拷問が終わったあと、バスに乗って宿に向かう。

宿泊先は大山のふもとにある古びた旅館。
廊下を歩くと床がキシキシと鳴く。においが長野のおばあちゃんの家のようだ。
「おばけが出そうだな」
「いやー、そんなこと言わないで、眠れなくなる」
わかる。俺だってちょっと怖い。
6年生になっても、まだ自分の部屋で眠ったことがないんだ。
「うちは皇室の方が宿泊されたこともある、由緒正しい旅館です」
間髪入れずに、旅館の女将さんが説明を入れる。
たしかに入り口に、宿泊したと思われる皇族らしき人の白黒写真がかざってある。
ただ小学生にとってはそんなことは関係ない。
皇族が宿泊したことはすごいと思うが、ならんだ古びた白黒写真がさらに恐怖を増してくる。今日は眠れるだろうか。ほんとうにおばけがでそうだな。

夕食と入浴を終え、就寝の時間が近づいてきた。
先生たちが各部屋の巡回を始めた。
「十時には消灯して、しずかに寝ること」

男子たちはそんなことを気にする様子もなく、まくら投げをしている。
両隣の部屋から、まくらが壁にぶつかる音が聞こえる。
もちろん俺の部屋でもまくら投げ大会が始まった。
これ、先生に確実に怒られるやつだ。
俺は絶対にやらないけどな。

「寝ろと言っただろ! 次、寝てなかったら廊下に立たせるからな」
予想通りだ。体育教師の金丸を怒らせると大変なことになる。なんていったって「鬼の金丸」と呼ばれているヤバい奴だ。キレたら、もみ上げを思いきり引っ張ってくる。あれがめちゃめちゃ痛いのだ。

それを聞いて、俺の部屋のメンバーは電気を消して寝る準備に入る……と思ったが、そんなわけがなかった。バカな奴らだ、なにも考えていないのか。

「おいトランプしようぜ」
「おう」
リーダー格の健次の誘いに皆が応じる。

「おい、お前はやらないのかよ。岡本」
なんか呼ばれているのか。寝たふりをしておこう。
「岡本、起きてるんだろ。お前もトランプやれよ!」
「いや、さっき先生が寝ろって…」
そう言えば修学旅行に来て、はじめて言葉を発した気がする。
「ざけんなよ、お前もやるぞ! せっかく修学旅行にきているのに」
健次から無理やり布団をとられた。健次を怒らせると面倒なことになりそうだ。
「わかったよ、やるよ」
健次は懐中電灯を持って来ている。トランプをするためにわざわざ持ってきたのだそうだ。

五人で円形になってババ抜き大会が始まる
四人はババ抜きをしながら恋バナで盛り上がっている。
恋をする価値もない俺は、静かに話を聞く。他の四人も俺には話を振ってこない。
俺はババ抜きの人数合わせだったのだろう。結果も平凡だ。ババ抜きを成立させる義務感だけで、作業をつづける。

「お、おいお前どうしたんだ!」
突然、健次がうら返ったような悲鳴に近い高い声を上げる。
まるでおばけでも見たかのような声だ。部屋中に緊張が走る。
「お前、見えてるぞ、見えてる」
ふと目を落とすと、健次が懐中電灯で俺の股間あたりを照らしてくる。
「パンツ履いてないのかよ、お前」
いっせいにみんなの目が俺の股間に集まる。
浴衣の隙間から大事なところが見えているじゃないか!
近くのまくらを使って、必死に隠そうとする。
「お前パンツ履いてないんか?」
「なんで浴衣のした、マッパなん?バカなん?」
と部屋の中が爆笑で包まれる。

その声を聞いて、金丸が駆けつけてきた。
「おまえら、なにしとるんじゃぁ。廊下に出てこい!」

俺たちは全員、廊下に三十分くらい立たされることになった。
立っている間も、みんな笑いをこらえるので必死のようだ。
「お、おれ、浴衣でパンツ履かずに立たされているヤツ、はじめて見た」
「バカすぎるよなー、岡本。なんでパンツ履いてないん?」
「え、浴衣のした、パンツ履かないのがルールなんじゃないの」
「そんなわけあるか!」
みんなからツッコまれる。

このことは、翌朝から「岡本マッパ事件」として学年中に広まった。
顔から火が出るというか、噴火しそうな恥ずかしさだ。
「お前おもろい奴だなー」
「マッパ岡本!」
やめてくれ。
しまいには女子たちからも、
「マッパ岡本君ー!」
と声をかけられる。
「マッパ岡本っていうあだ名なんだー」
バスガイドさんからも言われてしまった。
意味が分かって言っているのだろうか……

修学旅行の二日目は「マッパ岡本」の話題でもちきりになった。
たくさんの人から話しかけられる。
過去の学校生活の五十倍分ほど話しかけられたのではないだろうか。最初は恥ずかしかったものの、だんだんと恥ずかしいという感情も薄くなってきた。
気が付けば「マッパ岡本」というあだ名を受け入れている自分がいる。
こんなふうにみんなから話しかけられるのも悪くないな。



この大事件のあとから、学校生活が楽しくなってきた。
一度恥をかいてしまえば、俺の中で”失うもの”が無くなったのだと思う。
陰キャだった俺はもういない。俺のまわりはいつも友達でいっぱいだった。中学校では陸上部のキャプテンをしたり、高校では文化祭の実行委員長をしたり、人なみ以上の青春を過ごせたと思う。高校のときに初めてできた彼女が美里だ。大学に入ってからも順調に交際をつづけた。



披露宴での友人代表のスピーチは健次に頼んだが、今はそのことを後悔している。
「マッパ岡本とは小学校六年生からの付き合いでぇ……」
ちょっとまて、「マッパ岡本」は勘弁してくれ。
美里には俺の黒歴史のことは一度も話していなかったのだ。
健次はあの日の事件の事をおもしろおかしく話している。

「岡本はあの日、恥をかいてから大きく変わりました。恥をかいたぶんだけ、大きく強くなってきました。これからもたくさん恥をかいて大きな男になっていくと思います」

良いスピーチなのかふざけているだけなのか分からないが、とても盛り上げてくれた。
美里はなぜか感動している様子だった。マッパ事件のどこに感動要素があるのだろう。
一番、喜んでいるのは親父だった。



修学旅行前の晩、真夜中ころまで準備をしていた俺に、親父が話しかけてきたことを思い出した。
「浴衣を着るときには絶対パンツを履くなよ。日本では古くからのルール。絶対に履いてはいけない。パンツ履くと恥をかくぞ」
真顔でそう言ってきた。




パンツを履いていないことで大恥をかいたのだが‥‥‥。
でも、この嘘のおかげで俺は人生を変えることができた。



真夜中ごろ、大地に声をかける。
「浴衣を着るときには絶対パンツを履くなよ。日本では古くからのルール。絶対に履いてはいけない。パンツ履くと恥をかくぞ」




修学旅行からバスで帰ってくる大地を学校の校庭へ迎えに行く。
大地の顔が見えた。今までに見たことのないような、おおきな笑顔だ。

「父さん、嘘ついただろ?」
そう言って笑う大地。

岡本家特大の真夜中の嘘‥‥‥大地にも効果があったみたいだ。
これからも一緒に恥をかいて、大きな男になっていこうな。
大地のリュックサックについているプレート型キーホルダーには、「マッパ岡本」という刻印が彫ってあった。


                 「やるじゃん、大地」