つまり、私は文字に色がついて見えている。

 ほぼ全ての文字に色がついているが、特に色の名前であればその傾向はより強く現れる。「森」とか「バナナ」とか色が決まっている名詞も単語として認識してしまえばその色に見えてくる。文字に色がつくのはもちろん、「音」として脳内再生されたときにもその色が目に浮かんでしまうし、ときには匂いも感じることがある。
 私の名前「若森翠鳥(わかもりみどり)」でいえば、まず名前の(おと)が「みどり」だからその時点で頭の中は緑色になる。字ズラを見ると「森」が入っていてここで完全に緑色でふちどられる。さらに「翠」も色を表すことばで、あるとき調べると鮮やかな青緑をしていた。ほかに色の邪魔をする要素もないので「若森翠鳥」は青緑色に見える、というわけだ。

 他にも街を歩けば、「白川宝石店」は金色の看板だが「白色」に見える。「青柳(あおやぎ)時計店」は濃い緑色に見える。「あさひとけい堂」はオレンジに見えている。
 学校に来れば、「国語総合」は教科書は青いけれど文字は赤く見えている。「数学I」は逆に赤い教科書で青く見えている。たぶん、人生で初めて手にした小学校の教科書がその色だったからだろう。
 人の名前もそれぞれ色がついていて、担任の「森田菜月(もりたなつき)」先生は黄色と緑色のスパイラル模様。校長の「木下元気(きのしたげんき)」先生は緑色に見える。うちのクラスの出席番号1番「伊藤源慈(いとうげんじ)」はピンク色に見える。本人はゴリゴリの柔道部で、顔もお世辞にも可愛い系とは言えないいかつい顔をしているが、人生で初めて会った「伊藤さん」がピンクの似合う、かわいい女の子だったから伊藤さんは誰でもピンクに見えている。

 こんなふうに、色が連想されやすい名前。そして、小さい頃に強い印象と結びついている名前には濃い色がついて見えている。それ以外にも色がついている文字はたくさんあってキリがないが、理由がわかるのはこんな感じだろうか。

 この「色文字(いろもじ)」に対応すべく、私の筆入れにはオリジナルの4色ボールペンが6本入っている。24色もあれば大体の色は対応できる。先生が黒板に色を使って文字を書いたら、私は私に見える色でノートに書き写す。水色に見える「水平運動」を黄色や赤色で書くのは違和感でしかない。だから私は24色から一番合う水色を探して書くというわけだ。
 きっとみんなも色がついて見えているはずなのに、なぜ先生はなんでも黄色で書くのか、なぜみんなは赤で写すのか。今でもよくわからない。