勝負が終わるとヨエルとハニエのもとへ歩み寄り、面白いものを観たというような顔で口をまっさきに開いたのはサリルだった。
「"圧倒的に"ハニエの勝ちだったな。一体一体ご丁寧に切ってくよりも、一振りで全部真っ二つのほうが早いわけだぜ。だいたい腕相撲でだって一回でも勝ったことなんて無いんだからハニエの方が力が強いに決まって――」
「くううう!!悔しいいい!!!」
それまで平然を装っていたヨエルだったが、ついにはその場で地団駄踏みながら頭を抱える。
「ようやく勝てると思ってたのに、結局こんなに惨敗しちゃうなんて...」
その場で膝をついてうなだれる彼女を、手を叩きながら笑い飛ばすサリルと対照的に、そばに寄り添って言葉をかけるのはハニエだった。
「そんなことないよ。あと少し遅かったら"私の負け"だったんだよ。それぐらいヨエルの脚も速かったってことよ。自信持って!」
「そ、そうかしら。ハニエったら褒めるのも上手ね」
「いやいや、ほんとにヨエルがすごいんだから!」
いつものような笑顔でそう言うと、ヨエルは気恥ずかしそうに笑ってそっぽをむく。
「でも、これじゃあまだハニエやあの人には到底及ばない。まだまだ頑張る余地はあるわ」
「あの人?」
ハニエは首をかしげる。
「ああ、お前がいつも言ってるあの先輩のことだろ。今日ついに会えるとか言ってワクワクしてたのに、まだ見てないんだろ?」
「そうなのよ。あの人なら絶対この授業にアドバイザーとして来てもいいはずなのに、全然見てないのよね。せっかく会ってお話できると思ったのに…」
「ねえねえ、なんの話なの?」
話の輪に入りたがるハニエに、ヨエルも語りたいとばかりに口を開く。
「私達四人が入寮した初日のことよ。消灯前の自由時間に、たまたまこのホールの前を通りかかったとき、中から音がしていたの。気になってほんの少しだけ扉を開けると、中で実技の自主練をしてる人がいたの。当時は光の存在も全く知らない私だったけど、"次々と"形が変わっていく何かを使って、無造作に並べられた百個以上の人形をあっという間に倒していった姿に、いつの間にか、魅入ってしまっていたのよっ!!」
「誰もそんな小説みたいな語りをしろとは言っとらん」
「へえ、聞いてるだけでもすごそうだね!その先輩はなんていう名前なの?」
「それが、声をかけれなくて名前を聞けてないのよね...あの日以来、ずっと姿すら見てないし」
「……でもたぶんだが、」
サリルが思い出したかのように口を開くと、二羽も視線を合わせる。
「俺が思うに、巷で噂の"あのひと"なんじゃねえかなって最近話を聞いたんだが、」
「なによ、今まで話してたときには言ってくれなかったじゃない」
「最近聞いたって言ってんだろ。で、その名前なんだが――」
◇◇◇
「そういや、サリルとヨエルの形状変化の見た時に思ってたんすけど、"百年に一度の才能"とか言う割には、マロス..先輩はそんなに驚いてなかったっすよね?」
ふと思い出すかのように子分の一羽がつぶやく。
「ん?そう見えとったか?」
「確かに、なんやかんやベラベラ話してたよな。まるで、前に見たことあるみたいにな」
ガデルの言葉に、マロスは数秒ほどの意味ありげな沈黙の後に、頭を掻きながら口を開く。
「……まあ、”天才の被害者”は君らだけじゃないってことや。キミらの世代以外にも、そういうやつがこの学校におるんや」
「それって...」
「光の形を変えられる天使が、そっちの世代にもいたってことだろ?」
腕を組みながらガデルがそう言うと、マロスは頷きながらも首を横にふるように返す。
「……いや、そんなレベルやない。そいつは、さっきの三人と同じように、最初から圧倒的やった。校内の教師陣すらもまともに口出しできるやつがおらんほどに、手に負えない奴なんや」
聞いている三羽はごくりとつばを飲む。
「もちろんぼくは何千年もこの学校にいるわけやないが、もはや断言すらできる。星上園史上、稀に見ぬ"鬼才"。
その名前は――」
――――――――――――
「はあ....」
こんなため息を目の前でついてたら、きっとハニエはまたいつものように、酷いくらいに僕の心配ばっかりしはじめるんだろう。だからやっぱり、思い切って広間を抜け出してきてよかった..とはならないか。授業を抜け出すなんてこんな悪いことしていいはずがない。いやでも、どうせ座学でも居眠りして先生の話も聞いてないんだし、ある意味いつもと変わらないか。いやでも
実技の授業が行われている学校の大広間、その天井付近にある窓を抜け出すと、そこは校舎の屋根上が広がっている場所に繋がっていた。僕はそこで何をしているのかというと、良い言い方をすれば今までの座学の授業でしたことのないほど自分の頭を使い、答えのない問いに頭を悩ませている最中だった。それはもう、後方から近寄ってくる誰かの存在に気づかないくらいに真剣だった。
「おや、こんなところに先客がいるだなんて珍しいこともあるんだな」
「わっ?!」
驚いたあまり、座っていた屋根の棟から転げ落ちそうになった僕の手を、その声の主はしっかりと掴み、僕が振り向く前に二言目を発した。
「俺しか知らない”サボり場所”を見つけるなんて、君なかなかやるね」
振り返ると、思っていたよりも間近に迫ってきていたその顔は、当然僕も見覚えのない天使のものだった。けれどそれ以上に印象的だったのは、おそらく自分よりも真っ黒が深い髪の色と、すでに僕をどこまでも見透かしてきているようなそのまっすぐな目だった。
「君は、、、誰?」
「なに、名乗るほどのものじゃないさ。――なんてのはちょっとカッコつけすぎか。ははは」
笑いながら彼が手を引っ張ると、力を入れた様子もないのに簡単に僕の体が引き上げられ、されるがまま元いた場所に座らせられた。
「それできみ、名前は?」
立ったまま彼が聞く。
「え、最初に聞いたの僕なのに....僕はフォルン」
「”フォルン”か。いい名前だ」
「ほんとにそう思ってる?そんなこと言う天使初めて会うんだけど」
「ああほんとさ、僕好みの響きだ。そんなことよりいいのかい?こんなところで油売ってると下界行きだぜ」
思わず息を呑んだ。
分かっていたけど、やっぱり外から見ても、自分の置かれた状況はそうなんだと突きつけられたような気分だった。でもなんだか今日は、この屋上から見下ろせる星上園全体の街の小ささと、周りに漂う久しぶりに涼しい空気を吸っていると、そんなことで悩んでいるのか、と誰かが語りかけてくるような気分がして仕方がなかった。
「別に。どうせ僕なんか落ちこぼれだし。ていうかもともと上界とか下界とかどうでもよかったし」
ぼそっと不意に出た言葉に自分で驚いた。これじゃあまるで無理に強がってるみたいに思われたかな。なんて思い返した次の瞬間だった。
「ザゼル」
「……へ?」
「"ザゼル"、それが俺の名前だよ。なんでそんな急に言うのかって顔してるね。別に単なる気まぐれさ」
だったら最初から答えておけば良かったんじゃないのか、ってツッコみたくもなったけど、だから”気まぐれ”なんだと切り返されそうな予感がしたから何も言わないでおくことにした。
「そんなことより、さっきの言葉、ほんとうにそう思ってる?」
「いやえっと、、あれは強がってるとかじゃないというか、、」
あたふたしながら頭の中で言葉を探していると、ザゼルという名前の彼は突然腰を下ろし、僕の真横に座ると顔を傾けるように口を開く。
「まさか、別に君を蔑んでるとかそういう感情は全くないよ」
驚いた僕はつい横を見る。彼は僕の目の中を眺めるように顔を傾けながら続ける。
「ただ、そんなこと言う天使、初めて会うもんでね」