オオタラシヒコオシロワケノミコト――後の景行天皇の御代。その天皇を継ぐ日嗣の御子の中に、オウスノミコトという方がいました。
オウスノミコト様は天真爛漫で、それでいてどこか残酷な方だと知られていました。生まれ持った狩りの腕も反射神経も群を抜いており、矛を持たせても弓を持たせても百戦錬磨、病で床にふせられたという話もまったくあがりませんでしたので、病弱であったりする人の気持ちがよくわからないのかもしれません。
今日も角髪《みずら》に結ったぬばたまの髪を陽の光で輝かせながら、笑顔で騎乗遊ばされ、狩りに向かわれたお姿を見られた。それだけで幸せでした。強いて言うならばオウスノミコト様が狩りをなさるところをこの目で見たい気持ちもありましたが、狩りをなさる山は皇族の方以外は禁足とされておりましたのでそれも叶わず。
ですが、これで十分なのです。遠くからでもオウスノミコト様を拝み、同じ時代に生きていられること。その事実を噛みしめるだけで今日も1日頑張ろうと、そう思えるのです。

それから数日後でした。オウスノミコト様が、天皇の命で西の荒荒しい国の首領、熊襲を討ち取りにいかれたのは。
そこは千里も離れたこの大和国でも有名な兄弟首領で、何でも暴力を持って解決するような野蛮な政治をとっていたのです。まるでお猿さんのような政治だと、聞き及んでおります。こういう時、脳はこぞって悪いことを妄想するものですから、本当にまいってしまいます。その御尊顔を拝むことは二度と出来ない、などと思いたくないのに。
密やかな私の何よりもの楽しみを奪われ、世界はわかりやすく萎れてしまったのです。元々自分はオウスノミコト様を慕いすぎているのだ、と思っておりましたが、居なくなられると増してその想いは強まるばかりで、ただただ辛いだけの日々が数日続きました。
……そういえば、何故天皇はそんな惨いことを命令されたのでしょう。オオタラシヒコオシロワケノミコト様は沢山の子をもたれましたが、次の天皇候補たる日嗣の御子様は数人。その中の一人であるオウスノミコト様が可愛くあっても憎くなど……。
「母様、母様」
夜のお食事の用意をしている母様に声をかけました。
「なんですか、食事前の間食は駄目ですよ」
「間食じゃないよ、オウスノミコト様の事です!何か知らない?何故熊襲の国などに行くことになったか、とか」
「さぁ。家族、しかも次天皇候補のオウスノミコト様がそんな流刑に近いことをされたというのは皆驚いてるけど、どれも憶測。本当のところは皇族の方々しか知らないでしょう。ただ……」
「ただ?」
「双子の兄の、オオウスノミコト様が薨去《こうきょ》されたのと殆ど同時期にその命を出されてるから、それに一枚噛んでいる、というのはよく言われてますけど……こんな話、これ以上はやめましょう。」
確かに、あまり良い話ではありません。私も知る由もないことだと、理由を探るのはきっぱり諦めました。