三年に進級して、また七夕祭りの季節が巡ってきた。
前年は彼女とのスケジュールが合わず、これまで通り、ひとりしてクライマックスまで見届け、すごすごと帰宅した。
彦星様との再会が叶うのでは、との仄かな期待も結局夢に終わる。
この年の七月七日は、『いけ好かねえ』親友との固い約束にて、共に本殿を目指した。
互いに願いを込めた短冊を吊るし終え、彦星と織姫の輿の到着を待つ。
輿が到着し、中から彦星が降りると、拍手と歓声が沸き上がった。次いであとの輿から織姫が羽衣をたなびかせながら舞うように登壇して彦星の傍まで来て寄り添うと、尚一層のため息交じりの拍手喝采の大嵐が巻き起こった。
二人は壇上から集った人々に満面の笑みで応える。
私は二人の姿に自分と彼を重ねつつ眺めた。胸が締めつけられ思わず涙ぐんでしまった。
胸に空虚のみを残して、祭りの華やかな余韻は一気に散逸する。祭りのあとには寂寥が募り、置き去りにされた気分にとらわれてしまう。
儀式を見届けた私たちは、駅へ向かった。
肩を並べて歩いていると、突然彼女が私の行く手に立ち塞がった。私は目を引んむいてそびえ立つその顔を見上げる。
「な、なに?」
彼女は黙って見下ろすだけ。参道の真ん中で二人はじっと見つめ合った。
私が声をかけようとした矢先、彼女は突如首を傾げ、唸り出す。いささか驚いた私は一歩右足を引いた。
「何で全滅なんだ! 釈然とせん! 全然せん!」
いきなりの怒声が参道に響き渡る。
「な、なんなのよ? ビックリするするでしょ!」
「歯車が噛み合わねえ!」
彼女の目が急に吊り上がった。「なあ、織姫。あのとき、本当に“ケンリツ”だと彦星は言ったのか? 間違いないのか?」
「う、うん……間違いない……と思う」
「だが! しかし! でも! “ケンリツ”にそんな女生徒は存在しなかった。どういうこった?」
「私に……聞かれても……」
私は視線を落としながら首を少しだけ捻った。
「釈然とせん! モヤモヤする! 気持ち悪い!」
彼女は胸をかき毟る。「もいっぺん検証してみようや?」
「ど、どうやって? また、名簿の人たちを辿るの?」
彼女は腕を組んで、またもや「ウンウン」唸り出した。しばらくしてこちらをまじまじと見ながら問いかける。
「あのとき、彦星が何と言ったか、覚えてるか?」
「ええ、たぶん……いいえ、全部頭に入ってる」
「そうか、そんなら話してみな。何かつかめるかもしれん。何か見落としてる気がする。順序立てて、あのとき、彦星と交わした会話を再現してみな」
彼女は柔和な笑みを頬にたたえ見つめる。しかし、不気味にギラつく眼差しに背筋が一瞬凍りついた。
これでは仕方あるまい。蛇ににらまれた蛙状態では逆らうことはままならぬ。最早観念して言いなりになるしか策はなさそうだ。
私は胸に手をあてがいながら、かけがえのない想い出を、彼の面影を、脳裏からそっと抜き出した。彼の声を聞きながら交わした会話を細部まで再現して見せた。
***
……
「その制服……一中だね? 従姉と同じだ」
「──何年生……ですか?」
「もう、とっくに卒業して、今は高校三年生……公立普通科の……新築の校舎を自慢してたよ」
「あの“ケンリツ”ですか?」
「通称“ケンリツ”で通ってるの?」
「はい。優秀なんですね?」
「そう……なの?」
……
***
「まあ、こんな感じだったわ」
「んー。なーんか、引っかかるんだなあ。この辺がモヤモヤして……」
彼女は己の胸をさする。と、肩から斜めにかけたポシェットから手帳とシャープペンを取り出して、「文章に起こしてみる」と言って、今一度の再現を促してきたので従った。
彼女はメモを見ながら、しばし考えに耽る。突如、眼を見開き、口もあんぐりと開いてこちらを向くと、瞬きを繰り返した。
「な、なに?」
恐る恐る聞く。
と、メモを私に見せ、シャープペンである個所を指し示す。
「『……公立普通科の……新築の校舎を自慢してたよ』。この箇所が……どうって言うのよ?」
「彦星は“ケンリツ”とは言ってなーい!」
「──そうだけど……?」
「『あの“ケンリツ”ですか?』。オメエの問いかけに、『通称“ケンリツ”で通ってるの?』と、彦星は問い返した」
「ええ、何か問題ある?」
「オメエ気づかねえのかい? そもそも彦星は公立としか認識してなかった。オメエがご丁寧に『あの“ケンリツ”ですか?』なぞと質問したせいで、彦星も“ケンリツ”と思い込んでしまったんだわさ!」
「えっ! でも、公立の普通科って言ったら……」
「それは、うちの中学だけの常識だろ? 他校の生徒には通用しねえじゃん! ましてや彦星ってえのは県外の人間だぜ……」
「それは……そう……ねえ……?」
「次! オメエの『はい。優秀なんですね?』に対して、彦星は『そう……なの?』と疑問を投げかけてきた。どういうことかわかるか?」
「──どういう……こと?」
「彦星の従姉は、そんじょそこいらの普通の、平凡な、ありふれた、一般的な女子高生ってことだろうが。“ケンリツ”のヤツらなんてほとんどが超エリート面で『いけ好かねえ』優秀さをこれ見よがしにひけらかしてるぜ」
彼女は自分のことは棚に上げ、“ケンリツ”の生徒を貶める、偏見に満ち満ちた発言をする。
「じゃあ、“ケンリツ”ってのは……私の思い込みだった……っていうの?」
「そういうこと。それしか考えられねえじゃん、三十二人全滅ということは。まず間違いない!」
「私の……せい?」
「うん」
彼女は大きく頷く。
「せっかくのあなたの行為を徒労に終わらせたのも、私の早とちりのせいってわけね……ゴメン」
私は項垂れる。
「落ち込むのはまだ早いぜい」
彼女は私にメモを見せ指で示した。
「『新築の校舎を自慢してたよ』、これが……?」
「全ての謎を解くカギだ! あの当時、新築されたばかりの校舎がある公立普通科高校ってことだろう? それをさがせばいいだけ、簡単に見つかるはずさ。だから元気出しなって!」
彼女は自信タップリに胸を張る。
その態度に私も勇気づけられた。胸に光明が差し始めた。
「ありがとう」
私はニッコリ彼女に微笑んだ。彼女も大きく頷きながら目を輝かせたまま微笑みを返してくれた。
「よっしゃ! 今度調べてみよう!」
語気を強めて言うと、ようやく私の肩に長い腕を回しながら彼女は歩き出した。私も彼女の肩に腕を回す。肩を組み、大股で彼女の歩調に合わせ軽快に参道を闊歩した。
前年は彼女とのスケジュールが合わず、これまで通り、ひとりしてクライマックスまで見届け、すごすごと帰宅した。
彦星様との再会が叶うのでは、との仄かな期待も結局夢に終わる。
この年の七月七日は、『いけ好かねえ』親友との固い約束にて、共に本殿を目指した。
互いに願いを込めた短冊を吊るし終え、彦星と織姫の輿の到着を待つ。
輿が到着し、中から彦星が降りると、拍手と歓声が沸き上がった。次いであとの輿から織姫が羽衣をたなびかせながら舞うように登壇して彦星の傍まで来て寄り添うと、尚一層のため息交じりの拍手喝采の大嵐が巻き起こった。
二人は壇上から集った人々に満面の笑みで応える。
私は二人の姿に自分と彼を重ねつつ眺めた。胸が締めつけられ思わず涙ぐんでしまった。
胸に空虚のみを残して、祭りの華やかな余韻は一気に散逸する。祭りのあとには寂寥が募り、置き去りにされた気分にとらわれてしまう。
儀式を見届けた私たちは、駅へ向かった。
肩を並べて歩いていると、突然彼女が私の行く手に立ち塞がった。私は目を引んむいてそびえ立つその顔を見上げる。
「な、なに?」
彼女は黙って見下ろすだけ。参道の真ん中で二人はじっと見つめ合った。
私が声をかけようとした矢先、彼女は突如首を傾げ、唸り出す。いささか驚いた私は一歩右足を引いた。
「何で全滅なんだ! 釈然とせん! 全然せん!」
いきなりの怒声が参道に響き渡る。
「な、なんなのよ? ビックリするするでしょ!」
「歯車が噛み合わねえ!」
彼女の目が急に吊り上がった。「なあ、織姫。あのとき、本当に“ケンリツ”だと彦星は言ったのか? 間違いないのか?」
「う、うん……間違いない……と思う」
「だが! しかし! でも! “ケンリツ”にそんな女生徒は存在しなかった。どういうこった?」
「私に……聞かれても……」
私は視線を落としながら首を少しだけ捻った。
「釈然とせん! モヤモヤする! 気持ち悪い!」
彼女は胸をかき毟る。「もいっぺん検証してみようや?」
「ど、どうやって? また、名簿の人たちを辿るの?」
彼女は腕を組んで、またもや「ウンウン」唸り出した。しばらくしてこちらをまじまじと見ながら問いかける。
「あのとき、彦星が何と言ったか、覚えてるか?」
「ええ、たぶん……いいえ、全部頭に入ってる」
「そうか、そんなら話してみな。何かつかめるかもしれん。何か見落としてる気がする。順序立てて、あのとき、彦星と交わした会話を再現してみな」
彼女は柔和な笑みを頬にたたえ見つめる。しかし、不気味にギラつく眼差しに背筋が一瞬凍りついた。
これでは仕方あるまい。蛇ににらまれた蛙状態では逆らうことはままならぬ。最早観念して言いなりになるしか策はなさそうだ。
私は胸に手をあてがいながら、かけがえのない想い出を、彼の面影を、脳裏からそっと抜き出した。彼の声を聞きながら交わした会話を細部まで再現して見せた。
***
……
「その制服……一中だね? 従姉と同じだ」
「──何年生……ですか?」
「もう、とっくに卒業して、今は高校三年生……公立普通科の……新築の校舎を自慢してたよ」
「あの“ケンリツ”ですか?」
「通称“ケンリツ”で通ってるの?」
「はい。優秀なんですね?」
「そう……なの?」
……
***
「まあ、こんな感じだったわ」
「んー。なーんか、引っかかるんだなあ。この辺がモヤモヤして……」
彼女は己の胸をさする。と、肩から斜めにかけたポシェットから手帳とシャープペンを取り出して、「文章に起こしてみる」と言って、今一度の再現を促してきたので従った。
彼女はメモを見ながら、しばし考えに耽る。突如、眼を見開き、口もあんぐりと開いてこちらを向くと、瞬きを繰り返した。
「な、なに?」
恐る恐る聞く。
と、メモを私に見せ、シャープペンである個所を指し示す。
「『……公立普通科の……新築の校舎を自慢してたよ』。この箇所が……どうって言うのよ?」
「彦星は“ケンリツ”とは言ってなーい!」
「──そうだけど……?」
「『あの“ケンリツ”ですか?』。オメエの問いかけに、『通称“ケンリツ”で通ってるの?』と、彦星は問い返した」
「ええ、何か問題ある?」
「オメエ気づかねえのかい? そもそも彦星は公立としか認識してなかった。オメエがご丁寧に『あの“ケンリツ”ですか?』なぞと質問したせいで、彦星も“ケンリツ”と思い込んでしまったんだわさ!」
「えっ! でも、公立の普通科って言ったら……」
「それは、うちの中学だけの常識だろ? 他校の生徒には通用しねえじゃん! ましてや彦星ってえのは県外の人間だぜ……」
「それは……そう……ねえ……?」
「次! オメエの『はい。優秀なんですね?』に対して、彦星は『そう……なの?』と疑問を投げかけてきた。どういうことかわかるか?」
「──どういう……こと?」
「彦星の従姉は、そんじょそこいらの普通の、平凡な、ありふれた、一般的な女子高生ってことだろうが。“ケンリツ”のヤツらなんてほとんどが超エリート面で『いけ好かねえ』優秀さをこれ見よがしにひけらかしてるぜ」
彼女は自分のことは棚に上げ、“ケンリツ”の生徒を貶める、偏見に満ち満ちた発言をする。
「じゃあ、“ケンリツ”ってのは……私の思い込みだった……っていうの?」
「そういうこと。それしか考えられねえじゃん、三十二人全滅ということは。まず間違いない!」
「私の……せい?」
「うん」
彼女は大きく頷く。
「せっかくのあなたの行為を徒労に終わらせたのも、私の早とちりのせいってわけね……ゴメン」
私は項垂れる。
「落ち込むのはまだ早いぜい」
彼女は私にメモを見せ指で示した。
「『新築の校舎を自慢してたよ』、これが……?」
「全ての謎を解くカギだ! あの当時、新築されたばかりの校舎がある公立普通科高校ってことだろう? それをさがせばいいだけ、簡単に見つかるはずさ。だから元気出しなって!」
彼女は自信タップリに胸を張る。
その態度に私も勇気づけられた。胸に光明が差し始めた。
「ありがとう」
私はニッコリ彼女に微笑んだ。彼女も大きく頷きながら目を輝かせたまま微笑みを返してくれた。
「よっしゃ! 今度調べてみよう!」
語気を強めて言うと、ようやく私の肩に長い腕を回しながら彼女は歩き出した。私も彼女の肩に腕を回す。肩を組み、大股で彼女の歩調に合わせ軽快に参道を闊歩した。