「まじめんどー」
「受験終わったからってこんなことやらせんなよまじ」
「ちょっとせんせーこれやるくらいならみんなでおにごっこしたいですー」

男子たちの喚く声。
「みんなで何かをやるってのもこれで最後なんだよ?最後まで諦めない!!おにごっこなんて小学生でもないんだからまったく。」

あきれたような先生の声。
こんな景色を見るのもあと二週間か。
私は「7」という数字の端っこを水色で細かく色染めをしながら先生と男子の会話を聞いていた。


今は月曜日の6時間目、 LHRの時間。卒業まであとちょうど二週間を切ったからということで「卒業までのカウントダウン日めくりカレンダー」を2、3人のグループで一枚ずつ作成しているところだ。
受験日が一番遅い高校は昨日で、ようやくクラス全員の入試が終わった。今まで切羽詰まった学校生活を送ってきた私たちはもちろん、先生だってほっとしているはずだ。

そんなことを考えていると、私と同じグループでカレンダーを作成中の「橋谷光里」が「はあ」っと大袈裟なくらいのため息をついたあと、

「ねぇ。咲乃。卒業したら会えなくなるの寂しすぎるんだけど。」

と話しかけてきた。光里とは小五の時からの仲で高校は別々のところを受験した。

「ん?大丈夫だよ。いつでも連絡はとれるんだし会おうと思えば会えるんだから。」

光里ほど情に熱いわけではない私はそこまで「寂しい」とか「名残惜しい」とかそんな気持ちはなかった。「もうお別れか」くらいの気持ちはあったけれど。

「そんな冷たいこと言わないでよっ!うちは毎日会っていつもみたいにおしゃべりしたり遊んだりしたいんだよー」

「ほらほら。手止まってるぞ。まだ卒業まで二週間もあるんだから。今からそんなんで卒業式、どうするのよ。」

光里の隣に座っている「中野華香」が光里の手をつんつんとつつきながら言った。華香とは小学校は別々だったけど中一の時から同じクラスで三年間ずっと仲良くしている。

「もうっ!なんで二人ともそんな寂しそうじゃないの!?まあ、華香はまだ同じ高校だからいいけど、、、咲乃は?もう会えないかもなんだよ ー」

「別にそんな、、、会えるから大丈夫だって。先生に怒られるから落ち着いてよ光里」

私は今にも泣き出しそうな光里の背中を撫でながらなだめるように言った。

「てかさ、光里。まだ高校受かったかわかんないんだから同じところいけるかわかんないよ?」

華香が「the・クール」を演じながら言った。そんな華香だけど私も光里も実は華香が涙もろくて誰よりも優しいことを知っている。

「いいもん。たぶん、、、いやもしかしたら受かってるから!」

そう言い張る光里に、私たちは

「いや、自信無くなってんじゃん。」

「結局は無理かもってことね。」

と、笑いながら言った。

光里と華香は、市内では進学校だと言われていてまあまあ偏差値も高く、毎年倍率がすごく高いことで有名な高校を受験した。
私は、二人の目指す高校もいいかとは思ったが、もし落ちてしまったら大好きなママに迷惑をかけることになるし、安心して受験したいという思いから一個レベルが下の学校を受験した。
まあ、離れ離れになったとしても文明の力が発達しきった今の時代だ。会おうと思えばいつでも会える。そう思っていたはずなのに何故か急に少しだけ寂しくなった。




光里と華香といつも通り一緒に帰って家に着いた。私の家は仏の一軒家で、学校から歩いて10分くらいの場所にある。生まれてから一度引っ越したことがあるそうだけど私の中で家での思い出といえばこの家のことしか頭にない。

「ただいまー」

玄関を開けて中に入る。誰もいなくても「ただいま」をいうことはママに小さい頃教えてもらったことで今でもその言いつけを守っている。
だけど今日は部屋の奥からいるはずのないママの声が聞こえた。

「あ。咲乃?おかえりー」

なんでママが家にいるんだろう。今日も仕事で帰りが遅くなるからと言っていたはずなのに。
もしかして仕事に行く途中に事故に遭って帰ってきたとか?
もしそうだったら私のところにも連絡が届くはずだし、きっと病院にいるだろうからそんなことはない。じゃあなんだろう。体調不良で会社を早退してきたとか?
いやでもあの「おかえり」の声は溌剌としていたし、いつでも健康なことが自慢のママが風邪をひくなんて考えられない。私はママの声がした部屋へ行くまでずっとそんな嫌なことを考えていた。

これだから、友達から「マザコン」と言われることがあるのだろうか。でも実際、私はママのことが大井好きなんだから仕方がない。

ママは一階の一番奥の和室にいた。そのへやはもともとおばあちゃんの部屋だったらしく今でも家具や服がそのままの状態で置いてある。
おばあちゃんは私が小学校に入学すると同時くらいに県内、市外の施設に入れられてしまった。本人は家にいたかったそうだけど、仕事で忙しいママがお世話をしたり、面倒を見てあげる時間もなかったので仕方なく入ってもらったらしい。でも今は施設での生活が大好きになり

「絶対に家に帰らない。ずっとここにいる」

と言い張っているそうだ。
そんなおばあちゃんの部屋でママは何をやっているのだろう。気になったので少しだけドアを開けてみることにした。

「今朝、施設から電話あってね、おばあちゃん、綺麗な服が欲しいとか、結婚指輪を持ってこいとか急に言い始めたらしくてさ、そのこと同僚に話したら、会える回数ももう限られてきちゃうかもしれないとか言い出して今すぐその物全部持って行ってきなって。ママは断ってたんだけどね、ママの今日の分の仕事、全部片付けておくから心配しないでって言ってくれちゃってさ。」

とママは私に言った。静かにドアを開けたつもりだったのに気づかれていたらしい。

「へぇ。珍しいねおばあちゃん。いつもは来るなって言ってるのに。」

「そう。だから会社の人が言うようにもうそんな長くないのかもなと思ったりして。そしたらやっぱり後悔とかしたくないから、行ってみようかなって思って。」

「うん、、、その方がいいかもね。」
ママの同僚さんの優しさに感動しながら私もそう素直な気持ちを言った。

「それでどうするの。咲乃は。」

「え?何が?」

急にどうするのなんて聞かれてもなんのことかさっぱりわからなかった。

「一緒におばあちゃんのとこ行くかってこと。」

「あ、、、どうしよ。」

今日は宿題もあるしあとで光里たちとグループ通話しようと約束していたから迷っていると、

「もう、ママ行くからさ。どうする?」

とママがいつもより少し早口で聞いてきた。でもママの言う通り万が一これでお別れになったりしたらどれだけ後悔するかわからないし、久しぶりにおばあちゃんに会いたいと思い、

「うん。一緒に行く。」

と答えた。

「うん。じゃ、下で待ってるから片付けておいで。」

「わかった。」
私は急いで自室への階段を駆け上がり、カバンを放り投げるようにして部屋に置いてからママの待つリビングに急いだ。

「ごめんごめん。お待たせ。」

「よし、じゃ行こっか。」

私はママの荷物を半分持ってなんとなくおばあちゃんの部屋を一度振り返って見てから家を出た。

「おばあちゃん、元気してるかな。」

私はママが運転する車の助手席に座って窓から車を眺めながら言った。

「うーん。この前行ったのが三ヶ月くらい前だからね、、、どうだろう。細川さんに聞いたらいつも通りだとは言ってたけど。まあ、もうそろそろ認知症とか出てきててもしょうがないのかもね。」

細川さんとはおばあちゃんが入っている施設の担当の人だ。おばあちゃんが入所した時からずっと担当してもらっている優しい女性だ。
「認知症」ママが放ったその言葉を聞いておばあちゃんのところに行くのがなんだか怖くなってきた。もしかしたら私のことなんて忘れてしまっているかもしれない。

「なに咲乃。急におとなしくなって。」

そうママが心配しているような声色で私に言った。

「いや、、、別に何でもないよ。」

私がそう誤魔化すとママは、

「おばあちゃんは咲乃のこと本当に可愛がってたんだから。忘れるはずないでしょ。」

と言った。やっぱりママは私が何を考えているのかが一瞬でわかる能力を持っているのかもしれない。私の頭の中でおばあちゃんと過ごしてきた六歳までの思い出が走馬灯のように駆け巡った。

ママが仕事で遅いからと毎日面倒を見てくれたおばあちゃん。私の幼稚園の授業参観にママと一緒に来てくれたおばあちゃん。おばあちゃんじゃなくてママと一緒にいたい。そう言って大好きで大切なおばあちゃんを悲しませてしまったこともあった。

それでも私のことを大切に思っていてくれたおばあちゃんが私を忘れるはずがない。

そう、自分に言い聞かせた。

「そうだよね。」

私はママに確認するように言った。

「うん。」

そんな話をしているうちにあっという間におばあちゃんのいる施設についた。出入り口に名前を書いておばあちゃんの部屋に行く。ガラガラと静かにドアを開けた。

「お母さん。久しぶり。」

ママがそう優しく声をかけた。窓の外を見ていたおばあちゃんはその声に

「ん?」

と言いながら私たちの方を見た。耳はそこまで悪くなっていないようだ。

「あ、あんたか。なんだ急に来て。」

おばあちゃんは冷たくそう言い放った。「え、おばあちゃんがママに来いって言ったんじゃないの?」私はおばあちゃんのその言葉を疑った。でも当人のママは別に気にしているような素振りも見せずに

「お母さんに会うためよ。急に来ちゃってごめんね。すぐ帰るから。」

と、少し眉間に皺を寄せ困り顔で言った。

急じゃないよママ。頼まれたから来たんでしょ。そんな優しくしてあげる必要ないのに、、、

さっさとおばあちゃんのために持ってきたものを部屋のタンスにしまったり、花瓶の中の水を変えたりしているママを横目に見ながらそんなことを考えてしまう自分が嫌になる。

「咲乃。」

一人で突っ立ているとママが小さな声で私の名前を呼んだ。

「ん?」

と私がママの顔を見ると、

「ちょっと細川さんのところ行ってくるからね。おばあちゃんと二人でいれる?」

とかなり心配した様子で聞いてきた。

私は、「全然大丈夫」なわけがなかったけれど、細川さんのところに行くくらいならすぐに戻ってくるだろうと思い、

「うん。大丈夫。」

と返事をした。ママは私に向かってニコッと笑いかけるとおばあちゃんの座っている椅子に近寄り、

「お母さん。咲乃とちょっと二人になるけど、なんかあったら咲乃に言えば大丈夫だからね。」

と言った。

「お前にいてほしいなんて思ってないからいちいちそんなこと言うな。咲乃は紛れもなく私の孫だ。別に二人きりが苦痛だとか感じるはずがないだろう。」

背各区優しく声をかけてくれたママに対しておばあちゃんんはまたこの調子だ。そんなおばあちゃんにママは言い返すこともなく、私に

「大丈夫だからね。ありがとう。」

と小声で言い部屋を出て行った。


ママのいなくなったこの空間。私は、声をかけた方がいいのか、それともママがしていた片付けのつつきをやった方がいいのか、、、と考えを巡らせていた。するとおばあちゃんが

「咲乃。久しぶりだねぇ。会えて本当に嬉しいよ。」

とママと話していた時と人が変わったかのようにとても穏やかな口調で私に話しかけてきた。そんなおばあちゃんは私の記憶の中にいる優しい普通のおばあちゃんだった。私も慌てて、

「うん。私も嬉しいよ。」

と言った。

「ここにおいで。」

おばあちゃんは自分の前に置いてある椅子を指さして言った。私は言われた通りに椅子に座った。

「どうだい。学校は。咲乃は今中学三年生か。高校受験はこれからかい?」

おばあちゃんが私の学年まで、そして今年受験生だというところまで覚えていてくれた。そう思うとなんだかとても嬉しい気持ちになった。
そこから私とおばあちゃんはいろいろな話をした。先生のこと。友達のこと。宿題のこと。おばあちゃんが中学生だった頃の話。
初めは気まずく感じていたけどおばあちゃんとの会話が弾んでいく過程でその気まずさもいつの間にか消えていた。
そしてだんだんと家でのことについて話す流れになった。

「ママがね、毎日お料理してくれるの。とっても美味しいんだよって知ってるか。ママはおばあちゃんの娘だもんね。」

大好きなママのことを話せるとワクワクしている気持ちを表に出している私に対して、話を聞くおばあちゃんはさっきとはまるで違う冷たい目つきに変わっていった。

「咲乃はほんとに不幸だねぇ。かわいそうにねぇ。」

「え?なんで?」

私は疑問に思って聞くと

「あんな人のもとで暮らしてるんだから。」

「おばあちゃん!!ママはすっごい優しいしなんでもできる最高のママなんだよ!!」

私は少し勢いづいて言ってしまった。

「咲乃は何もわかってないね。」

おばあちゃんはママと話をしている時のような冷たい口調で言った。しんとした沈黙が流れていたその時。
急にふわっと甘い香りがした。私はすぐにママだと気づいた。

「お母さん、荷物そこの棚にしまったから。じゃあ、何かあったらちゃんと連絡してよ。」

ママはその場の濁った重い空気を放つようにドアを開け、大きな声でそう言った。おばあちゃんはその声に

「ん。」

とだけ返事をした。

「ほら咲乃行こ。」

ママは私に向かっってそう言うと、

「じゃあまた。」

とおばあちゃんの部屋を出た。ドアの向こう側からおばあちゃんが

「二人とももう来なくていい。」

と言っているのが聞こえたが、それが本心なのかはわからなかったし、ままも何も言わなかったから私も追求しないでおいた。


その日の夜。ママと二人で夕飯を食べている時に

「ねぇ。ママとおばあちゃんって仲悪いの?」

と聞いてみた。私の一言でママを傷つけないか心配だったけれど。

「うーん。そういうわけじゃないんだけどね、、、」

ママは言葉を濁しながら言った。

「なんでそんなこと聞くの?」

「え、、、いや別に、、、何でもないよ。」

ママに聞かれて慌ててしまった。ママにだって娘の私にも言いたくないことだってあるかもしれない。気になりはするけれど私はあえてそれ以上聞かないことにした。

「ほんとに何も思ってないからね。なんかごめん。」

私がそう言うとママは、

「咲乃が謝ることじゃないよ。ママもごめんね。せっかくおばあちゃんのところ一緒に行ってくれたのにあんな雰囲気になっちゃって。もうおばあちゃんもそういう年齢なのかもね。ほら。よく言うじゃない?お年寄りは子供がえりするって。」

と、ふふっと小さく笑いながら言った。

「ううん。ママだって謝ることじゃないよ。おばあちゃんに会えて良かったもん。」

私はママを安心させたくて、さっき聞いてしまったことを忘れさせたくて、そう言った。でも、本当は違った。「咲乃はほんとに不幸だねぇ。」おばあちゃんの部屋を出た時からずっとおばあちゃんが私に言ったあの言葉が頭の中をぐるぐるとしている。「おばあちゃんなんで。わかってないのはおばあちゃんの方だよ。」本当はそう言いたかった。でも、おばあちゃんへの怒りが溢れるのと同時に、今までのおばあちゃんとの思い出が蘇ってきた。
だからあの時私はその言葉を言えなかったから。本当に、本当に大事な意味がそこにある気がしたから。

何となくだけど。