今日は三食、たらふく食えたか。
昨日は、おとついは、たらふく食えたか。
一度でも空、見上げたか。笑っとるか。
なあ、自分。今晩はたらふく食え。
ほんで窓から夜空、見上げてな。
満月出てたか、ほっそい三日月に笑ってしもたか。
地上から見える天空の景色のこと。
心ん中で教えてくれや。
返事は出来へんくても、ワシはちゃんと聞いとる。
全部聞いとるからな、安心して話しや。
ワシは、自分らのことずっと見守っとるんやで。
百万年前のことやったか、一千万年前のことやったか、はたまた一億万年前のことやったか。
今となっては、覚えてへん。
ワシがいくつ歳を重ねたんか、数えることすら忘れてしもた。
せやけどあの時、ワシとナミは、コバルトブルーの海を一面に見下ろせる天空の世界に居った。
神様たちが暮らす高天原ちゅうところや。
「透けるように美しく、鬼のごとく恐ろしい。触れないほど冷たく、燃え上がるほど熱い。深く深く永遠と続く、それでいて刹那の海」
ナミはそう言うとったなあ。
当時の俺には意味分からへんかったけど、年老いた今なら分かる。
あれはほんまに刹那の海や。
ワシは、そないな表現する繊細なナミを心の底から愛しとった。せやからこの暮らしが幸せやった。
そないなある日。
ワシらの運命が動き出したんや。
並んで座るワシとナミの前に、五つの喋る玉が空中を漂うて現れた。ぼんやりとした白い霧に覆われてやな。それぞれに異なる六色の光を発しとった。
「ナギ、ナミ。あなたたち二柱に命令を言い渡します」
ちなみに人間は一人、二人って数えるけど、ワシら神様は一柱、二柱って数えるねん。
最近やとほら、妹のために鬼退治する漫画でも、強いやつのこと柱て呼んどるやろ。まさにあんな感じや。ワシらは強くてかっこええ柱や。
「あなたたちで、国を作りなさい」
玉ゆうても、よう喋る玉やろ。まあ、五つの喋る玉っちゅうのはあれや。この世界で、一番最初に生まれた神様のこと。別天神ゆう名前や。
ワシとナギは進化の結果、人間と同じような見た目をしとるけど、別天神に姿や形はあれへん。
概念みたいな存在やからやな、とりあえず幽霊みたいな雰囲気でやな、ぼわぼわっとした玉に化けてやな、恨めしや〜ってな感じで突然現れる訳や。せやけど、言葉だけは流暢に喋れんねや。その点、コミュニケーションは取りやすくて有難かったな。
「私たちに国を作れ、というのですか」
横に座るナミが、目をまあるく開いて静かに言葉を発した。ナミはワシと違おて「玉が喋っとる! きゃ!」なんて騒がへんで。ちゃんと真面目に取り合うあたり、ほんまにええ子やろ。
一方の喋る玉かて一切動じひんで。ふらふら〜っと、恨めしや〜っと、浮遊したまま。
「そうです」なんて抜かしとる。
「そのような大切なことを、私たちが? 本当にやり遂げられますか」
「できるか、ではありません。やるのです。あなたたちが国を作るのです」
ふと横目でナミを見たら、産まれたばかりの仔羊みたいに震えとった。なんて健気な子なんや。可愛ええやろ。ワシはナミの背中にそっと手を添えた。ほんで、なるべく柔らかな口調で玉に質問したんや。
「詳しく聞かせて下さい。別天神さま」
ほんなら、そん時や。ワシの声に合わせるように、五つの玉がゆらゆらと前へ躍り出て大きな一つの玉になった。ほんで覆われた霧の狭間から、黄色い光をぱっと強く発したんや。
「うっ眩しい」
あまりの眩しさにナミが目を伏せた。これはあかん。守らなあかん。ワシは必死に、着物の袖でナミの視界を隠した。
「大丈夫か」
「ええ。ありがとう。ちょっと驚いてしまって。ごめんなさい」
ナミはワシの手をぎゅっと握りしめ、黄色の玉の方向へ顔を上げた。
「続けて下さい」
黄色の玉はしゅーっゆう音を立てながら、おっきく膨らんでいった。
「今ここは、まるで水に浮く油のよう。海の上を、クラゲのようにただふわふわと漂い続けているような。混沌とした状況です」
「混沌……」
「ナミ、ナギ。言っている意味は分かりますね」
「はい。でも、私はその海が大好きです。ふわふわと漂う油があるならば、もうそれで十分ではないでしょうか」
「大好きだからこそ、この海の上に一つの国を作るのですよ」
「国……。申し訳ありません。自信がありません」
勘ええ人らは気い付く頃かもしらへんから言うけどやな、国ってあれやで。自分らの住む日本のことやで。
今、ワシら日本作ろうとしてんねやで。
「私たちからの命令は絶対です。中つ国を固めて国を作るのです。逆らうことは出来ませんよ」
中つ国ゆうのは、あれや。今でいう地上。自分ら人間の住む島々のこと言うてんねんで。ワシらの居る世界が高天原で、自分ら人間が住む国が中つ国や。
まあ別にこれ、神様用語やから自分らは知らんくてもええけどやな。
「それは……分かっています。でも一体どうやって国を作るのですか」
「これを差し上げます」
黄色の玉はそう述べるや否や、また力強く発光したんや。強く、より強く発せられた光はいずれ縦に広がり、膨張し、黄金の輝きを纏おていった。
「決して朽ちぬ輝きを放つこの『天の沼矛』は、あなたたちを必ずや助けてくれるでしょう」
ナミは相変わらず震えとったけど、ワシは天の沼矛と呼ばれたそれを美しいと感じてしもたんや。見たこと無い黄金の輝きに、たった一目で吸い寄せられた。
それにや。
さっきも話した通り、そもそも別天神・・・・・・五つの喋る玉の命令には逆らえへん。
あれは所謂、学校で例えるところの校長先生と同じ位偉いんや。
神様界のトップオブザトップ。絶対的存在なんや。ただ、神様の社会っちゅうのは悲しいもんで、自分ら人間たちの暮らす学校みたいに転校やらなんややらっちゅう制度は存在せえへんのやで。もしワシらが校長の命令断って、学校中を敵に回したら……そないおっかないことあらへんわ。一貫の終わりや。八つ裂きにされるか追放されるか。想像しただけでワシの寿命が縮まってまうわ!
……て興奮してもうたけど、そもそも神様に寿命なんてあらへんがな。永遠の命やがな。亡くなったとて、黄泉の国で生き続けるだけやがな。がはは。
一方のワシらはまあ、学年主任くらいの立場やな。学年主任は、ワシとナミ含めて全部で七柱おる。神代七代ゆう名前で活動しとって、そこそこ権力はある方や。
現代で言うところのアイドル神セブンと同じ感覚やろか。あれはたしか、人間七人で上から順に神セブンやろ。
ワシは六位、ナミは七位。ぎりぎり神セブン入りしとる訳やな。
話がズレたけどやな。つまるところ、ワシらには国を作る以外の選択肢は無かったちゅうことが言いたい訳やな。
ほんでワシは天の沼矛を手に取り、ナミの青く澄んだ目を真っ直ぐに見つめた。
「ナミ、二人で一緒に国を作ろう」
「本当に出来るのかしら。私、不安で堪らないわ」
「大丈夫や」
「どうして大丈夫だって言えるの?」
「そんなん決まっとるやろ。俺がおるからや」
「ナギ君……」
「俺は、ナミを愛してる。二人なら、どんな壁も乗り越えられると信じてる。いや、ナミの前にある壁なんて俺が全部ぶっ壊してやる。何があっても守り抜く。絶対しんどい思いはさせへん。泣かせへん」
「ありがとう。ナギ君」
「やれるだけ所まででええ。やってみようや」
「頼りにしてるわ、ナギ君」
ワシは、ナミの頬にはらはらと流れる涙を親指で拭い、体を優しく抱き寄せた。
思い返すと、あれやな。ワシかっこええな。あまりのかっこよさに、頭くらくらしてきたわ。若かりし当時は、ワシのこと俺なんて呼んでしもて。ほんまかっこええな。
こうしてワシらは次の日、国を作るために天の浮橋に向かったんや。天の浮橋ゆうのは、現代で言う兵庫県は淡路島のあたりにある橋のことやな。
せやけど、橋ゆうても地上にはあらへん。まだ淡路島はおろか、日本ができる遥か昔の話やからな。地上から空を見上げたあたり、高天原に架かる橋や。
「ねえ、緊張してる?」
「そやなあ。一世一代のことやからな」
ワシがそう言うと、ナミは顔をくしゃと緩めて笑おた。
「私、ナギ君のお陰で吹っ切れたの」
「俺のお陰?」
「うん。今はもう、不安がない。怖くもない。素敵な国を作って、ナギ君とずっと幸せに暮らしていこうって決めたから」
ワシ、重めの女がタイプやねん。せやからこんなん言われたらもう可愛くて可愛くてしゃあないわけ。たまらんわけ。
「ナミ、ありがとう」
ワシはナミの体を抱き寄せた。
「早速始めよか」
そうしてワシらは二人並んで、天の浮橋から海に向かって天の沼矛を突き刺したんや。
矛の使い方なんて教わってないし知らへんからやな、サイズ的に取り合えずこんな感じ? どんな感じ? いけそう?ちゅう具合や。ええ~いと刺し込んで、鍋かき回す時みたいにやな、こおろこおろと掻き回した。あん時の海、結構な重さやったで。
人間ゆうたら二日目のカレー鍋が重くて混ざらんやら弱ちいこと言うけどやな、そんなん比にならん重量級の感覚やったわ。
まあワシ、重めのんはタイプやからええねんけどな。って違うか。
「そろそろかき混ざったかしら」
「せやな。引き上げてみようか」
ナミと息を合わせて天の沼矛を引き上げた、そん時や。突然、矛の先から白いなんぞやがぽたぽたあと滴り落ちて、海の上にずんずこずんずこ積もっていったんや。
「凄いわね、ナギ。海の上に塩が積もっていくわ」
なるほどな。矛から落ちる白い何かの正体は塩やったんか。って思うたけどやな。そない恥ずかしいこと好きな神の前で言わんほうがええ。共感しといたわ。
「ほんまやな。美しいな」
「ええ。海の上に地上が出来ていく」
ナミの言う通り、海の上にみるみるうちに島が出来た。
「自ずから凝り固まってできた島ね」
「自ずから、凝り固まって……」
それ、ええやん。「自(オノ)ずから凝り(ゴリ)固まってできた島」略して、
「オノゴロ島なんてどうや」
「良いじゃない。オノゴロ島にしましょう」
ワシ、渾身のダジャレや。自分覚えとくとええことあるで。
日本で一番最初にワシら神様が作った場所はオノゴロ島。日本のはじまりはオノゴロ島からっちゅうわけや。
せやけど自分ら人間は相変わらず好き勝手言うで。
淡路島周辺にある小島指して、「あれがオノゴロ島や」「ちゃう。これがオノゴロ島や」「証拠示し」言い合っとんのやで。
思い返したら、鎌倉時代には卜部兼方くんや、江戸時代には本居宣長くんらも文献にまとめておったけどやな。
知らんがな。
ワシかて、そない前の小島がどれやったかなんて覚えとるはずあらへんがな。ワシ、天空の橋の上から地上見下ろしててんで。そもそも、当時やてそないはっきり場所まで把握してへんわ。
ちなみにあれやで。今話題に挙げた卜部くんや本居くんに限らずやな、日本の偉人ら生み出したのも基本的にワシやで。偉人が凄いんやのうて、基本的にワシや。覚えといてな。
ほんでワシらは橋から飛び降りた。オノゴロ島に降り立ったんや。
「俺らだけの御殿を作ろう」
ワシはそう言うて、ワシらが住むに相応しい煌びやかな御殿を建てたんや。御殿の真ん中にはかっこええ柱も建てた。神様が作っとるわけやからな、えらい神聖な柱や。
「とっても美しく品のある御殿と柱ね」
ナミは御殿の中心に腰を下ろし、大きく息を吸いながら天井を見上げた。
「ほんまやな。それにしてもやな。やあ~広い御殿やな」
二柱で住むのにはもったいない程の広さやった。せやから、
「やあ~広い、やあ~ひろい、や~ひろい……、や~ひろ、やひろ!」
「ナギ? 突然どうしたの?」
ナミがまるっこい目を更に丸くしてワシを見つめる。
「この御殿の名前、思いついたったで! やひろ御殿や」
こうして、ワシ渾身二つ目のダジャレによって、新居の名前が決まったんや。
「本当、ナギったら可愛いんだから」
ナミと肩を並べて笑い合った。幸せやった。ここ、やひろ御殿で二柱の幸せな時間が永遠に続く。そう思った時や、
「島も御殿も出来たことだし、これからも一緒に暮らしてくださらない? 結婚しましょう」
突然、ナミがそう言った。
正味驚いたで。なんやったらその日、ワシもプロポーズしようと思っとったからや。新居も出来たことやし、これでナミを一生守れるて確信したんや。自分らに言うてへんかったけど、実はワシらまだ結婚してへんかったからやな。カップルのまま新生活するのもあれやから、ケジメつけるためにもプロポーズしようと思てた。
「先、越されてまったわ」
ワシは嬉しさのあまり震える両手でナミの頬を包んだ。
「手が震えているわ」
「カッコ悪いな。ごめん」
「ううん。カッコ悪くなんか無い」
「優しいな。ありがとう」
「ナギもプロポーズしようと思っていたの?」
「そうやで。それも今日、しようと思うとった」
「そうだったのね。ふふふ。そのプロポーズ、喜んでお受けいたします」
ナミは胸に手を当て、ちまこく、こてんと頭を下げた。
「俺もナミを一生大切にします。この先何があってもナミを守り抜きます」
「ありがとう。ついに新しい生活がはじまるのね」
「ああ。楽しみやな」
ほんでワシらは、たった二柱きりでこの上ない幸せな新婚生活を過ごしんたんや。好きな時間に寝て、好きな時間に起きる。寝ても覚めても好きな神が隣におる。その安心感ったらあらへん。
思い返したら、この一ヶ月がワシの神様生活でもっとも幸せな時間やったと思う。
そんなある日、極め付きの知らせが訪れた。
「ナギ、私。妊娠しているかもしれない」
「……妊娠?」
「ええ。お腹に赤ちゃんがいるわ」
「ナミ、ナミ! ありがとう! ほんまに嬉しい。ほんまにありがとう」
愛するナミとワシとの間に生まれる赤子や。どない可愛い子やろか。どない愛らしい子やろか。楽しみで楽しみでしゃあなかった。
ワシはお腹の大きいナミの体を庇いながら、食事も洗濯も掃除も出来ることは全てやった。ナミの負担を少しでも減らそうと慣れへん家事に全力投球したんや。
せやけど、幸せな生活はそない長く続かへんかった。
そもそも妊娠自体が奇跡なんてことは知っとったけどやな。
ナミの妊娠……、うまいこと続かへんかったんや。
赤子と一緒に三人で暮らす夢は叶わへんかった。あの当時は、自分ら人間みたいに、家のすぐそばに産婦人科なんてあらへんからやな。診てくれる医者もおらへんから原因も分からへんし、ワシらはただただ涙を流すことしか出来へんかった。
「私、これからどうしたら良いのか分からないわ」
ナミも酷く憔悴して、へこんどった。
「一度、高天原に戻らへんか」
「高天原に?」
「そうや。高天原で指示を仰ごう」
日本を産むことの出来る天の沼矛をくれた程の神や。高天原に戻れば、きっとあの喋る玉が助言をしてくれる。
ワシはそう信じ、ナミと一緒に高天原に帰ったんや。
高天原に到着すると、五つの喋る玉がどこからともなくワシらの前に現れた。
「中つ国の島産みに、成功したようですね」
ナミは意気消沈のまま「はい」とだけ返事をした。一方のワシは、それまでただの校長としか思てへんかった玉やのに、その姿を見た時やけに安心したんや。きっと校長であり親のような存在なんやろうな。信頼、しとったんやろな。
ほっとして、思うたままのお願いごとを言うたんや。
「実は島を産んだ後、ナミがお腹に赤子を宿しました」
「二柱の子供ですか」
「はい」
「それは素晴らしいことです」
「しかし長く続かず……。原因も分からず、私たちは深い悲しみの中にいます。どうすれば良いでしょう」
「状況は理解しました」
喋る玉はそう呟くと、ぱちんちゅう音と共に無数の骨をその場にばら撒いた。
「これは鹿の骨です。あなたたち二柱がこれからどうすれば良いか、占って差し上げましょう」
大小さまざまなサイズの骨が宙に浮き、玉の動きに合わせて無数の模様を作り、踊り出す。暫くして、玉が口を開いた。
「まず、二柱が最初に産んだ神は生きています。安心なさい」
「本当ですか」
「今、船にのって海の上を漂っています。元気な神に成長しますよ」
「ありがとうございます」
ほんまに、ほんまに安心した。ナミの愛する子がしっかりと元気に成長する。そない幸せなことあらへん。気い付たら大粒の涙を流しとった。
それにや。それから何万年が経ったあとの事。この子が恵比寿様っちゅう神に成長したと聞いた時は腰が抜けるほど驚いたわ。今、えべっさんって呼ばれとんのやろ? 七福神ちゅうのやろ? 現代の日本でめちゃめちゃ人気の神なんやろ? ワシは、ほんまに偉大な神を産んでもたわけや。いや~凄いわ。
ほっとして涙を拭いておったら、玉がまた口を開いた。
「あなた達が幸せになる方法が分かりました」
「教えて下さい」
「プロポーズです。プロポーズをやり直しなさい」
「プロポーズを?」
「どうやらナミからナギに、プロポーズをしたようですね」
「はあ。それの何がいけないのですか」
「あなたたち二柱の場合は、ナギから先にプロポーズをするべきでした。理由は分かりませんが、それが成功の秘訣と天が示しています」
正味、半信半疑やった。プロポーズの仕方がだめやったなんて、正味そないなこと校長に言われたないやん。
ナミが考えて考え抜いてくれたプロポーズやで。一生に一度の有難い言葉やで。やり直すってなんやねん。あほちゃうんか。とも思うたけど、目の前で言われるとやな、信じるほかないんやわ。
これ、遥か昔の話やしな。縋れる藁すらあらへんし、それ位しか頼れるもんがあれへんかった。
新居に帰ったワシらは、あの日と同じように柱の前に向かい合おた。言われるがままにプロポーズをやり直したんや。
「ナミ、俺と結婚してください」
「喜んで。ナギとずっと仲良く暮らしていきたいです」
ワシはナミをようけ抱きしめた。二度目にもかかわらず、ナミは嫌な顔一つせず快諾してくれはった。カッコ悪いワシを庇うように、笑顔で応じてくれたんや。
「ようけ辛い思いさせてごめんな。守るゆうたのに守り切れへんくてごめんな。この先は楽しいことしかあらへんからな。大丈夫やからな」
ワシは神に誓った。ゆうてもまあ、ワシが神な訳やからワシ自身に誓ったということやな。
ほんならや。驚くことにまたすぐに赤子を授こうたんや。
それだけやない。それに合わせるように次から次へと島が生まれていった。確か、淡路、対馬、壱岐、隠岐、佐渡とかいう八つの島を産んだんや。生まれた島の細かい名前はこれくらいしか覚えとらんけど、あっという間に十四つの島が生まれたんや。
見た目的には、ここらでめっちゃ今の日本に近づいてきてたと思うで。日本が島国たる所以はそういうことな訳や。
「ナギ、来て! 産まれるわ。赤ちゃんが産まれる」
ナミに呼ばれたワシは、ナミの元へ一目散に駆け寄った。無事に十月十日ほど続いとった妊娠。ぼちぼち産気づく頃やからナミの力を付けよかと、お勝手で塩むすびを作っとったんやけど、そんなもんシカトや。投げ出したわ。掌全部に米粒付けたまま全速力でナミの元へと向かった。
「吸って吐いて。吸って吐いて。呼吸やで、ナミ。呼吸が大事や」
そんなん言うて背中摩っとったら、赤子が生まれた。
夢にまで見た赤子や。それはそれはほんまに可愛い赤子やった。かけがえのないナミとワシの、かけがえのない子や。
「ナミ、ありがとう」
「こちらこそ。無事に生まれてきてくれて嬉しいわ。なんて可愛いの」
「これから家族三柱で仲良く暮らしていこう」
「ええ」
そうして暫く喜んでおったら、なんとまたナミが妊娠したんや。
「ナギ、来て! 産まれるわ。赤ちゃんが産まれる」
ほんで産んで、ほんならまた妊娠し、産んでな、妊娠し、産んでな、妊娠し、産んでな、妊娠しい……。
結果、産んだ赤子は合計三十五柱。
分かる? 三十五柱やで。自分ら人間の常識やと考えられへん数字やろ。多くてせいぜい五人とかやろ。せやけどワシら神様やからな、人間の考える常識なんて容易に逸脱していくわけや。鹿の骨占いのかいあってな、あっちゅう間に子ぎょうさんちゅうわけや。
心も体も大変な苦労して赤子を産んでくれたナミには、ほんまに心から感謝してる。
「これから家族三十うん柱、仲良う暮らしてこう」
てな具合やな。
せやけど、その幸せはここでも長くは続かへんかったんや。
まずワシらが産んどるんは赤子言うても神様やから、ナミは三十五柱の神様を産んどる訳やな。石の神、土の神、海の神、山の神、山の神、水の神、太陽の神、食べ物の神ってな具合や。
生まれた赤子が何を司る神かっちゅうのは、ワシらが決められる訳やない。生まれた時、既に決まっとる。
そうして最後に産んだ赤子が、火の神やったんや。
火の神は、ナミが産んだ瞬間から火の粉をまき散らし、勢い良く燃え上がっとった。火のだるまの中におる小さな赤子がわんわんと必死に泣くんや。
えらい恐ろしかった。ワシは我が子を取り上げることも触ることも出来へんかった。
「……ナミ? ナミ? 聞こえるか?」
ワシは、必死に火をかき分けて前に進んだ。燃え盛る我が子を横目に、ナミの元へと駆け寄った。
せやけど、ナミは出産した際に体全身に大やけどを負っとったんや。
「……おい、ナミ。……ナミ? ナミ。ナミ! ナミ!」
何度名前を呼んでも、ナミはぴくりとも反応せえへん。
「ナミ、聞こえるか。大丈夫か」
まさかと思うて、ナミの喉元に手を当てると、
ナミは……息を……、してへんかった。
プロポーズをやり直したとて意味あらへんかったんや。
占いなんて、信じるべきやあらへん。
絶対的存在なんて、命令なんて、あらへん。ワシはそう学んだ。自分らも人生の教訓として覚えといてくれや。
ワシは、生涯愛したただ一人の神を亡くしてしもた。
百万年、いや百億年たった今も、あの日の光景が脳裏に刻まれて、鮮明に蘇る。まるで昨日のことのように思い出す。夢に見る。
立ち直ったことなど一度たりとも無い。
考えぬように、考えぬように前向きに日々を送ろうと努めても、ふとした瞬間にナミの顔を思い出してまう。
火だるまの我が子の横で、全身に大やけどを負うナミの体。
脈を打たない喉。何度名を呼んでも反応せえへん、ひやこい体。
もう動かないナミを布団の上に眠らせで、一晩中、枕元や足元に這い回り泣いた。
部屋一面が洪水になるほど、ようけ涙を流した。
ほんでナミは、悲しみに暮れるワシを置いて、死んだ神が暮らす黄泉国へと行ってしまったんや。
「愛するナミの命。たった一柱によって無くしてまうなんて」
今思うたら、あの時ワシは持ちうる全ての理性を無くしとった。
「お前さえおらへんかったら」
あまりの悲しみに壊れかけていたんや。
「お前さえ。お前さえ。お前さえおらへんかったら」
そう思わへんかったら、ワシはナミを失おた苦しみを乗り越えていくことなど不可能やった。
生涯残る、ワシの懺悔。
悔いても悔やみきれへん懺悔。
どうかどうか。いつの日か、この醜く非道なワシを許したって下さい。
ワシは、ナミが産んだ愛する我が子の・・・・・・。
火の神の、首を・・・・・・、怒りのままに切り落とした。
非情やった。人の上に立つ神のすることやない。許されへん。
そないなことはワシが一番よう分かっとる。
せやけど、ただナミに会いたかった。
どうなってもええ。ただ、ナミに会いたかったんや。
ワシはナミに会うために、黄泉の国へ行く決心をした。
「ナミ! ナミ! 居るんか。聞こえるか」
せやけど黄泉の国は、ワシを一歩たりとも中に通してくれへんかった。孤独にも、入口の扉の前で泣き叫ぶことしか許されへんかった。
「ナミ、愛しとるで。ナミ。一緒に日本を作ろうと中つ国に行った日のこと、覚えとるか」
扉をようけ叩いた。力一杯叩いた。
「日本はまだ完成してへん。ナミと一緒やないと日本は完成せえへん。せやから帰ろう。一緒に中つ国に帰ろう」
ほんならそん時、扉の中からナミの声が聞こえたんや。
「悔しいです。ナギ」
「ナミか? そこに居るのか? ワシの声が聞こえるんか?」
「ごめんなさい。ナギ。先に逝ってしまって、悔やんでも悔やみきれません」
「そないなことない。一緒に帰ればええだけのことや。一緒に帰ろ。なあ」
「でももっと、もっと早く来てほしかった」
「もっと早く?」
「そうよ。もう遅い。間に合わないの」
「どういうことや」
「もっと早く来てくれていれば、私、帰れたのに」
「詳しく説明してくれ」
「私、こちらの食べ物を食べてしまったの。産気づいてから何も食べて無かったから、あまりの空腹に耐えきれなくて。でもね、黄泉の国には規則があったの」
「なんや」
「こちらの食べ物を食べたら、元の世界には決して戻れないっていう規則があった」
「そない……」
「決まりなんだって」
「そないなこと……」
「あるんだって。絶対なんだって。規則なんだって」
ワシは声を失おた。
「だからごめんなさい。もう現生には戻れないわ」
「せやけどナミ。ナミは日本を作るゆう重大な任務を抱えとる。せやから現世に戻らなあかん。なあ、一度相談してみてくれへんか」
「相談って……?」
「黄泉の国の王に掛け合おてみてくれ」
その言葉を言うた後、何十分にも感じるほど長い沈黙が続いた。
つい昨日まで一緒に仲良う暮らしとったナミが、扉の向こうにおる。ナミはすぐ傍におるはずやのに、扉は遠く、遠く、薄暗く、決して触れられぬほど重たく感じた。
「……ナミ? 聞こえとるか?」
いよいよ沈黙に耐え切れんくなったワシが口を開くと、ナミはゆっくりと言葉を紡いだ。
「はい。分かりました。相談してまいります」
何故か、敬語やった。
「ありがとう。ありがとう、ナミ」
ナミはワシの言葉を遮るように声を荒げた。
「しかし」
はっとして息を呑んだ。
「私が良いと言うまで、決して中を覗かないで下さいね」
ナミはそう言い残し、すたすたちゅう足音を立て黄泉の国の御殿の中へ入っていった。
それから何日、何週間、何年が経ったんやろう。
扉の前に取り残されたワシにはもう、時間の感覚など残ってへんかった。
ただ、ナミが戻ってくればええ。ナミに会えればええ。
ナミを待つことに一切の苦はなかったんや。
せやけど、待てど暮らせどナミがワシの元へ帰ってくることはあれへんかった。
「ナミの身に、何かあったんやろか」
膨れ上がった不安や悲しみが行き場を無くしかけたその時、
ガラガラガラッーーー。
強く吹き荒れる風によって、黄泉の国の扉が開いた。数ミリだけ開いた。
決してワシが触った訳やない。神すら知らぬ何かの力によって、偶然開いた。
「天の思し召しかもしれへん」
そう思ったワシは、開いた扉の隙間に瞳を擦り付けた。
中を覗くつもりなど毛の先ほども無かった。ナミからすれば言い訳に過ぎへんと分かっとるけれど、ほんまに中を覗くつもりなど無かったんや。
ただ不安で、ただ寂しうて、ただ怖うて、ただ悲しうて、ただナミを守りたかっただけやった。
黄泉の国は暗闇に包まれとった。一寸の光も無い。広がるのは、暗い黒い空間。
ワシは髪を束ね挿しておった簪を取り折り、火を灯した。火の回りがぽっと色付く。音を立てへんように扉を開け、そっとそっと中へ歩いて行ってん。
すると、見覚えのある後ろ姿を見つけた。間違えるはずなどない。愛する神の後ろ姿。
「……ナミ? ナミか? ナミ!」
ワシは大声を出し、ナミの方へと駆け出した。
「ナミ、会いたかった。ついに会えた。ついに会えたんや」
ナミの肩を掴もうとしたその時、ナミがぴくりと背中を動かした。
「信じていたのに……」
「え?」
ほんで、ゆっくりとワシの方を振り返った。
「ナギは決してこの扉を開けないと、信じていたのに……」
そうして振り返ったナミはもう、ワシの知っとるナミやあらへんかった。
艶やかやった髪は、見る影もない程ぼさぼさに広がり。
美しかった顔は、爛れて原型を留めず。
体中に大量の蛆虫がひしめき合い、素肌すら見えへんかった。
「どうして扉を開けたの」
ナミの目は怒りと悲しみに震えとった。
「どうして私に恥をかかせたの。どうしてこの姿を見てしまったの」
ワシは取返しの付かへんことをしてもうたんや。ナミから「私が良いと言うまで、決して中を覗かないで下さいね」と、そう言われとったのに。言われとったのに、その約束を破った。
たったそれだけの簡単なはずの約束を、破ってしもうた。
自分の情けなさに……いや、ちゃう。もうこれ以上ナミの姿を見てられへんかったワシは、扉の方へと駆け出した。結局ワシは、自分を守ることしか考えてへんかったやと思う。
今逃げ出したら、ナミが深く傷付くことを知っとった。
そもそも扉を開けたら、愛するナミとの約束を破ることを分かっとった。
それやのにワシは自分の欲に負けてまう。ナミを守り抜くと言葉で言いながら、ナミを守れたことなど一度たりとも無かった。
「ナミ、ごめん! ナミ」
謝りながら、泣きながら、ワシは足元の見えへん暗闇の中を必死に走り続けた。
「許さない! ナギ! 許さない」
しかしナミの怒りが収まることはあれへんかった。
ナミは黄泉の国でもっとも強く足の速い化け物を遣いに回し、ワシの後を追い回した。ワシは必死に逃げまどった。
ワシを捕まえることが出来へんかったナミは、それから更に千五百体の化け物を遣い、ワシを追い込んだ。
逃げれども、逃げれども、四方八方から得体のしれない追手が飛び出してくる。
いつから。どないして。こないなことに。
ワシはナミをただ愛して、ただ会いたかっただけやったのに。なんでや。
削られ続けた心から塵が落ち、淡い雪のように辺りを舞った。
暫く走り続けた道の先に、ナミがいた。
先ほどよりも爛れた醜い体で、ワシの前に立ち竦んどる。
「ああ、ナギ。私はあなたを愛してる。愛してるからこそ、許すことが出来ないの」
「ナミ……」
「この怒りをどこにぶつければ良いの。この悔しさを、恥ずかしさを、どこにぶつければ良いの。ねえ! 教えてよ」
こんな時、気の利いた言葉を何一つ思い浮かばない自分が心の底から憎らしい。
「何も言わないつもりなのね。もう良いわ、ナギ。そういうことなら、覚えていなさいよ」
「何をするつもりや」
「私たちが作った日本に仕返しをする。私、毎日千人の人を殺すわ」
「なんて事を言うんや! ナミ!」
「あなたに私を責める権利なんて無い! 分かっているでしょう。だって私が命がけで生んだあの子。火の神はどうして今、黄泉の国にいるの?」
「それは……」
「黄泉の国であの子に会ったわ。あなたがあの子にしたことも全部聞いた。驚いた。信じられなかった。最初は、あなたがそんな事をしたなんて信じたくなかった」
「違うんや。あれは違うんや……」
「違くない! 私はあの子を命にかえて守ったの。あの子のために死んだのに」
「ナミ……」
「それだけじゃない。あなたは、私との約束も破った。決して開けないでとお願いした扉を開けた」
ナミは聞いたことの無い声で、顔で、剣幕で、全身をわなわなと震わせとった。
……ああ、そうか。もう遅いんや。
分かったで。愛しかったナミ。
「君が一日千人殺すというのなら、俺は一日に千五百人の人を誕生させる。そうして俺たちが作った大切な日本を守る」
「あなたがいつ誰かを守れたっていうの? 何かを守れたことがある? ねえ、聞いてるの?」
そうして怒り狂い叫び続けるナミの前に、ワシは大きな岩を置いた。
一片の隙間も出来ぬよう詰め込み、ワシとナミが二度と会えぬよう道を塞いだ。
ゆっくりと目を瞑り、楽しかった日々の思い出に蓋をする。
「さようなら、ナミ」
ワシは、ナミを愛することを終えた。
それから中つ国に帰ったワシは、身体を清めるために川へ向かった。
もう、何も考える必要はあらへんかった。完全なる無やった。
蓋をした愛おしい思い出の日々を取り出すことがあれへんように、ワシは何度も何度も体を清めた。今でも覚えとる。あん時の水はただただ冷たく、凍えるほどに冷たく、ほんで一点の曇りもない。
日本を作ったことは決して間違いやあらへん。そう確信できるほど澄み渡る綺麗な川やった。
「ナミを失った今、私に出来ることは何もない」
高天原に向かって顔を上げそう呟いた時、川の中から声がした。
「お父さま。私たち、僕たちにお任せ下さい」
はっとして声のする方を見ると、対面に三柱の子どもたちがワシを見つめて微笑んどった。
「私たちは、あなたの子ですよ」
かつてのナミを思わせるように艶やかな黒髪を持つ一柱が、優しい声で呟いた。
「ナギとナミの子です」
「そうか。名は何と言う」
この子たちは、ワシら二柱が幸せな時を刻んだ証。愛おしい日々を紡いでいた証。
「私は高天原の神。アマテラスです」
艶やかな黒髪が風にそよいだ。
「僕は夜の神。ツキヨミです」
隣に立つ精悍な顔つきの柱が続けた。
「俺は海の神。スサノオだ」
最後に、屈強な筋肉を持つ柱が口を開いた。
「そうか。良い名や。ありがとう。後のことは、君たちに任せることにしよう」
ワシは、愛する我が三柱に、この世の全てを託すことを決めた。
この子たちが後世、日本の皆々から三貴神と呼ばれ愛される偉大な神様に成長することはまた後のお話。
日本が誕生したこと。
人間たちが暮らすこと。
どこかで誰かが誕生し、誰かが、亡くなること。
その全てがワシの愛と、大きな懺悔や。
せやから、どうかこれ以上。
現実に心を痛めないでおくれ。
なあ。
笑える時は、笑っておくれ。
ワシの、この老いぼれた神様の我儘に、どうか。
耳を傾けておくれ。
今晩の月、どんな形しとるやろな。
見上げたら、心の中でそっと、教えてくれるか。