高天原に到着すると、五つの喋る玉がどこからともなくワシらの前に現れた。
「中つ国の島産みに、成功したようですね」
ナミは意気消沈のまま「はい」とだけ返事をした。一方のワシは、それまでただの校長としか思てへんかった玉やのに、その姿を見た時やけに安心したんや。きっと校長であり親のような存在なんやろうな。信頼、しとったんやろな。
ほっとして、思うたままのお願いごとを言うたんや。
「実は島を産んだ後、ナミがお腹に赤子を宿しました」
「二柱の子供ですか」
「はい」
「それは素晴らしいことです」
「しかし長く続かず……。原因も分からず、私たちは深い悲しみの中にいます。どうすれば良いでしょう」
「状況は理解しました」
喋る玉はそう呟くと、ぱちんちゅう音と共に無数の骨をその場にばら撒いた。
「これは鹿の骨です。あなたたち二柱がこれからどうすれば良いか、占って差し上げましょう」
大小さまざまなサイズの骨が宙に浮き、玉の動きに合わせて無数の模様を作り、踊り出す。暫くして、玉が口を開いた。
「まず、二柱が最初に産んだ神は生きています。安心なさい」
「本当ですか」
「今、船にのって海の上を漂っています。元気な神に成長しますよ」
「ありがとうございます」
ほんまに、ほんまに安心した。ナミの愛する子がしっかりと元気に成長する。そない幸せなことあらへん。気い付たら大粒の涙を流しとった。
それにや。それから何万年が経ったあとの事。この子が恵比寿様っちゅう神に成長したと聞いた時は腰が抜けるほど驚いたわ。今、えべっさんって呼ばれとんのやろ? 七福神ちゅうのやろ? 現代の日本でめちゃめちゃ人気の神なんやろ? ワシは、ほんまに偉大な神を産んでもたわけや。いや~凄いわ。
ほっとして涙を拭いておったら、玉がまた口を開いた。
「あなた達が幸せになる方法が分かりました」
「教えて下さい」
「プロポーズです。プロポーズをやり直しなさい」
「プロポーズを?」
「どうやらナミからナギに、プロポーズをしたようですね」
「はあ。それの何がいけないのですか」
「あなたたち二柱の場合は、ナギから先にプロポーズをするべきでした。理由は分かりませんが、それが成功の秘訣と天が示しています」
正味、半信半疑やった。プロポーズの仕方がだめやったなんて、正味そないなこと校長に言われたないやん。
ナミが考えて考え抜いてくれたプロポーズやで。一生に一度の有難い言葉やで。やり直すってなんやねん。あほちゃうんか。とも思うたけど、目の前で言われるとやな、信じるほかないんやわ。
これ、遥か昔の話やしな。縋れる藁すらあらへんし、それ位しか頼れるもんがあれへんかった。
新居に帰ったワシらは、あの日と同じように柱の前に向かい合おた。言われるがままにプロポーズをやり直したんや。
「ナミ、俺と結婚してください」
「喜んで。ナギとずっと仲良く暮らしていきたいです」
ワシはナミをようけ抱きしめた。二度目にもかかわらず、ナミは嫌な顔一つせず快諾してくれはった。カッコ悪いワシを庇うように、笑顔で応じてくれたんや。
「ようけ辛い思いさせてごめんな。守るゆうたのに守り切れへんくてごめんな。この先は楽しいことしかあらへんからな。大丈夫やからな」
ワシは神に誓った。ゆうてもまあ、ワシが神な訳やからワシ自身に誓ったということやな。
ほんならや。驚くことにまたすぐに赤子を授こうたんや。
それだけやない。それに合わせるように次から次へと島が生まれていった。確か、淡路、対馬、壱岐、隠岐、佐渡とかいう八つの島を産んだんや。生まれた島の細かい名前はこれくらいしか覚えとらんけど、あっという間に十四つの島が生まれたんや。
見た目的には、ここらでめっちゃ今の日本に近づいてきてたと思うで。日本が島国たる所以はそういうことな訳や。
「ナギ、来て! 産まれるわ。赤ちゃんが産まれる」
ナミに呼ばれたワシは、ナミの元へ一目散に駆け寄った。無事に十月十日ほど続いとった妊娠。ぼちぼち産気づく頃やからナミの力を付けよかと、お勝手で塩むすびを作っとったんやけど、そんなもんシカトや。投げ出したわ。掌全部に米粒付けたまま全速力でナミの元へと向かった。
「吸って吐いて。吸って吐いて。呼吸やで、ナミ。呼吸が大事や」
そんなん言うて背中摩っとったら、赤子が生まれた。
夢にまで見た赤子や。それはそれはほんまに可愛い赤子やった。かけがえのないナミとワシの、かけがえのない子や。
「ナミ、ありがとう」
「こちらこそ。無事に生まれてきてくれて嬉しいわ。なんて可愛いの」
「これから家族三柱で仲良く暮らしていこう」
「ええ」
そうして暫く喜んでおったら、なんとまたナミが妊娠したんや。
「ナギ、来て! 産まれるわ。赤ちゃんが産まれる」
ほんで産んで、ほんならまた妊娠し、産んでな、妊娠し、産んでな、妊娠し、産んでな、妊娠しい……。
結果、産んだ赤子は合計三十五柱。
分かる? 三十五柱やで。自分ら人間の常識やと考えられへん数字やろ。多くてせいぜい五人とかやろ。せやけどワシら神様やからな、人間の考える常識なんて容易に逸脱していくわけや。鹿の骨占いのかいあってな、あっちゅう間に子ぎょうさんちゅうわけや。
心も体も大変な苦労して赤子を産んでくれたナミには、ほんまに心から感謝してる。
「これから家族三十うん柱、仲良う暮らしてこう」
てな具合やな。
せやけど、その幸せはここでも長くは続かへんかったんや。
まずワシらが産んどるんは赤子言うても神様やから、ナミは三十五柱の神様を産んどる訳やな。石の神、土の神、海の神、山の神、山の神、水の神、太陽の神、食べ物の神ってな具合や。
生まれた赤子が何を司る神かっちゅうのは、ワシらが決められる訳やない。生まれた時、既に決まっとる。
そうして最後に産んだ赤子が、火の神やったんや。
火の神は、ナミが産んだ瞬間から火の粉をまき散らし、勢い良く燃え上がっとった。火のだるまの中におる小さな赤子がわんわんと必死に泣くんや。
えらい恐ろしかった。ワシは我が子を取り上げることも触ることも出来へんかった。
「……ナミ? ナミ? 聞こえるか?」
ワシは、必死に火をかき分けて前に進んだ。燃え盛る我が子を横目に、ナミの元へと駆け寄った。
せやけど、ナミは出産した際に体全身に大やけどを負っとったんや。
「……おい、ナミ。……ナミ? ナミ。ナミ! ナミ!」
何度名前を呼んでも、ナミはぴくりとも反応せえへん。
「ナミ、聞こえるか。大丈夫か」
まさかと思うて、ナミの喉元に手を当てると、
ナミは……息を……、してへんかった。
プロポーズをやり直したとて意味あらへんかったんや。
占いなんて、信じるべきやあらへん。
絶対的存在なんて、命令なんて、あらへん。ワシはそう学んだ。自分らも人生の教訓として覚えといてくれや。
ワシは、生涯愛したただ一人の神を亡くしてしもた。
百万年、いや百億年たった今も、あの日の光景が脳裏に刻まれて、鮮明に蘇る。まるで昨日のことのように思い出す。夢に見る。
立ち直ったことなど一度たりとも無い。
考えぬように、考えぬように前向きに日々を送ろうと努めても、ふとした瞬間にナミの顔を思い出してまう。
火だるまの我が子の横で、全身に大やけどを負うナミの体。
脈を打たない喉。何度名を呼んでも反応せえへん、ひやこい体。
もう動かないナミを布団の上に眠らせで、一晩中、枕元や足元に這い回り泣いた。
部屋一面が洪水になるほど、ようけ涙を流した。
ほんでナミは、悲しみに暮れるワシを置いて、死んだ神が暮らす黄泉国へと行ってしまったんや。
「愛するナミの命。たった一柱によって無くしてまうなんて」
今思うたら、あの時ワシは持ちうる全ての理性を無くしとった。
「お前さえおらへんかったら」
あまりの悲しみに壊れかけていたんや。
「お前さえ。お前さえ。お前さえおらへんかったら」
そう思わへんかったら、ワシはナミを失おた苦しみを乗り越えていくことなど不可能やった。
生涯残る、ワシの懺悔。
悔いても悔やみきれへん懺悔。
どうかどうか。いつの日か、この醜く非道なワシを許したって下さい。
ワシは、ナミが産んだ愛する我が子の・・・・・・。
火の神の、首を・・・・・・、怒りのままに切り落とした。