私は夕飯をあっという間に平らげ、課題に取り組んでいた。すると、
「ただいまー」
とお母さんの声がしたので、一旦ノートを閉じた。
「カップラーメンいただきました」
「あっ、食べたんだ」
お母さんが、ふぅぅ~…と息を吐いたので、疲れてそうだなぁ、と思った。こういう時は、お互い好きなことをして過ごすのが一番なのだ。
「ということなので、課題もちょうど区切りついたから外出てくる」
「うん。行ってらっしゃい」
そう言って、ベランダに出る。
夜のベランダは、私だけの世界なのだ。
大都会ではないものの、夜になるとビルの明かりがぼやけて光って、澄んだ夜の空気になびいている。
この景色が見れるから、生きていける。
「…綺麗」
いつも言っている気がする。でも、何回言っても足りないくらい、それは私にとっての大きな希望になっている。
「…あ」
突然、男の人の声がした。
「…えっ?」
私は、とっさにその声がした方を見た。
そこには、なんと。
おとなりさんが、いるではないか。
アパートの私の部屋の、右のお部屋の。
「あ…、こんばんは…?」
その人は、あからさまにぎこちない感じが染み出てしまっている声で言った。でも、声色は優しかった。確か、三和(みわ)さんだったかな。ちょっと前に引っ越してきた、若い男の人だった気がする。
「え、あ、まぁ、こ、こんばんはです…?」
私はとりあえず挨拶を返す。すると、お互い何をどうすればよいのかわからないのか、沈黙が流れる。
え、なにこれ。
世界一気まずい空間なんだけど。
「…え、いつも出てないですよね、ベランダ」
もうさすがに沈黙に耐えられなくなった私は、そう質問した。私は毎晩出ているけれど、もしお互いが気づいていなかっただけで、ずっと前から一緒に夜を過ごしていたとすれば…。なんかなぁ…。
どうして自分がそんな質問をしてしまったのか、自分でもよくわからない。
「あっ、はい、出てないです。今日はたまたま」
「ですよね。私、毎晩出てるんで」
一応…。というか。
名前、知りたいな。
「…お名前、三和さんでしたっけ。私、小野藍詩(おのあいし)です。よろしく」
「僕、三和夕矢(みわゆうや)です。こちらこそ、よろしく」
夕矢。いい名前。しかも、今私制服だから高校生だってわかるはずなのに、めっちゃかしこまってる。
なんかこの人、おもしろいな。
「…もしかして僕、中入った方がいいですか?邪魔しちゃった?」
「いや、別に」
「申し訳ないですっ、入ります!」
「えっ、いや、ちょっ…」
「また!!」
…え、なんだったんだ?しかも、「また」って…。勝手に次会う約束みたいに…。
マジで、へんなの。
いいや。とりあえず、いつもの仮の自分で過ごしておけば。こんな人、もうどうせベランダで会うことなんてないでしょ。
でも、明日の夜は。明日の夜だけは。
待っててみようかな。面白かったし。
今夜は、普段見えないはずの小さな星まで、全てキラキラ輝いて見えた。