「藍詩、弱い気持ちに負けないで。そのままでいいから。絶対、後ろめたくなったら負けだよ。そのままの藍詩でいいんだよ」
とうとう、ずっとこらえていた涙が溢れ出てきて、止まらなかった。
「逃げてもいい。助けを求めてもいい。そんなの、いくらしたっていいから。今いる所から、絶対離れないで。無理に変わろうとしなくても、いつか変わろうと思える日が来る。そうやって、藍詩は強くなっていくから。絶対、大丈夫」
根拠もないような言葉に救われる夜もある。それが人間なのだ。
私は、そんな単純なことを知らなかった。
「藍詩は、藍詩のままでいい」
夕矢さんが、強く、でも優しい声で言った。その言葉には、絶対、と確信できる何かがあった。
背中を押されているような感覚よりも、夕矢さんが私に送ってくれる大切な言葉に、ただ前まで抱いていた感情が、涙と共に溢れ出ている気がする。
「…なんで、ですか」
そう言ってしまったのは、理由の言葉が欲しかったからだ。
自分が、勇気を望んでいたからだ。
「藍詩なら、そのままで生きていけるからだよ」
涙で視界がぼやけているため、夕矢さんの顔は見えない。けれど、夕矢さんの言葉は、耳に焼き付いていた。
「みんな、ありのままで生きていいからだよ」
私は、もう我慢できなくなって、声を上げて泣いた。
「なんで嫌いになんかなっちゃったんだろう…。もう嫌だ!人に甘えたくないのにっ、結局、私は人に頼っちゃう…!!嫌だ!!嫌だ嫌だ嫌だ…!」
「…何で嫌なの?何が嫌なの?」
「素直になれない自分が嫌だ…」
夕矢さんが、私の頭を撫でた気がした。温かくて、またじんわりと涙が滲んできそうだった。
見上げると、
「もう、それって充分素直だと思うけどね」
と微笑んだ夕矢さんがいた。
「ちゃんとそう言えるんだから。僕は、それってもう素直なんだと思うよ」
今にも荒れ狂ってしまいそうだった私の心に、応急処置をしてくれたように感じた。
けれど、夕矢さんはそんなことを思っていないだろう。
あの夕矢さんの顔は、今までで一番、優しく見えた。
本当の、微笑みだったのだ。
「いいんだよ。時にはそうやって、自暴自棄になっちゃうのが人間なんだもん。それをずっと藍詩は耐えてきたんだから」
夕矢さんが肩をさすってくれる。おかげで、少し落ち着いてきたような気がした。
「…夕矢さん、私、ごめんなさい」
「藍詩が言ったでしょ?謝らないでって。僕も同じ。謝らなくていいよ」
そんな夕矢さんの顔に、また涙がこぼれそうになってしまう。
「…もうだめだ、夕矢さん、もう今夜ずっとぐずぐずしてるかも…。何年ぶりかに泣いたから、止まらない…」
「いいよ。ずっとこらえてきた分、たくさん泣きな。すっきりするから」
うぅ…優しさの塊が隣にいると、こんな些細な言動だけでうるうるしてしまうのか、私…。
そんな夕矢さんに、私は、言いたいことがあった。
「夕矢さん。夕矢さんは、教師になる夢どうなったの?」
「え、僕?…やっぱり、諦めることにした。でも、藍詩のおかげで、また他で頑張ろうって思えたよ」
私の言葉で、夕矢さんを助けられたのかな。そう思った。
「…僕が少しでも藍詩の助けになれたなら嬉しいな。だから藍詩の気持ちが少し動いた瞬間があれば、僕はいい」
そんなの、何度も動いたよ。そう言いたかった。
夕矢さんみたいに、私も夕矢さんに助けられた。
だから、私も夕矢さんのように変わりたい。変わってみたい。そう思える勇気がある。
「…私、夕矢さんの期待に応えるっていうか…。私も少しずつ、変わってみます。夕矢さんが夢を諦めたことは、夕矢さん自身後悔してないかもしれないけど、その分の思いも担いで」
夕矢さんは驚いた顔をしたけれど、やがて笑顔になった。
「…ありがとう」
その決断が、良くない方向へ行ってしまっても。
私たちなら、きっとまた立ち直れる気がした。