ぼんやりしていると、歩果ちゃんが言った。
「ごめんね、ぜんぜん関係ない水波ちゃんのこと巻き込んじゃって」
ハッとする。
「えっ? あ……ううん、ぜんぜんそれはいいんだけど」
「宣伝付き合ってくれてありがとう」
「ううん……」
ぼんやりとした返事をする私を見て、歩果ちゃんが首を傾げる。
「どうしたの?」
「……あ、うん。なんか歩果ちゃんを見てたら、ちょっと懐かしいなって思って」
「懐かしい?」
歩果ちゃんはきょとんとした顔をして、私を見上げた。
「なにが?」
「私もよく、親友と喧嘩したなぁって」
「えっ、水波ちゃんが?」
歩果ちゃんは信じられないとでも言いたげな目を向けてくる。
「意外?」
「うん。ちょっと……水波ちゃん、落ち着いたイメージだったから」
「私だって喧嘩くらいするよ。あ、でも、私も意外だったよ。歩果ちゃんもほんわかしたイメージだったから」
「ふふっ」
じゃあお互いさまだね、と笑い合う。
本当だ。
「私も、よく喧嘩をしてはお互いわんわん泣いて、でも最後は笑って手を繋いで仲直りしたんだけどね」
でも……。
かすかに胸が痛み、私は目を伏せた。
「でもね、今はちょっと後悔してるんだ」
「後悔?」
「最後はそうはならなかった。喧嘩したまま、永遠にさよならになっちゃったから」
「えっ……最後って……もしかして」
歩果ちゃんは恐る恐ると言った様子で、私に訊ねる。
「その子、死んじゃったんだ」
歩果ちゃんは、私を見つめたまま黙り込んだ。
「……私ね、その親友との最後の記憶が喧嘩しちゃった記憶なんだ。それを、今もずっと後悔してる。あのときもっと早く謝ってたらって」
あの日、もし謝っていたら、どうなっていただろう。手を胸にやり、考える。
結果がたとえ同じだとしても、この重い心は、少しは軽くなっていただろうか……。
「あのときは、それが最後になるなんてこれっぽっちも思わなかったなぁ……」
そのうちいつも通りに仲直りして、また笑って過ごせるものと思っていた。明日も、その先もずっと変わらない毎日が待っているのだと信じて疑わなかった。
でも、どんなに後悔しても、あの子はもういない。あの日は二度と戻らないし、あの子と仲直りすることは、永遠に叶わない。
「この後悔を、私はこれからも一生背負って生きてくんだなって思ったら、結構キツくて」
私は歩果ちゃんに微笑みかけた。歩果ちゃんは、眉を八の字にして、唇を噛み締めて私を見つめる。
「……大丈夫。今ちょっと話しただけの私だって、歩果ちゃんのことすごくいい子だなって分かったよ。ふわふわしてて可愛いし、穏やかだけど明るいし、話しててすごく楽しかった。だからね、琴音ちゃんと喧嘩しちゃったことを後悔してるなら、ちゃんと話し合って仲直りしてほしいって思う」
心の中でどんなに後悔していても、思いは口にしなければ伝わらないから。
「私はもう同じような後悔を二度としたくないし、私の大切な人たちにもしてほしくない」
「大切な人……?」
「うん。歩果ちゃんとは今日初めて話したけど、いい子だなって思ったから。歩果ちゃんは、私の大切なクラスメイトだよ」
「……水波ちゃん」
歩果ちゃんが私の手をぎゅっと握る。その手は小刻みに震えていた。
「ほんとはね、私も琴ちゃんと仲直りしたいんだ。でも……もう嫌われちゃったかもって思ったら、怖くて」
「琴音ちゃんの性格、私はあんまりよく知らないけど……そんなことで歩果ちゃんを嫌うような子なの?」
優しく聞くと、歩果ちゃんはぶんぶんと強く首を振った。
それなら。
「話しに行こっか」
体育館前に戻ると、バスケ部の集団はいたものの、琴音ちゃんの姿はなかった。
「あれ、いないね。どこに行ったのかな」
「やっぱり目が合ったのに無視して行っちゃったこと、怒ってるのかも……」
歩果ちゃんのテンションがするすると下がっていく。
そんな歩果ちゃんの頬を、ちょんとつついた。歩果ちゃんが顔を上げて私を見る。
「違うよ。きっと歩果ちゃんのこと探してるんだよ」
「そ、そうかな? そうだよねっ」
よしっ、と、歩果ちゃんがガッツポーズをする。
表情が天気のようにころころと変わる歩果ちゃんに、
「ふふっ」
私は思わず笑ってしまった。
「えっ? なになに、水波ちゃん、今なんで笑ったの?」
歩果ちゃんは不思議そうに、大きな瞳をまるまるとさせて私に顔を寄せた。
「いや、ごめんね。可愛いなって」
「えぇ、なにそれ! 私より可愛い人に言われても嬉しくないよ」
歩果ちゃんは今度はぷんすかと怒ったふりをした。
「そんなことないよ。このほっぺとかめちゃくちゃ可愛いよ、ほら」
ふくれた頬をつんとすると、ひゅっと空気が抜ける。その顔がおかしくて、私はさらに笑う。
「私の顔で遊ばないでよっ」
と、歩果ちゃんが私の腕に抱きついてきた。
「ごめんごめん」
それでも笑いをこらえ切れないでいると、
「もう、今度はなに?」
歩果ちゃんは、ずいっと私に顔を寄せて追求してきた。
私はようやく笑うことをやめて、言った。
「……ううん。なんかね、嬉しいの」
「嬉しい?」
「ふたりが喧嘩しちゃったことはあまりいいことじゃないのかもしれないけど、ふたりが喧嘩したことで私が歩果ちゃんと話すきっかけができたのかなって思ったら、ちょっとラッキーだったかもって思っちゃって」
なにより、歩果ちゃんがこんなに可愛くて面白い子だなんて思わなかった。話してみなければ分からないこともあるものだとつくづく実感した。
歩果ちゃんはしばらく私の顔を眺めると、ぷはっと笑った。
「そっかぁ。じゃあ私が琴ちゃんと喧嘩したのは、水波ちゃんと仲良くなるためだったんだね!」
「……うん。そうかも」
ふたりの喧嘩が私のための喧嘩だったなら、私もふたりがちゃんと仲直りできるように協力しなきゃ。
そう、素直に思った。
「……水波ちゃんってなんか不思議。私ね、実を言うと、最初は水波ちゃんのことちょっとだけ苦手だったんだ」
「え? そうなの?」
「うん。水波ちゃん、大人っぽくてきれいだし、だれとも仲良くしようとしないから、私たちのこと子供っぽいとか思ってるのかなって勝手に思ってた。だけど、本当はすっごく優しくて前向きなんだね! 私、ぜんぜん知らなかった。誤解してて本当にごめんね」
きょとんとするのは、今度はこちらの番だった。目を丸くして、歩果ちゃんを見つめる。
「前向き? 私が?」
「うん。すっごく前向き! 水波ちゃんに大切に思われてるその親友が羨ましくなっちゃったよ」
「……そうかな」
曖昧に笑う。今さらいくら思ったところで、と思っていたけれど……。
「そうだよ。思いは人を変えるってよく聞くけど、本当だったんだね! それから、じぶん自身も」
「じぶん自身も?」
「そうだよ。私ね、昔から人見知りで、琴ちゃん以外友達いなかったんだ。ぶっちゃけほしいとも思ってなかった」
でも、と歩果ちゃんが私を見上げる。
「私、水波ちゃんのことすごく好きかも。友達になりたい。大切なクラスメイトじゃなくて」
私がさっき言った言葉を引用して、歩果ちゃんは私へ思いをまっすぐに伝えてくれる。
うわ……。
心の中に小さく点っていた灯火が、ふわふわと全身に流れていくようだった。
思わず黙り込む。そのあたたかさに放心した。
……すごい。
心があたたまったときって、人は言葉を失くすんだ。
しばらく感動に浸っていると、
「……水波ちゃん?」
大丈夫? と歩果ちゃんに顔を覗き込まれ、ハッと我に返る。
「あ、だ、大丈夫」
「そっか、よかった」
歩果ちゃんは安心したように微笑んだ。
「あのね、歩果ちゃん。私も……」
私も歩果ちゃんと友達になりたい、と言おうとしたときだった。
「――歩果っ!」
渡り廊下に、凛とした声が響いた。
声のほうへ視線を向けると、琴音ちゃんがいた。
「あ……琴ちゃん」
「やっと見つけた」
琴音ちゃんは一度私を一瞥してから、歩果ちゃんへ視線を戻した。
「こんなとこで、なにしてんの」
「えっと……」
歩果ちゃんは琴音ちゃんを前にしてやっぱり怖気付いたのか、私の手をぎゅっと握ったまま黙り込んでいる。
私は歩果ちゃんを見て、微笑む。
「……大丈夫。さっき、私に言ったことをそのまま琴音ちゃんに言えばいいんだよ」
琴音ちゃんは額にうっすらと汗をかいていた。
髪も乱れているし、きっと、あちこち回って歩果ちゃんを探していたんだろう。
そんな子が、歩果ちゃんの気持ちを聞いていやになるはずがない。
「……なんで榛名さんといるの?」
「あ……私、ひとりで宣伝するの怖くて、交代のとき一緒にいた水波ちゃんに頼んだの」
歩果ちゃんは萎縮した様子で、小さく答えた。
「……なんで」
琴音ちゃんはどこか悔しそうに私を見た。
「なんで私に言わなかったのよ。しかもなんでこの子なの? 歩果には私がいるじゃん! 私とはもう友達じゃないってこと!?」
「ち、違うよっ! そんなこと思ってない! ……けど、琴ちゃん教室でもずっと私のこと無視してたし……それに琴ちゃんだって、私のこと放ったらかしで女バスの子たちと一緒にいたじゃん!」
「それは……」
琴音ちゃんの目が泳ぐ。
「……だって、歩果があんなこと言うから……」
「私が悪いの!? そもそも先に約束を破ったのは琴ちゃんのほうなのに!」
「だから謝ったでしょ! いつまでぐだぐだ言ってるのよ!」
「ちょっ……」
私はおろおろしながら、言い合いするふたりの仲裁に入る。
「ふたりとも落ち着いて……とりあえずちゃんと話し合おうよ」
よくドラマで聞くようなセリフを言ってしまった。しかも、カタコトで。
……情けない。
仲直りをしたほうがいいと言ったのは私なのに、こんなときに私は気の利いたことをなにも言えない。
そして、ふたりの喧嘩も止まらない。
「私は必死に歩果のこと探してたのに! 歩果は榛名さんと呑気に買い食い!? 信じらんないんだけど!」
「……それ、は……」
歩果ちゃんはとうとうしゅんとして、俯いてしまった。
小さな身体がさらに小さくなる。今にも泣きそうな横顔が見えて、私は思わず、歩果ちゃんの手をきゅっと握り返した。
「……あの、私が出しゃばることじゃないかもしれないけど」
「歩果ちゃんは、ずっと琴音ちゃんのこと考えてたよ」
ふたりの視線が、私に向く。
「榛名さん?」
「……いきなりごめん。私部外者だけど、歩果ちゃんから少し話聞いちゃったんだ。それで思ったの。琴音ちゃんはさっき、いつまでぐだぐた言ってるのって言ったけど……歩果ちゃんは琴音ちゃんに怒ってるんじゃないと思うよ」
「え?」
「きっと、寂しかったんだよ」
「寂しかった……?」
琴音ちゃんは戸惑いがちに、私と歩果ちゃんを交互に見つめた。
「琴音ちゃんも、歩果ちゃんと私がいるところを見て、なんでって思っただろうけど……でもそれも、歩果ちゃんを大切に思っているからこそであって、歩果ちゃんに怒っているからじゃないでしょ? ふたりとも寂しかったんだよね。じぶんにとってすごく大切な友達が、急に他人に取られちゃったような気がして。ね、歩果ちゃん」
「うん……私……本当はずっと、琴ちゃんと仲直りしたかった。今日も、本当は琴ちゃんと一緒に回りたかった。……意地張ってごめんなさい」
「歩果……」
琴音ちゃんは小さく首を振り、歩果ちゃんへ歩み寄る。
「ごめん、歩果……私、バスケ部のみんなが歩果と話したいって言ってたから、私も私の友達を紹介したくて……歩果の気持ちも考えずに勝手なことした。歩果が人見知りなのは知ってたのに……私こそ、ごめん」
そう言って、ふたりはちょっと恥ずかしそうに微笑み合った。
無事仲直りして笑うふたりを見て、私もどこか、心が軽くなったような気がした。
その後、私はお祭りの喧騒から切り離された中庭にいた。
噴水の縁に腰を下ろして、自販機で買ったトマトジュースを開ける。
ストローを咥えたまま空を見上げると、抜けるような青空が見えた。視線を落とし、遠くから聞こえてくる賑やかな音に耳を傾ける。
歩果ちゃんと琴音ちゃんを見て、思い出したことがある。
二年前のあの日、私は来未と喧嘩をした。喧嘩と言っても、今日のふたりみたいな感じで、無視し合っていたのだ。
なにかのきっかけで来未が私を無視し始めて、それで私も怒って、来未を無視した。
あのとき来未は、フェリーからひとりで出て行ってしまって……残された私はどうしたんだっけ……?
どこかにあるであろう記憶を探しているときだった。
「やぁ」
突然頭上から声が降ってきて、その声に弾かれたように顔を上げる。
「え……あ、綺瀬くん!?」
目の前に、綺瀬くんがいた。
「えっ……えっ? どうして? なんで綺瀬くんが私の学校にいるの!?」
驚く私に、綺瀬くんはしたり顔で言う。
「なにって、水波の文化祭を見に来たんだよ。学校での様子も見てみたかったし。あちこち探し回ってようやく見つけたと思ったら、クラスメイトの喧嘩の仲裁なんてしてるんだもん、びっくりしちゃった。かっこよかったよ、水波ちゃん」
「……もしかして、ずっと見てたの!?」
じわじわと恥ずかしさが込み上げる。
信じられない。見ていたなら声をかけてくれたって良かったのに。
「盗み見とか信じられない……」
「ごめんって。そんなに怒るなよ」
うなだれる私を見て、綺瀬くんはくすくすと笑っていた。
今日の綺瀬くんの格好は、黒のVネックティーシャツに、黒のパンツ。黒ずくめだ。
少し暑そうな気もするけれど、背の高い綺瀬くんに黒はよく似合う。
「でもすごいじゃん、水波。あの子たちは水波のおかげで大切な親友を失わずにすんだんだよ」
「……そう、かな?」
私は風になびく髪を整えながら、そわそわと落ち着かない心地になる。ちらりと綺瀬くんを見ると、にこにことして私を見ていた。
「そうだよ。えらいえらい」
不意に頭を撫でられ、どきりとする。
「……私はただ、綺瀬くんが教えてくれたことをあの子たちに言っただけ。素直になるって恥ずかしいし難しいけど、思いは口にしないと伝わらないって分かったから」
逆に、ちゃんと話せば分かってもらえるんだということも。
「それに……歩果ちゃんいい子だったし、私みたいに後悔してほしくなかったから」
綺瀬くんは「そっか」と微笑むと、なにやらバッグを漁り、不意になにかをずいっと差し出してきた。
「頑張った水波にはご褒美にこれをあげよう」
「……なにこれ」
「さっき買ったパウンドケーキ」
「一本まるごと!?」
「うん。だってそうやってしか売ってなかったんだもん」
「だもん、って……」
綺瀬くんが差し出してきたのは、マーブル模様のパウンドケーキだった。色味からして、チョコとプレーンだろうか。たぶん、調理科の屋台で売っているやつだ。
「がぶっとどうぞ」
「う……じゃあ、ひとくち」
綺瀬くんに促され、私は言われるままパウンドケーキにかじりついた。噛んだ瞬間、ふわりとバナナの甘い芳香が鼻に抜ける。
「……おいひい」
「でしょ?」
綺瀬くんは自分もパウンドケーキにかじりつく。綺瀬くんが食べたのは、私がかじったところだった。
「えっ」
思わず声が出てしまい、慌てて口を押さえる。
「ん?」
綺瀬くんはきょとんとした顔を私に向けた。
「……な、なんでもない」
私は見てはいけないものを見てしまったような気がして、サッと顔を逸らす。
顔が熱い。
綺瀬くんは、呑気に空を見上げながらパウンドケーキを食べている。ぜんぜん、私のことなんて意識してないって顔をして。
べつに、こんなのどうってことない。間接キスだなんて、今どき付き合ってなくてもふつうにするんだし。
……でも。でもなぁ。
少しだけ悔しい、なんて思ってしまう。だってなんだか、私ばっかり意識してるみたいで。綺瀬くんだって、私のこと好きって言ったくせに。
……綺瀬くんは、このあとどうするのだろう。帰るのだろうか。もし、時間があるならもう少し一緒にいたいなぁ。
私は意を決して、綺瀬くんへ身体を向けた。
「あの……綺瀬くん」
「ん? どうした?」
綺瀬くんが首を傾げる。
「あのさ、綺瀬くん……このあと時間あるなら、良かったら一緒に……」
思い切って誘おうとしたときだった。
「水波ーっ!」
静かな中庭に朝香の声が響き、私は飛び上がって驚いた。振り向くと、渡り廊下から手を振る朝香の姿。
その顔を見た瞬間、ハッとする。
そういえば、今日は朝香と文化祭を回る約束をしていたのだった。すっかり忘れて綺瀬くんを誘うところだった。
「もうっ! どこにもいないから探したんだよっ!」
「ごめん、あの……今ちょっと知り合いと話してて……」
言いながら、綺瀬くんを振り返る。……が。
「えっ? あれ?」
ベンチには、綺瀬くんの姿はなかった。
慌てて、周囲を見る。けれど、いない。どこにもいない。
「……綺瀬くん?」
トイレにでも行ったのだろうか……。
首を傾げていると、朝香が「今すぐ行くから、そこで待ってて!」と言って校舎の中へ入っていった。
すぐに中庭にいる私のもとへやってくると、朝香は駆けてきた勢いのまま、私に抱きついた。
「もうっ! 時間になっても教室に戻って来ないから探したんだよ! 歩果と琴音が事情を教えてくれたから良かったけど……連絡くらいしてよ! 心配したんだからねっ!」
「ごめん」
朝香との約束をすっかり忘れていた私は、口を尖らせる朝香に謝りながらも、私は綺瀬くんのことを気にする。
「まぁいいわ。で、あんなところでなにしてたの?」
「あ……うん。今ね、たまたま知り合いと会って話してたんだ」
「知り合い?」
朝香が怪訝そうに私の後ろを見る。
「うん。でも、もう帰っちゃったみたい」
周囲を見たけど見当たらなかったし、きっと帰ったのだろう。そもそも今日は約束もしてなかったのだ。会えただけでもラッキーだった。
でもまさか、綺瀬くんが学校にまで来てくれるなんて思わなかった。できればもう少し一緒にいたかったけれど……。
「……そかそか。ってか、それよりさぁ」
「ん?」
朝香はなぜかにやにやしている。首を傾げ、「なに?」と聞き返すと、腕を小突かれた。
「水波ったら、歩果と琴音の間取り持ったらしいじゃん! さっき教室に戻ってきたふたりがすごく感謝して私に言ってきたんだよ。歩果も琴音も、水波ともっと話したいって言ってたぞ。お礼を言おうと思ったら、いつの間にかいなくなってたって」
朝香は呆れ顔をして、まったく水波の神出鬼没具合ってぜんぜん治らないよね〜と言う。
「……べ、べつに、私はなにもしてないよ。ただ、思ったことを言っただけで」
「照れちゃって、もう」
「まぁまぁ、それよりさ」と、朝香の手を取る。
「お店回ろーよ。今からでも、急げば少しは回れるでしょ?」
「おっ、そうだね。さて、なに食べるーっ?」
「あっ、農業科の牛串美味しかったよ」
「えっ!? もう食べたの!? あんた宣伝してたはずじゃ」
「宣伝してるとき、歩果ちゃんが奢ってくれたんだ」
その瞬間、朝香の目が三角になった。
「なにぃ!? ちゃっかり仲良くなってるんじゃないよ! まったく、親友の私を差し置いてー!」
「ごめんって。あ、調理科のパティスリー行かない? さっきパウンドケーキもらったんだけど、美味しかったから違う味も食べてみたい」
「パウンドケーキも食べたんかい!」
「えへへ。ほらほら、むくれてないで早く行こ!」
「なんかおごれ!」
「えぇー!」
わちゃわちゃとじゃれ合いながら歩き出す。
調理科特製のけんちんうどんにたこ焼き、クレープに牛串。
朝香とふたりで分け合いながら、片っ端から屋台を制覇した。最後にお土産用のパウンドケーキを買ったところで、ちょうど終業のチャイムが鳴った。
「……う、食べ過ぎた」
「だね。ヤバい、しばらく体重計乗れない」
私たちは、お互いにふくれたお腹を押さえながらよろよろと教室に戻った。
「あっ、榛名さん!」
琴音ちゃんが駆け寄ってくる。私はそれを手で制して、もう片方の手で口元を押さえる。
「間違っても抱きついてこないで……吐きそう」
「え!? なにそれなんで!? ここではやめてよ!?」
琴音ちゃんが顔を引き攣らせて後退る。
すると歩果ちゃんが、
「大丈夫? 水波ちゃんも朝香ちゃんも顔色すごく悪いよ?」
「大丈夫、すぐ飲み込むから」と、朝香が答える。
「汚っ!!」
琴音ちゃんがはっきりと言った。
「残念だなぁ。これから後夜祭一緒に行こうとしてたのに」
「体育館でライブあるんだって! ダンス部と演劇部の発表も!」
「絶対見たい!」
歩果ちゃんと琴音ちゃんがはしゃぐ。楽しそうだ。
「うわぁ、見たい! けど気持ち悪いぃ」
「ならほら、行くよ!」
「うわ、ストップ! ちょっとだけ待って〜」
そのあと、私と朝香はなんとか胃の内容物を消化し、歩果ちゃんと琴音ちゃんを交えた四人で後夜祭に出席した。
高校二年の夏の終わり。
私は、はじめての文化祭をめいっぱい楽しんだ。