次の日。つまり月曜日。
そしてその、放課後。
「進路相談室……ここ、かな?」
私は山川先生に呼び出しをされて、今“進路相談室”と思われる教室の前にいる。
放課後に予定はないし、全然、大丈夫なんだけど。
呼び出しの理由は、まあなんとなく察しはついている。
帰りに先生と会った後、あいさつだけ交わしてさらりと別れてしまった。
……なんで、先生が望くんのことを知っているのかな。
そう思ったけど、なんだか望くんには聞きづらくて。無神経に聞いて、望くんに傷ついてほしくないから。
でも、なんで知っているのかがどうしても気になって、夜にこっそり、北田高校に入学したときに貰った資料なんかをひっぱりだしてみた。
もしかしたら、望くんとは同じ学校なんじゃないかなって思って。
そして見つけたのが、入学式の日に配布された生徒名簿。
ざっと目を通してみれば、考えていた通り生徒名簿に“白岩望”と書かれていた。
だから初めて会って自己紹介されたとき、名前に聞き覚えがあったんだ。
……だけど、おかしい。
違うクラスなら、うろ覚えでも“それなら”ってなんとか納得はできる。
でも、望くんの名前が書いてあったのは私と同じ一年二組の欄。
確認するために自分の名前も探してみるけど、ちゃんと記載されていた。
同じクラスだったってこと……?
でも、私のクラスには空いてる席はなかったはず。
山川先生だって、長期欠席している生徒がいるなんて一言も言っていなかった。
それはまるで、いない存在みたいに—————。
「鳥越」
隣から山川先生の声が聞こえ振り向くと、その後ろには望くんの姿もあった。
望くんは、普通のTシャツとジーンズを着ている。
「のぞむく———」
そう呼ぼうとすると、望くんは目をそらすでもなくただこちらを見ていた。
昨日原っぱにいたときのとはまた違う視線。
「入れ、鳥越。遅くなってすまない」
「……はい」
山川先生が扉を開け、私はそのまま部屋に入った。
中には、背の高い丸テーブルに折り畳み式の椅子が三脚。
私と望くんは隣同士で座らされ、目の前に山川先生が座った。
狭いこの密室が、苦しい。
だけど、もっと苦しいのは、望くんのほうだ。きっと。
山川先生は一息ついてから、口を開いた。
「まず、鳥越には申し訳ないと思っている。あとは、クラスのみんなにも。……白岩のこと、何も説明できなくて。申し訳ない」
先生は机につきそうなほどに深く頭を下げる。
謝罪なんかじゃない。私が知りたいのはどうして、望くんの存在を消すみたいなことをしたのか。
たとえそれが山川先生じゃなく学校の判断だとしても、私は知りたかった。
一緒にいたのがたった二週間と少しだとしても、望くんは、もう私の大切な人の一人になっていたから。
「鳥越には、それだけ言いたかったんだ」
先生は頭をゆっくりとあげてそう言う。だけどその瞳は、言葉の意とは反しているように見えたのは、気のせいなのかな。
「白岩」
今度は望くんの方へ向き直り、真剣な表情をした。
望くんの目線は、まっすぐどこか遠くを指している。
「このままじゃ白岩は、出席日数が足りず留年が確定してしまう。……それで、先生から提案なんだか」
一呼吸おいてから、話を続けるのを待つ。
「……約一週間後に行われる一学期期末考査で全教科90点以上を取れば、出席日数の件は免除になるそうだ。これはお前のための、仕方なくの学校側の判断なんだ」
先生は少し困ったように眉を下げながら、口を閉じる。
その物言いからは、“留年するのが白岩望のせいで、そんなしょうがない白岩望のために仕方なく俺が動いてやった”なんていう傲慢さが手に取って分かるようだった。
……望くんが、留年。
望くんが学校に来ない理由は分からないけど、留年ってことは、もう一度一年生をやるってこと、だよね。
ちらりと望くんのほうを見るけど、さっきとは表情すら変わっていなかった。
「まあ、提案しといて悪いが、今から勉強しても絶対に無理だろうな。というわけで、白岩。いや、白岩望。お前の留年は確定したってことで—————」
「まっ、まだ、そうと決まったわけじゃありませんっ!」
気が付けば、立ち上がってそう叫んでいた。
私史上、たぶん一番大きな声で。
「と、鳥越。どうしたんだ」
「それは、のぞ、し、白岩くんが決めることであって、先生が、決めることじゃあな、ないかと……」
まるで大反論するみたいに言っておきながら、話しているうちにだんだんと自信がなくなってきてしまい最後の方は声が小さくなってしまった。
そして勢いをなくして、とうとう椅子に座ってしまう。
私、どうしたんだろう。……だけど、言えた。ちゃんと、言いたいこと。
「……期末考査で全科目90点」
「……え?」
今まで一言も発していなかった望くんがいきなりそんなことを言い出したので、思わずびっくりする。
「取れば、いいんだよな」
「え?ああ……」
先生も驚いたように口を開ける。
私が、無理矢理押し切ったように言っちゃったからだよね、あのたぶん……。
「ご、ごめんなさいっ!」
先生と別れてから荷物を持って学校を出た後の帰り道、私は望くんに頭を下げた。
「なんで」
ちらりと上を見上げながら望くんを盗み見ると、その表情は本当に疑問に思っているようだった。
私はかばんを肩にかけなおして元の体勢に戻る。
「だって、もし、さっきの言葉が私の言ったことが少しでも影響しているのかなあと思ったら申し訳なくて」
私が俯きがちになりながらそう答えると、ふいに頭に重みを感じた。
そして、なでられる感覚。
「まあ、影響してると言えばしてるけど、それは背中を押されたってほうが近ぇかな。映茉があそこでああ言ってくれなければ、諦めてたし」
「望くん……」
そう言ってもらえると、考えなしに感情のままに叫んでしまったことも無駄じゃないのかなって思う。
なんだか、うれしい。
私の頭を撫でていた手をそのまま三つ編みまで持っていきさらりと触れてからおろされる。
それがくすぐったくて、思わず小さく笑ってしまった。
「まあ、さすがに留年はまずいし。やれるとこまでは……やってみるつもりだから」
「それなら、私も協力するよ!わ、私じゃ、全然戦力にはならないかもしれないけど……!」
両手を握りしめてガッツポーズをする。
「そんなことねえよ。ありがとう、映茉」
……あ、今、笑った。
望くんの方を見ながら、そう思う。
前に、私の力で笑わせてみたいって思ってた。
でも今、叶ったのかな。
その日の夕焼けは、赤くて、とってもきれいだった。