レイゼルとメイジスは、ローズとユーリを植物園の中へと招き入れた。
 植物園は騎士団とは違い、植物のための光を取り込めるようなガラスを使った建物が多くあった。

 二人が案内されたテーブルにはタイルで美しい絵が描かれており、ローズは管理者の品位を感じた。
 ベアトリーチェ・ロッドという人物の印象は、やはり騎士というよりも、こちらの方がローズのイメージに近かった。

 ローズにユーリ、レイゼルの三人は同じテーブルを囲み、メイジスはハーブティーを入れた。
 ハーブティーを一口飲んで、ローズは少し驚いた。
 何故ならそれは、以前ベアトリーチェが自分に淹れてくれた味や温度と、全く一緒だったからだ。

 レイゼルは植物の描かれたティーカップに少し口を付けると、静かに話を始めた。
 変わり者の伯爵ときいていたから、もっとおちゃらけた人物かとローズは思っていたが、レイゼルは呼び名とは異なり、ベアトリーチェと同じく礼節と厳しさを持ち合わせる紳士だった。

「あの子が産まれたのは、今から二六年前の冬の日でした。当時、平民の治療が薬学のみで、貴族の治療と言えば光魔法を用いるのが当たり前だった時代に、私は貴族の光魔法と平民の薬学などを統合させた新しい学問を設け、光魔法の代わりに安価で効能の高い薬を普及させようとしたことで、周りから変わり者と呼ばれておりました。この国ーーいいえ、この世界において、魔力の差による格差や待遇の差は当然のものとして受け入られている。私はそれを無くしたいと思い自分の財を使い研究を行い、幸運なことにそれは功を為し、私は大きな財産を得るととともに、国王陛下から私の研究を国家で執り行うことを許されるまでになりました。そしてある寒い雪の降る日にある夫婦が、私の屋敷の門を叩きました」

 彼は僅かに目を細めた。

「『子どもが息をしていない。どうかこの子をお助け下さい』それは、とても無理な願いでした。私がいくら医学・薬学の研究者であると言っても、生きている人間に対するものでしかない。死の淵にある子どもを蘇らせることが出来るとしたら、それは神に近しい行いです。そのようなことは光魔法においてしか行えず、神殿の巫女――そのうち最も高位とされる『光の巫女』でしか叶えられないような願いでした」

 『光の巫女』
 それはローズが生まれた頃に亡くなったという、神殿の最高職にいた人物だ。
 彼女が亡くなったからこそ、ローズはレオンとギルバートの生命維持魔法を担うことになった。

「しかし、『光の巫女』が光魔法を使うのは、王族に危機があった時。そう法で決められています。ですから、彼らの願いは叶わない。当時の私はそれをすぐに伝えることが出来ず、せめて子どもが安らかに眠れるようにと、二人を神殿へ連れて行きました。ですが、不思議なこともあったものです。神殿の前にはすでに『光の巫女』が私達をお待ちになっており、そこには国王陛下までもがいらっしゃったのですから」

 想像もしなかった光景。レイゼルは過去を思い出して目を伏せた。

「曰く、『この子どもはこの国の未来を変えると予言された。よってこの子どもの蘇生を、国家は認めるものとする。しかし、対価は支払ってもらわねばならない』」

 ローズはリヒトからベアトリーチェの蘇生の話は聞いていたが、まさかその場に国王自ら居たとは思っていなかった。

「夫婦は泣いて喜びました。彼の治療費は特別に後納が許され、一生をかけて対価を支払うと二人は言いました。子どもは息を吹き返し、冬だった筈の王都は緑に包まれました。一度は失われたと思った命。もう二度と子どもにこのようなことが無いように、性別とは逆の名を与えることで魔を祓うという言い伝えから、夫婦はその男の子に女の子の名前を与えました。『ベアトリーチェ』という名前を」

 ユーリはずっと疑問だった。
 エアトリーチェの名前が、女性名の理由。それは彼の出生のせいだったということを、ユーリは初めて知った。

「彼は健康に育ちました。人より成長が遅かったことは夫婦の心を悩ませましたが、そんなこと、一度味わった絶望に比べたら些細なことでした。夫婦は彼に何の心配もなく育つことを望んでいましたが、魔力を使える器の大きさは一五歳程度で決まる。年々魔力が強くなる彼は、やがて自分が、他の子どもたちとは違うことに気付いたようです。自分の為に両親が休みなく働くのを見ていられなかったのもあるのかもしれません。聡い彼は若干六歳という齢で私の屋敷の門を叩き、働かせてほしいと言ってきました」

 平民の子どもが幼い時から働くことは多いが、六歳で働くというのはそれでも早い。
 それに自分の価値をわかったうえで、伯爵家を訪れるのは子どもとして異質だ。

「彼は私の仕事を手伝うようになりました。優秀な子で、彼は一度教えたことはなんでもすぐに覚えてしまうような子でした。勿論私の知らぬところで懸命に努力を重ねていたのかもしれない。自分の精一杯で私について来ようとする彼を、私はいつからか自分の後継に相応しい少年であると思うようになりました。当時私の妻との間に子はおらず、妻も彼を気に入っておりましたので」

 レイゼルは苦笑いする。

「彼が一〇歳になった頃。私は、彼を騎士団に欲しいという当時の騎士団長からの言葉を受け、彼に騎士団の入団試験を受けさせました。騎士団に入れば、魔法を使うための石が貸し出される。魔力が強いとはいえ、彼は魔法を使うための石を持っていなかった。私からの援助で、石を購入するのははばかられたのでしょう。彼はより大きな魔法を使えるようになりたいと考えたのか、騎士団に入団を決めました。大きな魔法を使える人間ほど、収入が多いのも常識ですから。夢のない話、子どもらしくないと思われるかもしれませんが、昔から彼はそういうところがありました」

 お金の為に、彼は騎士になった。
 それは、ローズやユーリのはじまりとはまるで違うものだ。

「そんなある日のこと。彼はどうやら、一人の少女と出会ったようでした。男爵令嬢『ティア・アルフローレン』。彼女は少し変わった貴族らしくないご令嬢で、彼の好意を受け入れているようでした。私はそれを微笑ましくも思っていました。彼は魔力が高い。平民という身分であっても、魔力の高い者との婚姻を望む貴族は大勢います。それに彼は騎士にもなり、私の研究施設でも働いている。確かに平民であれば一生かかっても返せないような彼の治療費も、彼が今後地位を得て、まじめに働けばいずれ完済は可能でしょう。予言もあったことから、彼の治療費は通常よりはだいぶ抑えられていましたから」

 レイゼルは言う。
 確かに、国を変えると予言された人物に、額そのままの治療費の請求は出来ないだろう。
 しかし、彼にまだ何の功績もない以上、国が何の対価もなく彼を治療することを認めることは、出来なかったに違いない。

「彼が一三歳になるころ。私と、彼の実の両親の間に子どもが生まれ、彼は二人を弟のように可愛がっていました。けれど息子は魔法が使えず、私は彼をより養子に欲しいと思うようになりました。しかし何度言っても、彼は頷いてはくれなかった。優しい彼ですから、自分が私の息子を傷付けると思ったことも、彼が申し出を断った理由にあるのでしょう。でも一番の理由はそれではなかった。もし伯爵家に入ったなら、行き来はどうしても制限される。彼は家族を愛していた。その繋がりを失いたくないと思っているようでした。そんな時……」

 レイゼルは眉間に皺を作った。

「ある日この世界に『精霊病』という病が現れ、彼の愛した少女はその病に罹りました。光属性に適性があった彼女はそれを予知していたのでしょう。彼が一六歳になり彼女に求婚した際、彼女は彼の申し出を断ったそうです」

 光属性は、先の道を明るく照らすように未来を視ることが出来る人間も居るという。
 ローズにその能力は現れなかったが、歴史書の中には、はるか遠い未来を予知する人物がたびたび登場する。
 『先見の神子』と呼ばれるその存在は、千年先の未来さえも見通すことが出来ると言われている。

「当時のことは、私の方が詳しいので話を変わらせていただきます」

 伯爵の後ろに控えていたメイジスはローズとユーリに軽く頭を下げた。
 少し伏せた目をゆっくり開ける。その動作は、ベアトリーチェの癖によく似ている。

「あの方が一六歳だった当時、私は妻を亡くした後に魔法が使えるようになり、騎士団に入団を許されてから初めての部下となりました。あの方は想い人に振られたばかりで毎日酒屋に入り浸り、彼女に再び求婚しては断られるという生活をなさっておいででした。私は注意しつつ見守っておりましたが、ある日彼女はあの方の目の前で倒れられてしまいました。自分の求婚を断っていたのは、病気のせいだった。そのことを知ったあの方は、より彼女に強く思いを寄せられましたが、結局彼女は亡くなり、その後のあの方はまるで抜け殻のようでした」

 彼の語る全ては、二人の知る今のベアトリーチェとは全く結びつかない。
 求婚を断られてやけ酒なんて、ローズに振られた時の自分のようだとユーリは思った。

「どんなに悲しみを抱えても、時は過ぎてゆくものです。ある時騎士団に盗賊の討伐の命が下り、私達はそれに参加することになりました。これまでのあの方であれば、一瞬で片付けられるような相手。でもあの方は、死を望んでいたのかもしれない。敵の剣をその身に受けようとして、庇った私は腕と剣を失いました」

 メイジスはそう言うと、長い服の袖を捲った。

「義手……?」
 彼の左手は、人の手とよく似せてはいるものの、肌の質感などまるで感じられない冷たさがあった。
「はい。……失った腕の代わりに、あの方が私のために作ってくださいました」
 メイジスは服を戻した。

「この事件があり、あの方は自分を変えようと思われたようです。それにその後、あの方の実の弟が少し重い病にかかり……命を助けるには、治療費を支払う必要があった。それは予言のあったあの方とは違い後納が許されず、あの方は自分が伯爵家に入る代わりに、伯爵様に治療費を借りることをお願いされたそうです」

「あの子は、誰かに借りを作るのが苦手なようで。私のところに来て、そう申し出たのです。……彼が欲しかった私は……それを受け入れました」
 彼は自分の跡継ぎに、ベアトリーチェが欲しかった。だから彼自身からの申し出を受け入れたのは仕方がないのかもしれない。
 でもそれは、家族を思うベアトリーチェにとって、どれほど苦しい申し出だったことなのかは、想像に難くない。

「実の弟を助けるためにあの方は伯爵家に入り、弟は無事助かったそうです。そして埋葬された彼女の墓の上には、あの方の魔力で咲く『屍花』が咲き、もう二度と同じようなことが起きないように研究がすすめられました。『屍花』は古くから、亡くなった人間と同じ病の特効薬になるということが指摘されており、青い薔薇は最も『精霊病』に有効と考えられたためです」

 屍花が、死者の死亡理由の特効薬になる可能性が高いこと。
 これは、ローズは彼の話の後調べて知っていた。でもだとしたら余計に、彼に背負わされるものは残酷だ。
 愛した少女の遺した希望は、彼女自身に使うことは出来ないのだから。

「研究は認められ、その功績によってあの方は報奨として、自らに課せられていた治療費の返済を免除されました。しかしあの方は、今も毎月実のご両親に給与の一部を送られています。二人の息子を助けるために働いた実の尾ご両親が、体調を崩されたというのもあるでしょう。自分の罪をあがなうかのように、正式に伯爵家に入られてから、あの方はもうずっと前から、本当のご家族には会われていない」

 ――恩返し。
 それは子どもとしての、償い。日々忙しい生活を送る彼の、唯一の繋がり。
 お金で引き離された家族が、今はお金のみによって家族と結びつく。
 弟を助けるためとはいえ、実の両親より伯爵の手をとった。会わない選択をしたのは彼らしいともいえる。
 ユーリとローズは、二人の話を聞いて何も言えなかった。
 自分たちが調べていたことが、彼が知られたくないと思った過去が、そんな悲しいものだなんて二人は思ってもみなかった。

 二人だって、家族を、幼馴染を失いかけたことがある。
 そのためにローズは、これまで必死に生きてきたという自負がある。
 けれど結末だけ考えれば、今の彼女の周りにはいつだって大好きな家族が居る。
 ローズの母は彼女を生んですぐ亡くなってはいるものの、母親代わりのようなところもあるミリアは、いつだってローズを守り、愛してくれた。
 ベアトリーチェの抱える苦しみの全てを、きっと自分は分からない――そう思うのは、ユーリもまた同じだった。

「『天剣』殿」
「は、はい」
 ユーリは慌てて返事をした。
 ベアトリーチェにどことなく似た雰囲気のメイジスは、そんなユーリに微笑んだ。

「私が腕を失って少し経って、貴方の入団試験をあの方は受けもたれた。そして貴方に『天剣』の名を与え、数年後貴方を騎士団長に指名された。あの方は、貴方を選ばれたのです。――そして、ローズ様」
「はい」

 返事をして、ローズはじっとメイジスの目を見た。そして、彼の前に居る伯爵を。
 視線に気付いて、伯爵はローズに静かに頭を下げた。
 その時ローズは、今のベアトリーチェは、まるでメイジス・アンクロットの優しさと、レイゼル・ロッドの厳しさを合わせた人物のように思えた。

「あの方から、幸福の葉を受け取られた貴方だからこそ、私は貴方を信じています」
「?」
 メイジスの言葉の意味が、ローズにはよくわからなかった。ただ、続けられた言葉に、彼女は息を飲んだ。

「なぜならあの方に幸福の葉を最初に渡されたのは、他ならぬティア様なのですから」

 そう言うと、メイジスはふわりと笑った。
 そうして深く、頭を下げる。

「これが、ベアトリーチェ・ロッド。いえ、ベアトリーチェ・ライゼンの、これまでの人生の全てです。あの方は、優しい方なのです。でもだからこそ、いつだって自分を責めていらっしゃる。お願いします。あの方を――どうか救って差し上げてください。そうしないとあの方は、きっとすべて自分一人で背負おうとされてしまう。それを防げるのは、私たちではない。貴方たちだと私たちは思っております」

 私たち。
 メイジスの言葉を、不敬だとレイゼルは言わなかった。
 ただ彼も同じように二人に頭を下げて、たった一人の子どもの様な青年の、幸福を願う言葉を口にした。


「お願いします。――あの子を変えることは、私たちでは出来なかった。どうかあの子を、守ってやってほしいのです」