(久々の潮風。最後に来たのはいつだったかしら)

遂に新婚旅行の日を迎えた。
目的地のラーナタルに向かう為、出港日に間に合う様に私達は直行便が滞泊する港街マリングに前日入りしていた。
ここからラーナタルまでは4日。何事も無ければ天燈祭に間に合う筈。
私はお姉様の願いを叶えられるという希望と無事にラーナタルについて欲しいという不安を入り混じりながら船の上で海を眺めていた。
海を見たのは久しぶりだった。お姉様が病に倒れてから旅行なんて行かなかったから潮風がとても新鮮に思えてしまっていた。
それに、今回はいつもの様な家族旅行でこの船に乗船した訳ではない。新婚旅行として乗船しているからどこか落ち着かなかった。

(キース様が隣にいるなんて変な感じ。本来なら私のポジションはカイネお姉様だったからおかしい話よね)

お姉様が元気だったら彼女がこの光景を見ていたのだろうといつも考えてしまう。けれど、今は私が彼女の目になっている様なもの。

(お姉様もこの船に乗っている。きっとそうに違いない)

私は腕の中にあるお姉様の遺品で旅の地図となる赤いノートにぎゅっと力を込める。

「どうした白雪?気分でも悪いのか?」
「いいえ。ただ少し緊張しているだけです」
「緊張?」
「私達がこれから見るモノがお姉様が望んでいたモノになるのかって。期待を裏切る様なモノだったらどうしようって思ってしまって」

お姉様を悲しませる様な旅にはしたくない。その不安は拭いきれない。
そんな不安に駆られる私にキース様は静かに諭した。

「そんな心配しなくても大丈夫だ。カイネが望んでいた願い事だろう?どんな結果になっても彼女なら受け入れてくれるさ」
「キース様…」
「全てが上手くいく訳ではない。彼女だってそれを承知であのノートに書いたんだと思う。その考えはラーナタルに着いてからだ。とにかく今はこの船旅が無事に終えられることだけを考えよう」
「そうですね」

もう一つの不安を打ち明けるのはやめておいた。まだ彼に言うタイミングではない。

(もう少し貴方を知れたらと思うけど時間が解決してくれるのを待つしかないわね)

いつまでも不安な気持ちのままでは気持ち良くこの旅行を迎えられない。
絶対にお姉様が見たがった光景が海の向こうで待っているのだ。

(あと望むとしたら、この新婚旅行で呼び名を変えさせることね。いつまでも白雪呼びされるのはごめんだわ)

隣にいるキース様に先に自分の部屋に戻ると一声かけ、乗客の声と足音を聞きながらその場を立ち去ろうとする。こんなに騒がしい場所に来るのは久々でなんか落ち着かない。

(ラーナタルに着くまでこんな感じね。でも、仕方がないわ。旅ってこういうものだもの。不快からくるモノではないわね。期待と好奇心から来てるから)

私はもしお姉様が生きていたらどうだっただろうと想像する。きっと、お姉様も同じ気持ちになるのだろうと勝手に思ってしまう。
そして、笑顔でこの旅を終えるのだろうと。

(私達のこの旅はお姉様の為。私とキース様の距離を縮める為なんかじゃない。キース様自身が私を形だけの妻でしか見てない。でも…それでいいの。それでいいのよ)

予約した自室に入り、ため息をつきながら椅子に座る。窓ガラスがないのと部屋自体が狭いから薄暗く感じる。

(飽く迄これはラーナタルに行くための連絡船だもの。我儘言ってられない。すごい長い船旅でもないしね)

私の夫となったキース様と同室にするには少し厳しかったから別々の部屋になったが今の私達の状況を見れば最善の選択肢だと言えた。
椅子から立ち上がり、ベッド近くに置いてあった茶色い本革のトランクケースに近づきそれを開けて愛読している小説を取り出しまた椅子に座り直す。
しばらく小説を読んでいると、出港する合図がくぐもって聞こえてきた。

(……いよいよなのね)

碇が上がってゆく音がする。遂にお姉様の願いを叶える旅が始まるのだ。

「緊張する」

心臓の鼓動がいつもより煩く感じる。読んでいた小説に集中できなくなってそれを閉じ、椅子の近くの小さな机の上に小説を置いて再び外に向かう。
眩しい太陽を感じながらゆっくりと港を遠ざかり始める光景を見る。
まだ外にいたキース様の隣にもう一度近づく。

「まだ居たのですか?」
「別に部屋に居たってつまらんからな。海なんて久々だったし」
「私も同じです。それに、お姉様もこの光景を見たかっただろうなって思ってしまいます」
「見てるさ。多分俺らの隣で」
「ふふ。そうだと良いんですけど」

すると、キース様が少し驚いた様子を私の顔を見つめてきた。私は思わずえっと彼の顔を見返す。

「あの…?何か…?」
「いや、お前の笑顔を見るの初めてだったから。ごめん、じっと見ちまって」
「変でしたか?ごめんなさい。お姉様が亡くなってからあまり笑うことがなくなってしまって。お父様にもいつも心配してました」

キース様に指摘されて私も内心驚いているけれど彼が言った言葉のお陰だと思う。少しだけ笑える様になったのは。
長い様で短い船旅。4日経ったら私達はラーナタルの地に足を踏み入れる。
色んなものが違うだろう。そして、お姉様が見たがっていた天燈が浮かぶ美しい夜空。

「今だけは、この旅の間だけは笑ってもお姉様は許してくれますよね」
「何言ってんだよ。この旅の間だけじゃない。カイネはお前の悲しい顔なんて望んでないさ。笑って幸せになって欲しいって願ってる筈だ」

キース様の言う通りだと思う。
亡くなる前日のお姉様もそんなことを言っていた。

「私は貴女のすぐそばにいるから。だから…悲しい顔をしないで。笑顔でいて」

この旅やる事がまた増えた。それは本当の私を取り戻すこと。しっかりと笑える様になることだ。

(これは私自身の為。そして、キース様との未来の為)

キース様の言う通りお姉様が近くに居るのなら"いつまで泣いているの?ほら!!笑って!!この旅を楽しんでね!!"って言ってくれそうな気がした。
私は新たに増えた目的と共にラーナタルに向かうのだった。